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「日本女性会議2007ひろしま」も、あと20日で開催です(9月29日)

1昨年の10月からかかわってきた「日本女性会議2007ひろしま」(全国大会)も、あと20日で、いよいよ本番を迎えます。分科会の企画、講師選び、打ち合わせ、協賛金集めなどに苦労しましたが、今は予想以上に協賛金も集めることができて、私たちが望んでいたような分科会が、できるところまでになりました。

当初は、市民主導のこの大会が、どこまでこれまでの大会のように開催できるのかどうか、案じられました。というのは、今までの各地の大会では、行政などから多額の支援金が出されていましたが、広島の場合は、県も市も大幅な赤字財政なので、これまでの大会のようには行かないのは、初めからわかっていたからです。

しかし、結果的には私が属している分科会では、担当する「キャリア教育」を含めて16分科会「福祉、災害と女性施策、国際交流と平和、子育て支援、メディア、地球環境、キャリア教育、平和とヒロシマ、文化、水の都ヒロシマ、女性と政治参画、就労・働き方、食育、くらしと地域、女性の“こころとからだ”、DV」を開催します。分科会それぞれに、協賛金を集めるために、いろいろ苦労しましたが、協賛金を集めることもでき、どの分科会もほぼ参加者数を充足することができました。

大会を運営するスタッフとしては、実行委員&ボランティアで総勢580名がこの大会にかかわることになりました。そこで、今日はこれらのスタッフに運営に関する説明会が開かれ、多くのスタッフが一堂に集まり、2時間半にわたって説明を受け、打ち合わせをしました。

わがキャリア教育では、既に司会のシナリオもでき、大会当日、登壇者の机に張る「前垂れ」もできあがり、質問事項、感想カードも揃いました。後は、登壇者の資料などを2日後に130枚ずつ印刷し、セットをするだけです。当日必要な品物は、これからぼつぼつ揃えていこうと思っています。協賛金が、どれだけ集まるか分からないときには、どれだけの規模で分科会ができるか案じられましたが、当初の願いどおり、会場の正面に大きな花のスタンドを置き、会場の後ろ両隅には、大きな籐で編んだ籠に秋の花をボランティアの人が生けてくださるということも実現できることになりました。分科会が始まるまでに会場で流すBGMは、宗次郎のオカリナ(CD)演奏にしました。

振り返ってみると、いろいろあったにせよ、実行委員4人であれこれ考えながら、メールで何度やり取りをし、諸事を決めていったことを思い出します。時には考え方の違いもあり、難しい場面もあったように思いますが、メンバー一同「キャリア教育は生きる力を育て、未来を拓く」という共通の目的を持って、2007年10月19日の大会を目標に、一丸となって2年間活動してきたことは、人生の中で忘れることができない思い出になると思います。

あと20日間、まだまだいろいろなことがあるだろうし、ハプニングも発生するかもしれません。
ともかく、19日の分科会が無事終了したときに、メンバー一同でハイタッチができるように
ベストを尽くすつもりです。
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by eastwatery | 2007-09-29 21:41  

「主役力」を高める~夢を実現する7つの発想~」(9月28日)

今日は午前中、(独)雇用・能力開発機構広島センター主催の「ママの再チャレンジ支援事業」講座に参加してきました。この講座では、午前中に(株)イー・ウーマンの佐々木かをりさんの基調講演があり、午後は、再チャレンジ世代の人たちへの合同説明会、キャリア・コンサルタントによる適性診断&相談会、合同(企業)就職面接会などが開かれました。

私は、ママさん世代・再チャレンジ世代ではないので、基調講演だけを聴講して帰りましたが、10月中旬からの新たな仕事に対しては、大きな収穫があり、とても充実した時間を過ごすことができました。

佐々木かをりさんの講演のタイトルは「主役力を高める~夢を実現する7つの発想~」でした。まず、ご自分の人生を語ることから始まりました。 彼女は、父親の事業の失敗により15歳から自分の学費はアルバイトで稼ぎ、上智大学時代にアメリカ留学もし、起業もしました。約20年前のことですから、その当時では大学生が起業をするのは珍しい時代でした。

彼女はキャリアを語る中で、たとえば「チャンスは小さな選択の集まり」だといい、もし、チャンスをもらったら、まず「はい!」と受け、「チャンスが来たのだから、多分私にはできるだろう」と受け止めること。その次には、チャンスを選択したからには全力で行動し、楽しむことだといわれました。つまり、チャンスが訪れたときには、「自分で考え、自分で選び、自分で行動する」ということです。 また、「チャンスは人が運んでくるものであるから、「あの人に会ってみたら?・・・、この本を読んでみたら?・・」といわれたときには、時間をおかず、タイミングよくすることが重要であること。日頃から知り合った人とのコミュニケーションを大事にし、筆まめであることを心がけることを提案されました。

