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何もしないで ただそこにいる(4月21日)

今朝も3時間、電話相談員研修を受け、昼からは「日本女性会議207ひろしま」の報告交流会へ行きました。研修会は「DV(家庭内暴力)」がテーマでしたが、今日は電話相談における「ケア-ただそばにいる」を考えてみたいと思います。

ケアの問題を考える時のひとつの核になることは、積極的なことを何もしないで「ただそばにいる」ということが、どのような力になるのか、ということです。そのためには、ふたつのことを一度はずした方がいいと哲学者の鷲田清一氏は言っておられます。

ひとつは「何かをしなければならないという意識をはずす」ということです。まず一度「何かをする」ということをはずしたケアをイメージしてみること。なぜなら、「こうしないといけない」とか「何と何をしたらよいのか」だけを考えていると、ただ聴いているだけとか、ただそばにいるだけということがとてもネガティブになってしまうからです。

私も実際にこのようなことは体験しています。話を聴いたあと、もともとのお節介な性格が災いして「何かしなれば、何かいわけなれば・・・」と答えを探そうと焦ってしまうのです。そうなってくると、ゆっくり相手の言葉や心を聴く余裕がなくなってくるのです。このことは、相談者が自分の言いたいことを十分に話すことには至らない場合があり、これでは相談者にとってはプラスにはならないのです。積極的傾聴というのはそういう意味ではないのです。ある人に「真っ白な心で相談者の心聴くように」といわれたことが分かるような気がします。

もうひとつは、「してあげる」ということを一度やめてみて「してあげる」のではなくて「する」と考えること。「する」なかで逆にする方が「してもらう」ということが起きる場面があるはずです。かって、私が特別養護老人ホームにボランティア活動に行っていたときに、同じことがありました。その頃、私は不妊で苦しんでいて、自分の存在意義を感じられないときがあったのです。
夫は仕事に忙しく、私がいてもいなくてもいいような感じでした。そういう日々を送っていたとき、老人ホームのボランティアでは、寝たきりの高齢者の方に食事の介助をしていました。私が担当していたのは、小柄でとてもきれいなお顔をした80歳をゆうに過ぎたおばあちゃんでした。

初め頃は、私が介助をしてもなかなか心を開いてくださらないことがありました。しかし、月日を重ねる中で私が行っただけで、なんともいえない顔でニコッと笑い、自分から大きく口を開けてスプーンで運ぶ食事を食べてくださるようになりました。そのとき、「あー、このおばあちゃんは私を必要としてくださっているのだ」と、自分の存在を肯定できるようになったのです。まさに、「する」なかで逆にする方が「してもらう」ということが起きる場面を経験したのです。このボランティアをはじめた頃は「してあげる」とう気持ちがあったのですが、このおばあちゃんと出会って以来、「してあげる」のではなく「させていただいているのだ」ということを実感し、とても嬉しかったのを思い出しました。

その頃からもう30年以上たっていますが、鷲田清一氏の一文を読み、その時のことが鮮やかによみがえってきました。

「人は他人に関心をもたれることによって支えられるだけでなく、自分が他人に関心を持つことで、自分を支えることができます。つまり『してもらう』事ではなく、自分が他人に関心を持つことで生きる力を感じられることがあるのです」と鷲田氏は言っておられます。

それは、ケアする人にとっても同じで、ケアする方がケアされる人に力をもらうことが起こるのです。このことは、電話相談でも経験しています。だから、みんな「あんなしんどい仕事、何度やめようと思ったことか」いいながらも、独特の魅力があって続けているのだと思います。

by eastwatery | 2007-04-21 23:08  

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