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明日から新年度(3月31日)

昨年の10月中旬から今日まで協議会の仕事をする中で、今までに感じたことがない「自己否定」の日々が続き、ずいぶん苦しい日々でした。多分、私には適していない仕事をしてきたからかもしれません。

私が若ければ、新たな仕事に対して苦しくてもチャレンジをしようという強い意思・意志とバイタリティーで、今回ほど自分を苦しめないできたと思うのです。この仕事をするまで、今までのイメージから「仕事をする」のは「楽しいこと」と同意語でした。仕事の中で自分の年齢を感じたこともありませんでした。「なんで、こうなんだろう」と思う中で、年齢を重ねるということは、「我慢ができなくなること」なのだと思いました。

そうは言っても、一人でやる仕事ではなく、一つのプロジェクトの中で役割を担っているのですから安易に辞めるわけにもいきませんでした。「辞めよう」「いや、がんばろう」という、繰り返しの中で年度末の今日を迎えました。

今日、事務局で明日から仕事のスケジュールや必要なことを書く新しいノートの表紙に「NO.3、2008年4月1日~」と書き入れ、新たな気持になりました。明日から始まる2年目の事業。1年目以上に多くの学習支援事業が実施される予定です。これから始まる新たな1年間。

いろいろあるかもしれませんが、「自己否定」をせず、少しでも自分が成長していけるような取り組みをしていきたいと、心を新たにしました。これまで、ブログを訪れてくださる皆さんに心温まるコメントをいただいたり、励ましていただいたりしました。有難うございました。

もう、大丈夫だと思います。今までよりちょっと成長する自分になります!
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by eastwatery | 2008-03-31 23:58  

でき婚(3月30日)

妊娠した状態で結婚式を挙げたり、婚姻届を出すのが「できちゃった婚」です、省略して「でき婚」。厚生労働省によると「でき婚」による出生の割り合いは、2000年で26.3%。1980年の12.6%からは倍増となっています。特に15~19歳で80%、20~24歳では60%占めているのです。

「でき婚」については、芸能人の間で相次ぎ、社会現象にもなっています。また、「でき婚」がテーマのテレビドラマも作られました。今では「でき婚」についての違和感がないような社会状況にもなってきました。しかし、夫婦・家族問題恩サルタントの池内ひろ美さんによると、多くの夫婦関係の相談を受ける中で、「でき婚」は別れに至る可能性が高い、という確かな実感があるそうです。

理由は一つ。赤ちゃんを育てることに全力を挙げる余り、夫婦の絆を結ぶのがおろそかになりがちになるのです。妊娠はお目出度く、「でき婚」は赤ちゃんが生まれれば赤ちゃん中心に生活が回るようになります。夫婦互いが何を好み、どんな生活を送るかという価値観のすり合わせの前に、主役として赤ちゃんが登場する訳ですから、これでは夫婦の絆を結びにくいのは当然です。その結果、結局離婚につながっていくというわけです。

これは、「でき婚」を夫婦の関係から考えた場合ですが、「でき婚」は赤ちゃんの立場では、考えられていないと思います。というのは、「結婚をしないうちに赤ちゃんができてしまったはから、(仕方がないから)結婚しよう」というニュアンスが「でき婚」にはあるからです。全ての「でき婚」カップルがそうではないと思いますが、子どもをなかなか授からなかった私から言えば、「でき婚」は、生まれてくる子どもに対して、非常に失礼だと思うのです。

私が夫婦としての子どもを持ちたいと思うときの考え方としては、二人の生活が落ち着きお互いを理解でき、お互いの家庭観や将来のことなどを話し合った上で、子どもを迎える準備ができてから、二人で子どもを欲しいと思ったときが、子どもを授かる時期だと思うからです。よく赤ちゃんのことを『二人の愛の結晶』と言いますが、それはロマンティックであっても、まさにそうなのだと思うのです。