その後は、「主役力。幸せは自分でつくる」いついて、「自分の人生の中で、“自分は主役だ”と思うこと。人が200人いれば200通りのドラマがある。自分が主役の人生をどのように描いていくか、ということで言えば、自分の人生の脚本家は自分自身である」、「自分の人生を自分で幸せにしていく」ことは大事であり、自分の幸せ度が高まると人にも優しくなれるということ」。この意味は「子どもをもっても何事も子どもを優先にすることではなく、自分を優先すれば幸せを感じ、家族に幸せを与えることができる」ということでした。

そして・・・「主役力を高める」ためには、人と人、ものとものがつながってお互いに機能する「ネットワーク(人脈)」をすることが重要。そのためには、いろいろな人と出会い、特に前向きな人と出会うこと。そうすれば、「あなたは良いよ」といってくれることを前提として、アドバイス、苦言を呈してくれる人を持つことも肝心であり、それが、仲間に支えられることにつながるということでした。

ところで、日本人、特に女性は「私は・・」というように、「私を主語として話す」ことが難しい人が多いのですが、主役力を高めるためには「私はこう思うと発言し、その内容を分析すること。どんなテーマにおいても自分の考えを発言し、同時に人と話して学んでいくことである」ということでした。

また、自分が主役の人生を歩むためには。自分をハッピーにするために、いかに時間管理=行動管理をしていくか、ということ。自分の人生の脚本家であるのだから、時間の積み重ねで人生を創っていると思うこと。このような考えから、彼女は、「人生の脚本である」という考えを基として、1日のスケジュールを時間軸で書ける手帳を開発し、販売しています。大好評だそうです。

女性が就業するときに一番気になるのが「子育て」ですが、彼女は「子どもは20年~25年かかってどういう人間に育てるかと考えること。子どもが、その年齢になったときにどれだけ社会貢献できる人間になっているか」というように長い目でみれば、子育てと就業の間で悩むことはないといわれました。

最後に「人生はジェットコースター」のようなものであり、上下でジグザグしながら、人生を重ねることによって、だんだん上昇していくと良いのではないかということでした。そして、会場の参加者から質問も受けたいということで15分間 Q&Aの時間をとり、会場からの質問にもしっかり答えられました。その中で、「起業や就業することに関して何が一番大切か」という質問に対し「約束を守って、責任をもって仕事をすることである、それは、その人の誠実さにつながっているのだから、仕事が取れるのです。だから、自分が良いリーダーになり、常にベストを尽くすことである」といわれました。

この言葉は、当然のこと、誰にでもやれそうなことだ、と思いますが、思うことと行動することとは、違うと思います。「思って→行動する」ことの間には、距離があり、その距離を縮小するのは、自分次第なのです。だから、初めに佐々木さんが言われた「自分で考え、自分で選び、自分で行動する」ことが重要なのだと思いました。10月からの新たな仕事は、各団体とネットワークをしながら、再チャレンジ世代の人に講座を企画したり、相談を受けることもするので、今回の基調講演は私にとって意味深いものになりました。
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by eastwatery | 2007-09-28 22:27  

「法テラス広島」での研修(9月27日)

昨日は、電話相談員研修会で広島市の中心街にある「法テラス」へ研修に行きました。
「法テラス」は愛称で、正式名は「日本司法支援センター広島地方事務所」です。これは、民事法律扶助をする事務所であり、資力の乏しい人が法的トラブルに出会ったときに、無料法律相談を行い、必要な場合、法律の専門家を紹介し、裁判費用や弁護士・司法書士の費用の立替を行う制度です。

この事務所は、東京に独立行政法人日本司法支援センター本部があり、全国で50の地方事務所があり、本部では平日9:00~21:00.土曜日9:00~17:00まで電話相談を受け付けています。(広島の場合は、毎週火曜日・金曜日13:00~16:00まで事前電話予約制で受け付けています。相談の種類は、「離婚、相続、損害賠償、クレジット・サラ金相談など」民事全般です。また、問い合わせ内容に応じて解決に役立つ制度や相談機関・団体などに関する情報を無料で提供もしています。しかし、これらの情報提供は、トラブルの内容に応じて、法的判断を行う法律相談とは異なります。

私たちは、主に離婚、DV、サラ金などについて弁護士であるこの事務所の所長さんから法的なことを学びました。具体的な内容は書くことはできませんが、所長さんが数々の事例から話されたことで痛感したのは、「いかに女性が精神的・経済的に自立していないかということ。そのために、たとえば、女性が協議離婚で子どもの親権を獲得しても、それ以後の生活がどれだけ大変か」ということでした。現在では、元夫が、養育料や慰謝料を払わない、或いは払えない人が多く、しわ寄せは全部子どもにいってしまうのです。

