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慰霊碑に供えられた水(8月23日)


今日は、午後から仕事に出かけ、夕方に徒歩で広島市役所の前の歩道を通ってアストラムライン(高速交通)まで歩いて、帰宅しました。その途中、市役所内の歩道の横の木がこんもりと茂っている一角に慰霊碑があるのに気づきました。これまで、何度も通った市役所沿いの道なのに、そこに慰霊碑があることには気づいていませんでした。

よく観ると、この慰霊碑は市役所に勤務していて原爆で被爆死した人たちを祀っている慰霊碑でした。そこには、塔婆と、まだ最近活けられたらしい花が花挿しにたくさん活けられていました。また、その横に、大きなガラスのコップにたっぷりときれいな水が供えられていました。私は、そのコップを見たとき、はっとしました。8月6日の原爆記念日の後、多分、その日にお参りできなかった人が,遅ればせながら、花と水を供えたのでしょう。

「なみなみと注がれたコップの水」には深く,哀しい意味があるのです。多数の被爆死した人たちがあちこちで死に際に「ミズ、ミズ、ミズをください」といって事切れたという話は、広島ではよく語られています。原爆投下後、「原爆にあった人に水をあげたら、早く死ぬ」という流言蜚語が流されたので、死にかけた人が「頼むから水をください」といっても、その人に水を上げなかった、自分が歩くのが精一杯で水を上げる余裕がなかったということがあったのです。また、その話を聞くことにより、多くの人が被爆死した人の様子を知るこにも」なったのです。

しかし、被爆した人に水を上げられなかった人が生き延びた後、特に原爆の日には「どうして自分はあの人に水を上げなかったのだろう」と自分自身を責める人が多いのです。これはとても辛いことだと思います。私の父も被爆死し未だに遺骨も分かりませんが、息子が小学生のときに前述の話をして以来、息子は大学生になって家を出るまでは「おじいちゃんにタップリの水をあげる」といって自分の役割として、毎日水を供えていました。普通は、お仏飯とお茶を供えるのですが、我が家はお仏飯とお水なのです。父がこの水を飲んで、カラカラであった喉を潤しているだろうか、時々思う時があります。

そう思う日々を送っているせいか、今日「なみなみと注がれたコップの水」を目にしたときには、ちょっと涙が出そうになりました。私と同じような思いを持った人がこの水を供えたのだと思うと、いまさらながら、どれだけ多くの人がそのような思いを持って生きているのだろうか、と思いました。

by eastwatery | 2007-08-23 23:05  

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