私は息子を授かるまでに20年かかりましたが、不妊治療の中でお医者様がおっしゃったことは、二人の間に7つの関門があり、そのうちの一つでもOKにならなければ妊娠には至らない、ということでした。「でき婚」した人から見れば、「そんなことはない!」と思われるかもしれませんが、実際にそうなのです。私が不妊治療をしているときに、最後に妊娠までに行かず、諦めた人も多くいらっしゃいました。

そう考えると「妊娠し、出産し、子どもが成長する」というのは、私にとっては、子どもの一人ひとりの誕生は奇跡にしか思えません。最近、若い夫婦による赤ちゃんや幼児に対する虐待が多く、そのことが時々新聞に掲載されています。妊娠した時点で、すでに一人の命なのです。そして、子宮内で日々成長しやっと社会に出てきた子ども。大事に育てて欲しいです。
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by eastwatery | 2008-03-30 20:53  

「the present」(3月29日)

今日の中国新聞朝刊の「広場」欄(投書欄)に高校生のKくんからの投稿が掲載されていました。彼は、最近「the present」という本を読み、題名どおり素晴らしいプレセントをもらったという気がしている、と書いています。

「the present」には、「現在」と「贈り物」という二つの意味があり、この言葉どおり、現在は私たち一人ひとりへの贈り物かも知れないのです。人々には、誰にでも過去と未来があります。しかし、えてして人々は未来には、どのようなことが起こるのか、一抹の不安を感じやすいのです。

かって、私も自分自身の将来を考えたとき、「よき未来」をイメージすることができず、自信がなくなって、ある人に相談したことがありました。その方は、こう言ってくださったのです。「今を、とにかく一生懸命生きること。後悔しないように、自分が納得できる生き方をすること。そうすれば、あなたの今の生き方が未来へつながるのだから、未来に不安を感じることはない」と。そのとき、「そうなんだ」と、その考え方を何の疑いもなく、納得できました。

投稿者のKくんは、この本を読んで気づいたことがあると言います。「ボクは過去を後悔し、同じ間違いを繰り返してきました。後悔するだけで終わっていたから、どんなに考えてもはっきりしない未来に不安を感じているのだ」と。さらに彼は、自分自身が過去と未来を含めて「今」を生きていることに気づいたのです。そして、今を大切にしなければいけない、自分の1分1秒をおろそかにしてはいけない。それだけでなく、今周りにいる人たちを尊重し、環境を損なわないように気をつけることがいかに大切か・・・・・そして、人々が「今を大切にしたら」世界はどれだけ良くなるのだろうか、と投稿を通して人々に投げかけています。

彼は今17歳。この年齢で自分自身の事に気づくだけでなく、もっと多くの人が「the present」の本当の意味を知れば、どれだけ世の中が良い方向に向かうか、ということまで考え、投稿を通して人々に投げかけるという、深く広い視点を持っています。この投稿を読んで、その当時の私が、いかに自分の生き方から展開して社会的視点をもって物事を考えていないか、痛感し、恥ずかしく思いました。

世界の人々が「現在は世界の、人一人ひとりへの贈り物」と考えれば、環境問題や戦争は起こるはずはないのです。私たちは、もっと謙虚に現在の自分の生活を考え、未来へつながる生き方をしていくことが必要なのだ、と思ったことでした。
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by eastwatery | 2008-03-29 21:15  

やっと、お休みすることができました(3月28日)

テレビを観ていると東京から桜が満開の映像が届けられ、まさに春爛漫の日々となりました。
広島は2日前に開花宣言が出たので、満開は数日後と思われます。

講座修了生のサポート、報告書の作成に続いて文科省への今年度の報告書作成・来年度の事業報告書の作成と、怒涛のように仕事が押し寄せ、土、日曜日には関係なくアップアップの毎日を送っていましたが、やっと今年度作成すべきものが全て済み、今日1日お休みをすることができました(というものの、自宅に何度も教授や事務局員から電話があり、結局夕方まで仕事をしてしまったのですが・・・・)。

