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シンポジウムが済みました((2月24日)

昨日は、午後1時から開催されるシンポジウムの準備で朝から出かけていきました。このシンポについては、以前にもブログで紹介しましたが、それが昨日、本番を迎えたのでした。

この日を迎えるまでには、企画、広報に始まり、広報後はファックスや電話で受講を申込みを受け、それに従って名簿を作成したり「参加証」を送るなど、きりがないほどのやるべきことがありました。これらのことを、この種の仕事をやりなれているスタッフが中心となって、手分けをしながら準備をしてきました。広報については、フリーペーパー、地元の新聞、TV局との交渉などをして、これらは、全て広報してくださいました。広報をお願いするときには日頃マスコミの人たちとどう付き合っておくか、相手の取材に対してこれまでいかに快く対応したかが鍵になります。
最終的には、募集人数230名に対して180名くらいの人が参加してくださり、まあまあの入りでした。

午後1時から始まり、会長、文科省のお役人のあいさつ、協議会のPRなどをして、その後は、事務局を支援してくださっている大学の二人の教授による「生涯学習から見たチャレンジ」と「キャリア教育から見たチャレンジ」の講義がありました。そして・・・いよいよメインのパネルディスカッションに移りましたテーマは「チャレンジ!私の新しいワーク&ライフスタイルづくり」で、40歳代~50歳代の女性4人のパネリストが、これまでの自分の経験やキャリアから実践発表を行いました。

パネリストの一人は、「提案型SOHOグループ」の代表で、専業主婦からSOHOを立ち上げて8人で仕事をしている人、次は「エンゼル・ネットワーク」というグループで難病の子どもたちの支援活動を25年間している人、3人目は、6年の専業主婦生活から徐々に仕事をし始め、今では多数のSOHOをまとめ、10年計画でクリエイティブな仕事をする人の場を作る活動をしている人、最後は幼児を含めて3人の子育てをしながら臨床心理士を目指して大学院で研究中の人(私が推薦した社会人大学院生)でした。

このパネルディスカッションは、かなり盛り上がり、会場からの質問も出て好評だったと思います。私は当日は来賓の方々の接待をしたのですが、シンポジウム終了後、文科省からの調整官の方が「パネリストの方々の話が素晴らしかったけれど、どのようにして人選をされたのですか?」と言ってくださいました。この人たちの人選は、大学の教授たち、事務局のスタッフのネットワークから選んだのですが、受講者の人たちに喜んでいただき、苦労が報われました。

帰宅したら、来てくれた友人たちからメールが入っていて、「パネリストの人の生き方から勇気をもらった、年代に関係なく自己実現ができることを知り自分の人生を考えたい」など、いろいろ
書いて下さっていました。現在の日本は「女性が元気」といわれていますが、今回のシンポをしてみて、自分が一旦立てた目標や計画に対して一筋に、まっしぐらに突き進んでいく特性があるように思いました。今回の4人がそうなのかもしれませんが、家庭も子育ても大事にしながら、
仕事をしていく大変さを仕事の充実感により、乗り越えていっているように思いました。
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by eastwatery | 2008-02-24 19:45  

我家の骨董品(?)(2月23日)

我家には、私が独自で骨董品(?)と思っているものが二つあります。
一つは、息子が誕生したときに飲ませた母乳を冷凍したもの20ccパック。
「冷凍パック?」と、よく意味のわからない人がおられるでしょうね。実は、この話は過去のブログで掲載しているので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
息子は現在25歳、私たちが結婚20年目に誕生した子どもです。諦めかけていたときに生まれた子どもですが、41歳での妊娠にもかかわらず悪阻もなく、流産の危機もなく出産を迎える予定でした。ところが、1ヶ月半早く早産となってしまいました。

