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西洋式庭園を訪れて(4月30日)

今日は朝から快晴で、どんどん気温が上がり午前10時過ぎに夏のような強い日差しとなりました。今日で4月は終わりです。今日仕事に行くと1ヶ月に決められている勤務日数を越すので、お休みとして、県北の湧永満之記念庭園へ西洋式庭園を見に行きました。

この庭園は、「強力キヨーレオピン」という虚弱体質・滋養強壮ななどに効く薬で知られる湧永薬品株式会社広島事業所近くの丘陵地に1993年開園されました。当時の社長が発案、設計し、施工は全て社員によって行なわれた手づくりの庭園です。この庭園は別名「ハートフルガーデン」と言い、花と緑がハーモニーを奏でている庭園です。約45,000坪の広さに花や緑を美しく調和させた2つの庭園を中心に四季折々に華やかな表情を見せています。

しかも、この庭園は、社会貢献事業として湧永薬品(株)が運営しており、入場料は無料で誰でも入れます。ゴミの一つもなく、きちんと整えられた庭園の、まず初めは「薬用植物園」で、古くからの民間薬やハーブ・ティーにできるものが植えられており、その一つ一つに説明書があり、散策しながら自然に薬用植物の世界に入っていくことができました。名前は知っていても初めてみた「オキナ草」は、まるでお年寄りの髪の毛やひげを思わせる色の細い筋状の糸が集まった花でした。

薔薇のゲートから遊歩道に沿って入るとそこには、花と緑の心地よい香りに包まれた北山杉、もみじ、つつじ、椿、桜など200種類の木がありました。ソメイヨシノはすでに散っていましたが、今はあちこちに大木の八重桜が満開で、豪華絢爛な感じでした。緑のじゅうたんの芝生には、いろいろな色や形(バラのような、百合のような)チューリップ、忘れな草、ガザニア、ノースボールなどに加えて、名前もよくわからない可愛い花たちがびっしりと植えられていました。

そこから暫く歩いたところには「モネ邸の睡蓮」と呼ばれる池がありました。この池は倉敷市の大原美術館が創立70周年を機に、モネ邸から睡蓮の株を贈ったということでした。残念ながら、ちょっと早すぎて黄色とピンクの睡蓮の花を見ることはできませんでした。

第二庭園は小高いところにあり、見下ろす眺めが格別です。また、下に降りると滝と小川の流れに沿って、せせらぎの音を聞きながら一味違った趣を感じつつ、フジ、淡いピンクの芍薬の花々を十分堪能することができました。

今日の昼間は、、25度以上になって、真夏のような日差しであっても、ちょっと日陰に行くと冷たい風が、「そよそよ」という表現がピッタリの様子で吹いていて、とても心地よかったです。連休の合間のウィークディだったので、ほとんどが熟年夫婦と中高年女性のグループでした。みんな静かで、他の人の邪魔にならないように花や樹木を鑑賞しており、ゆったりと時間が流れ、久しぶりに時間に追われない日だったと思います。
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by eastwatery | 2008-04-30 20:58  

ゴールデンウィークの思い出(4月28日)

今日の「昭和の日」を皮切りとして、ゴールデンウィークが始まります。

そのように思いながら、まだ息子が小学生の時のゴールデンウィークの時の過ごし方を思い出しました。確か、息子が小学校3年か4年くらいの時だったと思います。親子3人で広島市郊外へサイクリングをし、ちょっとした(と思っていた)峠を越えて動物園辺りを過ぎて母が暮らす実弟一家の家へ行きました。

ゴールデンウィークは車で動いても渋滞ばかりなので、サイクリングをしようということになったと思います。おにぎりと簡単なおかずの入った弁当を持ち、自宅を出発。途中で日陰になっている道路端で食事をすることにしたのですが、ちょっと先には渋滞した車が、ずらりと並んでいました。なかなか車が動かないのでみんな閑をもてあまし、私たちをチラッと見るのです。
息子いわく「お母さん、あの人たちは僕たちを乞食だと思っているかね?」と。(その頃乞食という言葉が残っていたのですね)。きっと息子は恥ずかしかったのでしょうね。

