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人は一人ひとり違うことが当然(5月31日)

今日で、5月は終わりです。若いころに「年齢を重ねる度に月日の流れが早い」と聞いたことがありますが、今になって「なるほど」と納得しています。「なんでだろう?」と考えた時、自分がしようとしている行動の一つについて、同じ動作でも若いころより時間がかかっているのです。だから、同じ24時間であっても、時間が早く過ぎるのだ、と最近は思うようになりました。

今日の中国新聞の朝刊「広場」欄(読者の投稿欄)に“なぜ「違い」を笑うの”というタイトルで、体力的に劣る中学生の息子をもつ母親からの投稿がありました。野外活動へ行くことになり、息子さんは自分の体の負担を考えて「リュックにするか、かばんにするか」と迷いながらも、生き生きと喜んで準備していました。彼女は、その様子を見て、親として息子の成長を感じ、喜んで野外活動へ送り出したとのこと。

ところが、しばらくして息子さんは泣きそうな顔で帰宅し「ボストンバッグで行きたい」というのです。理由は、リュックサックを背負っている息子さんの姿を見て数人が「小学生がどこの遠足に行くの」と笑い、からかったとのこと。息子さんは班に迷惑をかけないようにリュックサックを選んだにもかかわらず、そういうことになっていたことに、母親として「なぜ、人と違うことが許されないか」と憤慨、疑問、悲しみにあふれた心情を書いておられました。

私もかっては、人と違うこと、たとえば、なかなか子どもに恵まれなれなかったこと、小1の子どもがいるにもかかわらず、社会人入学で大学へ行ったこと、さらに60歳の定年退職後に大学院へ進学したこと。平均的な日本人女性の価値観や人生観ではない私の生き方は、周りの人から批判や批難を受けました。

多くの人が、結婚後は子どもに恵まれるという状況の中で「子どもに恵まれない」というのは、確かに大方の人とは違っています。そのことで「女性は子どもを産んで一人前」といわれ、人権にかかわるようなことを言われたこともあります。「差別」というのは本人の努力ではいかんともしがたいことによって起こることだと思いますが、前述の息子さんの場合も、病気のために体力が劣るという、本人の努力ではどうしようもないところで、からかわれているのです。

このようなからかいや、あからさまの差別的な言葉を投げかけられると、人はそのたびに自己否定をしてしまい、積極的な生き方ができなくなってしまうのです。日本では「大方の人がしていることが普通で、その枠から外れた人は変わった人」と考える人が多いと思います。それは「人はみな同じ」という基本的な発想から来ているのです。諸外国では、そうではなくまず、「人は一人ひとりみな違う」という発想が基本なのです。この考え方だと、野外活動に行く時の持ち物が、リュックサックであろうと鞄であろうと、その人が持ちやすい、使いやすいものを持っていけばいいのであり、そのことでとやかく言う人はいないのです。

私が社会人学生で進学した時も「その年齢で何になる。息子さんは非行少年になる」と、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられました。私は自分が働いたお金で、幼いころからの夢を実現することが、自分の人生を充実して生きることにつながると思って進学したのです。事実、それ以後の私の人生は、それ以前の人生から比べると「生きている」実感を十分に感じることができています。

この考え方は私独自の考え方ですが、なぜ、それがいけないのか? みんなと同じ考え方・行動をしないからいけないのか?  私にはわかりません。 もし、平均的な生き方をしていない人、できない人がいた場合、その人のその人らしい生き方や独自の生き方を「個性的」という素晴らしい言葉で考えることができれば、その人たちは「特別の、違った人」ではなく、「自分らしい生き方を」している人ななるのです。

私は、その人なりに、がっばっている人がいれば、励ますことができる人になろうと、それを実行しています。 でも・・・それがわからない人がいます。日本では、ちょっと人と違った人、頑張っている人に対して「「出る杭は打たれる」と言われています。このことも私には理解できません。また、こうも言われます。「出た杭は打たれるが、出すぎた杭は打たれない」ということ。
でも「出すぎた杭」になるには、本人の強い意志と自覚が必要です。

そうではなく、「出た杭」に対しては「よく頑張ったね」と言える人が多くなれば、日本も、一人ひとりの生き方を認められる国となって、どれだけ多くの人が自分が選んだ人生を堂々と生きていくことができるか、と思います。
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by eastwaterY | 2008-05-31 22:12  

