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考える授業(6月27日)

事務局から帰宅後、地元のニュース・情報番組を見ていたら、ユニークな授業にチャレンジしている元高校教師の取り組みを放映していました。

Aさんは、最近の学校教育が暗記していればいい点が取れるという方法に疑問を抱き、定年までまだ数年を残して早期退職をして理科教育塾を開設しました。この塾は、子どもたちが経験を通して自らの頭で「考える教育」を実施しています。

早期教育の中身は、ひたすら暗記をすることで合格をするわけですが、それでは、それ以後、体験のない教育は伸びていきません。自分の頭で考えることをしていないからです。Aさんのやり方はユニークです。経験を重視し、いろいろな物(100円均一の店で実験に必要なものを買うという、100円均一の常連さんです)を使って実験物を作ります。そして、子ども一人ひとりの顔が見えるように机はスクール方式ではなく、みんなの顔が見えるように円形になっています。

実験後、「なぜ、そうなるのか」、失敗しても「なぜ、失敗したのか」をみんなで考えるのです。常に正解を求める授業ではありません。塾にきている子どもにインタビューをしたら、「学校だと、先生が初めに説明して答えを言うが、ここでは、みんなで考えるのが良い」、「なんでもみんなでやるので、楽しい」などと、イキイキしながら話してくれました。

Aさんが早期退職して塾を始めるに当たって、家族は反対でした。理由は、受験塾ではなく、成績を向上させる塾でもないので、人は集まらない、ということです。しかし、実際に開設してみたら、70名の子どもたちが入塾しました。保護者いわく「とにかく、子どもが楽しみながら、自分で考えることがいいですね」、「ここへ来るのを楽しみにしているので・・・嬉しいです」などという答え。この塾には、不登校などというものは縁がないようです。

自分たちで考え、人の意見や考えも聞きながら「なぜ、そうなるのか」を考えるのですから、授業を効率的に行うことはできません。しかし、この授業は、経験を通して子どもが主体的に学ぶだけでなく副産物として人とのつながりが自然発生的に生まれ、それによりコミュニケーション力が塾へ通うことによって、自然に身につくのではないかと思いました。

Aさんは現在の教育のあり方に疑問を持ち、危機感を感じてこの塾を開設したのですが、その考え方に賛同した親が多かったことに、少し安心しました。これから、この塾がどのように発展していくか楽しみです。

それにしても教頭先生の位置にあったAさんが、経済的な損失をも覚悟の上で、早期退職までして、「考える教育の大切さ」を実践に移さされた勇気に頭がさがります。
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by eastwaterY | 2008-06-28 00:16  

介護の理想像は相互的関係(6月26日)


今日の中国新聞朝刊の「くらし」面に理学療法士の三好さんによる介護現場での取り組みが掲載されていました。三好さんは現在、58歳。24歳で介護の現場に足を踏み入れた時には、入門書やテキストはほとんどなく、目の前の現実から介護を学ぶしかなかったとのこと。

三好さんは、各地の施設運営にかかわっていますが、専門知識のない「おばさんたち」が、病院から寝たきりで送られてきた老人を世話しているうちに、老人たちが元気になる様子を見てきた経験を語っています。

それは・・・・「要介護者と介護者の相互的な豊かな関係」が大切ということです。

「おばちゃん」たちはお年寄りを叱るのですが、お年寄りは「そのほうがいい、喧嘩もできるし」と、言うそうです。要するに、医者や看護師という専門家からは一方的な関係しか与えられない、が、おばちゃんたちとお年寄りの関係には、例えば「喧嘩」となれば、そこに相互的な豊かな関係があるということなのです。

三好さんは言います。「人生を進歩主義でとらえるから老いが“問題”になる。“救済”の対象になってしまう。そうじゃなくて、老いという異文化がある。つまり、こっち側の方が、近代的な自我なんてものに縛られている不自由な存在。だから、進歩主義で高みに上がった人の方が、老いるのが難しい、老いた自分を受け入れられない。」

三好さんが言いたいのは、若い世代がお年寄りを弱者ととらえるところが問題であるということ。
これは「西欧近代が進んで、ほかが遅れているという見方を批判する「“文化相対主義”」だということです。お年寄りを異文化ととらえると、「人生を、進歩主義でとらえるから「老い」が問題になる」ということも納得できます。

