愛とは?(7月15日)

私の信頼する友人が、ブログの中で「愛とは *ケアする *良い点を見つける *痛みを分かち合う *許す」という言葉を書いておられました。そして、それを自分に当てはめておられました。
    私は 私を ケアする    私は 私の良い点を見つける
私は 私の痛みを 分かち合う     私は 私を 許す
・・・・・・・・ということです。これは、まず自己肯定感がなければ、「他者を愛することは難しい」ということでしょうね。
「愛とは・・・・・」、この解釈は難しいですね。

まず、「ケアをする」、辞書で「care」をひくと「心配、気がかり、気にかけること、世話、気配り・・・など」いろいろ出てきます。これが日本語の「ケア」でひくと「介護、世話、手入れ」となっています。私が自分自身で「care、ケア」から思い浮かべるのは「気にかけること、世話、気配り」などです。「気にかけることは、愛しているから」とい言葉もあります。これは納得できます。

親が子どもに、いくらうるさがられようと子どものことを気にかけることは、よくあります。
80歳の母親が50歳代の息子に「けがをせぬよう、風邪をひかぬよう」と声をかけるのは、誰が考えても両者の役割が逆だと思いますが、やはり「親は何歳になっても子どものことを気にかけるもの」ということで「愛している」のです。しかし、最近のニュースでは、車の中に幼い子どもを残して、自分はパチンコをして、「子どものことを気にかけない親」もいます。これは極端な例ですが、日常的な風景としては、広い駐車場でヨチヨチ歩きの子どもの手を離して、子どもを一人で歩かせている親を見ること,よくあります。

いつか私がお節介おばさんになって、「このくらいの背丈の子どもは、バックする時には車の中の運転手からは見えないのだから・・・」と言いかけたら、すごい目をして睨まれてしまいました。子どもを「ペットではなく人間として」愛してほしいと思いました。

次に、「良い点を見つける」・・・このことに関しては、私は他の人の「良い点を見つける」のは得意です。だから、褒めた相手に「それで、褒められたのは初めて!」と喜んでもらえます。お世辞ではなく、良いと思うから褒めるのです。ところが自分のことになったら、すべてマイナス思考。褒める点がなく、落ち込んでしまいます。

「痛みを分かち合う」・・・このことは、割合できるほうですが、私の欠点は、相手の痛みに寄り添うのではなく、そのものになってしまうことです。相談を受けても相談者と一緒になって涙してしまうので、客観的に考えることができません。そういう考え方が、仕事にも影響していて、直さなければいけないと思いつつ難しいところです。

最後に「許す」・・・これが4つの中では一番難しいと思います。私は、何十年も、ある人の行為を許すことができなくて悩んだことがあります。しかし、ホスピスケアの全国大会の「許す」分科会に2日間参加して、「許す」ことができました。

それ以前から「許す」までのプロセスは・・・・・・
「その人のことを思うと、その人がしたいやな思い出しかないから、その人はソンな人だ」と思い、その次には「その人のことを思うと不快だから、なるべく思わないようにしよう」、そして・・・
「そのような言動を私にしたということは、私にどこか悪いところか、失礼なことがあったのかもしれない」と思うようになりました。20年以上かかって、そこまで行った時に、ホスピス大会へ参加し、みんなで「許す」ことについて話し合って「許せない」感情が氷解したのでした。

長い間、かかりましたが、「愛する」中で「許す」ということが、どれだけ重要か、ということ。
「許す」ことができた自分は解放感を感じ、人間が好きになりました。時間はかかっても、この過程を経ることが、私には必要だったのでしょう。
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by eastwaterY | 2008-07-15 17:47  

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