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母のこと(4月7日)

今日は、我家から車で1時間のところに住んでいる実姉の家を訪ねました。姉夫婦は既に3人の子どもは社会人となって自立し、今では夫婦二人で隣に住んでいる教員夫婦の次男の子ども(孫)の世話をしながら、穏やかな日々を過ごしています。

お互いに「ゆっくり話がしたいね」といいながら、私の仕事の都合や姉の孫のお守りの都合で案外、1時間の距離は遠く、やっとゆっくり語り合うことが出来ました。

二人が話すと、いつも出てくるのは、7年前に92歳で亡くなった母のことです。38歳で4人の子どもを残して父が被爆死した後、気丈に私たちを育ててくれた事は、未だに不思議に思うくらいです。父が手広く事業をやっていたので、戦後しばらくは、父の趣味の骨董品を売って生活をしていたものの、足元をみられてのことで、大変だったと思います。その後、母も商売を始めましたが、これも素人の商売ですから苦労の連続だったことでしょう。

そういう日々のなか、私たちを「養子に出さないか」という人がいたらしいのですが、誰一人養子にも出さず、母一人で4人を一緒に育ててくれました。経済的には苦しくても愚痴を一つ子どもに言わない母だったので、どの子も本当に明るく楽天的な人間に育ちました。どんなに生活が苦しくても母は、父が描いた日本画の絵を飾り、花を活けるという生活を楽しむ部分もありました。そして、4月3日のお花見の日には、ご馳走ではないけれど一人ひとりにお弁当を作ってくれました。一番嬉しかったのは、毎年お正月の朝に新しい下着の一揃いを枕元に置いてくれていることでした。

今思えば、母は、四季折々の日本の伝統行事は、必ず自分流でやってくれました。もう一つは、それぞれの子どもの誕生日も祝ってくれました。もちろん、その当時ですからバースディケーキなどあるはずもなく、私は9月が誕生日なので、あるときなどは「芋ご飯」でお祝いしてくれました。今の子どもたちにそのことをいっても、到底理解できないことかもしれませんが、母がそうして自分の誕生日を憶えていて、祝ってくれた事が嬉しかったのです。

母は、弟夫婦のもとで幸せな晩年を送りました。時々我家に泊まりに来たとき「お母さんは、
愚痴も言わずによく4人の子どもを育てたね、よくがんばったね」と私がいったら「あなた達、子どもがいたから生きてこれたのよ」と言ってくれました。子どもにとってはこれ以上の言葉は
ないと思いました。

今日も姉とあれやこれやと話し合い、二人がお互いに結婚後、いつの間にか母が私たちにしてくれたことを無意識にしている事がたくさんあると知りました。母がしてきたさまざまな苦労を思えば、今私が苦労と思っていることなど、問題にもならない事だと思います。

by eastwaterY | 2006-04-08 00:11  

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