“父の日”近し(5月28日)

“父の日”近し、といっても今年は、6月15日が“父の日”で、まだ2週間以上もあるのに、デパートではもう、その日のために「Thanks father お父さんありがとうフェア」
などとして、いろいろPRをしています。

これは、広島の地元のあるデパートの新聞広告に載っている詩です。
(“母の日”にも、母への詩が載っていました)

ありがとう

いつも となりで 怒られ役
いつも となりで かばってくれて
いつも 私の頼もしい味方
いつもは なかなか言えないけれど
いつまでも いつもの
照れ屋のお父さん
いつも いつも
ありがとう

この詩は、たぶん女性(女の子)が書いた詩なのでしょうね。

我が家の一人息子は、毎年父の日には自分で選んだプレゼントを夫に贈っています。今年は何でしょうね? でも、今年は、それに代わるうれしいプレゼントを私たちにしてくれているので、それでいいと思っています。(夫は、どう思っているか・・わかりません)

息子からのプレゼント(彼が、そう思っているかどうかわかりませんが・・・)は、就職したこと。それも、自分がどうしてもこういう職業で、こういうことに関する仕事をしたい、とずっと願っていた所へ就職でき、今イキイキと毎日を過ごしていることです。

彼が目指したのは、広告デザイナーです。ここへ至るまでの道は、親としては長かったように思いますが、彼にとってはどうだったのでしょうか。彼は幼いときから絵を描くのが大好きで、毎日毎日飽きることなく絵を描いていました。大学進学のときには、芸術系大学に進学しませんでしたが、大学商学部で、いざ就職となった時には、「どうしても自分は広告デザイナーになりたいといい、大卒後は専門学校のグラフィックデザイン科に進学しました。息子は、最終的には起業をしたいといいますが、それは先の先のこと。今は規模の小さなデザイン事務所に入って修行をするという、昔の職人さんのようなことをしています。

息子が選んだデザイン事務所は少人数ですが、毎日新米の彼を事務所全体でサポートし、面倒を見てくれ、最後はトップが作成した作品に対してコメントをくれる、という日々で
いまどき珍しい人間関係が密な職場です。長時間労働で、経済的にも不安定な職場だと思うのですが、「僕は自分がどうしても就職したいところへ就職できたのだから、どんなことがあっても頑張るから心配しないでいいよ」と言ってくれました。

この言葉も、息子から夫への“父の日”のプレゼントになると、私は思うのです。
夫は、彼の就職に関しては、全面的に彼を信じ、彼が希望するところは必ず就職できると信じて待ってやりました。東京のデザイン事務所からも採用通知をもらいましたが、息子は私どもが高齢であることを慮って断りました。若い時に腕を磨けるところへという私たちに対して「これが、僕の生き方だから」と広島への就職にこだわりました。

この先、独立して自分の事務所を立ち上げるまでには、さまざまなことが必要だし、困難にも出会うと思いますが、自分が天職とした道の凸凹を乗り越えて、迷うことなく進んでほしいと思っています。来週には、彼のデザインした小さな広告が中心街のあるデパートの店内の何箇所かに張り出さるとのこと。彼のプロとしての作品を見ることができるのも夫にとっては、“父の日”の贈り物になることでしょう。
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by eastwaterY | 2008-05-28 22:06  

早起きは三文の得~「忘文」のこと~

朝、5時半に目覚めるようになって、特に土曜日の6時15分(フジテレビ系)の「忘文」という15分の番組を観るのを楽しみにしています。

この番組は、父、母、兄弟、友人等へ日頃から思っているけれど、心の奥深くしまっている気持ちを手紙に代えて「忘文」で伝えるという形になっています。スマップの稲垣吾郎さんの淡々としていても、心温まるナレーションが「忘文」にぴったりと合っており、それぞれの人から伝えられているメッセージの内容と共に、観ているものに多くの感動を与えます。

今朝の番組では、幼い時から「ゆーちゃん」「ようちゃん」とお互いの名前を呼び合って友人のような関係のままで成長してきた仲の良い兄弟の、兄から弟への手紙でした。「仲がよい」というものの、やはり一時期は派手な喧嘩もしたこともあったようですが、そういうプロセスを経て、今では友人も含めて3人で起業をして3年目、というころです。