にもかかわらず息子は、その日生まれたベビーちゃん7人の中では「体重が足らないだけで一番の元気な子ども」というのが未熟児センターの先生の言。1850gしかなかったので、もちろん2週間保育器のお世話になり、私が先に退院しました。出産の時には夫はヨーロッパへ出張中でしたが、誕生後4日目に帰国し、息子と対面。それ以後、夫は毎朝息子のため私の母乳を未熟児センターへ運ぶお父さんとなりました。病院の方針で、母乳を運ぶだけでなく必ず保育器の中の息子に話しかけスキンシップをするようにということで、これは企業戦士だった夫にとっては、毎朝この時間は、至福の時だったと思います。

お蔭で、息子は母乳でスクスクと育ち元気に成長しました。冷蔵庫を買い替えるたびに、やはり思い出深い母乳パック20ccを無にすることができなくて25年たった今も、冷凍庫の片隅でじっと出番を待っています。出番というのは、彼の結婚式になるでしょう。それはいつでしょうね?

もう一つの骨董品(?)は、蘭の一種のシンビジウムです。息子が誕生したときに友人がお祝いに一鉢のシンビジウムを贈ってくださったものです。シンビジウムは蘭の中でもいちばん育てやすい花だと思います。10年間は丁寧に世話し株分けをしていましたが、私が急がしくなってくるにつれ、世話も行き届かなくなり、申し訳ないと思いつつも枯れることなく今年で25年を迎えました。初めの頃は6本くらいの花を咲かせていたのですが、この数年間は1本か2本。昨年からより多忙になったので、目も手も行き届かなく、1本の花だけが咲いています。それも栄養不足か、「やっと咲いていますよ」という感じ。私は本当にこれらの花に対して申し訳ない気持ちで一杯です。株分けをした2鉢も、それぞれ1本ずつ花をつけています。まるで、1本でもいいから花を咲かせようと思ってがんばったように思える花です。健気です。

今年こそ、この花たちの世話をしなくては、「どげんかせんといかん!」と思っている私です。
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by eastwatery | 2008-02-23 08:06  

いい妻リセット宣言(2月18日)

中国新聞の「Dのページ」(団塊世代をテーマとした紙面)に“こだわり本”のコーナーがありますが、そこで面白い本が紹介してありました。本のタイトルは、『いい妻リセット宣言』(共同通信社)です。

少し前に「夫在宅ストレス症候群」という言葉が、あちこちで取り上げられていました。これは夫の定年後を憂鬱に感じストレスになって、妻の方に心身症的症状があることを言います。それを避けるためには、妻は家事に完璧を求めず良妻賢母から脱出し、夫に家事を負担させる・・・・・そんな妻たちへのエール本が、この本なのです。

夫が家事をやるようになるまでにはハードルがあると言います。「やる気がない」「わからない」「続かない」の3つが夫の側にあるとのこと。このことを夫に越えてもらうためには、話し合いはせず、ハードルは気づかせずに越えさせていくためのコツが、この本には書かれているということです。

子どもも成長し、やっと自分の生活を取り戻そうとするときに老親の介護をしたり、祖母力を発揮して孫の世話をしている熟年の妻たち。妻自身の残りの人生を豊かにするためにも夫の家事能力を高め、その一方でと外出力も高めて会社以外の世界へ夫を連れ出すことが大事だということです。

翻って、我家の状況を見ると、私は心ならずも長年専業主婦をしていました。その一方で夫は、日本の高度成長期を必死で支えた企業戦士でした。よく定年まで命があったものだと思うくらいの働き方をした人です。ところが、人生は面白いものです。

現在、私(66歳)は準フルタイム就業をし、夫(75歳)は、在宅で「主夫」をしています。もともと何でも器用にこなす人ですが、いちばん苦手な家事は料理です。この本に書かれているように、まさに「やる気がない」「わからない」「続かない」という人でした。しかし、それでも結構努力をしてくれて、今ではカレーは、ちょっとした味に仕上げられるようになりました。そこに到るまでには、カレーを作ったら、必ず私に「味見をして、何が足りないかを教えて欲しい」ということもありました。そうやりながら、彼はカレーをいかに美味しくつくるか、を研究(?)していきました。