慰謝料が払える人は年収500万円以上の人です。一般的には年収が少ない人が多いので、離婚に際して慰謝料は、ほとんど払われていないようです。ただ、子どもの親権は中学生位までは母親に、高校生以後は、子どもの意見を聞いて決定するとの事でした。

現在は、子連れの離婚が増加しており、生活保護を頼って生活していくのではなく、自力で生きていくのであれば、若いときから自分の人生設計をしっかり立て、一生働く気概をもつ必要があると思いました。特に、女性の場合、35歳以上になると余程の技能・技術と専門職を持っていなければ、パート労働かアルバイトしかないのです。

以前TVで、そういういう母親の日々を放映していましたが、昼夜働き睡眠時間4~5時間でも、やっと食べていけるくらいです。もちろん、子どもは夜も一人で過さなければいけず、母子共に悲惨な生活でした。

離婚の多く調停離婚に持ち込まれることが多いのですが、ここに一つ問題があります。家庭裁判所の調停委員のことです。これらの人たちは、何らかの資格を持っているのではなく、男性は元教員や現役のときに高い地位にいた人、女性の場合は大学教授の妻や大企業の役員の妻などが推薦制で決められているそうです。従って、中には権威的で暴言を吐く人もおり、相談者が何も言えず、時には裁判所にクレームがつくことがあるそうです。

また、私の友人(女性)が、調停委員をしていますが、この人もジレンマを感じることがあるといいます。それは、余りにも男性の調停委員が保守的で最近の男女共同参画のことなども知らず女性蔑視の態度をとるので、それについて話し合おうとしても男性の調停委員が取り合わないとの事。弁護士である所長さんに、そのことを質問したら、家裁の調停委員の人選方法を変えなければ、今のままではいけないといっておられました。これらのことは人権に関わることなので法務省は早急に仁全方法を変えて欲しいと思います。
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by eastwatery | 2007-09-27 23:07  

本物の楽観主義(9月26日)

世界柔道で7度目の金メダルに輝いた谷亮子選手の活躍は、まだ心に深く残っています。彼女はアテネ五輪後に出産をして母親になりました。その時に今後の競技人生の目標について「田村で金、谷で金、ママでも金」と公言したことは有名な話です。

これは、よくとれば大言壮語とも取れる言葉ですが、彼女の笑顔と活発な動作などを見ていると、まんざら、それが大言壮語とは言えないところもあるのです。彼女は特別な才能に恵まれていた、だから可能だといえば、そうかもしれません。しかし、それだけではないでしょう。俗に「天才は99%の努力から生まれる」というように、人並みはずれた努力をしています。

たとえば、谷さんは、子育て中も母乳を飲ませながら、稽古に励み、実母に子どもの世話を頼みながら、ひたすら今回の金を目指して睡眠3時間で大会の日を迎えたとの事です。
さらに、夫の野球選手谷さんも常に彼女が練習しやすいように気遣いをしてくれたとの事。。

それに加えて、もう1点、「谷さんには本物の楽観主義を感じている」と医者の長さかゆきひろさんは今日の中国新聞朝刊に書いておられます。彼が言う「本物の楽観主義」とは、
「どんなに苦しいこと、つらいことがあっても乗越えていける力が自分にある」と信じることが出来る、ということ。

長坂さんは「私たちは実生活の中でも、さまざまな逆境に見舞われます。たとえば、突然のガン宣告。様々な思いが一気に頭の中を駆け巡ります。そういうときに、これからの人生をより実りあるものにできるか否かのポイントは“逆境”に相対する姿勢なのかもしれないのです。」と書いています。

この文章を読んで、私が8年前に「乳がんであり、それも初期ではない。脇のリンパも取り、左乳房も全摘です。乳がんは、転移が起こりやすいので(寿命は)10年くらい経たないと解らない」というようなことを云われました。私は、それを聞いても全然動揺しませんでした。実は、今思うと楽観主義だったのです。

そのとき私がまず思ったのは「しめた!他の人は自分の寿命は解らないのに、私は10年と決めてもらった。そうであれば、これからの10年間、自分のしたいことは全部し、人にしてあげたいことも後悔しないようにしていこう!」と思ったのです。

手術は、なるべく早くとの事でしたが、講演を頼まれていたので、2週間延ばしていただきました。主治医も私のその依頼に「僕も学会があるから、その方が良い。お互いによかった!」といい、二人で「よかった、よかった」と喜び合いました。そして・・・やがて、全身麻酔をして手術に入りました。ところが、途中で主治医が手術室か出てこられ、夫に「患部を摘出し、顕微鏡で調べたが、がん細胞はないので、手術はこれで終わりです」といわれたのです。私は麻酔中ですから、そのこと知らなかったのですが、さすがの夫もこのことには驚いたようでした。

