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「自分らしく生きること」と根性論(8月28日)

『AERA No.36』の中の一つに、毎週Dr.大野「こころの読みグスリ」というコーナーがあります。このコーナーはNO.36だけでなく、ここ1年間毎週、彼の職業である精神科医として、
日常生活における「こころ」について、書かれていました。

彼の文章の中に時々、思い当たることがあり、毎週『AERA』が届くのを楽しみにしていました。しかし、No.36で彼のコーナーは終わることになりました。最終回のタイトルは「日本人は、なぜ根性論が好きか」でした。この中には、次のようなことが書かれていました。

まず、「日本人はなぜ根性論が好きか」ということ。「おそらく、過去に飢饉などで十分な食べ物を手にすることができない時があり、生きていくためには一生懸命命頑張って働く必要があったのだろう」ということでした。

Dr.大野は、「頑張ることは大切だが、それは自分らしく生きるためであり、頑張ることを優先してしまうと話が違う」と言っています。それは、こういうことです。「身体の病気や精神疾患のために、思うようにがんばれない人やいろいろな理由で思ったようにできないことがあるが、そうだからと言って、その人に人間として価値がないということは決してない」ということ。

 そうではなくて、「その時々に自分でできるだけのことをしながら、人間らしく生きる、そうしたしなやかさをもった人は素晴らしい。そして、そうした人を温かく受け入れられる人も、また素敵だと思う」と書いてありました。私たちは今、競争社会の中でそのような温かさを失いつつあるのではないかと思うことがあり、それは「人と人との間に“つながり”がない」ということです。

Dr.大野は、「自分の立場が不安定なために、頑張ることで自分の不安を紛らわせようとする、同じ価値観を他の人にも要求することで、自分の正当性を確認して、不安を和らげようとする。」それでは安心できる人間関係はできない、と言っています。

心から安心できる温かい人間関係を持てるかどうかは、上述の思いから自分を解放するか、どうかにかかっているということでしょう。今、人間関係に悩みつつ仕事を続けている私にとって、このフレーズは、Dr.大野が、まさに私のために書いてくれたような気がするのです。私は、幼い時から、「とにかく頑張る」ことで、物事をやってきて、自己実現をしてきました。自分だけのために、自分の夢を実現するためであれば、それでいいでしょう。上述のフレーズで、特に私の胸に刺さったのは「頑張ることで自分の不安を紛らわせようとする」というフレーズでした。

今の仕事が私に適していない、能力不足である・・・という思いが常に頭の中にあり、その不安感を「とにかく頑張る、休日でも、自宅で仕事をする」ことで紛らわせて、不安を和らげようとしてきていました。しかし、自分では、そうした価値観を他の人に要求しているとは思っていませんでしたが、自分がそう思うだけで、他の人には私の価値観を押し付けていたのかもしれません。

こういうことがあると、一つのグループの中で共に、一つの目的をもって仕事をしている場合、
メンバーにとっては大迷惑かもしれません。時には、はっきりと「休日は仕事をしないでほしい」と言われたこともあります。だから、最近は「休日に仕事をしている」ということは口に出していったことはありませんが、やはり、メンバーに何となくわかってしまうのでしょう。

まず、これから私がすることは「自分にできるだけのことをしながら、人間らしく生きる」。そうしたしなやかさをもった人になることかもしれません。
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by eastwaterY | 2008-08-28 21:21  

「念ずれば花ひらく」(8月24日)

坂村真民は、仏教精神を基として多くの詩を残している詩人です。中でも代表的な詩が「念ずれば花ひらく」です。

念ずれば花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころからか
となえるようになった
そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

これが全文ですが、誰でもわかるような言葉で書かれているこの詩は、男女の別なく、世代を問わず、心の中にず~んと響いてきます。

以前、私が9年間母校の初等教育学科(小学校の先生になる人を養成する学科)副手として女子大学へ勤めていた時のことです。学生たちが、私をお母さん代わりとして、いろいろな相談をするためによく研究室に来ていました。将来小学校の先生を目指す人たちですから、初等教育学科の学生たちは、「人が、子ども大好き」、活発、開放的で明るい、真面目という性格の人が多かったように思います。時には相談だけでなく教員採用試験の小論文の添削とか、水泳実習にも付き添いのような形でついて行ったり、さまざまな学生との触れ合いがありました。

そういう中で、滅多に研究室には来ないけど、明るく活動的で来れば大笑いをして、「じゃ、先生、またね!」といって部屋を出るGさんという大柄な学生がいました。卒業後、多くの人が小学校教師を目指す中で、彼女は「教師にはならない」という選択をしていました。