今では(笑える話ですが)、カレーに入れる調味料の一つは「味醂」、それも本物の味醂でなくてはいい味は出ないというのです。私が合成されたニセの安い味醂で良いといっても、絶対に「本物の味醂」がいいというのです。徹底しています。

最近は、私がこ超多忙の日々が多いので、遅く帰宅する日には「おでん」をつくってくれていることもあります。これも、初めは大根が小さいためにグジュグジュになっていたり、味が染みとていなかったり、少人数なのにアレもコレもと材料を入れすぎて鍋一杯になり、数日は「おでん」を食べる羽目になったり・・・・いろいろありましたが、今では、味付けにも慣れ適当な量のおでんをつくられるようになりました。それを私は「美味しいね!体が温まるね!」と言いながら食べています。

一度にアレコレ料理をし、上手になることはできていませんが、確実に少しずつ上達しているのです。私は、これでいいと思っています。私もかっては良妻賢母を理想とし、そうなりたいと思っていましたが、それは大変なことだと思いました。だから、夫にもそれを望もうとは思いません。お互いができることをやり、それをお互いに支えてけばいいのではないでしょうか?
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by eastwatery | 2008-02-18 22:10  

橋下大阪府知事の勇気に共感!(2月10日)

今朝の中国新聞の朝刊を読み、共感できる部分が多かった橋下大阪府知事の記事を取り上げたいと思います。それほど大きな紙面を取っていなかったのですが、常に府民の視点から大阪府の政治を変えていこうとしている橋下知事を心から応援している私にとっては見逃せない記事です。。

見出しは「NHKに不満表明 橋下知事」。その内容は、8日夜に出演したNHK大阪放送局の番組に不満を表明、「今後はスタジオに行かない」と述べたということです。なぜか?彼は当日東京で中央省庁への挨拶回りを終えた後新幹線で帰阪、午後8時から同番組に出演。ただ、開始時間に間に合わず。知事は「東京で目一杯挨拶をしたかったが、切り上げて番組に出ろ、といわれ、午後からNHKの職員がついてきて、挙句の果てに新幹線の中でもついてきたとのこと。初めから7時半には間に合わないといっていたにもかかわらず。その後「『公務』だとスタジオに連れて行かれ、女性の司会者から「遅刻ですね」といわれて頭にきた。あいさつもなかった」と9日、報道陣に語ったということです。

彼が「頭に来た」というのは、私もよく理解できます。私も何度かNHKに取材されていますが、最近のNHK広島放送局のディレクターの取材の姿勢・言葉に頭にきて「もう、二度とNHKには取材を受けません」と新米ディレクターに言ったことがあるからです。

こういうことがあったのは、昨年のことですが、その間逆が、私が初めてNHK広島放送局に取材を受けた今から15年前です。私が社会人学生として大学に入学後卒業論文に「女性の自立」を取り上げたことに対してローカルの放映番組をベテランと思われる年配のディレクターが取材をして下さいました。卒業半年前から時々卒論の進み具合などを聴くために電話でインタビューをしてくださり、卒業を控えた日の取材1週間前には、詳細な15分間のインタビュー進行や質問内容を書いた文書が送られてきました。準備万端整ったところでインタビューが始まり、充実感一杯で終わりました。私はその取材姿勢に対して「さすが、NHK」と思い、インタビューをした内容を多くの人に十分に伝えたいと思うディレクターの考え方に感動しました。

ところが昨年、社会人学生をテーマとした番組を取材するから協力をして欲しいとNHKのディレクターからの電話を受けて、私は母校の大学で学び、研究している学生の10人くらいに連絡を取り、インタビューを受けることができる人を決めまいた。同時に大学の広報課長にも連絡を取り、取材に協力してもらうように依頼しました。また、教授の何人かにもインタビューをしたいと言うことだったので、2名の教授にも取材をお願いしました。そのうちの1名は前日から取材のための準備をし、ゼミ風景を撮るということから学生にも協力をお願いしていました。