現在、「起業をする」ということは、若い世代の人たちや女性たちには、自分の仕事に対する夢や思いを実現することや、自分の能力を発揮する意味で魅力的なものになっています。それだけに、やりがいもありますが、会社が落ち着くまでの初期段階では、さまざまな迷いや苦労もあります。

そういう部分を何度も経験しながら、切り抜けてきたこの兄弟たちにとって、お互いの絆はますます深まり、お互いの存在の大切さを確認する事が多くなり、兄の方は、どこかで感謝の気持ちを弟に伝えたく「忘文」に手紙を寄せました。

兄弟の母親は、兄のことを決して「おにいちゃん」と呼ばず、常に二人の名前で読んだとの事。そのことが兄、弟という年齢による上下関係を作らず、まるで仲間同士のように何でも話し合って成長してきたように思われます。弟が高校卒業後アメリカ留学を両親に打ち明けたときも、兄は以前から弟の気持ちはわかっていただけに二人で必死に両親を説得し、弟のアメリカ留学を実現させたこと。その頃から、兄は弟が留学先から帰国したときには、共に起業をしたいと思っていたということです。

起業して3年。いろいろありながらも、現在は会社の経営も順調に行きつつあるとの事。そういうときの弟への「忘文」でした。兄は、小さいときから弟とどのように過ごしてきたかを、それぞれのトピックスを上げていました。異国で暮らす弟を訪ねた時に見た弟の逞しさに目を見張ったこと、今は仕事に対して意欲的で、常に学習を欠かさないことなど、弟であっても一人の人間として尊敬の気持ちを持っていることを伝えていました。

少し目を潤ませながら、そのメッセージを聴いた弟は、「兄は、常に会社をどのようにしていくべきか、毎晩夜遅くまでいろいろなことをがんばっている」ことに対して感謝と尊敬の気持ちをもっていることを語っていました。弟の言葉は、簡潔で短いものでしたが、その気持ちは番組を観ている私にも十分に伝わりました。

日本の場合、口に出して感謝の気持ちを伝える事に対して照れくさい、そういう言葉を発する習慣がないことなどで、一番身近にいる家族に対しても、日常生活の中で真実の気持ちを伝える言葉を心の奥深くにしまったままにしていることが多いと思います。

しかし、やはり気持ちは伝えなければ相手には伝わらないのです。私は毎回この番組を観るたびに、それぞれの人に対する愛情と感謝の気持ちに感動をしています。残念なのは、それほどの番組が土曜日の早朝6時15分からということです。月9という一番人気のある時間帯に、とは言わないまでも、もう少し工夫をして、この心温まる番組をもう一度自分の人間関係、生き方を考えるきっかけとなると思われる時間帯に、この番組を移し多くの人に観ていただきたいと望んでいます。
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by eastwatery | 2008-05-25 08:42  

"結”の心(5月21日)

このブログは「人とつながる”結“日記」です。 このタイトルをブログにつけたのは、人と人がつながってお互いに””結“の気持ちもってつながり合い、“”結”の力の素晴らしさを実感できる日々を送られたら、どんなに充実した人生を送ることができるか、という思いからです。

その”結“の気持ちを団地住民のつながりにおいて提案した人がいます。ノンフィクション作家の大山眞人さんです。彼は団地の実情を取材し、住民同士のつながりや、コミュニティーの発展を展望した『団地が死んでいく』(平凡新書)の中でさまざまな提案をしています。

高度成長期、ニュータウンなどの団地が次々に開発され、若い夫婦や子どもたちで団地は活気を見せていました。ところが、世代交代が進まないまま、高齢化が進み“オールドタウン”化した団地も出現してきました。その結果として・・・・・独居老人の孤独死が相次いでおきています。大山さんがこの本を書くきっかけになったのは、彼の住んでいる団地で続けて発生した2件の孤独死でした。自分の行くのを姿を見る思いがし、団地の実情を取材することにしたのでした。最近は古い団地を建て替えている傾向がありますが、新しい団地は「外と室内の空気がリンクしない。遮蔽は優れているが人と顔を合わせない」という特徴があり、これがコミュニティの壁になっていると大山さんは指摘しています。