これからは、来年度の事業に向けての作業が始まります。4月からの次年度では、本年度より、もう少し人間力をつけていき、人とのコミュにケーションがスムーズにいき、事務的な作業においても効率的にしていきたいと思っています。しかし、私はデジタルではなく、アナログ人間なので、どうも合理的とか効率的とかという言葉が似合わないのです。ついつい、義理堅くなったり、感情にほだされたりする傾向があるので、本当はビジネスの世界には適していない人間だと自分でも、よくわかっています。だから、人に「お人好しだから・・・・・」といわれることがあるのです。

ビジネスライクに仕事をこなしていくには、本当は「人情、義理」はあまり必要ないのかもしれません。この感情的な部分は、実母の生き方をふり返ってみれば、思い当たることが多くあり、言い訳に過ぎないかも知れませんが、これはDNAの中に組み込まれているようにも思います。

ただ、この仕事をしてみて、アナログ人間の私として人との関係をつくってきたことに助けられた部分が多くあります。たとえば、修了生のフォローアップ講座を早く立ち上げたいと思っているとき、「日本女性会議2007ひろしま」で共に活動してきた人、相談員の会でリードをしてきた人が、私のこれまでの行動とこの事業にかける思いを理解してくれて、いろいろアイディアを出し、ついに講座についてフォローアップして下さったのです。もちろん、私だけ、この事業だけのメリットではなく、友人の仕事にもプラスになっていることもあるのですが、年度末で忙しくなかなかアイディアが浮かばなかった私の状況の中で、この二人の何気ないサポートは本当にありがたく思いました。

3月31日で今年度の事業は終了しますが、来年度は事業数も増え、一段と忙しくなることは解かっています。これまでこのままでは、自分がつぶれてしまうと、何度も辞職することを考えてきました。しかし、それでは逃げることになる、そういうことは今までしたことがないのだから・・・・、でも辞めたい、その思いがぐるぐる回ったこともありました。

でも、もう大丈夫。来年度もいろいろあると思いますが、悩みながらも再チャレンジ事業に私自身がチャレンジして行きたいと思っています。
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by eastwatery | 2008-03-28 21:46  

昭和30年代~50年代は希望があった(3月26日)

このところ立て続けに意味もなく、ただ「人を殺してみたかった」という理由だけで、見知らぬ人を殺傷する事件が相次いでいます。
日本は、どうしてこのような国になってしまったんだろう、と悲しくなってきます。同じ日本国民として、また、私の人生66年の中でこれほど不安な時代は、これまでになかったと思います。

原爆で父を失い、その日暮らしの中でも母ときょうだいで、ちょっとの物でも分け合い、支え合って、暮らして来ました。貧しかったけれど、みんな似たり寄ったり、(たまにか金持ちがいましたが)格差もそれほど大きくなく、近所でも肩を寄せ合って生きてきたように思います。それでも将来に対して、不安感や孤立感を感じることはありませんでした。小学校では、1クラス50人くらいで、先生も大変だったと思いますが、受験地獄もなく、のんびりとした学校生活を送りました。障がい者の人たちも同じクラスで、みんなが面倒を見ながら勉強しました。少しは、いじめもあったかもしれませんが、私の記憶の中には、そういう場面はありません。

今日、TVで「昭和の名曲」ということで、昭和40年代~50年代の歌謡曲、ニューミュージック、フォークソングなどを放映していました。画面に出るスーパーの歌詞を見つつ、懐かしいメロディーを聴きながら、夫二人でその頃の人生をふり返りました。

私たちの結婚は1962年(昭和37年)です。その頃は、広島に新幹線もなかった時代です。夫は、結婚前に小さいけれど,家を建てていたので、結婚生活は少ない給料の中で,まずローンを払い夫の母との3人家族で節約をしながら生活しても給料前には500円足らずしか財布にお金がありませんでした。
それでも、閉塞感も不安感もなく、もっと給料が欲しいとも思わず、1日1日を何とかなると思いながら、平穏な生活をしていました。給料が出ると月掛けの貯金をし、その僅かの貯金が増えるのを楽しみにしていました。