当日、ディレクターの一段は15分以上も送れて母校に到着し悪びれる風もなく取材を始めました。社会人学生はお互いに情報提供をしたり先輩から学習相談・支援を受けるために母校の中に大学が提供している部屋に集まってもらい、かなり長時間のインタビューを受けました。受けた人の中には三原市、福山市など遠路から広島市の母校の大学に通学している人もいて、当日は朝早く自宅を出て、インタビューに備えて下さっていました。

いよいよインタビュー。社会人学生たちは、各自「なぜ、仕事を中断してまでも社会人学生になって学ぼうとしたか、大学院終了後、大学卒業後は、どう生きていきたいか」など、一般学生にない大学で学ぶ目的と意義に溢れたコメントを言葉にしてくださいました。ところが長時間かけてしたインタビューに対して最終の質問もある有名大学大学院を修了し、就職したばかりのディレクターは再び同じ質問「なぜ、社会人学生になったのですか?」を繰り返し、結局は「社会人学生の生き方や思い」を少しも理解しようとしなかったのです。しかも前日取材すると言っていた教授のゼミ取材もしないというので、私が「そんな失礼なことができるのですか?」といったら、「じゃ、ちょっとだけ取材しましょう」と何の悪気もなくいうのです。いかにも取材したくもないが、仕方ないという様子なのです。

その後母校での3時間に及ぶ取材を終え、次の取材先の広島大学へ向かいました。(広島大学を取材することに対しても、私がお世話になっている入学センター長に手はずを整えたのですが・・・・)。

そして、放映の日のことです。15分間くらい社会人学生をテーマの放映が行われました。なんと、母校の社会人学生に対するインタビュー取材の様子は僅か30秒で終わり、あとは広島大学の「フェニックス入試」という中高年対象の社会人入学試験のPRのようなものでした。いわば、NHKが主体ではなく、完全に広島大学の意向に沿ったものでした。母校の社会人学生は先述のような
素晴らしいコメントを言ったにもかかわらず、ただその2名を1秒間ずつ映しただけ。貴重なコメントは一言も音声として出ることなく、ましてや教授のゼミ風景もありませんでした。広島大学には14分近い時間を使いながら報道し、なぜ母校では30秒なのか? 答えは明快です。母校は私立の小さな女子大学。偏差値も広島大学と較べたら、大きな差があります。広島大学は地方のエリート大学。

番組放映10分後、新米ディレクターから嬉々とした声で「どうでしたか?」と電話がかかってきました。頭にきていた私は「あなたは社会人学生の何を人々に伝えたかったのですか?あれでいいのですか?私はこれから、取材のために準備してくだっさった人々にお詫びを入れます。取材の途中でも、あなたは人々に数々の無礼な言葉を投げかけました。私はもう、二度とNHKの取材は受けません」といってしまいました。新米ディレクター(女性)は途中から涙声になりました。私は「これから可能性のあるあなたに良いディレクターになって欲しいから、あえて厳しいことも言っています。また、今度落ち着いてお茶でも飲みながら話しましょう」といい、電話を切りました。たぶん、一介の市民であり、社会人学生を何とか支援したいと思ってささやかな活動をしている私の言ったことは、彼女には針の先ほど頭に残らなかったと思います。それほどNHKの権威的で、NHKであれば何でも許せると思っている風土があるのです。

もちろん、あれ以来、一度もそのディレクターと茶を飲みながら話したこともありません。長々と書いてしまいました。最後まで読んでくださった方々、本当にありがとうございました。
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by eastwatery | 2008-02-10 08:31  

スウェーデンで活躍している日本女性(2月7日)


JALが発行している情報誌「Agora」にスェーデンで作業療法士として活躍している50歳代の日本人女性の河本佳子さん(以後:Kさんという)の取材記事が掲載されていました。Kさんは、岡山市の短大保育科を卒業後、シベリア大陸を横断して、スェーデンへ渡りました。働きながら語学を習得し、4年後にはストックホルム教育大学幼児教育学科を卒業しました。その後、幼稚園教諭を務め、結婚して3人の子どもを育てていましたが、離婚。