私の中では、Gさんは「たくましく、明るく、活発で、数学が好きな学生」という印象がありましたが、それほど深く触れ合うこともなく、やがて彼女は卒業をしました。それから1年余りたった、ある日、Gさんから「卒業後、オーストラリアへ行き、小学校で日本語を教えるプロジェクトに入って1年間過ごした」ということを書いた手紙が届きました。その手紙には「大学時代には、小学校教師になろうとは思っていなかったけど、実際に1年間オーストラリアの子どもたちに日本語を教える中で、帰国後はどうしても小学校の先生になりたいと思うようになった」という意味のことが書かれていました。

それから、数か月後、「どうしても教師になりたいので、両親を説得して教師を目指すための専門学校へ入り、そこで寮生活をしながら、勉強をしている。周りはみんな一生懸命しているのに、自分は、どうしても集中できず、困っている。そうはいっても、どうしても小学校の先生になりたい。どうしたらいいのか?」という、悩みを綴った手紙が送られてきました。

私は、これに対して坂村真民の詩の全文ではなく、「念ずれば花ひらく」という言葉を添えて
「小学校の先生になりたいという強い思いを持っているあなただから、大丈夫!」と書いて返信をしました。それに対して、彼女からは「思いを変えて、目標が同じ寮の友人とTVも観ないで
頑張っている」という葉書が来ました。

そういうやり取りがGさんとあったことも、うすぼんやりとした記憶の中にある頃、Gさんから「念ずれば花ひらく」と大きく書かれた(花の絵も添えられていた)はがきが届きました。
そこには「教員採用試験に合格しました。神奈川県に行きます!念ずれば花が開いたのです。先生、この言葉のおかげです。有難う!」と書かれていました。

今日、送られてきた情報誌の1ページ目に「念ずれば花ひらく」の詩が書かれていました。それを読んで、9年間の副手生活は、学生や教授などと「学び合いをした日々」であったし、私の人生の中でとても充実した時間を送った時期だった、と大学で出会った人々を懐かしく思い返したことでした。
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by eastwaterY | 2008-08-24 15:35  

川瀬啓子さんを祝う会(8月21日)

昨日は、お盆休み明けの会議の後、次の仕事の打ち合わせを済ませて、「男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰」を受賞された川瀬啓子さんの祝賀会に行ってきました。川瀬さんは、30年以上にわたって広島の女子大学の教員として(現在は教授)多くの学生の指導にあたりつつ、就職に苦労し、家庭と仕事の両立に悩む教え子たちの実情を見てこられました。
 
 1995年には広島市女性指導者海外派遣団団長として、北京での第4回国連世界女性会議のNGOフォーラムに参加され、平和都市広島の市民として市の平和宣言や原爆被害の実態など訴えてこられました。その一方で乳がんの早期発見、治療を呼びかける「ピンクリボンキャンペーン」にも力を入れ、広島での実行委員長を務めておられます。

 その他、広島市の男女共同参画条例を作成するときの委員長などを務め「女性が意欲的に、生きやすい社会になる」ことを目指して様々な活動をエネルギッシュに進めてこられました。
その集大成の活動が昨年10月2日間にわたって、広島市で開催された「日本女性会議2007ひろしま」で共同実行委員長であり、市民主導で大会を成功に導かれました。

広島は長年わたって赤字財政なので、他の県や市のように、この全国大会に多額の金額を出費することもできず、日本女性会議の全国大会においては、日本初の市民主導の女性会議となりました。「市民主導」の一番の課題は、大会の運営資金を集めることでした。特に私が属した分科会では、自分たちが実施する分科会の費用は、自ら調達するということになりました。16分科会のうち私は第7分科会「キャリア教育」の責任者として他のスタッフ3人で、一人一口1,000円の協賛金を各地の人々にお願いし、約25万円を集めました。

このような方式で、資金調達をしなければいけないということは厳しいことです。このことを分科会の委員一同が集まった時に、川瀬啓子さんは、財政難の状況を話し、この大会を成功させるためには、一人ひとりがその気になって資金を調達することを考えてほしい、と厳しい表情で話されました。そのためには、資金を集めるだけでなく、全国から来ていただく講師の先生方にはボランティアに近い講師料で全国大会に参加していただかなければ・・・ということもあり、実行委員一同は、途方にくれてしまったことでした。その会議では、かなりのクレームや不満が川瀬さんにぶっつけられました。その時の川瀬さんは、平素穏やかな表情からは考えられないほどの厳しいものでした。