その一方で、千葉県の地区50年のある団地の例を挙げています。住民達は立替を拒否する一方、自分で孤独死予防センターを運営し、民生委員として連携して見守り活動をしているということです。そのキーワードは、住民同士がお互いに助け合い、寄り集り集って生活を楽しむ「結」の力です。住民がつながり合うことによって、高齢者が子育て方法を若い人に伝えるなどの関係性が生まれるということです。「若い人、年寄りと分断せずに混然一体の町として発想し、様々な交流をしよう」と呼びかけ、行政に対しては「住民が何を思い、将来をどう描いているかを聞いてほしい」と注文をつけているとのいうことです。

以前、『AERA』で、多摩地区にある、高度成長期に建てられた古い団地では、住民は高齢者が多くなり、相次いで孤独死が発生したという記事が書かれていました。その記事には、今回の千葉県のような、そこから新たな発想である“”結”の発想は提言されていませんでした。大山さんが実情を取材し、”結“の力によって世代を超えた人たちが集って生活する方法が、若い世代と高齢者との交流により活気が生まれ、高齢者の孤独死を防ぐという結論は、逆転の発想だと思いました。

昨年の10月からかかわっている仕事の中で、「メンター養成講座」の実施がありました。応募者の年代は20歳代から60歳。3回の講座で文字通り「老いも若きも」渾然一体となって、3回(11時間)の講座を受講しました。メンターとは「何でも気軽に相談できる“ちょっと前を行く経験豊富な良き理解者、相談相手”」という定義がされています。これは簡単に言えば「井戸端会議における経験豊富な気の良い何でも相談できる人」ということです。

全3回の講座は、企画・講師の素晴らしさ、グループワークなどでお互いを知り合う機会もあり、好評のうちに終了しました。受講生の感想の中には「世代を超えて学び合うことがあった」と書かれ、第2回目の講座のときに30代の若い受講生から、講座終了後もネットワークをつくろうと提案がありました。全員がそれに賛成し、現在は、交流と学び合う会を立ち上げて活動しています。

これは、まさに“”結”の発想であり、「メンター養成講座」が、老いも若きも寄り集ってお互いを理解し、伝え合いながら活動していくきっかけになったのは、私にとってはうれしい誤算でした。これからは「若い人は・・・・、高齢者は・・・・」とお互いが交流を避けるのではなく、前向きな発想で付き合っていくことが求められていると思います。
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by eastwatery | 2008-05-22 06:51  

1週間お休みをしていました(5月18日)


前回ブログを書いてから1週間がたっています。自分の意識の中では、それほど長い間ブログを書いていないという実感がないことに自分自身が驚いています。ともかく、1日1日を過ごしていくのが精一杯なのです。事務局外で会議、打ち合わせなどが多く、その後の整理やまとめなどもあって、書きたいことはあってもゆっくり考える時間がありませんでした。正確に言えば、「時間」がないのではなく、私自身の中に「書こう」という余裕がなかったのだと思います。このような日々は、私が望む生活ではありません。

後期高齢者医療制度のこと、ミャンマー・中国の大地震のこと、殺人が多いことなど、世の中が決して希望がある、明るい社会に向けて動いていないことに対してどうすればいいのか、不安感だけが増大していきます。また、現在自分自身がしている仕事に対して時間をかけてやっても、思うほどのことにはならず、常に自分自身の能力不足を感じ、先行きに対しても不安感を感じているのが現状です。

そういうときは、テレビ・新聞・本を読んでも心動かされることが少ないように感じます。
「忙」の字のように感受性が鈍くなり(心を失う)、焦点が自分の内面の状態にのみ定められているので、文章に書き表わすほどの余裕がなくなるのだと思います。

その状態を少しでも良くするように、これからガーデニングに取り組みます。柵や門扉にかけていたビオラがもう限界に来ているので、今度は、庭で冬越しをして元気に育っているベコニアたちを植え替えます。

明日は、事務局主催で事務局外の会場で、十数人の人が出席する重大な会議があり、いささか緊張気味なので花たちにその緊張をほぐしてもらいましょう。
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by eastwatery | 2008-05-18 15:32  

「育休パパ」のススメ(5月10日)

父親が育児休暇を取得することは、制度的には整備されていますが、厚生労働省の2005年度の調査では、男性の育休取得率は、0.5%(1000人のうち5人)、女性の72.3%に較べて極端に低く、政府が目標に掲げる10%にも遠く及ばない現状です。