ところが、今は、その頃とは比べ物にならないほどの貯金がありながらも、刻々と変わるとiうか、刻々と不安感が大きくなる社会状況の中で、「これからどうなるのだろう」という、モヤモヤとして解決しようのない不安感を感じています。「なぜだろう?」と考えると、結婚した頃の日本は高度成長期で、どんどん日本が経済的に伸びていき、希望がありました。現在は、正社員は全雇用者の1/3とのことですが、その頃は、とにかく一生懸命生きていれば、必ず就職できる確信のようなものがあり、実際にそうでした。いわば「大きな希望が」があったのです。そのころは、「多くの人たちが貧しくてもみんなで助け合って、生きていこう。そうすれば、何とかなる」というような気持ちと人情が残っていました。

今の日本で一番なくなってしまったもの・・・・。それは「希望」です。希望がない国に住んでいる若者が将来を考えられず、格差がどんどん進んでいく国で、どうすれば豊かな心で生きていかれるのでしょうか?いつか読んだ雑誌にブータンは、国民幸福度というものがあり、それが少しでも高くなるように国王が考えていると書いてありました。現在の日本の国民幸福度はブータンのそれと較べて、どうでしょうか?

私は国民幸福度と経済の発展は反比例をしているように思います。日本が経済の発展に伴って失ったものがどれだけ大きいか、昨今の事件からそのことを痛感しています。
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by eastwatery | 2008-03-26 22:53  

『愛された』という実感が人を強くする(3月23日)

昨日、このテーマで書きかけてセーブをしたつもりができていなかったので、がっかりし、同じテーマで書くのを辞めようと思いましたが、やはり書きたいテーマなので書くことにします。

数日前、お笑いコンビ “きりん”の田村さんのこれまでの人生を書いた『ホームレス中学生』の本に書かれたことをテーマとしてTV番組がありました。彼は、その本の題名どおり中学生のときに1ヶ月余り、ホームレスとなって公園の滑り台で日々を送りました。母親の死後、父親はガンとなり会社を解雇され、あっという間にきょうだい3人と両親がいた幸せな家庭は、崩壊してしまいました。父親は、ある日突然3人の子どもたち「今日から解散」といって家を出て行きました。

田村さんは3人きょうだいの末っ子でした。上のきょうだいは自分たちでアルバイトをしながら、何とか生きる道へ進んだのですが、彼は二人のきょうだいに迷惑をかけることをすまなく思い、公園でのホームレス生活を選んだのでした。彼の母親は、末っ子の彼をこれ以上ないほど、可愛がって育ててくれました。小学生の時に1度友達にそそのかされて万引きをしたときにはひどく
叱られましたが、それ以外はいつも母親の精一杯の愛情を受けて成長してきました。

父親ともきょうだいとも別れて、公園の滑り台で過ごす生活では、少しばかりのお金もすぐになくなり、空腹に耐えかねて雑草を食べたりもしました。そして・・・ついにどうにもならなくなってコンビニに行き、あまりの空腹で菓子パンに手を出そうとしました。まさに取ろうとしているときに彼は自分が万引きをした時に母にきつく叱られながらも、その後十分に抱きしめてもらったことが頭をかすめ、「こんなことをしたら、どんなに母親が悲しむだろうか」と思い、万引きしかけた手を引っ込め、何事もなかったのでした。

また、時には滑り台で眠りながら、寂しくても母親の温かさを思い出したり、母親との思い出を手繰りながら日々を過ごしていたのでした。そういう中で、ある日旧友が彼の姿を見つけてくれ「どうしてここにいるのか?」と尋ねてくれたので思い切って「もう何日も空腹ののままで、何か食べたい」と言ったら、級友は自分の家に連れて行ってくれ、家族ともども美味しい夕食を食べることができました。