当日、会議の帰途、たまたま私と同じ方向に帰ることになった道すがら、川瀬さんは私に「Eさん、みんなにとって私は鬼のように思われたでしょうね」と憔悴した表情で話されました。「先生、今はそうかもしれませんが、先生の一生懸命さは、そのうち伝わりますよ」と川瀬さんに伝えたことが昨日のような気がします。実行委員は、会議の度にどれだけ協賛金を集めたかを報告しつつ、やがて一丸となって、ついに資金調達は予想以上にうまくいき、大会も全国から7,000人以上の参加者が来場し、盛大に開催されました。

川瀬さんは、富山県出身で東京で学生生活を送った後、結婚を機に広島へ来られ、大学の教員となられました。一人の女性としても子どもを3人を産み育てられました。さすが、川瀬さんのパートナーです。「女性が自立的であることは自然」という考え方の男性で、とても気持ち良い関係長年築かれてきたそうです。

昨夜は、川瀬さんを尊敬し、ともに活動している人たちなど200人を超える人たちが、内閣総理大臣表彰の祝賀会に駆けつけました。常に責任ある役割を担い、見事にひとつずつを確実にこなしてこられた川瀬さんですが、決して高ぶることもなく、常に優しい笑顔で物事を成し遂げてこられました。それだけに、分科会で厳しい表情で実行委員に話された時の川瀬さんの覚悟がどれだけのものであったかを、昨日思い返していました。

川瀬さんは、「この受賞は私一人のものではなく、広島で基礎を築き、共に活動してきた人たちに与えれたものだ」と挨拶されました。66歳の川瀬さんは、これからも臨床心理の仕事として「女性たちが人間としての尊厳を守られ、当り前の生き方ができること、子どもの貧困をもたらす発達の不平等」に対して、活動をし続けることを素敵なカードに書いて参加者一人ひとりにプレゼントしてくださいました。同年齢の私としては、これからも川瀬さんの活動を少しでもお手伝いできたらと思っています。 
川瀬さん、「男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣症受賞」、本当におめでとうございます!
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by eastwaterY | 2008-08-21 23:31  

オリンピック雑感(8月19日)

 私の盆休みは、今日で終わりです。まるまる1週間あったのですが、墓参りに2日間。それ以後は、市民活動をしている「社会人学生ネットワークきらめき」(SGネットきらめき)の小冊子「社会人のための大学・大学院合格の秘訣」の再発行に向けて、原稿の修正、社会人のための大学活用情報などをインターネットで調査などをしました。これは、9月21日に開催する生涯学習相談会「学びカフェ」のための準備です。

 後は、「キャリアアドバイザー養成講座」の宿題だった小論文を仕上げたり、アンケート作成をしたりと、本当に休んだかどうか分からない日々でした。どうも私は、仕事をしていなければ、不安になるので、ワーキングホリック(仕事中毒)でしょうか。

でも、そうでもないかもしれません。小論文、アンケート作成以外は、さまざまンオリンピックの番組を観ながら結構楽しんで仕事をしました。今回の日本サイドのオリンピックとしては、考えられないハップニングが多かったように思います。ただ、オリンピック出場だけを目指して4年間自分を信じて、出場した人たちなのに・・・・、さぞショックだったことでしょう。
その人たちの気持ちを慮って、マスコミが追っかけなかったのは、ひとまず安心しました。

しかし、その一方で金メダルを獲得した人に対しては、各局が競って似たようなインタビューをすることについては、本当に気の毒に思うと共に不愉快でした。特に、北島康介選手には、競泳の後に十分取材をし、選手も感動の気持ちを表しているのだから、あとはそっとして休ませて上げるという配慮はなかったのか、と思います。

レースの翌日、早朝から各局が平井コーチと共に取材をしていました。北島選手の顔は青白く、表情も乏しく、これまでの疲れが取れていないことがはっきり分かっているのに、インタビュアーは前日と似たような質問をしつこく繰り返すのです。「今、こちらは朝、6時なんですよ。昨夜はほとんど寝ていません」と北島選手が答えているのに・・・・です。