幼稚園に来ていた作業療法士が一人ひとりの障害に合わせて丁寧に仕事をしているのを見て、遣り甲斐のある仕事だと思っていた作業療法士になるべく、離婚を契機として、新しい人生を歩んだとのこと。スェーデンでは、教育と医療が無料。しかも何歳になっても再挑戦ができる国なのです。Kさんがルンド大学医学部に入学したのは39歳で、子どもが3人いるシングルマザーの時でした。日本では、こういう状況で生活すらできにくいと思うのにスェーデンでは彼女が3人の子どもつきのシングルマザーであっても就学ローンをもらいながら学ぶことができたのです。

そのような国ですから、所得税30%、消費税25%など税負担が重いのですが、その一方で手厚い福祉が用意されているのです。現在彼女はリバビリテーリングセンターで0歳から20歳までの身体障害、知的障害、自閉症患者などのリハビリテーリングを行っています。そういう仕事をする中でKさんは障害者用の生活環境改善のための相談や補助具などにも取り組んでいます。そこで、補助具などにおける日本とスェーデンの補助具に対する大きな違いに気づきました。これは単なる補助具の違いというのではなく「人権」」にかかわることだと、私は思います。

それは・・・・スェーデンで無料で貸し出されている補助具は「補助具で大事な事は機能と同じくらい素敵でキュートであること。使っていて楽しい、そんな色やデザインであることが重要だ~つまり、浸かっていて楽しいものでなければならない~」ということでした。その一方で、日本の補助具は、「機能優先で汚れが目立たないようにと灰色」ということです。また、スェーデンでは、どんな障害者でも自立して生活できるようにサポートをし、家族が面倒をみなくていいように費用負担もかからないように国が責任をもっているそうです。

教育においても、全く日本とは異なります。スェーデンの小学校では成績表はなく、使われる教科書も、やさしい内容のものから難しい内容のものまで何種類かあり、子どもの習熟度に合わせた教科書が使われているとのこと。親も他の子どもと較べて、うちの子はどうなのか?とは考えないそうです。日本の場合、幼児時代から私立小学校へ行かせるために塾に通わせる人も多く、中学生になれば80%近い中学生が塾に行っている、そういう風潮とは大きな違いです。

スェーデンでは社福祉が社会的弱者へのサポートという意味を超えて、すべての人の生活の質を高めるもの、どんな人も人間として日々を生きる喜びを感じながら生活を送れるような社会であるべき、というのが根本的な思想になっています。

Kさんが日本を離れて37年。毎年帰国するなかで、彼女は今の日本は少しずつ何かを失っているような危機感を覚えているそうです。そう思いながらも、その一方でスェーデンにも気になることがあるというのです。「スェーデンの福祉は素晴らしいとは思うが、あくまで個人と国家の契約。
国家が全て保障してくれるのが当たり前で、家族のサポート、地域社会のネットワークが希薄」とのこと。

しかし、「日本には人々のとの思いやりや心配り、親切などがまだまだ残っていて家族や地域のネットワークがある。」と言います。だから、「いくら福祉国家のスェーデンであろうと、日本から学ぶこともたくさんある」と、日本のよさを異国ら見つめ直しているKさん。「福祉とは、どうあるべきか」、彼女の言葉は多くの示唆に富んでいます。

結局、人間というものはいくらハードの面で整備され、機能も充実していようとも究極は、人と人とのつながりの中で生きていくことが幸せだということです。最近は日本でも「人に迷惑をかけない生き方をしたい」という人が多くなりましたが、迷惑をかけたり、かけられたりするうちにお互いの中に情が生まれてくるのだと思うのです。そうはいっても、現在の日本の高齢者の環境はだんだん悪くなってきています。日本は、スェーデンと日本の良い部分を取り入れながらの福祉国家になって欲しいと思います。そのためには、もう少し税金を取る必要がありそうです
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by eastwatery | 2008-02-06 21:18  

私の働き方(2月5日)

現在、私が勤務している協議会は、文科省の委託事業なので予算はそこからでており、その予算内で全ての事業を進めていくことが必要です。たとえば、私の勤め方は1ヶ月12日間と決められています。

