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介護について(3月18日)

今日は、珍しく1日休みの日です。文科省の委託事業のため、私が勤務する時間は限られております。これまで、その限定時間以上に務めてきたので、年度末になって調整しなければいけなくなり、今日は強制的に1日休日となりました。(とはいえ、勤務先が大学内から自宅へと変更しただけで、朝から順調(?)に働いています)。でも、ここでちょっと休憩です。

先週、出張で上京する車内で、朝日新聞を読んだとき心を温まる記事がいくつかあり、早速
常時ハンドバッグに入れている、小さなハサミでその記事などを切り抜きました。今日は、そのうちの一つを紹介したいと思います。

広島県在住の79歳女性のSさんが「ひととき」に投稿された文章です。
Sさんは、毎月1回福祉センー内の高齢者の集いに参加しているとのこと。過日は、認知症高齢者の介護を経験した中高年の女性10人を迎えて話を聴かれたそうです。どの方も淡々とした態度で愚痴一つもらさなかったけれど、毎日が修羅の繰り返しだったことは容易に窺い知れたとのこと。

中でも、母親が95歳で亡くなるまで介護を続けてきた方が「この人は、生きることが使命で、毎日その仕事をしているのだ」と思いながら母親と向き合っていたいという話は心に残っている、とSさんは言います。この後は、会員からも次々と「祖父母から夫まで、私は介護のために生まれてきたのかと思った」「何人もの老人をみとって、60過ぎた今が人生で一番楽しい」などと、語られたとのこと。

このような思いは、愛情に支えられているとはいえ、今の日本社会では家族、特に女性たちの献身と忍耐が果てしなく続くのではないかと思います。日本社会が徐々には変わっているとはいえ、介護をしている女性たちが並大抵ではない苦労をしていることは窺い知れます。

私の場合は、夫の母、私の叔母、夫の姉、の介護をし、その時間に長短はありましたが、下の世話も含めて最後まで看取りました。実母の場合は、実弟が母と共に住んでくれていたので、義妹にずいぶんお世話になりました。実母が時々我家に泊まりに来ていましたが、年毎に認知症も進み、私に「あなたはお嫁さんですか、娘ですか」と言うようになり、いろいろトラブルもありました。でも、私の方は常時ではないので、義妹には30年も母の世話をしてただき感謝しています。

上述の3人の介護については、まだ私が若く、介護保険もない頃でした。だから、全部一人で介護をしましたが、今思えば、それほど長期間ではなかったことと、若かったゆえに、ただ一生懸命何も考えずに介護をできたのだと思います。今だったら、体力も追いつかず愚痴もいろいろ出ていると思います。

私の親友がある日、長文の手紙をくれました。彼女は認知症になった姑の介護を続けており、その限界を感じ、たまらなくなって私に自分の気持を吐き出したのだと思います。読んでいても、彼女が良心を尽くしながら介護をしていることは、彼女の人柄から言って十分に分かります。もう今から十数年前です。、私は彼女にどうヘルプしたらいいのか分からず、ただ、自分の気持を尽くして手紙を書き、速達で返信したことだけを憶えています。しかし、それがどのような内容のものだったか全く憶えていませんが、彼女の手紙はそのまま残しています。

その後、彼女の姑さんが亡くなったある日のこと、私が彼女にこの手紙のことについて尋ねたら、彼女は私に長文の手紙を出したことをすっかり忘れていました。それほど、彼女にとっては辛い状況だったことが分かります。同時に彼女が忘れていることは、私が書いたことで少しその時の気持の整理がついたのか、と思ったことでした。

このような女性たちを支えるために介護保険はあるのだと思いますが、どの程度活用されているのでしょうか?介護保険ができたときに亀山静香代議士がいった言葉を、私は忘れることができません。「介護保険ができたら嫁が親を介護するという日本の美風が消える」。彼は本気で、こう言ったのです。そう思う前に1週間でもいいから、寝たきりの人、認知症の人の介護をして欲しいと思います。こういう国会議員がいる限り、女性が本当の意味で活用できる機能を持った介護保険はできないのではないでしょうか。

by eastwatery | 2008-03-18 17:00  

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