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進化論と経済学~格差の正体~(1月25日)

『上流』『下流』と言う言葉が定着しつつありますが、「勝者」と「敗者」に二分された社会が私たちにとって望ましい社会とは思えません。現在、小泉改革の結果、国中が勝ち組と負け組みに二極分化しつつあります。地域、企業、個人間の格差が広がり、このままでは、ごく一握りの勝者が残りの敗者のすべてを奪ってしまうということになりかねません。

過日、久しぶりに血圧・血液検査をしてもらおうと家庭医である医院に出かけ、待合室で待っているときに『週間朝日』を読んでいたら、面白い記事に出会いました。読んで見ると、これはぜひブログに載せたいと思い、受付の人に訳を言って近くのコンビニでコピーをしてきました。(この行為は、我ながら完全にブログにはまっている証拠だと思い、一人で笑ってしまいましたが・・・)

さて、本題に入りましょう。この記事は「競争」と「共存」は常に古くからのテーマだというところから始まっています。1978年、京都の妙心寺の庭を望む静かな1室でノーベル経済学賞を受賞した世界的経済学者で自由主義を提唱したフリードリッヒ・フォン・ハイエクさんとニホンザルの研究で知られる人類学者の今西錦治さんの対談が行われました。先述の小泉改革の思想的源流を作ったのが、ハイエクさんによって提唱された自由主義は、その後シカゴ学派に引き継がれ、新自由主義経済として各国に広がっていき、今でも各国の市場重視路線を支えているということです。

その一方で、今西さんは、自然淘汰や優勝劣敗を核とするダーウィンの進化論を否定したことで有名な研究者です。種の変化は、共存による棲み分けから発生するという「棲み分け理論」を提唱しています。今西さんは「(略)生物の種類がいくらあろうとも(中略)それらは、それぞれにこの地上を棲み分けている。進化とは、この棲み分けの密度が高くなることである。(中略)しかるに種と種が競争することによってこの棲み分けを破壊するようなことが許されてよいものだろうか」とダーウィンの進化論に仮借のない批判を加えていました。そして、その棲み分けにより縄張り協定ができて、争いは起こらないというのです。したがって、その種の永続、永世ということが保障されることとなり、ダーウィンの競争原理に対して今西さんの進化論は共存の原理に立っているということです。

2001年に小泉総理が所信表明演説を行ったとき「ダーウィンは『この世に生き残る生き物は,もっとも力の強いものか。そうではない。もっとも頭のいいものか。そうでもない。それは変化に対応できる生き物だ』という考えを示しました。すなわち、消費者がほしいと思ったものが買われ、いらないと思ったものは見向きもされない。弱肉強食ではなく優勝劣敗の世界となり、中小企業はつぶしていけないのではなく、意味のない企業はつぶれた方が経済的には良いという現実となるということです。2001年から5年間、構造改革の名で日本中がソーシャル・ダーウィニズムの実験場にされてきたといえると、この記事には書かれており、その影響をもろに受けたのが、昔から地元で商売を営む商店街になるのです。今では中心市街地の活気が失われ、空き店舗が並ぶ「シャッターとおり」が全国に広がっていきました。

ところで、妙心寺で行われた対談で二人の話題は東西文明論から市場経済、進化論と多岐に渡りましたが、ハイエクさんは最後まで今西理論の概念を理解できなかったようだとのこと。今西さんとハイエクさんの違いは「万物に神が宿るという自然観VS唯一絶対神の宗教観、共存と和VS徹底した論理性と合理性」ということです。

しかし、対談を終え帰国するとき、ハイエクさんは日本側の関係者に「これからの世界は多元的志向、つまり多神教的な世界の価値と意味を深く考える必要があるだろう。こんどの日本訪問ではそのことを深く学んだ、それを感謝する」と語ったとのことです。その後、アメリカをはじめとして新自由主義経済が世界中に広がっていったのですが、その教祖といえるハイエクさんは自由主義を説く一方、共存と和という日本的発想に真摯に耳を傾けたのは、今西さんとの出会いであったということです。このお二人の対談を仕掛けたハイエクさんの自由主義を一貫して支持した田中静玄さんは「二人の対話がかみあわなかったことこそ、今日最も検証されるべきものである。東西両文明の相互理解と融合こそ、人類が直面している危機を乗り越えるために、今もなお最も緊急の課題だと思う」と語っています。現在、小泉内閣から継承した安倍内閣の政策は、新自由主義経済の色彩をさらに強めようとしているということを考えると、今後の日本はどのような道を歩んでいくのか、非常に不安感を覚えます。

私は、人が生きていく上では「自立」と「共生・響生」が重要だと思っています。一人ひとりが個人として「自立」していれば、自立できていない人を支援することができるし、その一方で自立できない人は『助けて』と言えることが本当の自立をしているということであり、両者は対等だと思っています。これは「共生」の基本的な考え方であり、それにプラスして「響生」を入れたのは「共生した人たちが、互いに対話をしながら響き合う」という意味を含んでいます。そういう世の中になれば、競争しながらも「共存」できる社会になっていくのではないかと考えます。

今日は、ぜひ伝えたいことが多く、長文になってしまいました。ここまで、辛抱強く読んでくださった皆様、有難うございました。

by eastwaterY | 2007-01-25 21:58  

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