こういう取材はなんとかならないのでしょうか? 北島選手が4年間多くの人たちの期待を背負って、不調の時もありながら、自分を奮い立たせて、遂に金メダル2冠を達成したのです。十分達成感を感じているでしょうが、その反面どれだけ疲れているか。そっとしておいて、彼が4年間の疲れから回復するのを待つことはできないのでしょうか。私はインタビューを受けている北島選手を痛々しく思うだけでなく、仕事に熱心なあまり丁寧な(?)質問を繰り返すインタビュアーにマスコミの暴力を感じました。
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by eastwaterY | 2008-08-19 20:53  

オリンピックin北京(8月14日)

今日は、オリンピック開催第7日目です。第6回目までの今大会の日本勢の金メダルは4個目となっており、それに加えて、今日は北島康介選手が200m平泳ぎで金メダルを獲得しました。北島選手の2種目における金メダルは、ある程度予想されていたとはいえ、日本国民の多くに期待されているプレッシャーに打ち勝ち、金メダルを獲得したのは、たくましい精神力と「自信」を持つために、これまで厳しい練習を続けてきた成果だと思いました。

その一方で期待されながら、初戦で敗れたり、2戦目で姿を消した選手たちの無念さは、どれほどのことであろうと思います。ましてや、アテネオリンピックに続いて2連覇を期待されていた野口みずき選手の欠場は、多くのファンに衝撃を与えたと思います。

新聞によると、欠場決定に対して日本陸連には20数件の問い合わせの電話が入ったとのこと。多くの電話は、本番前に欠場を余儀なくされた野口選手に同情的で「けがだからし方がない」という慰めの電話。ユニークなのは「私の技術なら野口さんの怪我をすぐに治してみせる」と自称医療専門家からの売り込みも2件あったとか。

しかし、何よりもつらく、残念なのは野口選手自身でしょう。不調を訴えたのが7月25日。その時には彼女自身も「いつものようにすぐに回復するもの」と様子を見ていたらしいのです。気持ち的にも「北京で走りたい。走ろうという思いは消えることはない」だったとのこと。そういう気持ちと、これまでの経験から大丈夫と見込んでいたのでしょう。

「走ることが好き」という野口選手ですが、これを聞くと、かっての名ランナーの高橋尚子さんとダブります。彼女も「走ることが好き」でしたが、それが裏目に出たのか、練習のやり過ぎか、彼女の場合も大会当日に自分の状態をベストに持っていくことを失敗してしまいました。
いかに「大会当日にベストに持っていく」ことが、難しいか、本人にも分からない中、肝心なのはコーチが見極めることが重要なのかも知れません。その見極めは、冷静で客観的なものでなければ、正しい判断はできないでしょう。「ここまでやったのだから・・・なんとか出場させてやりたい」というように情に流されてしまってもいけないかもしれません。

北島選手を指導するコーチの平井さんは、北島選手が100m平泳ぎにチャレンジする直前「ゆっくりやれ」というアドバイスをしたとのこと。北島選手を全面的に信頼し、彼に任せることができる言葉です。これは数年間にわたってコーチをしてきた平井さんの中に選手-コーチの絶対的な信頼感があって出てきた言葉、短いけれど二人にとってはベストの言葉だったと思います。

今大会を見ていて思うのは、金メダルを獲得した選手たちのこれまでのプロセスを見ると、大部分の人がある時期スランプや脱力感に陥り、ジレンマを感じ、時にはやめることまで考えた人もいます。そこからいったん意識を変えて再出発をした人たちです。オリンピックだけでなく、人生において、常にジレンマもなく順調にきた人の場合、いざという時には精神的に脆弱ではないか、と私は考えました。その一方で、ドン底を経験し、考えて、乗り越えた人にとっては、新たな価値観の創造と将来に対する新たな自分への期待を考えていける勇気があったのではないかと思いました。

これからゲームの最終日の23日(24日が閉会式)前、まだまだ、いろいろな人生のドラマがくりひろげられることでしょう。選手の方々が、自分の持っている力をできるだけ十分に発揮して自分でも納得できる(メダル至上主義ではなく)結果を残していただきたいと祈っています。
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by eastwaterY | 2008-08-14 21:48  

「それでいいのだ」(8月10日)


漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなられました。新聞やテレビの報道からも、彼の逝去を惜しんでいます。赤塚さんは、生前お酒とたばこ、そして人を愛し、多くのマンガを書いてきました。その中で一番知られている台詞が「これでいいのだ」という言葉。