飲み物は、麦茶だけ。帰るまでに自動販売機で飲料水を買うのは一度だけ、と決めて麦茶を飲んで、峠を目指しました。この道のりは、以前車で通っており、その時には坂がそれほどがきついとは思えなかったのですが、この峠が最大の難関でした。初めは3人とも「なんだ坂、こんな坂」という気持でがんばりましたが、峠のてっぺんちかくになると、もうお手上げ。3人とも、どうにもならず、ついに道路の真ん中で大の字になってしまいました。幸い、大田舎なのでほとんど車も通りませんでしたが・・・・。でも、今ではこの大の字になって道路に寝た転んだことが、一番の思い出になっています。

それから、何とかがんばって長い坂を下って、やっと(まだ実母生きていた)実弟の家に到着しました。母には、何も言っていなかったので、それだけの道程を小4の息子がサイクリングで訪れてくれたことを驚くと共におおいに喜んでくれました。

次の年のゴールデンウィークには広島の恒例の行事になっている「フラワーフェスティバル」へ自転車で行って、「原爆ドームの写生大会」へ参加を目的として、息子の友人も誘って4人で
広島の中心地である平和公園へ向けて自宅を出発しました。この時は、途中でカレー屋さんでお腹を満たし、一路平和公園へ。この時も行程の中では、自動販売機で買う飲料は1回だけとしました。

どこで、いつ買ってもいいと決めていたのに、一人が買うと結局後のものも同じ時に同じ場所で飲料を買ったのは、とても愉快な思い出として残っています。幼いときから絵を描くことが好きだった息子は、原爆ドームを描く大会では優秀賞をいただき、後にNHKホールに展示してもらったのも良い思い出になっています。父が原爆で亡くなっているので、私たちとしては慰霊の気持もあり、賞をいただいたのは、父が喜んでくれたからだと思いました。
というような感じで、サイクリングをしたゴールデンウィークを何回か送りましたが、息子が思春期に入った頃からは、友人と共に過ごす事が多くなり、サイクリングによるゴールデンウィークは終わりました。結局、とうとうディズニーワールドにも行かないままに、息子は25歳の青年になりました。今思えば、我家の休日の行事は、自然の遊園地のようなところではなく、常に郊外の自然の中で過ごしたことが多かったように思います。

息子には、「それでよかったのか?」と今になって、ちょっと気になり始めています。
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by eastwatery | 2008-04-29 21:55  

Oさんのこと(4月27日)

昨日は、長年親しくさせていただいていたご近所のOさん80歳のお葬式がありました。

私たちが住んでいる地域は、46年前(1962年に)に田んぼを埋め立てて、住宅地としたものです。
当時そこでは17軒の家が建てられ、我が家もそのうちの一つ。当時は日本の高度成長期のまっただ中で、小さくても我家を持つことは庶民の夢でした。

17家族の中では、私たちも含めて3組の新婚組みがおり、Oさんは私たちより少し先輩の方でした。Oさんとは隣同士で、二人とも花が好きということもあり、垣根越しに話をしたり、一緒にお茶を飲んだり、先輩として家事を初めとして様々なことを教えていただきました。

Oさんは、ふっくらというより堂々とした体格で、ソプラノの美しい声をもち、いつもニコニコと、時には豪快に大笑いをする明るい性格の人で、まさに「肝っ玉かあさん」の典型のような方でした。学習意欲も旺盛で、近くの公民館で、俳句の会、水墨画の会、「りんどう」という高齢女性のコーラスのグループなどに属し、友達も多く、人生を楽しんでおられました。時には、私に「こういう句をつくったのだけど、どうかしら?」と尋ねられることもありましたが、それらは見事な句でした。「俳句をしていると、いつもこれは、どう俳句に詠もうかと思うのよ」と、お連れ合いが亡くなられた後も、趣味を極め、多くの友人と自分の人生を楽しんでおれました。

ところがある時から、時々体調不良を訴えられることが多くなり、結局心臓の手術を受けられました。長い入院生活でベッドに寝ていることが多かったため筋力が落ちた上に、往年の堂々とした体格の面影がなくなったOさんとして、自宅に帰ってこられました。

一人息子の息子さんの家族は、東京で生活をしておられましたが、Oさんが常に深い愛情をもって育てられたので、遠距離には関係なくたびたび夫婦で里帰りをしてOさんの世話をし、その様子を案じておられました。