彼のガツガツと食べる様子を見て、両親が「どういう理由があるのかを話してくれたら、私たちが援助するよ」といってくれ、そのまま居候のような形でその家にとどまることができました。
そのうち、ご近所の人たちが協力しアパート1室を借りてくれ、3人が一緒に住めるよう手配をしてくれました。もちろん、そのための費用は生活保護とアルバイトにより何とか生活できるようになりました。時には、近所の人が手作りのおかずを持ってきてくれたりしながら、何とか3人が力を合わせて生活できるようになったのでした。

それまで、彼は母親の死を受け入れていなかったので、自分が公園でただ一人生活しながらも
いつか母親に会えると思って生活していたことに気づきました。そのときは、「寂しい」という感情は持たなかったと田村さんは言います。母親と常に一緒という感覚だったようですが、きょうだいと一緒に生活するようになって、初めて母親の死を受け入れられるようになり、なんと公園での生活は寂しかったのだろうと思ったそうです。

しかし、彼はその後母親が死んだことを受け入れることによって、逆に生きる意欲がなくなり早く死んで母親に会いたいと思うようになったそうです。そういう彼の生命の危機に気づいた担任の先生から「田村くんはみんなに愛されているし、先生も田村くんが大好きです。田村くんがクラスのみんなから愛され、みんなの世話をしている田村くんは素晴らしいと思う」という内容の手紙を彼に出しました。それが契機となって、彼は一変し「強く生きていこう」と思うようになり、お笑いの道へ進んだのです。

このような田村さんの話を聴き、中学生がたった一人で1ヶ月余りもホームレス生活をしていたことを思うとなんと彼は逞しく成長していたのだろうと思いました。と同時に、「今日から解散」といって家を出た父親を恨むこともせず、本来の明るさ純粋さ、素直さで周囲のみんなに愛されながらこれまでも生活をしてきているのです。

私は、その原点は彼が、幼いときから母親に精一杯愛されたことにあると思うのです。そのことにより、彼の中に無意識のうちに自分の人生が母親に守られている、母親と共に歩んでいるという感覚があり、寂しさを感じることもなく、何とか生きていかれたのだと思いました。その後、自分生きる意味を見出せないときに、担任の先生により「自分の生きる意味」に気づいたことも、その根底に幼いときから愛された実感があったからだと思います。彼は言います。「担任の先生の手紙がなければ、今の自分はいない」・・・と。一人でもいいのです。本当に自分が誰かに愛されていると実感できれば、生きることに対して意欲が出てきて、少々の困難も乗り越えていけるのだと思いました。
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by eastwatery | 2008-03-23 20:55  

料理は誰のために(3月20日)

今日は「春分の日」で勤務先には行かず1日中家で仕事をしていました。しかし、事務局と違って時々したいことをしながら仕事ができるので、疲れることはありません。

私は、いくら忙しくても自分で料理をすることが好きで、冷凍食品やインスタント物、レトルト食品はほとんど使っていません(以前、子どもが通学していたときには、弁当のおかずの品数を多くするために時々冷凍食品を使っていましたが・・・・)。

私にとって料理はストレス解消になるのです。大学院2年のとき睡眠不足の中で修士論文を書いているときも、料理をすることで気分転換になり、ストレスも解消していました。このように言うと、どんなメニューで、どんなにご馳走を作るのか、と思われると思いますが、ごくごく普通の日常食を作っているのです。

過日新聞を読んでいると、ある漫画家の方が「料理はだれのために作るのか?」というテーマでエッセイを書いておられました。その内容が、いつも私が思っていることと同じだったので、なんだかとても安心したことを覚えています。彼も料理をすることが大好きで、とうとう料理漫画まで描いた人です。彼いわく「料理は人のために作るから、楽しい。自分が作った料理を美味しそうに食べてくれる人がいて、初めて料理を作ってよかったと思う。そして・・・・その人が満面の笑みを浮かべて『美味しい!』といってくれたら、最高!」とのこと。