「これでいいのだ」、これはまさに全面肯定の言葉です。たとえ、その人がどうであろうと、すべて、その人のありのままを受け入れるということです。

そういうことができるのか? 私は、なかなかできません。多くの人も、すべての人を「これでいいのだ」と受け入れることは難しいと思います。

しかし、赤塚さんはそれができた人で、作品の中に常に「それでいいのだ」が出てくるだけでなく、自称一番弟子のタモリさんは、赤塚さんに身内同然の付き合いをさせてもらった人でした。
タモリさんの笑いの才能を見抜き、赤塚さんは自分のマンションに引き取り、世話をしてきた人でした。お笑いの人の多くが、新人の時には生きていくのが精一杯日々を送っています。タモリさんも例外ではなかったそうですが、赤塚さんは威張るでもなく時には、親として、時には兄として、そして・・・・時には無邪気な弟としてタモリさんとの付き合いをしてこられたとのこと。

現在、タモリさんはお笑いの世界では、実力者であり、自分の名を冠した番組も持っています。
タモリさんがここまでなれたのは、どんな時でも「それでいいのだ」と全面肯定しながら、見守り、支援してきた赤塚さんの存在があると思います。

私が思うに、人は誰でも「それでいいのだ」と自分を全面肯定してくれる人がいたら、勇気をもってどんな局面でも乗り越えていけるのではないか、ということ。そのように自分を肯定してくれる人は、多くなくてもいいと思うのです。また、そういう人はむしろ身内でない方がいいかも知れません。身内は案外、身内同士ではお互いに厳しく見つめてしまうところがあると思うのです。

私には、何人か「それでいいのだ」と、それとなく思わせてくれる人がいます。そのうちの一人は、中学校以来の付き合いですから、もう50年以上の付き合いです。彼女は、私が落ち込んでいても「物事って、そういうものよ」とか「~になれば、だいじょうぶよ」などと、それとなく見守り、励ましてくれます。時として、私のわがままなところが見えた時には「~した方が良いような気がする・・」などと、やんわりとアドバイスをしてくれます。

私が困っていたら、そっと来てそっと手を差し伸べてくれます。NZに住んでいた時も、日本食が食べたいと思う頃、いつもいろいろな物を贈ってくれていました。「何で私が思っていることがわかるのだろう?」と思ったことでした。
彼女の私に対する行為は、赤塚さんとタモリさんとの関係のように、いつも身内以上のものです。
人間は、生きていく中で、一人でも「それでいいのだ」と、自分を全面肯定してくれる人がいたら、落ち込みながらも、少しずつ元気を取り戻して、いつもの自分にかえることができるような気がします。

父親を刺殺した女子中学生が「自分は、人の期待に添うように気を使うことに疲れた」と言っていたそうです。まだ、15年しか生きていないのに、「家族全員を殺して自分も死ぬつもりだった」と言ったとラジオで聴き、彼女の生き方を「それでいいのだ」と全面肯定してくれる人がいたら、あのような悲惨な事件にはならなかったと思いました。そこまで彼女が追い込まれて、どんなに苦しかったのだろうか、と思いました。
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by eastwaterY | 2008-08-10 22:30  

「核廃絶に向けて~NHKの番組より~」(8月9日)

昨夜、午後9時(現地時間)から始まった「北京オリンピック」の開会式をすべて通しで見ました。中国の歴史を紐解いたパーフォーマンスの終幕で「和」という字、「鳩」が羽ばたく場面がありました。この演出は素晴らしく、この考えが世界中に広まり、世界中の人々が助け合って共存共栄して行くきっかけになれば・・・・と心からそう思いました。

それと同時に8月6日の午後10時~7日午前12:15までNHKで日本とアメリカを結んだ生放映で「核兵器廃絶」について討論があったこと、それを見て感じたことをどうしても書きたくなりました。本当は、すぐにでも書きたいと思っていましたが、このところ疲れが出て、夕食後眠ることが2日間続き、そのままになっていました。

この討論番組で一番に感じたことは、日米の核兵器や平和に対する考えが如実に違いっているということでした。今回はテーマである「核廃絶は可能か」について日米の人たちが話し合ったわけですが、その点でアメリカと日本では大きな違いがあると思いました。

アメリカは現実主義、つまり、この討論の参加者の半数は「核廃絶に反対」というもので、核があるからこそ、世界の平和が保てるのだという意見でした。その考え方は、どうやらニューヨークで起きた「9.11」のテロ事件からきているようでした。それ以来、どうもアメリカ人の多くは「人」に対する信頼感がなくなったようです。核兵器を持っていなければ、いつ、明日にでも核兵器を持っている国から攻撃を受けるかもしれない、という大きな不安感を持っているのです。