彼女は退院後も、できるだけ趣味の会には参加するようにしておられましたが、次第にそれもできなくなり、体調も悪化して約2ヶ月前に再入院をし、3日前に帰らぬ人となられたのです。私は、昨秋仕事を得てからOさんとゆっくりお話させてもらう時間もなく、1ヵ月半前一度だけ入院中のOさんをお見舞いにいっただけで、しかもその時にはOさん自身もゆっくりお話をするだけの体力もなく小さな体になってしまわれ、精一杯生きているというOさんと会い、私としては悲しい想いでした。しかし、彼女は「私は、ものすごい宝をもっているの。不思議なくらい、いろいろな人に良くしてもらっているの」と言われました。

昨日のお葬式では一人息子さんが喪主として「母は、いつも私はみんなに良くしてもらって幸せだといっておりました。そして、母は、私が小さい時から『いつも笑っていなさい。人にはどんなときも親切にしてあげなさい』といって育ててくれました。私はこれからもこの母の言葉を大切にして生きていきたいと思います」という挨拶をされました。ここに、Oさんの人生のすべてが集約されていると思いました。葬儀の中では句会の仲間からOさんの死を悼み、冥福を祈る句が披露され、葬儀車が出る時には、コーラスの仲間の人たちが美しいハーモニーでお見送りをされました。

「その人が亡くなった時に、その人の価値が分かる」といわれることがありますが、昨日の葬儀ではOさんが人と大切にして生きてこられた80年の人生が見事に凝縮されていたと思いました。
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by eastwatery | 2008-04-27 08:37  

光母子殺害事件~母親とのつながりについて~(4月23日)

中国新聞朝刊の「天風録」(論説委員が執筆している一文)で、光母子殺害事件に関して「母親とのつながり」のことが書かれていました。

この一文は、放浪の旅に生きた俳人種田山頭火と母親とのことから始まっています。

「<うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする>。
放浪の旅に生きた俳人種田山頭火。どこへ行くにも母の位牌を携えていたという。
9歳の時自宅の井戸に身を投じた母を恋い、慕った。(略)
山頭火は母を失った痛みを生涯引きずった。愛情豊かな家庭より漂泊の道を選んだ。」

私は放浪俳人の山頭火については、詳しく知らないけれど、その句から自然の中で飄々と生きている道を彼が好きで選んだ人生だと思っていました。彼が幼い時に母の自殺によって母との別れを体験しているとは、知りませんでした。

論説委員は、山頭火の幼いときの出来事が彼の一生に大きく影響していることから、そういう視点から今回の光母子殺害事件の元少年(以後Aとする)について書いています。Aも中学1年生の時に母親を自殺で失っています。「母さんが好きだった。おれを大事にしてくれた。でも裏切られた」と知人に送った手紙の文面は悲しい彼の気持が書かれています。親子関係において特に男の子と母親との関係は、女の子と母親が時にライバル関係になるのと大きな違いがあり、男の子は父親より母親を慕いがちです。Aが母の自殺を「裏切られた」と書いていることは、「本当に悲しく辛くとり残された」という感情を持ったのも、思春期の敏感なときだけに残虐な感じがします。

論説委員は、こう書いています。「母の死後、元少年は後ろ盾をなくしたのかもしれない。父親によくなぐられた。一生懸命で素直な面もあったというが、情緒をはぐくむ最も多感な時期。大切なものを置き忘れたまま成長したのだろうか」。

昨日のインタビューでAの父親は、「自分のしつけ感を持って、息子を育て、時には厳しいこともしたが、それは男の親として普通のことだと思う。むしろ、自分は迷惑している。しかし、自分の子どもだから、息子のことは可愛いと思っている」というようなことを言っていました。しかし、新聞の報道によると今までの9年間、父親が、Aに面会に行ったのは僅か3回との事。

Aには温かな家庭があったのでしょうか? 私にはそうは思えません。その一方で、Aが自分の道を模索するすべはなかったのかと思うし、家庭のせいだけにするのも、どうだろうか、と思います。「子どもは社会の宝、社会の中で育てよう」とよく言われる。Aにとって、ちょっとした友人はいたようだけれど、彼が犯行を犯した時