子どもが生まれて1年間は、父親も母親も育児休業を取れるのです。しかし、特に男性の場合、職場への気兼ねなどから、育休取得には二の足を踏みがちですが、取得した人は一様に「良い経験になった」と言います。

今朝の中国新聞に育休を取った男性3人の男性が取り上げてありました。特別養護老人ホームで働くSさんは長男誕生に合わせて約2ヶ月育休を取得した人です。この施設では「子育てしつつ働いてほしい」と男女を問わず職員に育休を勧めているとの事。Sさんは育休中、長男をずっと抱っこして話しかけ家事全般をしました。「疲れはしたが、妻の苦労も分かり息子と一緒にいられた時間は一生の宝」と語っています。もう一つ、大きな変化もありました。職場に復帰後、以前より細かくお年寄りに接するようになれたのです。これは「赤ちゃんのサインを見逃さないようにしいたからかな」との事。言葉が話せない赤ちゃんのことを分かろうとすれば、接しているうちに、泣き方一つで、何を欲しているかということが分かってくるようになります。そういうことがお年寄りに対しても同じような気配りができるようになったのでしょう。

大企業勤務のTさんは、第三子誕生時には約1年半育休を取ったとのこと。第二子までは妻が仕事を休んで育てたため、妻のブランクを気遣い自分が育休をとったということです。それにしても1年半、というのは大企業だからできるのか、本人の意思が大きく影響しているのか。現在の日本では、男性が育休を取るのは、2ヶ月~3ヶ月が限度です。Tさんは、家事を初めとして様々な体験をし、「妻の代わりはできない」と精神的に追い詰められた時「できないなら、なんでも試してみないと損だ」と考えを切り替えたとのこと。結果的には視野が広がり、自分が社会や会社、子どもにとって良いことをしているか、と考えるようになったということです。そして・・・・
「何よりも生きている充実感を手にした」というのが育休を取得した大きな成果でした。

Tさんは、1年半もの育休を取るに当たって、「社内評価が下がる」とか「育休を取ったら損だ」とか、「1年半ものブランクがあったら、復帰した時にはどうなる?」という不安はなかったのでしょうか?多分、これらの不安は、そのようなことを感じさせない支持的風土がその会社にあり、
社長を初めとする管理職から平社員に至るまで、意識改革が進んでいたのでしょう。

長い間、子どもが授からなかった私は、母親になって初めて「子どもというものは、自分の思うようには育たないものだ。子どもが本来持っている性質を変えようとすることなどできない」と思うようになりました。夫は夫で、それまで企業戦士一筋で「仕事が全て」の生活から、出産前にはオムツを全部自分で縫ったり、他所の子が帰った後、子どもが触った家具などを神経質に拭いていたのが、ウソのように変わりました。会社でも「子どもさんが誕生されて、ずいぶんソフトになられた」と言われたたことがあったそうです。事ほどさように、子どもをもって育てる中で、親としてではなく人間として新たな発見があり、謙虚に生きることが大切だということにも気づきました。

内外の育児状況に詳しい汐見稔幸教授は、「会社で、地域で、家庭で、自己実現をいかに図るか、妻子とどうかかわり、老いをどう迎えていくか。男性一人ひとりが考えるべきだろう」と指摘しています。これこそ、今、盛んに言われているワーク・ライフ・バランスの生活なのです。
しかし、男性がそのように考え育休をとろうと思っても、やはり企業経営者を初めとする会社全体、社会全体で「勤労を尊ぶだけでなく、生活や遊びを楽しむ感覚を持つ」ことが必要だと思います。
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by eastwatery | 2008-05-10 21:51  

ちょっと早い「母の日」(5月8日)

ちょっと早い「母の日」(5月8日)

今日は、息子から「母の日」のプレゼントが贈られてきました。早速、「ありがとう」の電話を入れたら、「もう、着いたの?母の日にと思ったのだけど・・・」と、ちょっと照れくさそうでした。

花はカーネーションで、その色は緑っぽい色をした白色です。よくある、ピンク、赤などではなく、ちょっと個性的なこの色を選んだのが息子らしいな、と思いました。大きな箱に大事に大事に入れてあったカーネーション。息子から聞いたところによると、かなり前に“ゆうパック”のパンフから選んでくれたとの事。