その一方で、日本人からの立場としては、「まず違いを認めお互いに歩み寄っていくような第一歩から始めること」という意見等が出ました。それに対してアメリカ側からは「あまりにも抽象的で現実を見ていない」という意見も出ました。また、アメリカで被爆者の人が証言をしたり、被爆者が描いた絵の展覧会のことに対しても「日本人は感情的に平和を訴えているだけで、理論的ではない」という意見もいくつか出てきました。

しかし、2時間余りの時間経過で、日米の出席者の中にお互いを理解しようとする姿勢と、「話し合いの大切さ」に気づいた人も出てきました。そのきっかけは、(私が思うに)20代の日本人女性と坪井さんという被爆者男性の意見からだったようです。その女性は、「アメリカが原爆投下をし多くの死傷者を出し、運命が変わった人もいるが、そのことによってアメリカを憎んでいる人はあまりいない。自分の祖母も被爆者であったが亡くなるまで、アメリカに対して恨み事は一言も云わなかった」と言いました。また、被爆者の坪井さんも「自分は多くの外国に行って証言をしているが、それはアメリカを憎んでその行動をしているのではなく、世界の中で二度とそういうことがないように、世界中の人が手を取り合って平和に生きていけるように願って証言活動をしている」という発言もされました。

最終的には、東大の藤原教授による「核廃絶をするためには、一人ひとりの考え集め、グループの考えとして国会議員に訴えて(ロビー活動)政策などを変えて行くことが重要だ」という提言がありました。実際に、アメリカでは、すでにそのような活動が行われており、最近、大幅に軍事費の削減が行われるようになったとのことでした。

そして・・最後に「核廃絶をしていくためにはどうすればいいか」ということを、日米の参加者一人ひとりに書いてもらったところ、やはり日本人の多くは、「話し合いの大切さ、お互いにわかり合おうとする姿勢」を書いた人が多かったようです。アメリカ側は初めには「核廃絶はできない」という半数くらいの人が1/3になっていました。私が心を打たれたのは、番組中一環して「核廃絶はできない」と強固に発言していたアメリカ人の23歳大学生が「pray」(祈る)と書いたことでした。この彼の考え方は「祈るしかない」という意味ではなく、後ろ向きではなく、前向きに考えて、彼がこれから平和につながる活動に向けて行動していくことだと私は思いました。

「眼には眼を、歯には歯を」の考え方では、永久に地球上には平和は訪れない、という思いをもう一度確認した番組だったように思います。そして、一人ひとりの思いと行動で、歩みは遅くても「世界の平和」を達成できるようにも思いました。そのカギは家庭教育・学校教育での「平和教育」だとも思いました。
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by eastwaterY | 2008-08-09 09:45  

63年目の原爆の日(8月6日)

今日は、63年目の原爆の日でもあり、同時に私の父の祥月命日の日でもあります。今日は、事務局でこの日を迎える気にもならず、休暇をとりました。

今朝も、いつもの6日のように早く家を出てお墓参りに行ってきました。8月3日にも父のお墓へは参りましたが、当日は花を生けに行ってきたのです。もちろん、きちんとお参りもしました。では、なぜ2回も墓参りをするのか、ということです。

何年か前、8月6日早朝に墓参りに行った時のことです。広島の人がみんなそうなのか、どうかわからないのですが、父の墓の周囲を見ると8月6日には、もうすでにお花が入っているところが多く、その時に私はとてもショックを受け、両親に対してすまないと思いました。周りのお墓にきれいな花がふんだんに入っているのに、実家の墓は本当に寂しそうでした。8月6日当日に行ったのですから、そういう気持ちにならなくてもいいのですが、それ以来、原爆の日もお盆の時も必ず、事前3~5日くらい前に一度花を入れに墓参りをするようになりました。これは理屈でも何でもなく、私が納得するためにしていることです。

今年も原爆が落ちた時のようにきびしい暑さの広島です。私たちはお墓参りから自宅に帰り、式典の様子をテレビで見ました。今年は8月2日に、「広島からの核兵器廃絶提言~みんなの力で2010年NPT会議を動かそう~」というタイトルの基調講演・シンポジウムを聴講しました。その時に、被爆者が高齢化する現在、だんだん語り部も年を重ねて事実を伝えていく人が減っている現状に、平和教育に対する危機感を感じました。同時に、これからは事実を伝えていくためにも、小学校~大学まで「平和教育」をしていくことの重要性を痛感しました。