私は若い頃、4年半ほど特別養護老人人ホームでボランティア活動をしたことがあります。
ボランティアの内容は、一人一人の寝たきりの人と話をすること、代筆で手紙を書くこと、食事の介助などでした。いつも寮母さんは忙しいので、一人一人のお年寄りからゆっくり話を聞けないので、私たちが話を聞くのです。が、三好さんが書いていらっしゃるほどたくましくなかったので、お年寄りと喧嘩をするところまではいきませんでした。しかし、月日が経つうちに、私と友人が来るのを楽しみにして、ものを言うことはできないけれど食事介助の時には、ほほ笑みながら食事をしてくださるのです。その微笑みが純粋でした。私はその頃不妊で悩み、自分自身の存在の価値観を見いだせなかったのですが、お年寄りとの「相互的な豊かな関係」で救われました。だから、この三好さんの取材記事を読んで、彼の経験から語られることが、すっと私の中に入ってきたのです。

さらに「死」についても、三好さん独自の考え方を持っています。「広島弁で“死ぬる”という言い方をする。“死ぬ”は瞬間だけど、”死ぬる“は“死んでいく”“死にいたる過程”というニュアンス。観念じゃなくて具体的な死。老いや死の「受容」というが、そんなに特別のことではなく、ずっと諦めも含めて受け入れようとしている。つまり、「老いと死」はその総仕上げです」

このように「老いと死」を自然に受け入れられると気持ちが楽でしょうね。
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by eastwaterY | 2008-06-26 23:45  

51年OB会(6月24日)

今日は、私は休暇をとりました。夫が1951年マツダに入社した時の仲間18人で作ったOBのランチ会(年1回)に夫婦で出席するためです。当時入社した人たちは(大学卒、高校卒で)今すべて後期高齢者です。これまでに1名が入社後数年で自衛隊に移り、2名が逝去なさっています。ということで現在の会員数は15名。

この年代の人たちは、日本の高度成長期に企業戦士として戦後からの日本を立て直すために必死で働いてきた人です。その割には、よくここまでこの人数が続いていると思います。会への参加は、基本として「夫婦で」ということになっているので、年に1回妻同士でも顔を合わせておしゃべりをするので、みんなかなり親しくなっています。

しかし、ぼつぼつ体の不調で出席できない人もあり、今日も何人かそういう人もおられました。「健康であること」の大切さを痛感した日でもありました。夫は、毎年この会の世話係をしており、今年は早くから夫と二人で、どこで、どんな料理を選び、金額はいくら?、二次会はどうする?、をいろいろ調べていましたが、これも楽しいものです。

今年は、ANAクラウンプラザホテル広島で和食の「レディース会席」を選びました(今日はレディスは5人でしたが、男性もOKとのこと)。5階の和食レストランで日本庭園を眺めながら、旬の味を十分楽しみました。前菜から出てくる料理が、すべて「夏」を意識した器や材料が選ばれており、色合いが美しく、まるで絵を見ているようでした。「日本料理は、まず目から愛でる」といいますが、まさにそうでした。非常に繊細な、心をこめた感じがするおいしい会席料理でした。11時半から始まり14時半までの3時間、飽きることなく話ました。メンバーの一人が、入社数年後の51回メンバーが揃った写真を持て来てくださっていましたが、中には誰だか分からない人もおられました。

しかし、みんな国のため、社会のため、家族のために退職まで働き、退職後十数年たった今、それぞれ、その人らしい良い顔になっておられました。この世代の人たちは、思春期に戦中、戦後を過ごし、食べることにも事欠く日々を過ごしてきた人たちです。そう思うと、今こうして年に1回集まって、心おきなく話ができることが、奇跡のように私には思えました。

今日の話題では「後期高齢者」の話が盛り上がりました。政府やマスコミを批判しながらもメンバーが気がかりなのは、現在の若い人たちのことなのです。「僕たちも一生懸命働き大変だったけど、まだまし。若い人たちのこと考えてやらなければいけない。将来に希望が持てない日本にしてはいけない」と真剣に語る人もいました。

二次会もすみ、来年の会もみんな揃って再会できることを祈り、願って散会をしました。
今日出席した人が、一人も欠けないで「51年OB会」を開くことができるように常任幹事として心より、そう思いました。
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by eastwaterY | 2008-06-24 22:54  