その後、2週間患部を培養してもがん細胞は見つからず、今度は主治医と握手をしました。彼が言われるには「全ての検査でガンという結果が出たけれど、そうではなかった。こういう事はガンだといわれた人の2%の人にあり、現代の科学では解明できないものです」といわれました。人にこの話をすると「主治医の誤診」という人もいますが、私はそうとは思いません。

また、長さかさんは「がん細胞を駆逐する自分自身の白血球などの免疫細胞のパワーの増強、それを支援する抗がん剤や放射線療法は地か強い味方、そんな前向きなイメージを育てていく治療法があり、それが"サイトモント療法"という治療法だ」と書いておられます。
そして「ガンという逆境を楽観的に受け止めて、今こそ自分の本物の免疫力を試す時!と開き直れたらどうだろう?」と書いておられます。

私が思ったのは、「本物の楽観主義」が持てる選手や人は、日頃から絶え間ない努力をし、充分に自分自身「これだけやったのだから」という思いがあって、初めて自信が出てくるということです。ということは普通の人の私たちでも日々「今日は、自分なりによくやった、人とも楽しく出来た」と思う人生を送れば、「本物の楽観主義」がもてるのではないかと思います。
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by eastwatery | 2007-09-26 23:20  

何を「教育」と思うのか?(9月24日)

昨日のブログで、教育についてブログ仲間でお互いの意見を忌憚なく交換でき、うれしく思いました。そで、もう一つ、気になっていることを書きたいと思います。

確か、1週間くらい前だったと思います。中国新聞朝刊に、小さなスペースでしたが、次のような内容の記事が掲載されていました(手元に残していないので、記憶を頼りに書いていきます)。

ある学校で不登校児のために、ある教師が、校庭の一隅に野菜畑を作って不登校児と共に野菜を育てていました。その子どもたちは、野菜作りを通して、いろいろ学んだり、心が癒されたのか、次第に不登校をする子どもが減ったとのこと。ところが、教育委員会からそのことについてお達しがあったというのです。その理由は、「学校といえども公道を使って、教育に関係ない活動をしているのだから、そういうことは止めるように」ということです。

私はこの記事を読んで、腹が立っただけでなく、呆れてものも言えないくらい驚きました。
また、「教育」に対する捉え方が、狭く浅いことにがっかりしました。子どもたちは野菜作りをすることで、知識を学んでいるわけではありませんが、自分の意志で学校へ通学できるようになっているのですから、これほど素晴らしい教育はないと思うのです。自分の考えを持ち、自ら積極的な行動を起こしたのです。それがなぜ「教育ではない」というのでしょうか?

また、学校の校庭の一部を「公道」だと云えるのでしょうか? 校庭に花を植え、時には校庭で野菜を育てている学校もあるし・・・。それらを全て「公道」とし、そういう行為や活動をしてはいけないとするであれば、学校は、何と味気ない場所になるのでしょうか?命を育てることを通して命の大切さを知り、、愛情をかけ、世話をすることによって成長していく喜びを感じること、それが、なぜいけないのでしょうか?それがなぜ、「教育ではない」といえるのでしょうか?

これが広島で行われている教育なのかと思うと、本当に情けない思いです。私が小学生の頃には、蚕を飼い、その蚕のため遠くまで歩いて、桑の葉を取りに行き、皆で育てました。その時の小3のクラスは、60歳を過ぎても未だにクラス会をしています。心と心が繋がっているのです。日本の教育史から言えば、私が受けた教育は(昭和23年入学)「這いずり回る教育」の時代だったと学んだことがあります。しかし、その当時は知的障碍の子どもも共に同じクラスで勉強し、助け合って修学旅行も行きました。

もう一度、以前のような「心を育てる」教育を再生して欲しい気持ちです。現代のように悪戯に知的教育ばかりにはしり、経済格差により教育格差が出るような教育をしていると、みんなで手をつないで生きていくような人間には育ちません。日本の将来を思うと暗澹たる思いがします。
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by eastwatery | 2007-09-24 22:14  

若者はなぜ3年で辞めるのか?(9月23日)

以前、ある大学の教授が自分のゼミの卒業生10人が3年間で全員初就職先を辞めた、と嘆いておられたのが、ずっと心に残っていました。それで、先日来、城成幸著『若者はなぜ3年で辞めるのか?~年功序列が奪う日本の未来~』という本を読んでいました。(今日は、ちょっと長いブログです)

年功序列は終わったといわれて久しく、今や上場企業の約9割で成果主義が取り入られているそうです。とすれば、やる気と才能、そしてハッキリしたキャリアビジョンさえ持ち合わせていれば、若くても活躍できる時代になったのでしょうか? そうではなく、むしろ状況は逆になっていると著者の城さんは述べています。

