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中国人の留学生との思い出(2月21日)

 2002年、私が某国立大学(現在は独立行政法人)の大学院教育学研究科に入学したとき、教育学専攻15人の中には2名の中国人留学生(それも社会人学生として)が男女各1名ずついました。しかも、この2名は私と同じ研究室に入り、2年間研究生活を共にしてきました。

 それ以前、私が別の大学で勤めているときに台湾の大学院生とのかかわりがあって、ある程度留学生の事は分かっていましたが、この二人は中国からの留学生ということで、、また新たな留学生との交流となりました。

 私は、特に20代後半の女性の留学生とは親子くらいの年齢であっても同級生として、仲良くなりました。彼女は、中国で日本語の先生をしていたくらいなので、ほとんど日本語で苦労する事はなかったのですが、日本の慣習や文化を理解したり、慣れる事には時間がかかるようでした。また、いくら日本語ができるといってもやはり、大学院レベルの文献を読むには理解しがたいところもあったようなので、履修するときには、私と同じ科目をとりたいという事で、毎日ほとんど一緒に行動しました。

 しかし、授業の中で議論をしたり、レポートを書くときなどは、言葉の裏にある文化や基本的な考え方の違いにより、彼女にとっては、かなり理解しがたいようで、苦労しており、求められれば支援はしていました。30代の男性の留学生は、日本語の理解が十分でなく、積極的に自分から仲間に入ろうという気はないようで、人間関係を結ぶのは、お互いに難しく、敢えて私が話しかけても最低限の言葉しか返ってこないという感じでした。しかし、彼の場合は配偶者と日本に来ていたので、多分ストレス解消はできていたのでしょう。

 同級生の中では、二人は何とか人との関係はいい具合に行っていたようでしたが、研究室のゼミでは、もっと深いかかわりになるので、どうしても国の「常識」と思われる事に対する違いや日本人からみればマナーや時間管理の悪さなどがあり、いろいろなことがスムーズに進んでいる状況ではなかったと思います。彼らたちは、あからさまに「反日感情」を示す事はなかったのですが、国民性からか、日本を理解しようとするより、自己主張はしっかりするということで、その点で日本人とはしっくりこないこともあったようです。

 私も彼らの遅刻に対する考え方や約束をしっかり守るということに対する自己管理の悪さにはイライラする事がありましたが、他の人よりはのんきな性格なのか、それほど気にはしていないところもありました。ただ、「こういう行動をしていては、あなた自身が人から信頼を失うことになるから、気をつけるように」と注意はしていましたが、それに対してはあまり反応はありませんでした。

 やはり、彼らは大陸でゆったりと物事にとらわれない生活をして来ているので、狭くて人口の多い日本で、まず「和と調節」を重んじて行動する事や、ある程度の本音と建前を持って話すという日本人とは、理解しにくい部分はあると思いました。もう一つは、両国の経済的格差による価値観の違いなども、日常生活の中で齟齬が生じる部分もあると思いました。(具体的にはいえない部分がありますが・・・)

 これらの事は2年間では、なかなかお互いが理解し合う事は無理だったと思います。修士論文を書くにあたっても、その辺のところが埋まっていなかったために、女性の留学生は、精神的に不安定になってしまいました。そこで、家が同じ方向だったので、大学から帰るときには、修士論文の締め切りまでの1ヶ月間は、無理やり私の車に同乗してもらい、お互いに愚痴や他愛ない話をしながら帰途に着くことにしました。そして3月、何とか彼女は修了を迎えることができました。その間には、女性の助教授が途中から彼女を支えて修了に向うように、かなりの指導力を発揮されました。おそらく、このどちらかが欠けていたら、現在中国教員として勤務する事はできなかったでしょう。

 これらのことと、今回の事件を起こした中国国籍の女性の例と比べてみると、少なくとも十分でないにしても、彼女を認め、支えてくれた人がいたこと、自分自身にプライドを持っていたこと、幼いときから両親に愛されて育った事などが、修了までこぎつけることができた大きな要因だと思います。
  容疑者が中国でどのような日々を送ったのか、今のところは分かりません。しかし、結婚して配偶者がいながら、支えられる事もなく、愛される実感もなく7年間近い日本での生活をしてきたのだろうと思い、残念だという思いがあります。

by eastwaterY | 2006-02-21 22:42  

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