人は人とつながっていかなければ・・・・(6月22日)

秋葉原の事件以来、まだまだマスコミでも毎日のように、このことについて報じています。
親の教育が悪い、学校教育が悪い、格差社会が悪いといろいろな理由が挙げられています。

『AERA No.28』に「Dr. 大野 心の読みグスリ」というコーナーがあります。大野先生は、精神科医で毎号、うつや不安障害について書いておられます。前回は悲観的に考えるようになると気分が沈みこみ、自分の世界に閉じこもるようになって、人間的な触れ合いが減ってしまいさら悲観的になり、落ち込んでいくという「思考―気分―行動」の悪循環について書かれていました。

今週はこの悪循環は、方程式で表現することができるということで、3つのパターンが提示されていました。

①大切なもの(人)を失ったという喪失感→悲しみ(うつ)→自分の世界へ閉じこもりがちになる。  
②危険を認知→不安→危険を避けようと回避行動に出る。
③不当だという判断→怒り→攻撃的な行動に出る。

大野先生は、このような方程式で考えていくと、自分を眺めた時、悪循環に気づきやすくなるし、対応策も考えやすくなるといっておられます。
大野先生のこの文章を読んで、秋葉事件の犯人(KT)は、③の方程式で、あのよう残酷な事件のおこしてしまったのだと思います。

彼は常に孤独感を感じ、人とつながりたいと思っていたものの、それもできず、とうとう最後までその思いを引きずって犯行に至ったということでした。これまでに何度も転職を繰り返して常に「不当だという判断」によって自己否定を続け、「怒り」を持ちながら日々を送っていた感があります。そして最後に、その感情をどうすることもできなくなったのだと思います。

彼は犯行に至った原因を自分ではなく全て他者のせいにしているといわれますが、自分がコミュニケーション下手であったとはいえ、常に「不当だという判断」を持ち続けていれば、他者に怒りが向けられるのは当然のことのように思いました。しかし、たとえそうであったとしても、誰か彼のその思いを受けて、彼を受け入れていれば最後の攻撃的な行動には至らなかったと思うのです。

この事件から、やはり今回も「人は一人では生きてはいけないのだ」ということを痛感しました。家族がありながら、職場仲間と話をしていたことあったのに最終的に、家族も含めてそれらの人々とつながっていけなかったこと、どうしようもない孤独感を抱いていたのでしょう。
せめて、一人でも彼が「つながっている」と思えた人がいれば、今回の事件は回避できたように思うのですが、それは甘い考えでしょうか?
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by eastwaterY | 2008-06-22 22:40  

生涯学習 ばんざい!(6月20日)

10日前に広島の地元紙「中国新聞」の記者さんから毎週日曜日に掲載する「日曜エッセイ」を
書いてほしいと電話があった。3年前にも、夕刊にエッセイを頼まれ、わずか600字以内という字数制限にウンウン唸りながら書いたことを思い出した。

一瞬、「どうしよう?」と思ったが、今度は1300字程度とのことで、なんとか書いてみようと引き受けた。仕事も忙しく、なかなか書く気にもならず日が過ぎたが、昨日一気に書き上げた。私が関心を持ち研究した「生涯学習」をテーマとした。そのエッセイは次の通り。これは7月6日の朝刊に掲載されるとのこと。

発達心理学者のエリクソンは、「人間の心は大人になった時点で終わるのではなく、生涯を通じて発達・成長していくものであり、その発達が生涯を通じてよりよく過ごしていくことにつながる」といっている。これこそ生涯学習の本質を表している。生涯学習は「生涯にわたって、誰でも、いつでも、どこでも」学ぶことができ、それによって人生を充実させて生きていけるからである。
私は小学校以来ずっと「先生になりたい」という夢を持ち続けたが、経済的理由で大学進学は諦めた。