それどころか、いまの時代、汗水たらして働いても若いときの苦労は決して報われないどころか下手をしたら、一生下働きで終わる可能性もあるそうです。この本にはたびたび、「昭和的価値観」と「年功序列制度・終身雇用」という言葉が出てきます。この意味は、「しっかり勉強して進学校に行き、いい大学を出て大企業・行政機関へ就職すれば、定年までどんなことがあっても安心・安定している」という考え方です。

ある会社では、1990年代後半から徐々に新卒離職率が高まり2002年には更にその率が高くなり20人の入社者にいたっては20人のうち8人が3年以内に退職しているとのこと。
その理由は「本人の希望と実際の業務内容がかみ合わない、つまりミスマッチ」が多いということです。このことに対して、たいていの人は、「わがまま」「忍耐不足」といいます。しかし、これには大きな理由があり、それが年功序列制度です。

日本では、大半の企業は長く年功序列制度を維持しており、これは、勤続年数と共に少しずつ組織内の序列が上がり、それに比例して報酬も上がるシステムです。業務自体はプロジェクトごとに内容が変りますが、組織の序列自体は基本的に不変です。そうなってくると、序列を最優先して実際の業務が割りふられて、上になる人ほど裁量権があり、企画等も出来ますが、こういう一連の流れが末端に下りてくる頃には単純な作業になり果てているのです。個人の裁量があるのは部長以上、それより下の序列となる単純な仕事だけとなり、本人がハーバート大卒であろうとMBAホルダーであろうと、このことは変らないということです。このような企業のシステムは優秀な若者にとっては、耐えられないのです。

日本人の企業に対する従順さを城さんは、羊のような従順さだと言います。羊を逃がさないようにするには、二つの方法があるとのこと。 ①逃げられないように鎖でつなぐ、②そもそも逃げようという気を起こさせないことであり、日本の教育も企業文化も、従順な羊を創りだす道具としての一面を持っているといいます。だから、企業が採用において重視するのは、学歴や専攻だけではありません。部活動もそれ以上に重要視されることがあるのです。つまり体育系の学生。 それは、なぜか? 彼等の企業から見た最大のセールスポイントは「主体性のなさ」とのこと。そして、彼等の徹底した組織への自己犠牲の精神であり、結果として、彼は並みの若者などよりは、ずっと従順な羊でいてくれる可能性が高く、つまらない仕事でも「上司にいわれたこと以上は」きっちりこなすのです。

「日本人は与えられた義務を果すことに幸福を見出す」といわれるように、年功序列的世界でのレールと同じ意味合いを持っています。年功序列は、安定性と引き替えに過酷な労働を強いるだけでなく、一度レールからはずれた人間は、なかなか引き上げようとはしません。そういうことは、自分に適した人材を育成するために教育システムも作り上げてきました。小学校から始まるレールの中で、試験によってのみ選抜されるうちに、人はレールの上を走ることだけを刷り込まれ、何時しか自分の足であること忘れ果て、最後は選別されてランクごとに企業という列車の乗り込み、後は定年まで走り続ける・・・・これを城さんは昭和的価値観の正体だといっています。

しかし、現代の若者は当然のようにそれぞれの動機を求めレールから降り、動機が充足されれば、更に上を目指して転職し、起業を始めています。そういう若者は、“心の鎖”を解き放ち、「何のために働くか」を自分の頭で考えているのです。

城さんはいいます。「何よりもまず、すべきことは、自分の頭の中で昭和的価値観を一旦脇に置き、透明な目で周囲を見渡して見ること」だと。このことは、過日、慶応大学のM教授が「日本の最大の教育における失敗は、自分の頭で考える人を育てなかったことだ」といわれたことに近いのではないでしょうか?

ただ、今日書いたタイトル「若者はなぜ3年で辞めるのか?」ということから云えば、3年で辞める人の中で、本当に自分の頭で考え、辞めて成功した人は僅かに1割とのことです。
こうしてみると、この「なぜ」の部分に大きなヒントがあるようです。
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by eastwatery | 2007-09-23 23:31  

女性の生き方と人生(9月22日)

9月の第2回目の3連休が始まりました。私たちは定年後の夫婦ですから、毎日が日曜日の生活といえば、そうですが、私の場合は現在、女性会議の全国大会を1ヵ月後に控えており、その間に他の活動や仕事のこともあり「毎日が日曜日」という訳にはいきません。
しかし、どこかの団体や会社に拘束されている訳ではないので、昨日のように半日は私用に使うことも出来るので、なかなか良い過ごし方とも思っています。

