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「老いと死の生涯学習論」(12月2日)

今日は車で15分くらいのところにあるY女子大学の教育総合研究所が開催している公開研究会で「老いと死の生涯学習論」を受講してきました。講演とシンポジュムの構成で3時間たっぷり充実した時をもてました。講演の講師シンポジストもほとんど知っている人たちなので、遠慮なく質問や意見交換もできたので、尚更良かったです。

講演は「高齢期の在宅ターミナル・ケアに関して」と地域専門看護師であり、訪問看護ステーション所長を経て現在福祉関係を中心に市議会議員として活躍しておられるMさんです。彼女がターミナルケアの仕事をしているのは、彼女自身が乳がんを患い2回の放射線治療を受ける中で、生きている間は社会貢献をしたいところから始まっています。これまで彼女が、ターミナルケアにかかわった人〔自宅で死を迎える人〕は570人(生後6ヶ月~104歳)とのこと。これらの経験を交えて、「どの様な死を迎えるのか」が、いかに重要であるかを話されました。

ターミナルケアでは高齢者が多いのですが、初めに、生後すぐから病院生活をしている3歳の子どものことから、話が始まりました。生命の危機を迎えた最後の1週間、両親は「せめて少しでも自宅で過ごさせたい」という思いから自宅へわが子を連れ帰りました。わずか1週間ですが、家族と共に過ごしたことは、同じ空間で暮らすことができたという思いが家族の中に残りました。そして、遺族はその子の思い出を語る中で生きる勇気をもらうのだという話をされました。いかに在宅ケアが亡くなる人にも遺族にも温かい思いを残すことかと思い、在宅ケアの重要性を感じました。

次に話されたのは、自分の死が間近かに迫っていることを知っている人は、自分の人生の総決算をすべてやり終えて死を迎えることができるということ。最近は、身体的な痛みをとる医学が進んでいるのでその痛みを取り除くと、「自分のことを自分で決める」という精神力の強さが出てきて、自分の意見・意志がはっきり表明できて質の高い生活(quality of life)ができるかということです。実際の例として、自分の葬式の時に「遺影」として飾ってもらう写真を家族と共に選ぶ人もいるということです。ただし、こういうことができるのは家族との関係がうまくできている人、外部からの介護力を利用している人などであり、、ある程度のお金の余裕があれば、介護の社会化をすることができるという話でした。

最近は、1人ぐらしの高齢者が多くなっているので、これからは地域の人々の「いのち」を、どう支えることができるかについて4つの視点から話されました。

①早めの本人、家族の意思決定
②病院などに窓口役割の設置
③開かれた病院と地域住民との交流(開かれた病院とは、病院の中で隔離しないで、病院ボランティアなどを入れていくということ)
④施策に対しての予算化
⑤広報活動      ⑥評価〔遺族、近隣のボランティア〕

このように考えていくと、つなぎ目のない「一人一人の人生」を支えるシステムができていきます。そして、最後に「1人の人の看取りをする時に、そこから学ぶもの(人生の意味)があり、死のプロセスは、生きていくプロセスにつながっている」という話しで締めくくられました。私自身も叔母、夫の姉、母の看取りをする中で、多くの学びを得、「いい死を迎えるには、いい生き方をすることだ」と知りました。

政府は、今、介護保険の利用の改訂を行い、在宅福祉をすすめるために、在宅介護をするように推進しています。しかし、「老老介護」や「1人暮らしの高齢者」が多くなってくると、家族だけで在宅で看取りをしていくことには限界があると思いました。調査によると65歳以上の高齢者の80%は多少の病気や障害をもっていても自立した生活ができる状態との事。そうであれば、これからは地域の健康な人たちが年齢にかかわらず、助け合って行くことが一番重要であり、求められることだと思いました。

by eastwaterY | 2006-12-02 23:07  

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