それ以上に山頭火にしてもAにしても、「母から置き去りにされた」という思いが、その後の人生に大きな影響を与えていることに、改めて母親のわが身をふり返っています。
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by eastwatery | 2008-04-23 15:00  

ニュージーランド版ワーク・ライフ・バランス(4月20日)

再びニュージーランド(NZ)のことを書いてみたいと思います。

夫が自動車会社に勤務していた時の、30年前の話です。
私たち夫婦は、2年間の予定で現地の系列会社へ赴任しました。NZのそれほど大きな会社ではないので、社員は家族ぐるみでお付き合いをしました。1ヶ月に1回ソーシャルクラブのパーティーがあって、その時には、それぞれの家族が集まって、軽食を食べながら親睦を深めます。日本人は、私たちだけでしたが、このクラブのお蔭で女友達(奥様方)がたくさんでき、2年間の生活は心地よいものでした。

その中の一人は、オークランドでもかなり有名な料理家・料理ジャーナリストだったので、お互いの家を行き来して、NZと日本の料理を教えあったりしました。また、二人の子育てをしながら、将来カウンセラーになるためにパートタイムスチューデント(日本で言う科目履修生)として、大学で学習している人、ボランティア活動をしている人など、それぞれが主婦だけではない生活を自分らしく送っていました。今から30年前の私は、「男は仕事、女は家庭」の性別役割分担意識に不条理を感じながらも、どっぷりそういう生活をしていたので、NZの女性たちの生き方は、「目からウロコ」でした。

女性たちだけでなく、会社の男性たちも「自分らしく」生きていました。自分の有給休暇は誰に遠慮することもなく、自分が好きな時にフレッシュ休暇のような感じで自由に取ることができました。これは、夫から聴いた話ですが、・・・・

テッドが2週間の休暇をとったのですが1週間もしないうちに出勤してきたとのこと。 理由は、「このところ、ずっと天気が良くないので、そのうち天気が回復したらまた、休暇をとるよ」ということでした。彼らの有給休暇は、別荘でのんびりと過ごしたり、家族とヨットにのって楽しんだりなど様々ですが、テッドの場合はハンググライダーが趣味だったので、天候は大いに関係しており、理由も当然のもので、NZでは誰もその理由を不思議がったりはしません。

そのようなNZでみんなが「休暇を取って2週間くらいNZ内を旅行をしたら?」といってくれても、日本の典型的な「企業戦士」の夫は、そのような長い休暇をとることもできす、結局二人で、日本が5月のゴールデンウィークの時に1週間クライストチャーチがある、南島の一部を回ったくらいでした。さらに、2年間の赴任を終え、日本へハワイ経由で帰国したのですが、その時も、多くのNZの友人が「せめて3~4日ハワイでゆっくりしたら?」とアドバイスしてくれたにも関わらず、1泊どまりで日本に帰りました。しかも、たった1日の宿泊でも、上司からは文句を言われ、NZと日本の余りの違いに唖然としました。

その頃から、NZでは今、日本で盛んに言われているワーク・ライフ・バランスの生活を多くの人が送っていたし、全てのことがそうであるような社会のあり方、人の生き方でした。以前にも書いたように、贅沢はせず「人生の中で何が一番大切か」が分かっている人たちでした。自分が、どのように生きたいか、ということがはっきりしている人たちというのは他の人を思いやることもできる人たちのように思いました。

そのおかげで、未だに私はNZへの移住を夢見ているのです
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by eastwatery | 2008-04-20 13:24  

臨床美術(4月17日)

TVの情報番組で「臨床美術」を老人保健施設で行なっている様子を取材していました。
この施設では“ひろしま臨床美術の会”の人たちが、主に認知症の高齢者を対象として実施しており、お年寄りのイキイキとした楽しそうな様子が映し出されていました。

これまでに「音楽療法」といって、音楽によって認知症の高齢者の状態が良くなるということは、聞いたことがあるし、そのような映像も見たことがありました。しかし、「臨床美術」によって認知症を改善するというのは初めて知りました。

今日の場面では、「サザエを観て絵を描く」ということでしたが、美術の授業のようにデッサンをして色付けをするのではなく、新聞紙を丸めてパッドのようにして、絵の具で色をつけ、画用紙の上にポンポンと思うままに色づけをしていき、最後に筆でその人なりに形を整えていました。

