人気ブログランキング | 話題のタグを見る

教育とは(4月4日)

このところ、TVで教育問題について議論する番組が増えてきました。今夜も爆笑問題の司会で「ニッポンが危ない」と題して教育・医療・政治などについて、その現場で勤めている人とゲストとの応酬が活発に行なわれました。

教育分野では、ヤンキー先生こと義家先生や、百マス計算の陰山先生(彼は、4月から立命館大学教授)など、小学校から高等学校に勤務する10人の先生方が参加していました。

最近は、小学校においても校内暴力や先生に対する暴力などが行なわれていることに対して、アメリカが実施している「ゼロトレランス(寛容度0)制度」を日本も導入した方がいいのではないかということが議論されました。10人の先生方の賛否の割合は(6:4)でした。

「ゼロトレランス(寛容度0)制度」では、遅刻ということから始まって学校に凶器に変わる可能性のあるナイフの持込などに至るまで、事細かに1,2、3・・・というように分けて一覧表がつくられており、それによって子どもたちを管理しようとする制度です。この制度の導入により、アメリカでは、校内暴力などの件数が大幅に減ったということです。

この制度はマニュアル化してあり、強い立場にあるものが細かく制限をしていけば、教師としては楽かもしれないし、表面上の件数は確かに減っていくかもしれません。しかし、「なぜ、そのような行為をするのか?」という、その行為をした子どもの内面の問題に対して、このような制度ではなく、人対人で解決していかなくては、本質的な解決にはならないと思うのです。

義家さんは「子どもは、失敗を繰り返しながら、成長していく。それを全て制度で裁いていくようでは教育ではない。それでは教師は必要ない。」と言われました。 私もこの考えには大賛成です。反対派の先生方やゲストは「そんな、理想論やなま優しいことをいってなんになる。一人ひとりに先生一人が対応できるわけではない」と大反対。

そこで、義家先生曰く「だからこそ、先生が一人ではなく、チームを組んで一緒に子どもたちに対応していくんです。子どもは、一人ひとり皆違います。だから、その子の性格に合った先生が対応するようにするのです」と。これこそ、本当の「人間の血が通った教育」だと思いました。
時間切れでそれ以上の議論は出来ませんでしたが、ここでもう少し時間があればきっと1クラスの人数を少なくする案が出てきたと思います。いちばん理想的なのは1クラス、20名くらいにすれば、一人の先生が一人一人の子どもを理解できるということです。今の40人体制では、とても先生方には時間も心のゆとりもありません。

私が教育実習に行った15年前の小学校では担任の先生は、5分で給食を摂られていました。本当は、こういうときこそ子どもと談笑しながら昼食を食べる事が出来るくらいの時間のゆとりが欲しいのです。そういう状況でも、実習の指導の先生は、子どもをこよなく愛している先生でしたから、一人でもいじめられる子どもがいれば、授業をやめてみんなでそのイジメについて話し合いました。そして、それについてどう思うかを子ども自身にノートに書かせてクラス全体で考えることをする先生でした。実習中、その先生の生徒に対する熱意と愛情に、私自身も思わず涙してしまったほど感動的な場面に出会うことが、よくありました。

このように、「教育」は人と人がつながり、心の芯に感動を与えるものだと思います。我家の一人息子が、高校生の時1年間のオーストラリア留学から帰国後、孤立して精神的に不安定になったことがありました。当時の担任の先生がそういう彼に「これはボクが好きで、15年間着てきたトレーニングウェアだ。君にプレゼントしよう」とトレーニングウェアの上下を下さった事がありました。そのとき息子は「これは絶対ボクが洗濯する、お母さんはしないで欲しい」といい、立ち直っていきました。今でも、それは大事にしまっています。卒業の時も、先生にハグして「必ずボクがクラス会の幹事をして毎年する」と誓い、その通りに毎年クラス会を先生と共にやっています。

あの先生でなければ、息子はクラスの中で孤立したままで、うまく人間関係を結ぶ事が出来なかったかもしれません。息子自身も「今までの学校生活の中で、あの先生がボクにとっては、ただ一人の先生だ」と言っています。

by eastwaterY | 2006-04-04 22:23  

<< 入学式列席(4月5日) 昨日の続き~Sさんのこと~(4... >>