以前は広島を訪れ、原爆資料館で「戦争することの愚かさと平和のありがたさ」を感じる学習を行うことを兼ねて修学旅行をする学校が減少していたのですが、昨年あたりから少しずつ増加してきているというのは、ちょっと安堵するところです。

私が被爆したのは、3歳の時です。その私が現在66歳で高齢者になったのですから、このままだとどんどん被爆者は減っていきます。私の3歳の時の記憶というのは、わずかで伝えていくほどの内容ではありません。ただ、父が被爆死をして以来、母や家族ともども、それまでの人生からいえば大狂いの人生となってしまいました。今、思えば、母はそういう人生をどう受け止めたのか、宿命と思ったのか、生き地獄のような人生に対して恨むでもなく、アメリカを責めるでもなくただ、必死で私を含む4人の子どもを育ててくれました。私たちのような運命をたどった人は、広島には数えきれないほどいます。

今年の祈念式典には、今までで最高の55カ国の人たちの参加があったとのこと。過日テレビで多くのアメリカ人が「広島に原爆を落としたからこそ、あれ以上の大きな被害を日本に与えなかったのだから正解だった」と言っているのを聴いて愕然としました。そのことは世代に関係なく、言われているということでした。

この報道を聞いた時に日本だけでなく、世界各国で小学生~大学生まで必須科目として「平和教育」を入れるべきだと思いました。また、「平和」というのは、「戦争がないこと」だけでなく、「何気ない日常生活が普通に送れること」であり、「人と人がつながって助け合って励まし合って生きていけること」だと思いました。

第二次世界大戦以後から常に世界のどこかで戦いが起こっています。宗教上の違い、領土問題などいろいろあると思いますが、叡智のある人間はお互いの違いを知り、相手の立場を思って「話し合い」によって物事を解決していくことができないものだろうか、といつも思います。
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by eastwaterY | 2008-08-06 15:35  

核兵器廃絶提言(8月3日)

昨日は午後1時から午後5時まで広島市国際会議場で開催された「広島からの核兵器廃絶提言~みんなの力で2010年NPT会議を動かそう~」というタイトルの基調講演・シンポジウムを聴講してきました。

広島は現在、8月6日に第63回の原爆記念式典をまじかに控え、平和・核兵器廃絶に
関するさまざまな行事が行われています。今回の上述のシンポ等はテーマが「核兵器廃絶を市民の手で」ということで、国内外の識者らが提言したものです。

2010年の核廃絶防止条例(NPT)再検討会議を2年後に控え、核兵器廃絶を促進させるため市民や都市などがとるべき行動をスリランカのパグウォッシュ会議会長のジャヤンタ・ダナバラさん、NGOの立場から反核運動に取り組むイギリスの活動家レベッカ・ジョンソンさんがそれぞれ、30分間基調講演を行いました。

ダナバラさんは「アメリカの核廃絶の動きはヨーロッパの国々からのプレッシャーによって行われる。さらに冷戦後の世界では市民が大きな力を持った。世界中の世論を動員すれば、核政策を変えられる可能性が大きい」と指摘しました。そして、対人地雷やクラスタ爆弾の禁止条例にこぎつけたグローバルな市民活動の成功例を紹介しました。

レベッカさんは、「核兵器廃絶を山にたとえると、今、私たちがいるのは麓ではなく頂上まであと2,3段階のところ。これからが正念場」と訴えられました。その後この二人を交えたパネルディスカッションでは、広島市立大学広島平和教育研究所の水本教授の司会により、国際交流NGO「ピースボート」共同代表の川崎さんが「建保9条を世界に広げることが核兵器廃絶に向けた日本の市民の大きな役割になる」の考えを示されました。

後一人のパネラーは、広島平和文化センター理事長として8年間かかわっているスティブン・リーパーさんが、2020年に開催される「2020ビジョン」と、それを支えるヒロシマ・ナガサキ議定書の取り組みを流暢な日本語で紹介されました。

最後に、中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターの田城さんが核兵器に関する国際的なウェブアンケートの結果をパワーポイントで分析をしました。

第二部の最後には平和に関する取り組みをしている市民代表としてヒロシマピースボランティアの代表として学生時代の19歳からかかわってきた女性が平和運動のことを発表されました。(なんと広島には彼女のような英語もできるボランティアも含めて、250名を超える市民がピースボランティアとして平和資料館へ来た参観者に解説をしています)。また、もう一つの被爆都市長崎県からは長崎大学の平和・環境ボランティアサークル代表の若者が発表し、最後の最後に中国新聞「ひろしま国 10代がつくる平和新聞」を制作している3人の高校生がジュニアライターとして活動報告をしました。