ある高齢女性は、「私のお父さんは漁師だったので、よくサザエと取っていた。それを思い出し、お父さんを思い出してよかった!」と幸せそうでした。臨床美術の会の人たちは、それぞれのお年寄りの傍で、話を聴きながら、ほとんど絵を描くことには手を出さず、「上手、下手ではなく、その人らしさを表わした絵」が出来上がるのを何よりも大切にしていました。これらの絵は、誰でもできるし、その人が描いたことが素晴らしい、という考え方です。

出来上がったら、みんなの作品を壁に貼り、鑑賞会をしました。どれを見ても素晴らしく伸び伸びと明るい色調で描かれていました。形もなんとなくサザエと分かるような感じでした。その後、みんなでそれぞれの絵を認め、褒め合っていました。そのことにより、認知症の人は自分に自信が持てるようになるとの事ですが、これは子育てにも通じるようにも思いました。

“ひろしま臨床美術の会”の代表者は言います。「絵を描くことは脳の認知機能を刺激するので、認知症に効果があるのです。まだ、余り知られていませんが、広島の文化のようなものとして、人々の間に広く深く根付くようにしていきたいです」と。

私の母は、原爆に被爆しながらも92歳まで生きてくれましたが、晩年の3年間くらいは完全に認知症になっていました。我家に来ても「あなたは、私の娘ですか、それともお嫁さんですか?」と尋ねるほどでした。それ以前は、小学生のような日記をかなり長い間、書いていましたが、書かなくなってしまってから、急速に認知症が進んだように思います。

このような楽しい治療法があったら、母ももう少し認知症の進行が遅かったかも知れないと思ったことでした。
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by eastwatery | 2008-04-17 20:54  

日本人の考え方(4月16日)

日本人の考え方(4月16日)

『AERA』(No.17)「平成雑記帳」に作家の高村薫さんが、このところ話題となったガソリンの暫定税率について書いています。その中での一文では「ガソリン価格が一時的に25円下がっただけで、私たちはそんなにハッピーか。さあドライブだ、レジャーだ、買い物だと、安くなったガソリンを使いまくる」と書き、いかに日本人の生活が本当に支離滅裂になってしまったことを嘆いておられます。

たとえば「あるときは環境に優しい製品を選ぶことにこころ砕き、あるときは電気やガスなどのエネルギーの節約に血道を挙げ、あるときは美味や珍味を求めて地球の裏側から食材を輸入し、ある時は、生活の必需品だといって下駄代わりに車を乗りまわす。・・・・」と。

この一文は日本人の一人の私としては、まさに日本人のいい加減さを鋭く指摘していることにドキッとしました。私は通勤のために車を使ってはいますが、下駄代わりにするということはありませんし、美味や珍味を求めるということもなく、むしろ安全で安価な食品を買い、料理を楽しんでいます。それでも、矛盾した、その時その時のいい加減さはあると思いました。と同時に約30年前に2年間居住したニュージーランド(NZ)の人たちの「何を大事にして生きるか」という考え方・価値観と地道な生活を思い出しました。

NZの街中には、(1昨年28年ぶりにNZを訪れた時もそうですが)日本のようにブランド商品は溢れていません。そういうお店も見ることはありません。日本では、特にバッグなど流行のブランドバッグなどは、親掛かりの大学生などでも多くの人が持っているし、服装も私などよりはるかに高級なものを着ています。また、中高年の人たちも、『生活が大変だ』と言いつつも同じような傾向があります。では、若い人たちの所帯は?