明日は、お彼岸ですが、私たちは既に19日に墓参りを済ませているので、一安心です。
昨日、友人のOさんと話してつくづく女性の人生・生き方には男性の仕事一本の道とは違う、さまざまな人生の道があるのだと再認識しました。そう思った時に私は、彼女に緒方貞子さんの話をしました。この話は、私が女性対象の「キャリア教育」の話をするときに、一例としてあげるものです。

キャリアは生涯を通じて発達したり、変化したりします。その様子は、キャリアの発達をらせん階段に例えることが出来ます。ある時期は低成長期、ある時期は急に伸びる時期、安定期と不安定期もあります。長い人生においては、そういう時期があって当たり前なのです。

あるテレビ番組で緒方貞子さんの話を聴く機会がありました。それは「女性には、男性と違ったサイクルがある、焦らず、ゆっくりと、自分が生きる方向を決め方がいい」ということでした。緒方さんは33歳で結婚、子育てから一段落した後、博士号を取得。その後、親の介護などをして、国連弁務官になられたのが63歳の時でした。現在彼女80才を超えられましたが、今でも世界各国の恵まれない貧しい国の子どもたちのために活躍されています。

この緒方さんが辿られた人生を知ると、まさに、「キャリア」とはどういうことか、深く考えさせられます。人の背景や状況は異なり、人の生きる方向もそれぞれですが、「自分が、どう生きるか」ということは、じっくり考えて決めて行くものであり、その時その時で自分で見つけていくテーマであると思います。

つまり、人生におけるその時、その時で大事なこと、大切にしたいことがあるのだから、それを考えてその時間を丁寧に生きることも必要なのだということを緒方さんの話から学びました。即ち、キャリアというのは、緻密に計算して成り立つ部分と、もう一つは予期せぬ出来事の連続の中から形成されたり、開発されたりする部分も非常に多い、ということです。

誰でも、たまたま、縁があって、ある人に出会ってとか、ある行事に参加したりとか、私たちの人生には「偶然にそうなった」ということがあります。その偶然に流れてきたチャンスに飛び乗れるのは自分の中に準備性があるからこそ、なのです。すなわち、絶えず自分を磨き、そういう準備性を作っていく何らかの行動があるからこそ、たまの偶然の中からキャリアは形成されていくのだということです。

そのためには、自分の強みは何?と自分の価値を高める努力や自分のキャリアを、いかに磨き育てていくのか、が鍵になります。すなわち、自分の人生は自分で選択し、決定していくのだという意欲をもって「自分が主役の人生を歩む」気持ちを持ち続けることだと思います。

・・・・・というような話をOさんにしたと思います。彼女は、この話を聴いて急に表情が明るくなり「起業に対する不安ばかりが気になっていましたが、気持ちを切り替えて良いイメージを持って仕事をしていきます」といわれ、私も少し安心しました。
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by eastwatery | 2007-09-22 12:03  

友人との語らい(9月21日)

今日の午後は、広島市まちづくり市民交流プラザの運営委員会の会議があるので、先日来、
お互いに会ってお話をしたい、と思っていた友人と昼食を食べながら、久しぶりの再会を喜びました。

この友人Oさんは、今日までは、まだそれほど親しくはなかったのですが、今日で一気に近づいた感じです。実は、Oさんは現在54歳の社会人学生の方です。初めて彼女にお会いした時に驚いたことがありました。

私が47歳でHB大学初等教育学科に入学した時、卒業したときの写真を彼女は、ずっと手元に置いて、「いつか自分も社会人入学をして文学を学習したい」と思っていたといわれたのです。彼女と私は12歳違いなので、私が47歳の時は彼女は35歳。二人の子どもさんは、まだ小さく彼女が大学進学をしたいという気持ちはあっても、実現できない時期でした。
私は、そのお話を伺った時、マスコミの影響の大きさを知りました。彼女は育児をしながら、私が大学入学した写真を家事の合間や育児の合間に眺めながら「いつかは・・・」と思ったそうです。

今日、話してみたら、入学の時、卒業の時の、それらの写真の人物の位置や構成などをしっかりと憶えておられ、何度彼女が写真を見ながら、自分自身を励ましてきたかが分かりました。そうしながら、彼女自身も47歳のときに、文学部の国文学科に入学されたのです。その後、彼女が大学生の時、私が活動していたNPOで大学の社会人進学に関する冊子を作るために彼女もスタッフの一員として取材に協力してくださったことがありました。

そのときから換算して、彼女が卒業を迎える時期に卒業祝いの花束を贈ろうと思い、ある人に彼女の様子を尋ねたら、介護のために卒業論文が書けず、大学は休学したままでいらっしゃるということでした。それ~、そのまま連絡をとるのもためらわれ、しばらく音信は年賀状だけになりました(そういえば、彼女のお連れ合いの喪中欠礼のハガキは来なかったと思います)。