そうなんです。今日は、いつもより時間があるので、昼食も夕食も、ついつい品数が多くなってしまって夫から「美味しいけど、こんなに食べ切れない」といわれてしまいました。夫だけでなく私も食べ切れませんでした。一つひとつの量は少ないのですが、やはり年齢には勝てません。いつの間にか、食べる量が決まってしまって、そう存分には食べられなくなっていることに気づきました。

しかし、時々我家を訪れる息子から「お母さんの料理にはいくつか売れるものがあるよ」とお世辞(?)を言われると、「料理してよかった!」と思うのです。だから、冷蔵庫の中には、息子の好きな料理ができるよう、いくつかの食材が大抵準備してあります。でも、これが私一人だったたら、自分のためにだけ料理をしようとは思わないでしょう。漫画家の方がおっしゃっていたように、やはり料理は誰かのために作り、喜んでもらうことが最高なのです。

だから、友人が来ても必ずしゃべりながら大雑把な性格丸出しで、あっという間にある食材で昼食を作ることが好きです。「もうできたの?すごい!」という言葉が好きなのです。私の料理は「安くて、早くて、美味しい」を目指していて、喜んでもらうことが一番です。

最近、私が仕事で帰宅が遅いときには、夫が料理をしてくれているときがあります。まだメニューの数は少ないのですが、夫も最近は「人のために料理をする喜び」を感じるようななったようです。私はまだ、満面の笑みまではいきませんが、「なかなか、いい味ね。美味しいよ」といっているので、もう少し努力して満面の笑みでいえるようになろうと思っています。
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by eastwatery | 2008-03-20 21:48  

介護について(3月18日)

今日は、珍しく1日休みの日です。文科省の委託事業のため、私が勤務する時間は限られております。これまで、その限定時間以上に務めてきたので、年度末になって調整しなければいけなくなり、今日は強制的に1日休日となりました。(とはいえ、勤務先が大学内から自宅へと変更しただけで、朝から順調(?)に働いています)。でも、ここでちょっと休憩です。

先週、出張で上京する車内で、朝日新聞を読んだとき心を温まる記事がいくつかあり、早速
常時ハンドバッグに入れている、小さなハサミでその記事などを切り抜きました。今日は、そのうちの一つを紹介したいと思います。

広島県在住の79歳女性のSさんが「ひととき」に投稿された文章です。
Sさんは、毎月1回福祉センー内の高齢者の集いに参加しているとのこと。過日は、認知症高齢者の介護を経験した中高年の女性10人を迎えて話を聴かれたそうです。どの方も淡々とした態度で愚痴一つもらさなかったけれど、毎日が修羅の繰り返しだったことは容易に窺い知れたとのこと。

中でも、母親が95歳で亡くなるまで介護を続けてきた方が「この人は、生きることが使命で、毎日その仕事をしているのだ」と思いながら母親と向き合っていたいという話は心に残っている、とSさんは言います。この後は、会員からも次々と「祖父母から夫まで、私は介護のために生まれてきたのかと思った」「何人もの老人をみとって、60過ぎた今が人生で一番楽しい」などと、語られたとのこと。

このような思いは、愛情に支えられているとはいえ、今の日本社会では家族、特に女性たちの献身と忍耐が果てしなく続くのではないかと思います。日本社会が徐々には変わっているとはいえ、介護をしている女性たちが並大抵ではない苦労をしていることは窺い知れます。

私の場合は、夫の母、私の叔母、夫の姉、の介護をし、その時間に長短はありましたが、下の世話も含めて最後まで看取りました。実母の場合は、実弟が母と共に住んでくれていたので、義妹にずいぶんお世話になりました。実母が時々我家に泊まりに来ていましたが、年毎に認知症も進み、私に「あなたはお嫁さんですか、娘ですか」と言うようになり、いろいろトラブルもありました。でも、私の方は常時ではないので、義妹には30年も母の世話をしてただき感謝しています。