彼らの子どもたちは、驚くような価格の「ミキハウス」の服を着ています。よく言われることにそういうブランドの子供服は親にねだって買ってもらうとのこと。家賃なども親から援助を受けこぎれいなマンションに住んでいるとのこと。過日、ラジオで「日本人の自立は何歳だろうか?50歳になってもその親から金銭的な援助を受けている人が50%いる」といっているのを聞き、若い人たちだけではなく、50歳になってもその親を頼るような「幼い日本人」の生活に驚きました。

では、NZは?彼らの生活はとても質素です。自分たちが着る服は、パターンソーイングを使って自分でつくります。パーティーがたびたびありますが、そのような時に着ていくときのドレッシーな服でも自分で縫います。布地は安く、素敵ですから、その色、スタイルなどを考慮して自分に似合う服を作れば、安価で素敵な服を着ることができます。私も彼の地に住んでいる時は、ロングドレスであっても、もっぱらパターンソーイングで、服を作っていました。未だにその頃のスカートを着ています。

また、パーティーに招待されても、日本のように○○のブランドの高価なお菓子などを手土産に持っていくのではなく、自分で焼いたケーキや庭にある花をこぎれいな紙にに包んで持っていきます。迎える側も、「お客様だから・・」といって豪華な料理を何皿も食べきれないほど作るのではなく、それは二の次にして、いろいろな話題をテーマにおしゃべりを楽しみます。その代わり、人と人との関係をとても大事にしています。

日本と大きな違いは、医療費はタダということ。(もちろん、そのためには、消費税などは高いですが・・・)。また、生活の必需品である電気、水、ガス、食べ物の材料、などははるかに安いのです。但し、ぜいたく品や輸入品を買ったり、外食をすると高く、とにかく地道な生活をしていれば、生きていけるようになっています。果物なども、ちょっと車で郊外に行けば、大小入り混じり、多少カタチのいびつな果物などが箱に入って安い値段で売られています。何でもまっすぐ、カタチもよく手をかけた高い価格の日本のそれとは、大きな違いがあります。味は良いのですから、形などにとらわれないNZ風で良いのです。

道路にしても全体的によく整備されており、高速道路は何キロ走ってもタダですが、田舎の交通量の少ないところでは、橋は車一台が通れるような、狭い橋となっており、対面方向から来る車があるときは、それが通り過ぎるまで待っているという所が時々あります。要するに、生活に絶対的に必要なところには、お金をかけるが、そうでなければ、自分たちで多少不便があっても生活できればいい、という潔い生き方が人々の生き方の中にあるからです.

世界のどこかの国で災害があれば、翌日にはあちこちで寄付をする場所が設けられ、国を越えた助け合いの精神も徹底しています。このように書いていくと、キリがないほど、私たち日本人が考え直さなければいけない部分が多くあることに気づきます。今日は、長くなったので、これでおしまいとしますが、続きはまた、後日書きたいと思います。
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by eastwatery | 2008-04-16 23:54  

春が来た我家の庭(4月13日)

最近時々、古川公園をウォーキングをして講演の木々や他所のお庭の草花や木々を見るにつけ、気づいたことがあります。おそらく私と同様、植物などに興味がある人は気づいていらっしゃることだとは思いますが・・・・。つまり、咲いている花々の数が多いこと、花の寿命が長いこと、一つの花のサイズが大きいことなどです。

今日のウォーキングでも、10日くらい前から咲き始めた桜並木が、まだまだお花見に耐えられるくらいの状態ですから、多くの若い世代の人たちが、グループで子どもをつれて、あちこちで花見弁当ならぬ、花見バーベキューをしていました。花見弁当が花見BQに変わっているのは、時代の流れですから違和感はなく、みんな和気藹々とアットホームな雰囲気の中でずいぶん楽しそうでした。桜と共に辺りには、新芽を一杯つけた黄緑が美しい柳の大木もあり、全てが、花一杯、緑一杯の感がある今年の春だと思いました。

昨日の午後、我が家の庭で苗を植え替えたり、花々の世話をする中で、ふと上を見上げて驚いたのは、ハナミズキ(ピンク)が、これまでにないほど多くの花をつけている上に、そのピンク色が濃い、ということでした。この木は、17年前に家を建て替えたときに親友がお祝いに贈ってくださったものです。庭の一隅にある桃の木も、ずいぶん前から木の幹全体を蔽うほど花をつけており、その状態がいつもの倍くらいの期間続いているのです。このように花の数が多いういうことは、草花で言えば、クリスマスローズ、ヴィオラ、パンジー、デージーなどもそうです。