しかし、「いつか大学へ進学しよう」という小さな炎は消えてはいなかった。結婚後十五年目夫のニュージーランド赴任に伴い、二年間当地で居住した。私は、多くのNZの友人に恵まれ、そのうちの一人は育児をしつつカウンセラーを目指して、大学で学んでいた。彼女の社会人学生のあり様は、私の夢の実現へ大きな契機となった。帰国後、児童英語教師の職を得て大学進学への準備の最中、私は41歳、結婚20年目に息子を授かった。夢の実現は少し遅れたが、子育てを十分楽しんだ後、息子の小学校入学と同時に私も47歳で大学へ進学した。卒業後は母校に勤め、退職後は六十歳で大学院へ進学した。ちなみに同じ時、夫も大学を卒業し69歳で大学院進学を果たした。二年間の大学院生活は能力の限界と時間不足の日々であったが、夫と家事を分担し、励まし合い、ライバルであり、親友の夫と共に修士論文を書き上げた。

47歳から新たに始まった私の人生は、それまでとは違った「自分の人生」を生きている。その経験から4年前に「社会人学生ネットワークきらめき」を立ち上げ、十数人の社会人の大学進学について学習相談・支援をしてきた。

ある一人の社会人学生のOGを紹介しよう。彼女は、56歳で栄養士の免許を取得するために短大進学をした。お連れい合いから「学生さん」と呼ばれた2年間の後、卒業式では、多くの若い学生に交じり、彼女は総代で卒業証書を授与された。保護者代理で出席した私は、彼女の晴れ姿に、一口では言えないほどの感動を味わった。生涯学習では「時には学習支援者が学習者に教えるだけでなく、学習者に学ぶ」ということがある。私は彼女が進学を決めた時から、相談を受け学習支援をする中で、彼女の学ぶ姿勢に「学習支援者と学習者が相互学習をする」ことを経験していたので、彼女の総代は充分納得できた。この話には、おまけがついている。彼女の日々の頑張りに影響を受けたお連れ合いが、彼女と机を並べて学習をし、定年後取得した資格を生かして起業をしたということである。

教育学者の故林竹二先生は「学ぶことの証はただ一つ、何かが変わることである」と名言を残しているが、生涯学習は、まさに自分だけでなく、他者をも変えたのである。
現在、私は広島再チャレンジ学習支援協議会で男女の別なく、あらゆる世代の人々が、人生の中で再チャレンジをしてイキイキと生きていくことができるような学習支援事業にかかわっている。その中で、特に目を見張るほど意欲的に学んでいるのが30代の子育て世代の女性たちである。彼女たちは「託児つき」の講座の受講生となり、講座中の2時間はすべて「自分のための時間」として、講座の中でも他の受講生をリードしていくほど、意欲的に学んでいる。私たちの世代ができなかったことを彼女たちができるようになったことに時代の変遷を喜ぶと共に、その陰で妻たちを励まし、支えているパートナーに拍手を贈りたい。

3年前にエッセイを書いた時には、すごいサプライズがあった。NZ時代にともに英語学校で学んだクラスメートがたまたま出張で広島を訪れ、ホテルで夕刊に掲載された、私が書いたエッセイに出会い、懐かしさのあまり電話をしてきたということがあった。もう、何年も会っていない違う都市に住んでいる人が、出会ったこういう出来事。こういうことがあるから人生は面白い。今度はどんなサプライズがあるのか、楽しみである。
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by eastwaterY | 2008-06-20 20:16  

子どものすばらしさ(6月19日)

先週の日曜日、午後のTV番組でクイズ番組を放映していました。それは、ありきたりの
クイズ番組ではなく、小学校4、5年くらいの子どもとお父さんのカップルのクイズ番組です。
カップルといっても、二人でクイズに答えるのではなく、お父さんだけがクイズに答え、子どもは父親を励ます役としてカップルになっているのです。

クイズの質問は全部で100問。100問まで達したら、100万円獲得、ということになっています。はじめは100人のお父さんがクイズに挑んでいたのですが、質問はだんだん難しくなり、一人減り二人減り・・・・・・・という感じです。私が本格的に気を入れて見始めた時にはお父さんは18名くらいに減っていました。

クイズの質問の中には、子どもたちが答えられても、もお父さんたちが答えられないものもあり、惜しくも退陣、という場面もありました。しかし、子どもたちは、どの子も絶対にお父さんを責めたり、馬鹿にしたようなことは言いません。お父さん方も、何とか残って子どもたちに喜んでもらいたいという「気」に満ちておりました。