上述の3人の介護については、まだ私が若く、介護保険もない頃でした。だから、全部一人で介護をしましたが、今思えば、それほど長期間ではなかったことと、若かったゆえに、ただ一生懸命何も考えずに介護をできたのだと思います。今だったら、体力も追いつかず愚痴もいろいろ出ていると思います。

私の親友がある日、長文の手紙をくれました。彼女は認知症になった姑の介護を続けており、その限界を感じ、たまらなくなって私に自分の気持を吐き出したのだと思います。読んでいても、彼女が良心を尽くしながら介護をしていることは、彼女の人柄から言って十分に分かります。もう今から十数年前です。、私は彼女にどうヘルプしたらいいのか分からず、ただ、自分の気持を尽くして手紙を書き、速達で返信したことだけを憶えています。しかし、それがどのような内容のものだったか全く憶えていませんが、彼女の手紙はそのまま残しています。

その後、彼女の姑さんが亡くなったある日のこと、私が彼女にこの手紙のことについて尋ねたら、彼女は私に長文の手紙を出したことをすっかり忘れていました。それほど、彼女にとっては辛い状況だったことが分かります。同時に彼女が忘れていることは、私が書いたことで少しその時の気持の整理がついたのか、と思ったことでした。

このような女性たちを支えるために介護保険はあるのだと思いますが、どの程度活用されているのでしょうか?介護保険ができたときに亀山静香代議士がいった言葉を、私は忘れることができません。「介護保険ができたら嫁が親を介護するという日本の美風が消える」。彼は本気で、こう言ったのです。そう思う前に1週間でもいいから、寝たきりの人、認知症の人の介護をして欲しいと思います。こういう国会議員がいる限り、女性が本当の意味で活用できる機能を持った介護保険はできないのではないでしょうか。
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by eastwatery | 2008-03-18 17:00  

テストで測れない力の育成を(3月15日&16日)

仕事で立川市、日野市への出張を終え、来年度の事業計画に向けて。多くのヒントやアイディアをいただくことができました。現在計画している事業計画にも少し肉付けができると思いますが、それは同時に新たな忙しさへの序章ともなります。

出張手段は、「新幹線のビジネスパック」。「飛行機のビジネスパック」より多少は時間がかかり、価格設定が高めですが、安全性、利便性から考えると断然新幹線利用の方が安心できます。時間がかかる分は、列車の中での読書です。誰にも何にも邪魔されず・・・・新聞、本、報告書など存分に読むことができます。今回は朝日新聞を広島駅で買い3つの書きたいテーマを見つけ、常に持参している小さなハサミで、その部分を切り取って帰りました。

今日はそのうちの一つのトピックスについて書いてみたいと思います。執筆者は、元鳴門教育大学教授橋本暢夫さんです。掲載されている写真と肩書きを見て、更にその内容を読んで記憶が蘇り、気づいたことがありました。この方は、私が卒業した高校の国語の教師をしていた人でした。
優しい語り口と穏やかな表情で国語の面白さ伝えてくださった、真面目な先生でした。今、思えば彼はその頃広島大学の大学院生であり、非常勤講師だったと思います。50年近い前の先生とこうして新聞紙上でお会いできるとは・・・と嬉しく思いながら「私の視点」という欄の記事を読みました。

まず、先生は、このたび「学校指導要領」がまた改められることに大きな危惧を抱いておられることを書いておられました。なぜかといえば、文科省は前回の改定から今日までの成果・課題を検証しないままで、低下した学力を補うために授業時間を増やそうとしているからです。今回の騒動のもとになったのは経済協力開発機構(OECD)の学力調査で「読解・応用力」の順位が低下したからということ。

先生は、たとえば「読解力」は文章を読んで筆者の考えについて読み手が「私はこのように考える」と自己にひきつけて深め考える能力を指しているのだと言います。今話題となっている学力は、テストで測ることのできる力と、測ることのできない力があるのだから、授業時間や対策としてのドリルを増やしても「読解・応用力」は向上しないと言っておられます。