さらに、ノースボール、カレンジュラなど、また、例年毀れ種で芽吹くことが少ないヴィオラまで、あちこちで芽を出し、びっしり生えているので、移植しなければいけないほどです。ベコニアはプランターに入れ、ナイロン袋をかけて冬越しをしたのですが、これらも7株くらい大きな株が冬越しをして花をつけ始めました。一番嬉しいのは、アオイ科の一種の、洋名アニソドンティア・マルバスロイデスは、「温度があれば周年」と書いてあるように、とうとう1年間、戸外で冬の間も桜のような淡いピンクの花を咲かせ続けてくれました(寒さが厳しい時には、夜だけ玄関内には入れましたが・・・・)。

今まで書いてきたことを総合的に考えてみると、(肥料などはいつもと変わらず施したのですが)冬の間が全般的に暖かかったこと、適当に雨が降ったことなどがあると思います。地球温暖化、天候不順などといわれますが、少なくとも今冬の気候は植物には過ごしやすかったのでしょう。ただ、我家の場合、いつもそうなのですが、シクラメン、サクラソウなどは、どうもダメなようです。他所のお宅が溢れんばかりに咲いたサクラソウのプランターを並べているのに、我家のサクラソウは、いつのまにか消えてしまったもの、生き残ってもやっと花をつけた感じのもので、今年の特徴のように、花がてんこ盛りという状態ではありません。シクラメンそうです。

この状態で気づいたことがあります。過保護だったのではないか、ということです。つまり、水のやり過ぎ。毎年同じことに気づき、園芸店で「水を控えるように・・・」といわれるのに、同じことを繰り返している私。私はこれらの花々との相性が悪いのだと思っていましたが、そうではなく、私がこれらに対する「過保護」から抜け出ていなかったということです。

ガーデニングは楽しいし、ストレス解消にもなり、私の趣味の一部になっていますが、「ただ、一生懸命世話をすればいい」というものでもなく、自分の性格の一部をみたようで「花との共存も難しいなぁ」と思った昨今でした。
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by eastwatery | 2008-04-13 15:29  

ウガンダのこと(4月10日)

今週は、ウィークディに2日休みがあります。3月が特に忙しかったので、しばしの休日を楽しんでいます。今日は「徹子の部屋」を観ました。今日の番組では、黒柳さんがユニセフ親善大使としてウガンダを訪れた様子を放映していました。

ウガンダは、アフリカ大陸にある国ですが、水を得るために子どもでも10kmの道を行かなければいならないほど、水不足の国です。しかもマラリヤの発生が多く、抵抗力のない子どもたちの死亡は非常に多いそうです。そうであっても、普通の家庭でも6、7人の子どもがいるのです。

実は、私たちはフォスタープランでフォスターピアレンツとして、ウガンダの一人の子どもリチャードを年間6万円で支えているのです。しかし、以前、プラン・ジャパンからのレポートで私たちのチャイルドがコミュニティから離れ、通信物が届けられない状況があるとの連絡が入りました。そして・・・暫く状況を見るので、3~4ヶ月家族状況がわからなければ、この子のチャイルド登録を終了との連絡が入りました。そして、半年後、彼らの行方がわかり、今また時々向こうから彼が描いた絵が來たり、私たちも手紙を出したりしています。(ウガンダの前はインドネシアの子どもでしたが、1昨年、彼が成長し、次にきたのが、ウガンダの子どもでした)。

ということで、私はウガンダの様子を知りたかったので、今日は家にいてよかったと思いました。

黒柳さんが訪れたある家族では、母親がトウモロコシからお酒を造って家計を支えており、やはり7人の子どもがいました。 そのうちの一人は、親をなくした1歳半の子どもです。彼女はその子を引き取り、育てているのでした。部屋の広さは4畳半くらいで、そこにベッドが一つ。小さい子どもたちはそのベッドで寝るのですが、少し大きくなった子どもは床に寝るとのことです。

黒柳さんが「どうして親をなくした子どもを引き取ったのですか?」と彼女に尋ねたら、「子どもには家族が必要だからです」と毅然とした態度で答えていました。彼女は、おそらく学校へも行っていないでしょうし、日本流に言えば無学かも知れません。

しかし、人間にとって一番大切なことが解かっており、それを大事にしているのです。お酒を売っても原価を引けば、僅かなお金しか彼女の元には残らないでしょう。それで、一家を支えていくのですから、自分の子どもを育てるだけでも大変なのに、人の子どもまで慈しんで育てているのです。

最近の日本においてウガンダと較べたら、はるかに贅沢な生活をしている人たちが、なぜ、子どもを絶食状態にしたり、殴り殺したり、虐待したりするのでしょうか? 人間として何を大事にして生きているのでしょうか?ウガンダでは、子どもは「社会の子ども」として、やっと食べていける状態の中で、愛情深く育てられているのです。ウガンダの人々は、多くの子どもが、伝染病などにかかったり、栄養不良などで、あっという間に幼い命を落としてしまうことを知っているからこそ、「生」の大切さを知っているからでしょうか?