いよいよ、10人くらいしか残っていないとき、子どもたちは「もしかして、お父さんは最後まで残るかも?」という期待感もあり、お父さん以上に真剣にその様子を見守っていました。しかし、回答を間違ったお父さんは、一人、二人と退陣していきます。そのお父さんにかける子どもたちの言葉は、さまざまです。中には、その瞳に涙を一杯ためて、「今まで、残ってくれて有難う」、「ここまで来てくれるとは思わなかった、うれしい!」、などなど、その子なりに純粋な感謝の言葉をお父さんにかけるのです。中には、お父さんに抱きついて泣きながら「ありがとう!」をいう子どももいました。

誰一人として「おとうさん、どうしてできなかったの?」と言って責める子どもはいませんでした。私は子どもたちの魂の純粋さに心を打たれました。このような子どもに成長したのは、両親も精いっぱい子どもを愛して育ててきたからだろう、と思いました。最近、自己否定をし、自分が大事と思えず、残虐な事件を起こす人が続きました。「○○が悪い、○○のせいだ」と人のせいにするなど自分を大事に思えていないために、他人のことも大事に思えないということ。
その挙句が、他人を殺傷したり、死刑になりたかったから殺人をした、ということになるのです。私は、そういう行為をした人をかばうわけではありませんが、哀れに思えます。ある犯人は、「世界で一人だけ殺していいといえば、母親を殺し、二人目を許されたら父親を殺す」と言っているのです。どうして、そういう言葉が出るのか?

以前、「子どもは誰でも、いい子になりたい」と思っている、と聞いたことがあります。それを私は信じています。また、両親も「いい子に育てたい」と思って、その子を育てたと思うのです。どの親も、子どもに対する思いは同じです。それが、どこでどう変わっていくのか?

純粋な言葉を父親にかけていく子どもの様子をテレビで見ながら、それだけに感動できない、もう一人の私がいました。
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by eastwaterY | 2008-06-18 20:20  

明日は「父の日」(6月14日)

今日の中国新聞の朝刊に、はらみちを美術館(広島県三次市君田町)が募集していた父母への一筆啓上作品の入賞13点のうちの一つが掲載されていました。

たった一人のお父さんだから、 感謝 尊敬 あめあられ 

純粋に父親に対する思いが書かれていながら、それでいてユーモアのあるこの一点。「すごい!」と思いました。これを書いた人の年齢は、幾つだと思われますか? ・・・・・・・・・・・・
12歳のお嬢さんです。誕生以来、ずっと父親に愛されて12歳になったのでしょうね。最後の「あめあられ」の言葉には、父親に対する言い切れないほどの感謝の気持ちが表現されています。それが、ユーモアにくるまれていることが、また素晴らしいと思うのです。

集まった一筆啓上作品は、208通。この一点もそうですが、短い手紙の中には、親への感謝や励まし、健康を願う気持ちなどが詰まっているとのこと。

我が息子は、昨日甘党の父親に、鳥取県の大山の麓にある蒜山高原の牧場からの、いろいろなプリンの入っている1箱を贈ってくれました。。昨年までは、高齢で、真面目な父親にもっと若くいてほしい、派手にしてほしいという思いがあったのか、明るい色のポロシャツを贈っていました。
今年から社会人になり、夜遅くまで残業しているので、とてもプレゼントを買いに行く暇はないだろうと思っていたのですが、早々と郵パックで、このセットを選んで贈ってもらうように手配していたようでした。

「母の日」には私へ薄緑色のカーネーションの鉢、「父の日」にはプリン1セット、本当に本当にありがとう!
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by eastwaterY | 2008-06-14 20:49  

荘川さくら(6月11日)

荘川さくら(6月11日)

昨日の続きを書きます。2日目は、飛騨高山から白川郷へと向かいました。その途中で、ベテランのガイドさんの案内でスケジュールには入っていない荘川桜がある所へ寄りました。

「荘川桜」は、荘川の宝であり、岐阜県の指定天然記念物です。荘川桜は2本とも古くから生育していたのではなく御母衣ダムの建設によりダム湖の湖底に沈む運命にあったのを、桜を愛する人達の情熱によって世界植林史にも例を見ない、樹齢400余年の老桜2本が移植によりその命を救われた貴重な桜なのです。
桜の種類は2本とも『アズマヒガンザクラ』の種類で、樹齢です。この桜をめぐっては、感動的な話があるのです。