今日は、彼女に会ったら、まず介護のことに対して私は「ご苦労様」を云いました。その瞬間、急に彼女の目が潤み「実は、あの時介護をしていたのは夫で、発病して3ヵ月後に亡くなったのです。その後は自営業だった夫の仕事をしばらくは引き継がなければいけなかったのです」といわれました。私は、介護は実の両親或いは義理の両親だと思っていたので、あまりのことに私まで涙してしまいました。

彼女は高卒であることに、長い間コンプレックスを持っていて、子育てが一段落したら大学進学をしようと辛抱し、やっとその夢が叶った4年目に入ったときにお連れ合いの死という、彼女にとって最も過酷な場面に出会ってしまったのです。何と、人生というのは皮肉で冷酷なものかと思いました。宿命とはいえ、あまりの残酷さに言葉がありませんでした。

しかし、その後二人のお子さんも社会人となり、やっと彼女の気持ちも落ち着いて3年ぶりに今、卒論を仕上げるべく週に2~3日大学へ通学している、と云うことでした。さらに、現在、和服を洋服に仕立てる技術とセンスにより、「シニアのための企業支援」に応募して採用され、助成金を受けて起業する準備もしているといわれました。

これまでの人生が余りにも辛く、「自分ほど不幸な者はいない」と思っていたが、次の目標が出来たので、少し不安はあるが、これからは頑張って生きていくという彼女の生きる姿勢に、私は大いなる拍手を送りました。私も10月から新たな仕事が始まるので、二人で励まし合いながら、新たな人生に向かっていこうと約束しました。

何年も彼女のことが気になり、ききあぐねていたことも分かり、Oさんも元気を取り戻しておられたので、本当に安心しました。
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by eastwatery | 2007-09-21 21:33  

心に残る言葉(9月19日)

今日の中国新聞の朝刊に、日本医療コーディネーター協会理事長の嵯峨崎泰子さんのコーナー「患者の言い分 医者のホンネ」で、嵯峨崎さんが、ご自身の体験から医師に言われた「心に残る言葉」について書いておられました。

彼女の次男は、極小未熟児で生まれ、水頭症の疑いが生じました。そのとき、セカンドオピニオンを求めた医師が「この治療方針を選択されても、もし、彼に障害が残ったとしても、僕は彼が自立するまでずっと診ますよ」と発した、この言葉が、親としても、医療者としても、深く胸に刻まれた、とおっしゃっています。

彼女は、ファーストドクターの意見を非常に信頼していましたが、「彼らは親には、なれないのだ」という思いもありました。そして、懸命な医療を尽くしてくださっている医療者を、心の隅であっても責めることがいないよう、自己決定にこだわったとのこと。そして、セカンドオピニオンを求めた医師から先述の言葉をいただき、嵯峨崎さんは、「この医師は、患者を孤独にしない」と信じたのでした。

現在、次男は、体力も忍耐力も備わってきて、少しずつ成長し「彼が生きていることがありがたい」と思い、少しずつ、彼なりのスピードで成長していることが嬉しく、彼の成長は未熟児医療の恩恵の上に成り立っていると、いつも感謝していると、書いておられます。

私は、嵯峨崎さんの、この一文を読んで、私が息子を早産で1,850gで産んだときの、主治医の一言が、それ以後の子育てに、どれだけ安心感をもたらしたか、を思い出しました。1ヵ月半早い出産であること、41歳という高齢の初産であること、夫はヨーロッパ出張中で妊婦である私が一人で入院し、一人で出産したこと。そういう悪条件の中で未熟児出産。

多分、主治医はそれらのことを勘案して、私の心に残る言葉を伝えてくださったのだと思います。それは・・・・・「この赤ちゃんは、体重が少ないだけです。内臓は人一倍丈夫だし、今日生まれた7人の赤ちゃんの中で、この子が一番元気ですよ。何の心配もありません」。
この一言によって、単細胞の私は、全面的に主治医を信頼し、2,390gという体重で保育器を出て、退院しても何の心配もなく、普通の子どもと同じように、必要以上に神経を使わずに育てることができました。

小雪のちらつく1月中旬に退院しましたが、それ以後も2月中旬(この頃に出産予定でした)でも、天気の良い日には乳母車に乗せて外出していました。息子が4歳になった頃、ご近所の95歳のおばあちゃんが「息子さんが小さい時あなたは、あんなに小さい息子さんを連れて、よく外へ出ていたので、無事に育つかと心配していたよ」と仰いました。おそらく多くの人も同じような思いをもっておられたことでしょう。