この日本で、 「豊かさ」とは何なのか?」、 「人が生まれ、育つとは、育てるとは、どういうことか?」を考えて、子どもを産んで欲しいと思います。

「親が子どもを選んで生まれてくるのではなく、子どもが親を選んで生まれてくるのだ」と聴いたことがあります。

この言葉の意味は重いです。
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by eastwatery | 2008-04-10 22:22  

子どもは可愛い、そして遊びの天才(4月8日)

今日は、事務局へ行かない日です。朝は、天気がはっきりしなかったけれど、午後になって天気が安定してきたので、夫といつものウォーキングコースの古川公園へ行きました。行く途中で、4歳半くらいの男の子が、自転車に乗らないで一生懸命自転車を引っ張りながら歩いているのが気になり「どうしたの?大丈夫?」と尋ねてみました。

その子は、「だいじょうぶ、ボクこれからあそこの公園に行く」というのです。そういえば、ちょっと先に小さな公園があるのです。「あ、そう。じゃ気をつけてね」と言いながら通り過ぎようとしたら、微笑を返し、小さな手を振ってバイバイをしてくれました。その様子がとっても可愛く、ちょっと少年らしさもあって、私はとてもハッピーになりました。そして、公園に着いたら、今度は、4年生くらいの4人くらいの女の子が、爽やかな笑顔で「コンニチワー」とそろって挨拶をしてくれました。大人が心を開いていたら、子どもは安心した声を掛けてくれるのだと感動しました。

古川公園では、ボツボツ桜並木の花々が散り始めているようでしたが、川にはいつものように
マガモが親子揃ってスイスイと気持良さそうに泳いでいました。その様子を立ち止まって眺めなたら、下流に下って行ったら、今度は新4年生くらいの男の子10人ばかりが芝生の斜面でダンボールをお尻の下に敷いて、思いっきりかなり角度のある斜面を勢いよく滑っていました。

ここでも、その様子を見ていると一人ひとり、その子らしく個性があって面白いのです。ダンボールの使い方もいろいろです。かなり滑った後らしく、ボロボロになってしまったダンボールでも斜めにしたり、その端を使ったりしながら、滑っていく子。細く長いダンボールを縦に使って、ものすごいスピードで滑っていく子。すごいのは、私の予想を超えて、ダンボールの上に立ち、恐れる様子もなく、何度転んでもチャレンジする子。「頼もしいなぁ。逞しいなぁ」と思いました。

それから、暫く歩いていたら、今度は土手の下にある自転車を土手の上に一人で引っ張り上げようと何度も挑戦している二人の男の子に出会いました。初めは一人ずつで自分の自転車を引っ張っていましたが、ダメだと解かると今度は、二人で力を合わせながら、やっとのことで土手の上まで上げることができました。いいなぁ!

最近の子どもといえば、室内でゲーム、マンガ、携帯電話をしているなど集団で遊ぶということがなくなっている、といわれます。でも、本来は、こうして自然の中で自分を解放して集団で楽しく草まみれ、泥まみれになって遊ぶのが一番楽しいのではないかと思いました。

そして、その環境を作り与えるのが大人の役割ではないか、と思いました。古川公園は、ボランティアの人たちが常に整備をしてくださり、ゴミのない公園にしてくださっているし、マガモは全然人間を恐れていません。これも何人もの大人や子どもがときどきパンの耳を与えているからです。マガモに石をな投げたり、いじめる人は見たことがありません。だからか、いろいろな鳥も訪れています。この環境を守っていくのが大人の役割であり、子どもたちへのプレゼントだと思いました。
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by eastwatery | 2008-04-08 22:08