34年(1959年)11月13日、「御母衣(みぼろ)ダム絶対反対期成同盟死守会」の解散式が行われたときに結成されました。住民たちは沈めまいと、174世帯の住民が決起し、猛烈な反対運動を繰り広げてきました。

その一方で、ダムの建設は、戦後の荒廃した産業を復興させました。戦後の荒廃した産業を復興させるには、まず電力の確保こそが急務だったのです。

荘川桜の傍に「ふるさとは 湖底(みなこそ)となりつ 移し来し この老い桜咲け とこしへに」と読んだ大きな石碑がありました。

これは、ダムの底に沈んだ故郷にあった2本の老木について読んだものです。この古木は、そのまま湖の底に沈めるには忍びなく、住民の声を真摯に受け止めた電力会社の長であった高碕さんは底に沈めるのではなく、地上にあげて、見守っていくことを決意しました。

この2本は、2日間にわたって地上に植える作業が進められました。多くの人々は、翌春に桜の花を見ることはないだろうと思っていましたが、なんと、奇跡的に、春にはいつものように桜の花が開いたのです。ただ、「桜を残したい」と願った住民とその思いを受けた高碕さんの思いは、しっかりと桜には通じていたと思われました。

ある一人のおばあさんは、2本の桜が花をつけたのを見て、幹をシッカリと抱き、涙にむせんだということです。そこには、住民の桜に対する熱い思いとその感情を受け止め、みんなに喜んでもらおうとした「桜の心」が、つながって、美しい花をつけたものと思われます。

荘川桜と名づけられた2本の老桜は、今もなお、ダムの水面(みなも)を望みながら、新たな枝葉を天へと広げています。
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by eastwaterY | 2008-06-11 23:08  

高岡、白川郷、永平寺を巡る旅をしてきました(6月10日)

以前から計画していた、2泊3日の「高岡、白川郷合掌造り、金沢兼六園、永平寺を巡る旅」をしてきました。以前から、行きたかった場所すべてが含まれた大満足の旅でした。
講座開催を14日に控え、忙しい時なのですが、夫の会社の地区OB会の皆さんとともに27名のバス旅行をしてきました。事前にある程度、仕事の整理をしていったのですが、やはり旅行中も仕事のことが案じられ、完全にリラックスをすることはできませんでした。それでも、気分の切り替えにはなりました。

8日は、7時半出発し、7時間にわたってバスは高速道をひた走り、午後4時ころに飛騨
高山に到着。毎年10月9・10日に開催される高山祭を彩る国指定重要文化財の屋台は、飛騨びとの心と技の貴重な遺産です。この屋台は、いわゆるお店の屋台とは違い、釘1本も使わずに組み立てられた木造の、およそ2トンの重さの豪華絢爛たる屋台です。会館では、秋の高山祭に曳き出す11台の屋台を年間を通じて数台ずつ展示しているのですが、私たちは、6台の屋台を見ることができました。その中には、からくり人形が屋台の屋根上っているのもあり、実際の祭りには、からくり人形が複雑な動きをする、ということでした。彫刻、刺繍などきめ細かいだけでなく、屋根の上に飾られている鳳凰などは堂々としていました。日本人としてこれだけの技を持っている職人がいて、その技が受け継がれていることを、とても誇らしく思いました。
外国人の観光客が多いというのも、十分頷けるものでした。また、高山市や市民の観光客を迎える気持ちが至る所に見られ、住民一同が積極的に観光客を受け入れていると思いました。

2日目は、白川郷合掌造りと金沢兼六園へ行きました。白川郷では雪のシーズンに雪にすっぽり包まれた「白川郷」を見ることが、最高とのことですが、高台から眺めた120軒の合掌造りは、まるで素晴らしい景色のミニチュアをみるようでした。色彩が茶色の濃淡一色で、その間には新緑の緑の木々が美しく調和し、ここでも日本文化の素晴らしさを感じることができました。それと同時に、この茅葺屋根は30年~50年くらいに1回ふき替えねばならず、その時には、住民約200名が一団となって、1軒の屋根をふき替えるということで、文化を維持していくことの大変さを感じました。しかし、みんなで助け合いながら、白川郷を継続して子孫に伝えていくことの中に「人々のつながり」が、同時受け継がれることの大切さも知りました。