ところが、10月中旬から勤め始めてこれまで、私の職責から言えばその時間ではとても仕事をこなせないほどの仕事量があり、「1ヶ月12日間」という決まりを守ることができず、時にはウィークデイは、ほとんど全日勤務の状態で仕事をしてきました(もっとも、私自身の仕事をこなしていく能力の問題といわれれば、仕方のないことですが・・・)。

しかし、それでは予算オーバーとなってきました。だから、絶対にその決まりを過ぎた働き方をしてはいけないのです。これまでのオーバーワークのつけが出始めてきています。だから、今後は絶対に「1ヶ月12日間」は守らなければいけません。・・・・・となると、仕事を滞らさないために、自宅でやるという選択をせざるを得ない状況です。

私は収入を得るためだけで仕事をしているのではありません。これまで自分が学習したこと、経験したことが少しでも社会に役立つことであれば、今の仕事の「再チャレンジ」というテーマに向けて、少しでも良い仕事ができれば、これ以上のことはありません。「再チャレンジ」は元首相の安倍さんが推進してきたことです。安倍さんが急に総理大臣を辞職したことについては、いろいろと言われていますが、「再チャレンジ」を一つのテーマとしていたことは、人々に希望を与えたと思うのです。

しかし、中には「再チャレンジ」を暗いイメージに捉えている人がいます。すなわち「挫折をした人が再びチャレンジをする」という意味に捉えているということ。私はこの考え方はあまりにも一元的だと思います。生きている中で挫折をすることはわるいことではないし、そこから悩み苦しみながらでも立ち上がることによって、その人の人間としての魅力は深くなってくるのです。

人生において一直線の人生ではなく、自分で選択できるものが多く、選択が自分にあっていなければ方向転換をし、自分の思う道に向かって努力をし、突き進んでいくという「再チャレンジ」は長い人生においては、当然のことだと思うのです。

だから、誰でも勇気を持って自分の信じる道を再チャレンジをして歩んで欲しいと思っています。何度も再チャレンジをしながら、ここまで来た私が思う「再チャレンジ」は、常に明るい光が射している「再チャレンジ」です。そう思えば、この仕事をする意味があると思うのです。
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by eastwatery | 2008-02-05 23:51  

「人が生きるとは人と共に生きるということ~その2~」(2月1日)

昨年の6月、8月とNHKで2回山田泉さんの「いのちの授業」が放映され、2回とも「山田さんの心に響く言葉や生き方」に感動し、ブログに感想を書きました。その後は山ちゃんこと、山田さんがブログにコメント入れてくださったこともありました。その後、山田さんの著書『「いのちの授業」をもう一度』を読み、ますます山田さんの生き方に惹かれていきました。

そして・・・・昨日、偶然TV番組「アンビリーバブル」で3回目。昨日も書いたように山ちゃんは、いまガンが転移し胸にリンパ腫ができています。しかし、彼女はお医者様から命の期限を決められていながらも、住んでいる大分県だけでなく、声がかかれば日本各地に出かけていっていろいろな場で「いのちの授業」をしているのです。

彼女は、これまでも現在も、人間は誰でも対等であるという意識と愛情をもって常に命をかけて、人々とかかわってきました。その素晴らしい基本があったからこそ、かって個性豊かで、時には問題を抱えた生徒たちも自分自身のことに気づき、心を育て、自分を解放し、他者とつながり、話し合って、最後には自分の考えをしっかりと発表できる生徒になったのでした。

それだけでなく、たとえば、中学校の授業ではハンセン病療養所へ行き、そこで暮らす人から話を聴き、施設を見学しました。その後「調べ学習」をして、「ハンセン病が恐ろしいのではなく、差別する人間の方が恐ろしい」などと差別することの重大さを学習し、自分たちの生き方やあり方を考えました。そして、学習成果を学内で発表したり、福岡市でのシンポジウムに参加するなど、社会的行動にまで至り、多くの人々に大きな影響を与えました。

