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ヒヨドリの雛(6月19日)

午後から「日本女性会議2007ひろしま」の分科会「教育」について話合いをしての帰途、嘴が黄色い小さな雛が、歩道の端でピーピーと鳴いているのに出くわした。歩道といっても、結構幅広く自転車もかなりスピードを出して走っているし、このままこの雛が動くと確実につぶされてしう。まるで保護色のように歩道の色と一体化しており、すぐ傍まで行かなければ分からない。

連れ立って歩いていた友人と「どうしよう」といいつつ、その場に立ちすくんでしまった。私達の頭上では、この雛の父親と母親が一大事とばかりに大きな声で鳴きながら、周囲を飛んでいた。私と友人は、この雛をつかむこともできず途方にくれていたら、見過ごして行ったうちの1台の自転車が私達のところへ戻ってきてくれた。30代と思われるやさしそうな男性が、両手でそっとその雛を包んで、建物のところにある茂みのところまで運んでくださった。

「わー、有難うございます。よかった」といったものの、まだ問題解決はできていなかった。この雛は、しきりにちょっと飛んだり羽ばたいたり、歩いたりしながら、またまた歩道の中央に出ようとする。おまけに、その茂みの奥深いところを見ると、もう1羽同じような雛がピーピーと鳴いている。そして、もうちょっとあたりを見回してみると、ちょっと高い木の部分で、もう1羽が口をパクパク開けながら、両親からえさをもらうのを待っていた。

どうしたのだろうか?どういうことがあって、この3羽が巣から落ちたのか、私たちには理解できなかった。2羽の親も、パニック状態になって、どうしていいのか分からないのか、ただ、その3羽のあたりをちょっとさえずりながら、くるくる飛び回っているだけ。

雛を救ってくださった男性の方も、どうしようもなく、私たちに「もう、これは僕たちではどうしようもないことですね。自然に任せましょう」と自転車に乗って帰途に着かれました。私たちは、その後姿をおっかけて「有難うございました」と大きな声で挨拶をしました。

そうなんです。私と友人は、雛が可哀想だと思いながらも、何もすることができず、あのままで立ちすくんでいても、少しも物事は進んでいかなかったはず。彼が、にこやかな顔で舞い戻ってきてくださって、さっと雛を移動してくださり、さわやかな対応をしてくださったことに、これから雛がどうなるかは分からないながらも、安心したところがあった。。

まだまだ、世の中捨てたものではないと思った。あのままで、雛を置いて帰るのも私たちは心穏やかでないままに帰途についただろう。そして、折につけ思い出してちょっと不快な思いをしたことだろう。彼が「自然に任せましょう」といってくださったことで「そうだ、自然の摂理にはどうしようも無いこともあるのだ」と諦めがついた。どこの誰だか、わからないが、彼には、「有難うございました。」と心からお礼を言うことができた

by eastwaterY | 2006-06-19 21:41  

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