この続きは、また明日にしたいと思います。荘川桜の感動的なストーリーをガイドの方が話してくださったことを書きたい、と思います。
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by eastwaterY | 2008-06-11 00:00  

人とのつながりを感じ、嬉しかったこと(6月6日)

私が企画・運営していく講座で講演してくださる予定だったYさんが、急遽出張となり、他の人を探さなければいけなくなりました。こうなったのも、諸般の事情により、私どもが当初の日程を変更したということが、あったからです。

Yさんの講義予定は9月13日ですから、まだ日にちが、あるように思えます。しかし、9月の東広島市の広報誌に講座の内容を掲載してもらおうとすれば、6月20日くらいまでに講座の枠組みを全て整えておく必要があるのです。「もう、大丈夫!」と安心していた時だっただけに慌てました。

昨夜、Yさんから電話があった時に、あれこれ考え何人かの候補の方が浮かんだのですが、やはり私がお願いしたいのは、何回考えてもMさんしかいらっしゃらないのです。Mさんは、起業してキャリア関係のアカデミーを立ち上げ、キャリア・カウンセラーとして、企業はもとより、キャリア形成支援や再就職支援の分野においても広島の大学や専門学校などで非常勤講師もしているというように、大活躍をしている人です。

彼女とは、私が3年前に行政機関で依頼され「キャリア支援講座」(全8回)を企画・運営した時に講師として講演していただいて、知り合いました。彼女は、受講者にとって心に響く、そして、インパクトのある講義をしてくださいました。その時に偶然、彼女は私が卒業した母校の同窓生と分かり、それ以来お互い、いろいろなことを話し合ったり、励まし合ったりしながら交友を続けています。

話を元に戻すと、Yさんの代わりをしてくれる人は、やはりMさんと心が決まった今朝、7時過ぎにMさんにお願いのメールを送信しました。「もし、Mさんが講義をして下さることを承諾してくださったら、私は危機を脱することができます」とちょっと大袈裟な文章を書きました。ただ、私が気になったのは、彼女ほどの能力がある人に対して、私どもが払える謝礼があまりにも安すぎるので(そのために、彼女には失礼と思い、はじめから講師の話はしていなかったのです)
申し訳ない気がしていることなど正直な気持ちも書きました

そうしたら、出勤前の8時過ぎに「東さんが困っていらっしゃって私にできることであれば喜んでお手伝いいたします。料金のことは気になさらないでください。仕事は、お金が問題ではなくそれをやりたい・・・そう思えるかどうかだと思っております。値段で仕事を選んではおりませんので!」と彼女らしい返信が来ました。

それに対して私はすぐにメールを送りました、「“地獄に仏”とは、こういうことをいうのでしょうか。私が本当に困っているときに、お仕事へ出かけられる前にもかかわらず、うれしいお知らせと励ましをいただき、どんなに有難かったか。本当に、本当に、ありがとうございます。
この言葉は、何度言っても足りないくらいですよ。」と。そして・・・・さらに、仕事を終えたMさんは再び嬉しいメールをくださったのです。

「よかったです。お役にたてるなら嬉しい限りです。何度も繰返すようですが、お受けする私の基準は金額ではなく、そこで一生懸命になっている人がいるか・・・です。何よりがEさんが、こまっていらっしゃるなら尚更です。Eさんの思いや活動を一緒にささえたいと思う私のような人間をたくさんお持ちのはずです。それはEさんの人望あってこそです。もっともっとご自身を信じてくださいね!!また一緒に思いを形にする機会をいただいて、とても楽しみにしております。」

彼女のメールを掲載する許可は得ていませんが、皆様にこんなに素敵な人が、この世知辛い世の中にいらっしゃることを知ってほしいと思いました。最近の私の自信のなさも、すっかりお見通しで、講義を引き受けてくださっただけでなく、大きな励ましをいただきました。さらに、ご自分の代りを心配してくださったYさんにMさんのことを伝えたら、安堵したと大喜び。Yさんも、次の人が見つかることをずいぶん心配してくださっていたのでした。
人と人とのつながりの素晴らしさを実感した今日の日でした。
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by eastwaterY | 2008-06-06 00:06