贈り物は、贈る人に何を贈ろうか、贈ったときに喜んでもらえるか、その人の趣味に合っているか・・・・などなど考えます。ただ、モノを贈ればよいというものではありません。贈り物に自分の心をのせて贈るのが贈り物の意味であり、醍醐味なのです。一つの贈り物を選ぶにも、かなりの時間がかかります。そこに贈り物の良さがあるのです。

息子は、私の花好きをよく知っています、だから、昨年は可愛い籠に花がアレンジしてあるものを花屋さんに頼んで配達してもらうように依頼してくれていました。今回のカーネーションは数え切れないほどの蕾が一杯ついています。この蕾の一つひとつが開いていくのが楽しみです。心のこもった蕾の一つひとつを大事にしたいと思いました。
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by eastwatery | 2008-05-08 21:53  

自然葬(5月6日)

このところ、続けてお葬式に参列することが続き、死後のことを話し合う機会がありました。

それはお墓のことなのです。ある夫婦は、自然葬が良いと言われます。「自然葬」といっても、いろいろあります。たとえば、自分の好きな木の下、桜とか、山茶花などの花の下に少しの骨を布に包んで埋めるのですから、何年か後には、土に帰るといこと。だから、墓地もなくお墓もないのです。では、遺族はどうするか?

基本的には、亡くなった人のことを想ったときが供養になるということですが、もっとその人の
事を想いたい時には、その人が好きだった木のところを訪れて生前の事を偲ぶ・・・・ということです。また自然葬には、そのほかにも亡くなった人の灰を、その人が好きだった海や川などに撒くという方法もありますが、多分まだ日本では許可されていないのではないかと思います。

2年前、28年ぶりにNZの友人を訪ねて旅をしたとき、友人の中でも一番私たちと親しくお付き合いしてくださり、毎年バースディカードを送ってくださっていたボブさんは、その2年前に胃がんのために亡くなられていて28年ぶりの再会はできませんでした。

私たち夫婦は、まず、日本風に彼のお墓を訪れ、お花を供えることを考えて、遺族を訪ねたのですが、彼の墓地もお墓もありませんでした。その代わりに、彼のパートナーさんが、アンティーク風の飾りボードに彼の写真を飾り、訪れてくれた人が彼への思いや、言葉を書くように素敵なノートを備えてくださっていました。
彼が、ガンを患っていることは、わかっていたのですが、ちょうど夫も私も大学院生のときで、あと1年は彼の命は大丈夫だろうと勝手に思っていたのが大きな間違いで、大事な人を失ってしまった悲しみが一杯のまま、ノートへ彼への言葉を書きました。無念ではありましたが、お墓はなくても、私たちの気持ちはボブさんには十分に伝えることができたと思います。こういう冥福の祈り方もあるのです。

また、私の叔父は広告関係のデザイナーでしたが、個性的な人生を送った人でした。叔父は、私たちが実父を原爆で失った後、私たちの面倒をよくみてくれた人でした。叔父の死は、従兄によって知らされました。叔父は東京に住んでいたので、すぐに上京すると私がいったら、従兄が「その必要はないのです。父はお葬式をする必要はない。もし、自分を弔う気があるのであれば、自分のことを思い出してくれたときが弔いになるのだから、それで良い、と父は書き残していました」と言いました。その上、永中順さんの詩「生きていくということは・・・・」を机の引き出しに入れていたということです。これは叔父が人生の中で、「人と共に生きる」ことを大事にして、そう感じながら生きていた証ではないかと思いました。

こうしてみると墓地とお墓は必要か、ということです。私は、自分自身は、大好きなNZの海に
散骨してもらいたいと思いますが、そうであってもやはりお墓はいると思うのです。理由は、夫が跡継ぎなので、代々のご先祖様のお骨が入っているからです。幸い、一人っ子の息子は、お墓参りをとても大事に思ってくれています。個人的には、自然葬が理想だと思っても、やはりこれまでをつないで下さったご先祖さまのことを思うと、そういうわけにはいかないのです。
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by eastwatery | 2008-05-06 22:01  

かあさんは太陽だ(5月5日)

