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星野 富弘さんの詩画集(5月27日)

日頃から、「キャリア支援講座」などでお世話になっているMさんのお母様が外科的な手術をなさったので、花好き、絵好きのお母様に星野富弘さん著『花よりも小さく』の詩画集と『大人の塗り絵』をプレゼントし、喜んでいただきました。

お贈りする前に、お花(フラワーアレンジメント)がいいか、画集がいいか、迷いましたが、日ごろからMさんのお話を聴いていると、すべて前向きにチャレンジされているお母様とのことだったので、私が20年前に購入した彼の著書『四季抄 風の旅』を読んでみて、やはり星野さんの本がいいと決めてプレゼントをしました。

星野さんは、群馬県出身で、大学卒業後体育教師として中学校に赴任。わずか2ヶ月後、クラブ活動の指導中誤って墜落。以後、手足の自由を失われましたが、不屈の精神でハンデを乗り越え、口に絵筆をくわえて花の絵を書き詩歌を添えるという作業を始められたのです。9年間の病院生活ののち不治のままに退院。現在では、定期便のように彼の病院に訪れていた女性と結婚し、彼女が筆に希望の色をつけてくれて、二人三脚で詩画集を次々と出版されています。

私が最初に彼の画集に出会ったのは第1集『愛、深き淵より』でした。その中には
「手足が不自由になる前は、文字が書け、絵が描けるということはあまりにも当然すぎてそのすばらしさに気づかなかったのです。当然のことが当然ではなくなった時、でもそのことによって文字のすばらしさ、それを続くことの喜び、そして絵が描けることのすばらしさを教えられました。草花、人の愛、神のみわざ、気がついてみたら私のまわりには驚くことばかりだったのです」そして、彼は初めて「『私もこんなにすばらしいものたちと同じように生かされているんだ』と気づかされたのです」

この「当然」ということ。私たちは、日々生きていることが当然、何でもおいしく食べられるのが当然、家族がそろっているのが当然・・・・・などなど。考えてみれば、日常生活の中では、何も感じないで生きています。しかし、星野さんのように「ある日」を境として、予想だにしなかった日々となることがどんなに辛いことか、そこを詩と絵を描くことで乗り越えられたのです。第一集『愛、深き淵より』のときには、まだ星野さんはパートナーを得ておられなかったので、毎日自分の世話をしてくださるお母様の詩を書いておられます。

淡い花は 母の色をしている 弱さと悲しみが交じり合った 温かな 母の色をしている

母の手は 菊の花に似ている 固く握りしめ それでいてやわらかな 母の手は 菊の花に似ている

この第1集のとき、このような感性を持った人に、母親ではなく人生を共に歩むパートナーが現れればいいのに・・・・と願っていましたが、第二集では、アジサイの花と共に次のような新妻を歌った詩がありました。

結婚ゆび輪はいらないといった 朝、顔を洗うとき 私の顔を きずつけないように
体を持ち上げるとき 私が痛くないように 結婚ゆび輪は いらないといった
今、レースのカーテンをつきぬけてくる
朝陽の中で 私の許(もと)に来たあなたが 洗面器から冷たい水をすくっている
その十本の指先から 金よりも 銀よりも 美しい雫が落ちている

今回読んだ『四季抄 風の旅』の「はじめに」には、「つらかったことより、死にたいと思ったことより『生きろ!』と教えてくれた母や聖書の言葉のほうが強く残っているのです」と書き、結婚までの人生の中でいかに母親とキリスト教が彼の生き方を応援してきたか、分かります。そして・・・「はじめに」の終わり頃には

夜があるから朝がまぶしいように、失ったとき、初めてその価値に気づくことがよくあります。何気なく動かしていた指、当たり前のように歩いた足・・・・。しかし、目に見えるものより、もっともっと大切なものがありました。
もしかしたら、失うということと、与えられるということとは、となり同士なのかもしれません。(略)私の「いつか・・・」は少年の頃夢見たような出世や、地位との出会いではありませんでした。自分の力だけで生きていると錯覚していた、小さな私と、大きな愛との出会いだったのです。そしてそれは、何ものにも代えられないすばらしい出会いだと思っています。

1ページ、1ページをめくり絵に添えられた詩を読んでいると、星野さんの純粋で、温かな世界に引き込まれ、いつの間にか、自分の心も彼に近くなるような気持ちになります。

by eastwaterY | 2006-05-27 23:19  

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