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心に残る言葉(9月19日)

今日の中国新聞の朝刊に、日本医療コーディネーター協会理事長の嵯峨崎泰子さんのコーナー「患者の言い分 医者のホンネ」で、嵯峨崎さんが、ご自身の体験から医師に言われた「心に残る言葉」について書いておられました。

彼女の次男は、極小未熟児で生まれ、水頭症の疑いが生じました。そのとき、セカンドオピニオンを求めた医師が「この治療方針を選択されても、もし、彼に障害が残ったとしても、僕は彼が自立するまでずっと診ますよ」と発した、この言葉が、親としても、医療者としても、深く胸に刻まれた、とおっしゃっています。

彼女は、ファーストドクターの意見を非常に信頼していましたが、「彼らは親には、なれないのだ」という思いもありました。そして、懸命な医療を尽くしてくださっている医療者を、心の隅であっても責めることがいないよう、自己決定にこだわったとのこと。そして、セカンドオピニオンを求めた医師から先述の言葉をいただき、嵯峨崎さんは、「この医師は、患者を孤独にしない」と信じたのでした。

現在、次男は、体力も忍耐力も備わってきて、少しずつ成長し「彼が生きていることがありがたい」と思い、少しずつ、彼なりのスピードで成長していることが嬉しく、彼の成長は未熟児医療の恩恵の上に成り立っていると、いつも感謝していると、書いておられます。

私は、嵯峨崎さんの、この一文を読んで、私が息子を早産で1,850gで産んだときの、主治医の一言が、それ以後の子育てに、どれだけ安心感をもたらしたか、を思い出しました。1ヵ月半早い出産であること、41歳という高齢の初産であること、夫はヨーロッパ出張中で妊婦である私が一人で入院し、一人で出産したこと。そういう悪条件の中で未熟児出産。

多分、主治医はそれらのことを勘案して、私の心に残る言葉を伝えてくださったのだと思います。それは・・・・・「この赤ちゃんは、体重が少ないだけです。内臓は人一倍丈夫だし、今日生まれた7人の赤ちゃんの中で、この子が一番元気ですよ。何の心配もありません」。
この一言によって、単細胞の私は、全面的に主治医を信頼し、2,390gという体重で保育器を出て、退院しても何の心配もなく、普通の子どもと同じように、必要以上に神経を使わずに育てることができました。

小雪のちらつく1月中旬に退院しましたが、それ以後も2月中旬(この頃に出産予定でした)でも、天気の良い日には乳母車に乗せて外出していました。息子が4歳になった頃、ご近所の95歳のおばあちゃんが「息子さんが小さい時あなたは、あんなに小さい息子さんを連れて、よく外へ出ていたので、無事に育つかと心配していたよ」と仰いました。おそらく多くの人も同じような思いをもっておられたことでしょう。

息子は主治医が仰ったとおり、1年で標準となり、2歳では体重・身長共に4歳の体格に育ちました。そして、今は175cmの大男になり、「お母さん、小さくなったね」という青年になりました。今でも、ときどき主治医が言ってくだっさった言葉がどれだけ子育てにおいて重要な言葉であったか、と思う時があります。

嵯峨崎さんは、最後に「患者・家族と医療者は、合わせ鏡のようなもの。相手を尊重し、信頼し、医療と真剣に向き合う態度が、双方にいい影響を及ぼすと信じている」という言葉で結んでおられます。私も全く同じような考えであり、もし、これから自分や家族が病を得たときには、このような考え方でありたい、と思います。

by eastwatery | 2007-09-19 22:50  

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