このすべてを聴き、広島に生まれ、広島に住んでいながら、あまりにも世界の核廃絶に関する現状を知らないことを恥ずかしく思いました。と同時に、世界が核廃絶に方向に向かうためには、私たちが市民レベルでそのための行動をしていかなければ、レベッカさんのいわれるあともう少しのところを乗り越えていくことは難しいと思いました。

一番大事なことは、知ったところから、いかに行動を起こし、人々に影響を与えて集団として、市として、国として行動して行くことか、だと思いました。しかし、今日一番残念だと思ったことは420名の参加者のうちの大部分は、高齢者(それも戦争や原爆を体験しているか、知っている)であり、これから未来を作り上げていく若者の姿がチラホラしか見えなかったことです。アンケートをしても、8月6日が何の日か知らない若者が半数を越えている(広島であっても)とい事実があるということでした。

その後、午後5時半からは母校に勤務していた時のクラス会に参加しました。彼女たちは今31歳でちょうど子育ての最中なので、幼子を何人か連れてきていました。私は、その子たちのおばあちゃんよろしくクラス会の時に子ども達のお世話をしていましたが、シンポジウムに参加した後だけに、このあどけない純粋な子ども達の笑顔を曇らせるようなことが絶対あってはならないと痛感しました。
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by eastwaterY | 2008-08-03 22:54  

我が家の木々(8月1日)

今日から8月。相変わらず、毎日最高温度が35度前後の暑い日々が続いています。この3日間、ちょっと違うのは、午後3時~4時頃になると突然雷が鳴り始め、ものすごい夕立になるのです。

この夕立が長く続いて、洪水にまでなってると大変なのですが、ちょうど庭の花々や木々が喜ぶくらいの量が降るのです。事務局にいても、今年は、雷が鳴り始めるとほっと安堵するのです。

というのは、現在我が家の木々の中でピンチに陥っているのが二本あるのです。一番の重体は、金木星です。秋には一杯花をつけ、庭中を秋の香りで満たしてくれる木なのです。ところが、今、
1/3の葉が茶色になりつつあります。水やりは、してきたつもりだったのですが、このところの高温の日々で、どうもがんばれないような感じです。何とか、残ってほしいと遅ればせながら水やりを多くしています。

もう一つは、キウィの木です。4年くらい前に夫がキウィの雌雄の木を買ってきて裏庭に植えました。この木は、すぐには実がなることはないと聞いていたので、のんびりと実がつくのを待っていました。6月ころだったでしょうか?裏庭で発見したのです。何を?・・・・・なんと、小さなキウィの実が二つなっているではありませんか。それも一つは大きく、もう一つの少し小さい方が大きい方に寄り添う形で二つが仲良くなっているのでした。

それ以来、どれくらい大きくなったか、裏庭出るのが楽しみになってきました。ところが・・・
ついつい、忙しさにかまけて裏庭に出ることが少なくなり、水やりもさぼっていました。そして、昨日とてもショックを受けました。そこには、多くの葉が茶色になり、キウィの実が一つとなって、それももう大きくなれない感じでした。

この二本の木のことを思うと、自分の愛情不足と横着さに気づき、情けなくなりました。今年の猛暑に対してもっと気を配らなければいけなかったのです。特に金木犀の木は、20年くらい私たちと共に生きてきたのです。ただの木とは思えないのです。

17年前、大きなヒマラヤ杉を切り、根元から抜いたことがあります。理由は、家を建て替えることになり、抜かざるを得なかったのです。しかし、このヒマラヤ杉は私たちが結婚して間もなく植えた記念樹でもあり、一人息子が誕生後は、4月になると、この木に大きな竹の支柱を立てて、大きな鯉のぼりを泳がしていたのです。

この木を切り、抜いた時も、どうしても「たかが木」という気持ちにはなれませんでした。木にも魂があるようで、本当に申し訳ないと思いました。それ以来、木々を抜いたり、枯らしたりすることはなかったのですが、今夏の二本の木の状態を見て、あの時のヒマラヤ杉のことを思い出しました。

命のあるものには、人とも心を通わせる力もあり、癒しを与える力もあります。だからきっと魂があるのだと思います。 今、遅まきながら、何とかこの二本の木に頑張ってもらいたく、水やりをしています。  私どもの気持が伝われば・・・と願っています。
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by eastwaterY | 2008-08-01 23:03