本を読んでいても随所に「これが中学生が感じ、考えたことか」と思ったり「まるで大学生のレポートのようだ」と思うことがありました。生徒たちは「いのちの授業」を通して、生きること、死ぬこと、差別することなどに対して一つひとつ自分の考えをもつようになり、発表するまでになりました。何よりも感動したのは、山田さんが先生という上の位置から生徒に対応せず、時には子どもから学ぶ姿勢があるので、問題を抱えた生徒であろうと徐々に自分を解放することもできるようになったことです。それと共に荒れていた生徒たちも自分の考え方や生き方に気づき、クラス全体が変わっていったのです。

山田さんが体の不調のため辞職をすることになり、最後の授業をした時に、「いのちの授業とは何だったか?」の問いかけに生徒から出てきた言葉は次のようなものでした。
「自分を変えるチャンスをつかむ授業」、「生きる意味を考える授業」、「自分自身を見つめ直す授業」、「自分、相手のスバラシサを知る授業」「これからいきていくときに励みになる授業」、「自分の心や考え方を変える授業」など、いろいろとありました。

昨日の番組では、そういう授業を受けた生徒たちが、今は大学生になり、それぞれの進路を選んで学習していました。ちょっと問題を抱えていた勉強が不得意の男子生徒は、今は看護師になるための学習を、自分を解放できず、不登校気味だった女性は臨床心理士になることを目指して大学で心理学を学んでいました。その他の山田さんの授業を受けた生徒たちも「なんとなく大学生活」を送っているのではなく、自分で自分の道を選択し確実に「将来、社会に貢献できる人間になりたい」という目標をもっていました。教育はすぐには効果が出るといえないといわれますが、山田さんの教え子たちは、「いのちの授業」で多くのことに出会い、「考える」ことの大切さを学んで、現在大学生になっているのです。

さかのぼって、なぜ山田さんがここまで情熱を持って、自分の命が尽きるまで「いのちの授業」をしているか、ということには理由があるのです。
山田さんの友人が乳がんを患い、余命3ヶ月と宣告され、その友人は、山田さんの勤務校に来て生徒たちに「「命の大切さ、生きていることのすばらしさ」を伝えてきました。

死の間際、友人はホスピスに生徒を招いて「人が死ぬって、当たり前のことが一つずつできなくなることなの。あなたたちはできる。やりたいことを思い切りやってね。」といい、「人生の中で一番大切なモノはお金ではなく、自分をさらけだす友人を持っているということ、人に優しくしていたら、いつか必ずめぐり合う」と言いました。

そして・・・・友人は山田さんには「人のために、したいと思うことをやり続けて」と言い残して亡くなりました。この友人の言葉を受け継ぎ山田さんは、疲れても、時には痛みがあってつらい時でも、各地で「いのちの授業」をし続けているのです
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by eastwatery | 2008-02-01 22:09  

「人が生きるとは人と共に生きるということ~その1~」(1月31日)

今日、「アンビリーバブル」で以前ブログに書いた「こころに響けいのちの授業」の山田泉さんの「いのちの授業」の様子と彼女の生き方を放映していました。今日のブログのタイトルは、中学校の養護教諭だった彼女が中学生に授業をする時にいう言葉です。

彼女は最近の子どもたちが「人と共に生きる」という考えがないので、人は一人では生きられないこと、自分が生きている限り人のためになることを続けて生きたいという思いを授業で伝えている人です。

彼女は7年前(?)に乳がんとなり乳房を残す手術をし、後は、放射線などの治療をしていたのですが、2年前にガンが再発。そして、現在は胸にリンパ腫ができ、お医者様から命の期限を決められているのです。その彼女が、どのような気持ちで授業をし、その授業を受けた生徒たちが、その後どのような考え方をして、どのような人生を歩もうとしているのかを取材していました。

今日は眠いので、明日疲れが取れて頭がはっきりしているときに、この続きを書きます。

おやすみなさ~い。
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by eastwatery | 2008-02-01 00:11