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席を譲る(6月4日)

昨日のことです。市内電車に乗ったのですが、思ったより混雑していました。私が乗った電停からはお年寄りも含めて10数人乗ったと思います。座席には10代と思われる人、20代、そして5,60代くらいの人まで、さまざまな年代の人が座っていました。
それも、一人一人が、ちょっとずつ間を空けて。そこへお年寄りが3人くらい乗ってきたのですから、私の感覚からいけば、当然誰かが、席を譲ると思ったのです。若い人は若いなりに「自分は、元気なのだから・・・」5,60代の人であれば「まだ、私は若いのだから・・・」と思い席を譲ると思ったのです。

たとえ、そうでなくてもせめて席を詰めることを誰かがすると思ったのです。私は、このような状況の時には、すぐ席を立ちお年寄りに席を譲るし、少なくとも隣の人との距離を近づけます。
しかし、昨日の車内では、みんな知らないふりをしていました。
・・・やがて、次の電停で人が降り二人分の席が空きました。今度こそ、お年寄りが座れると思ったら、なんと、高校生くらいと思われる二人の女性がさっと、当然のように座ってしまったのです。電車は、バスほどスピードも速くないし、軌道上を走るのですから、バスほど危険ではありません。しかし、突然何かが飛び出したり、何かの事情でがくんと止まったりするときもあるのですから、それを考えたら、足をよろよろさせているお年寄りを立たせているということが平気というのが、私にはわかりません。

そして、次の電停で二人の人が降りました。空いた席はお年寄りの背後だったので、今度は私が,ちょっと離れたお年寄りの所へ行って、「後ろが空きましたよ」といってその場所を教えてあげました。その方は、ほっとした表情を浮かべてやっと座席に着くことができました。
この光景を他の乗客の人たちは、どのように思ったのでしょうか?「お節介なおばさんがいらないことをしている」「自分は、疲れているのだから、譲らなくて当然」などなど。私は若いから席を譲るのが当たり前とも思ってはいません。若い人でも受験勉強やクラブ活動で疲れているときもあるのだから、座っていても当然なのです。でも、せめて、何人かの人が席を少しずつ詰めれば、そのお年寄りは乗車したときから座れたはずです。

NZに住んでいたとき、バスの中で日本とはまるで違う情景に出会ったことがあります。
高校の側のバス停で、多数の高校生が乗車し、席についていました。その次のバス停では一人の70代くらいの女性のお年寄りが乗車しました。そのとき、彼女は高校生の前に立ち「あなたたち若いのだから、立ちなさい」と大声で言い、堂々と席に着きました。高校生もぶつぶつも言わずにさっと立ったように思いました。もっとも、これもおよそ30年前のことですから、現在はどうなのか?分かりません。

最近新聞の投稿欄に、車内でお年寄りに席を譲った方がいいと思っても、結局恥ずかしかったり、目立つのがいやで席を譲れず、後になって勇気のない自分自身を悔いている、というような文を読んだことがあります。また、それとは別にせっかく、譲ろうと思って立ち上がったのに、不快な表情をされ、(多分、まだ自分は席を譲られるような年齢ではない、失礼だと思っているのか?)それ以来、席を譲ることをためらうようになったという一文も読んだことがあります。
どちらも、ありのままの自分として行動できないという感じです。物を言わなくても、その雰囲気や相手の表情から「察する」という日本人の良さが、だんだん失われているような気がします。

by eastwaterY | 2006-06-04 23:06  

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