息子は主治医が仰ったとおり、1年で標準となり、2歳では体重・身長共に4歳の体格に育ちました。そして、今は175cmの大男になり、「お母さん、小さくなったね」という青年になりました。今でも、ときどき主治医が言ってくだっさった言葉がどれだけ子育てにおいて重要な言葉であったか、と思う時があります。

嵯峨崎さんは、最後に「患者・家族と医療者は、合わせ鏡のようなもの。相手を尊重し、信頼し、医療と真剣に向き合う態度が、双方にいい影響を及ぼすと信じている」という言葉で結んでおられます。私も全く同じような考えであり、もし、これから自分や家族が病を得たときには、このような考え方でありたい、と思います。
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by eastwatery | 2007-09-19 22:50  

「敬老の日」とは?(9月18日)

昨日は、「敬老の日」でした。以前は9月15日が、その日だったのですが、「ハッピーマンディ」なるものがつくられて、それ以後は「敬老の日」は毎年変わるようになりました。単なる3連休になるからという理由で、「敬老の日」まで、ハッピーマンディになるとは思いませんでした。
私は、高齢者になったのは昨年ですから、まだまだ若い人に敬われるほどになっていません。しかし、大部分の高齢者は、第二次大戦の間、命をかけて戦ったり、食料の少ない中、子育てをしながら銃後の守りをしたり・・・・・、まだ、あどけない顔のままで特攻隊となって、飛行機と共に散ろうとしていた人だったり、国と家族を守ろうとわが身を呈してきた人です。

8月15日の終戦後は、敗戦後の何もない中で新たな日本を創るために、再びわが身を呈して働いてきた人たちです。そういう事実だけでも、高齢者を敬う価値は、十分あると思うのです。
では、実際にそうなっているでしょうか?「敬老の日」というのは、「家族がお年寄りを敬い、長寿を祝う」ということです。

「歳を重ねるということは、そもそも敬うべきことなのだろうか。体力も知力も衰え、働く力を失い、病気まで抱えてやっと生きているのは、ただ生命がそういうものだからに過ぎない。生命であるという一点において、年寄りもまた大事にされなければならないというだけである」と作家の高村薫さんは『AERA』に書いています。

確かに、現代の社会も家族も社会的使命を終えた年寄りたちは、公的福祉(医療や介護)の対象者とみなされて社会の負担と思われています。そうなると長寿を祝うどころはない、という話になるのでしょうか? 私は、そうは思いません。病気や事故で早死にする命もある中、平均寿命で言えば、男性は79歳近く、女性は86歳近くまで生きられるということは、やはりおめでたいことだと思います。

高村さんは言います「70歳過ぎまで生きたことを祝うべきは長寿ではなく、幸運の方だろう。また自らの幸運を祝うのなら、不幸にして短命だった命への感謝もなければ釣り合うまい。(略)自らの老いに敬われるような価値があるとは思わない。ただ命があることの厳しさを引き受ける人間ではありたい、と思う」。確かに、この考え方は分かります。

ここで、話が変わるのですが、1昨日の「異文化コミュニケーション」の中で私は、NZの老夫婦と日本とNZの親子関係を話したことを、参加者の皆さんに伝えました。老夫婦は、「日本は子どもが結婚後も親子が一緒に住んでいるという話を聴いているが、良いですね。どうですか?」と私に尋ねられました。(日本は、30年前でも既に核家族が多かったので)「日本はNZより3世代で住んでいる家族が多いかもしれませんが、そのためにいろいろ感情的なトラブルもあったりするので・・・」という話をし「Aさんのところの親子関係はどうですか?」と尋ねました。Aさんは、「毎朝、孫が学校へ行く前に”おはよう、今から学校へ行くよ“と電話をかけてくれます。そして、毎週土曜日か、日曜日に車で30分くらいかけて家族で私たちを訪れてくれます」という話をされました。私が「それは、お二人にとって、とても嬉しいことだし、お幸せですね」と話したときの、お二人の本当に幸せそうな笑顔を忘れることはできません。

私は、この老夫婦のお話を聴いたとき、NZでは「親子が、物理的(距離的・時間的)に離れていても、お互いが関心をしっかり持って心でつながっている」と思い、とても感動しました。
というのは、日本の場合、物理的に離れてしまったら、心まで離れてしまう傾向があると考えていたからです。だから、「敬老の日」には、このNZの老夫婦の話をいつも思い出すのです。

「敬老の日」は、親子でなくても誰でも、改めて「お年寄りを敬ったり、大事にしよう」と思うのではなく、日常生活の中で、関心を持ち、心をつなぎ、思ったことを行動に表わすことだ思います。

そして、現代の「敬老の日」は、初めにも書いたように第二次大戦の大変な中をここまで生きてこられた人、日本の再建のために働いてくださった人に、心から感謝の気持ちを表わす日だと思います。
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by eastwatery | 2007-09-18 22:10