身近な「ことばの力」を取り上げてみても「話す力」「書く力」もテストにはなじまないとのこと。学力の基本は社会生活にもっとも大切な「聞く力」もテストで測ることはできません。民主社会を支えている力は「話し合う力」であり、これは「聞く力」によって成り立っているのです。
だから・・・・・民主社会における教育の重点は、「聞く力」を育てるために、子どもたちをひきつける話、頭脳を明晰にする話し方におかれなければいけないということです。その例として独創的な国語教育を実践した教師として有名な大村はま先生の教育を挙げてあります。

(ここまで書いて、眠ってしまいました。3月16日午後10時半の今、続きを書きます)。

大村先生は、「聞く力」を高め、一人ひとりに即した「てびき」で主体的に自己の考えを育て、『自己の課題』を見つめさる教室を営んでこられたそうです。たとえば、民話「白兎」では①大国主命はどんな人柄か、②私たちの祖先はどんな人を理想の人と考えたか、③祖先の考えた理想の人と、私の考える理想の人は・・・・と視点を転換させ「話し合う」ことで考えを深めさせていく。この第3段階を設定することで、学習を知識で終わらせることなく、学力の質が高められていくのです。橋本先生は、20世紀の課題を克服してきた大村はまの実践に学ぶことが今、求めれていると言います。そして、教育は国家のためにあるのではなく、学習者一人ひとりに社会的存在としての自己を確立させる営みであるといわれています。

国際学力調査の順位ばかりに目がいっていては、日本の子ども達は「真の学力」をつけることも、人格の形成も危ういといっておられます。また、国際人として生きていく基礎力を養うためには、他との競争させるのではなく、一人ひとりの考えを育て、常に「自己の課題」を見つめさせる教室・場が求められるといっておられます。そして・・・最後にそのためには、教職にある人・保護者・社会人、全ての人の自己確立と教育への広い視野が欠かせないと結んでおられます。

私は、このような橋本先生の結びで、「自己の課題」をみつけることの大切さをいい、子どもの教育だけを考えるのではなく生涯学習の視点で、すべての人の「自己確立と教育への広い視野」を求めていらっしゃることに対して納得し、感動して読みました。
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by eastwatery | 2008-03-15 22:57  

「キャリア教育」は「生きる力を身につける教育」(3月9日)


中国新聞の朝刊に、ある中学校の教頭であるU先生が“「生きる力」まずはあいさつ”と題して
エッセイを書いておられました。私が今、仕事としていることも再チャレンジをして、再び第一歩を踏み出す学習支援事業(キャリア教育の分野)をしているので、このエッセイを興味深く読みました。

U先生は、最近「職業」というと「キャリア教育」と結び付けられ、「職業に関する教育」と捉えられがちであるが、もっと広い意味があり、それを「生きる力」を身につける教育だと受け止めているとのこと。

進路指導をするときにまず子どもたちが身につけなければならない能力は、4つあり、そのうちのの一つは、人間関係能力ということです。それは『有難う』、『ごめんね』。『だいじょいうぶ?』といえることであり、これは躾ではなく、能力だとのこと。すなわち「生きる力」であり、それは、体験や訓練をしながら身につけさせる必要があるのだそうです。このことは「挨拶はこころではなく、能力だ」というのは、今までの概念から言えば、新しい考え方です。

先ごろ私どもの協議会で3回にわたって「メンター養成講座」をしましたが、これもまず「人間関係形成能力」の養成から始めました。まず自己理解、そして次に他者理解をして、そこから人とコミュニケーションをする能力が育つのです。そのコミュニケーションは自分にも相手にも「心地よい」という実感を持つようになるのが重要なのです。

私たち大人がまず、家庭で、地域でごく自然に『気持ちよく挨拶ができる、コミュニケーションがきる』雰囲気を作っていくことが、子どもたちもごく自然に気持ちよく人との関係をつくって行くことができることにつながるのだと思います。これはまさに社会全体による「キャリア教育」の実践なのです
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by eastwatery | 2008-03-09 20:47