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友人との語らい(9月21日)

今日の午後は、広島市まちづくり市民交流プラザの運営委員会の会議があるので、先日来、
お互いに会ってお話をしたい、と思っていた友人と昼食を食べながら、久しぶりの再会を喜びました。

この友人Oさんは、今日までは、まだそれほど親しくはなかったのですが、今日で一気に近づいた感じです。実は、Oさんは現在54歳の社会人学生の方です。初めて彼女にお会いした時に驚いたことがありました。

私が47歳でHB大学初等教育学科に入学した時、卒業したときの写真を彼女は、ずっと手元に置いて、「いつか自分も社会人入学をして文学を学習したい」と思っていたといわれたのです。彼女と私は12歳違いなので、私が47歳の時は彼女は35歳。二人の子どもさんは、まだ小さく彼女が大学進学をしたいという気持ちはあっても、実現できない時期でした。
私は、そのお話を伺った時、マスコミの影響の大きさを知りました。彼女は育児をしながら、私が大学入学した写真を家事の合間や育児の合間に眺めながら「いつかは・・・」と思ったそうです。

今日、話してみたら、入学の時、卒業の時の、それらの写真の人物の位置や構成などをしっかりと憶えておられ、何度彼女が写真を見ながら、自分自身を励ましてきたかが分かりました。そうしながら、彼女自身も47歳のときに、文学部の国文学科に入学されたのです。その後、彼女が大学生の時、私が活動していたNPOで大学の社会人進学に関する冊子を作るために彼女もスタッフの一員として取材に協力してくださったことがありました。

そのときから換算して、彼女が卒業を迎える時期に卒業祝いの花束を贈ろうと思い、ある人に彼女の様子を尋ねたら、介護のために卒業論文が書けず、大学は休学したままでいらっしゃるということでした。それ~、そのまま連絡をとるのもためらわれ、しばらく音信は年賀状だけになりました(そういえば、彼女のお連れ合いの喪中欠礼のハガキは来なかったと思います)。

今日は、彼女に会ったら、まず介護のことに対して私は「ご苦労様」を云いました。その瞬間、急に彼女の目が潤み「実は、あの時介護をしていたのは夫で、発病して3ヵ月後に亡くなったのです。その後は自営業だった夫の仕事をしばらくは引き継がなければいけなかったのです」といわれました。私は、介護は実の両親或いは義理の両親だと思っていたので、あまりのことに私まで涙してしまいました。

彼女は高卒であることに、長い間コンプレックスを持っていて、子育てが一段落したら大学進学をしようと辛抱し、やっとその夢が叶った4年目に入ったときにお連れ合いの死という、彼女にとって最も過酷な場面に出会ってしまったのです。何と、人生というのは皮肉で冷酷なものかと思いました。宿命とはいえ、あまりの残酷さに言葉がありませんでした。

しかし、その後二人のお子さんも社会人となり、やっと彼女の気持ちも落ち着いて3年ぶりに今、卒論を仕上げるべく週に2~3日大学へ通学している、と云うことでした。さらに、現在、和服を洋服に仕立てる技術とセンスにより、「シニアのための企業支援」に応募して採用され、助成金を受けて起業する準備もしているといわれました。

これまでの人生が余りにも辛く、「自分ほど不幸な者はいない」と思っていたが、次の目標が出来たので、少し不安はあるが、これからは頑張って生きていくという彼女の生きる姿勢に、私は大いなる拍手を送りました。私も10月から新たな仕事が始まるので、二人で励まし合いながら、新たな人生に向かっていこうと約束しました。

何年も彼女のことが気になり、ききあぐねていたことも分かり、Oさんも元気を取り戻しておられたので、本当に安心しました。

by eastwatery | 2007-09-21 21:33  

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