毎月伝言板を送ってくださるSさんが、ハガキをくださいました。それにはピンクのカーネーションと共に「かあさんは太陽だ」という詩が書かれていました。

「かあさんは太陽だ」
どんな時でも ニコニコ
ピンチをチャンスにしてしまう 達人
悲しく 辛く 苦しいことがあっても
かあさん
明るく元気にふるまって 励ましてくれる
ヨイショ上手 ほめ上手
わが家の太陽
いつも みんなを 照らし続けてくれる
太陽かあさん
大好き大好き 太陽かあさん
ありがとう

原爆に遭いながらも92歳まで生きてくれた母は、父が被爆死した後4人の子どもを抱えて、一人で私たちを育ててくれました。一切愚痴も言わず、夕食の団欒では、4人の子どもが我先に話す話をよく聴き、常に元気で「あなたたちがいるから生きていかれる」と言ってくれていました。「参観日に行っても、どの子も先生から何か言われたこともなく、お母さんは楽」といってくれました。思い返せば、この「詩」は「私の母」であり、明治生まれの母の典型ではないか、と思います。

もう一つ、お母さんへの感謝の言葉・・・・・これは広島のあるデパートのPRに出ていたものです。やはりカーネーションの絵にこの「言葉」が添えられていました。

「ありがとう」
いつもいっしょに笑っていて
いつもいっしょに泣いてくれて
いつもわたしの応援団
いつもは なかなか言えないけれど
いつまでもいつもの
大好きなお母さん
いつもいつも
ありがとう

母は、約9年前に亡くなりました。晩年は認知症気味でしたが、どんなときも、誰にでもこの三つの言葉しか言っていませんでした。「わたしは、いつもみんなに良くしてもらって幸せ者です」、「いつも美味しいものを食べさせてもらって幸せ者です」、「本当にありがたいことです」と。

もうすぐ「母の日」です。母は生前お花が好きだったので、毎年園芸店で蘭の花や、少し変わった種類の花を選んで「母の日」に贈り物をしていました。母にプレゼントをしなくなって9年が過ぎました。

どんな花にしようか、といろいろな花を観ながらアレコレ選んでいた日を懐かしく思うと共に
プレゼントする母がいないことは、心の中にぽっかり穴が開いてしまった感じです。
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by eastwatery | 2008-05-05 21:36  

花たちが教えてくれたこと(5月3日)

花たちが教えてくれたこと(5月3日)

このところ朝夕の気温差が激しく、いささか驚いています。あらたな仕事に就いて以来、
寝坊だった私は、目覚まし時計なしでも、いくら深夜に寝ても、必ず5時半には目が覚めるようになりました。それまでは、そのような早い時間に起きるというのは、滅多になかったので、この時期の早朝と昼間の気温差がこれほどあるとは思ってもみませんでした。

昨晩のTVのニュースで広島地方の今日の気温は、最低:17度、最高:29度といっていました。
今朝もいつものように5時半に目覚め、新聞を読もうとしたら、寒いのです。いやいや、もう暖かいのだからヒーターをつけるのはやめようと思いましたが、とうとうスイッチを入れてしまいました。もっとも6時半頃には、その必要はなくなりましたが・・・。

では、昼間の温度は?これは大当たりでした。30度は、あったようでした。温度もそうですが、とにかく日差しが真夏日のようにカンカン照りなのです。そうなるだろうと思ったから、朝
プランターに植えている花々には十分水遣りをしたつもりでした。しかし、夕方外出先から帰宅して花たちを観ると、余りの暑さのためにしおれかかっている花が多かったのです。特に、やしの繊維のようなもので作られたプランター(壁や垣根などに吊り下げるタイプのもの)に植えていた花々の萎れ方はひどいもので、心を痛めました。もっとしっかりと水遣りをすべきだと思いつつも、もうダメかもしれない、明朝には再び元気な姿を見ることはできないかも知れないと思いました。

ところが、午後10時過ぎの今、その花たちを見てきました。私が思った以上に花たちは逞しかったのです。一つひとつの花がちゃんと生気を帯びてしっかりと咲いているのです。安心しました。

以前の私は、事前に「悪い結果」を考えることなく「悪いこと」は、そうなった時に考えればよいという楽天的であり、人にも常にそう言っていたのです。しかし、このところ、自分がした行為や行動に対して否定的に捉えることが多く、今までの自分とは違うと思いつつ過ごしてきました。

さきほど花たちの元気な様子を見て、励まされる思いでした。どうやら今の私には逞しさが足りないようだと気づきました。
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by eastwatery | 2008-05-03 22:49