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神戸から帰ってきました(7月30日)

2日間の神戸への旅は、2日間をフルに使って楽しみ、癒され、食を楽しみました。
これも、この旅をプランし、コーディネートしてくださった神戸在住のNさんのお陰です。
かっての活動仲間のNさんとは、4ヶ月ぶりの再会でした。その間、彼女とはメールやハガキなどでお互いの近況を伝え合うことをしていたので、それほど時が経過しているとは、思えませんでした。

私を含む今回の旅行者5人は、早くから神戸行きを考えていたので、「ひかりレールスター」のコンパートメント(4人用個室)の予約ができた上に、神戸の100万ドルの夜景も楽しむこともできました。コンパートメント4人用の座席を5人で座り、神戸到着までの1時間半は、5人で賑やかにおしゃべりのしっぱなし。「コンパートメントでなければ、こんなに遠慮なく話せないよね」といいながら、その姦しいこと。

新神戸駅に着いたら、いつもの穏やかで、にこやかな笑顔で私たちを迎えてくださったNさん。
早速、彼女作成の2日間スケジュール表をいただき、「2日間 in Kobe」の旅が始まりました。
まず、はじめに元町駅前のホテルに荷物を預け、身軽になって近くの南京街の店などを一通り見て歩き、次には坂道の異人街へ出かけました。道路や歩道は広く、街路樹も大きく、青々とした葉が茂りクマゼミ(?)が喧しいほど夏の日差しの中で短い生を精一杯謳歌し、賑やかでした。
次に、坂道の道路沿いにあるエキゾチックな店や手作りの店などを訪ねました。その通りには、モスクの教会、西洋建築もあり、ある程度坂を登りきった所にある、イギリス人の豪商の邸宅などでは、しばし異国情緒たっぷりの雰囲気を楽しみました。道路沿いにはハンギングプランターに花々が植えられ、道路沿いの家々にもあちこちに花が植えられていました。神戸市がいかに観光に重点をおいているかが、分かりました。

坂道、そこから見える海、広い道、植えられている花々、個性的なお店など・・・・・どこかで見た懐かしい景色でした。それは、NZのオークランドの町並みによく似ていました。NZ大好きな私は、神戸の町並みを歩きながら、やはりNZに移住したいと強く思いました。

その後、昼食にはNさんが予約してくださっていたレンガ造りの小規模のホテルのフレンチレストランでコース料理をいただきました。リーズナブルな値段でこれだけの上品な味のメニューを
いただけるとは、思ってもいなかっただけに、ここを選んでくださったNさんのセンスに脱帽。
暑い街路を歩いた後、静かでゆったりとした空間で、気の合う仲間と美味しい料理をいただくことは、夏の疲れを癒すにはピッタリのものでした。

全部書いていたらきりがないので、ちょっと間を省略しますが、夕方からは、神戸の100万ドルの夜景を見るためにゴンドラとケーブルカーを乗り継いで標高700mの高台に行きました。まだ、夕闇が迫るまでには少し間があるようでしたが、そこから見た神戸の街は非常に幅広く広がった街の印象がありました。ケーブルカーに乗った頃から少し雨が降ったために、残念ながら、沖合いの海を見ることができませんでしたが、次第に眼下に広がる夜景を楽しむことができました。ところが、突然の雷と雨。しばらくゴンドラを動かすことができず、ここで、中華料理店に予約していた時間を遅らせることとなりました。幸い、雷は長時間にわたるものではなく、何とか無事に中華料理を楽しむことができました。私たちが訪れたのは上海料理のお店でしたが、ここでも上品な味であり、後味のとてもいいものでした。その後はホテルに帰り、とうとう夜半の3時頃まで語り明かし、神戸の第1日目は終わりました。
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by eastwatery | 2007-07-31 00:26  

神戸へ行ってきます(7月28日)

明朝、広島を発って神戸へ行き、1泊するので明日のブログはお休みをします。私にとって神戸への旅は初めてです。これまで、どちらかといえば、国内より欧米への旅が多かったので、これからは時間とお金が許す限り、少しずつ国内旅行をしたいと思っています。いま一番行きたいのは上高地&白川郷です。私たちは今年結婚45周年ですが、新婚旅行が上高地だったので、再度訪れたいと思っています。

さて、神戸には私の大好きな友人Nさんが住んでいます。彼女とは僅か1年の付き合いでしたが、心の奥に響く言葉を交わし、気持ちを癒していただきました。彼女のお連れ合いの関係で数年毎に転勤があり、広島在住もわずか2年でした。昨年、ある活動で彼女と出会い、彼女が神戸に引っ越すまでの1年間、私の精神状態が不安定なときに、よく支えていただきました。

穏やかな性格の彼女は、活動仲間からも人気があり、このたび希望者で神戸へ彼女を訪ねていき1泊し、みんなでおしゃべりしようということになりました。ストレスが溜まりやすい活動なので、こうして開放的な雰囲気の場で話すことは、大いにストレス解消になると思います。

この神戸行きの話は、すぐにまとまったので、1ヶ月以上前に5人分の申し込みをすることができました。この旅は、JTBエース京都・大阪・神戸への個人旅行のパックです。早く申し込んだのでレールスターの4人個室も取れたし、早得サービスで@500円安くなります。また、このパックの得点で神戸夜景鑑賞プランが500円で、掬星台(さくせいだい)で、ミラクルワイドな1000万ドルの夜景が楽しめると、パンフレットには書いてあります。標高700mから眼下に神戸の街を見下ろすことになります。

7月初旬に函館へ行ったときに、やはり宝石を散りばめたような夜景を見て感激し、しばし静かに見とれていましたが、神戸はどうなのでしょうか。楽しみです。ホテルはパック旅行なので、プランの中から、繁華街に近いところを選びましたが、後の食事処、ティールームなどは、神戸在住のNさんが、既によく調べて決めてくださっています。

神戸の旅から帰ったら、「日本女性会議2007ひろしま」の活動が本格化しているので、忙しくなりそうです。私が担当している分科会:キャリア教育の定員100名に対して、後もう少し参加者が不足しており、何とか定員まではいくようにメンバーと話し合って戦術を考えよう、と思っています。
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by eastwatery | 2007-07-28 23:16  

あと、もう少し(7月27日)

昨日は、すっかり疲れてしまってブログをお休みしてしまいました。昨日は、選挙事務所で電話かけ。様々な人へ、何人電話をかけたのでしょうか?そのうち、どれだけが、留守番電話だったり、全く留守だったでしょうか?そういうほど、留守の家は多かったのです。

何度かお茶を飲んで、のどを潤しながら2時間半電話をかけ続けた後、ちょっと休憩。支援者から差し入れの、広島名物のお菓子を頂きながら、電話仲間とちょっとしゃべり。リーダーの方が、「電話かけは、大変な仕事だし、ストレスが溜まるのだから、他の人より少し多く休憩を取ってください」といってくださいました。しかし、名簿に記された名前の多さを見たら、そんなことは、かまわず、またすぐに電話かけを続けました。

今度は午後6より広島の一番賑やかな繁華街で候補者の演説中、そこを通り過ぎる人たちへのチラシ配り。ちょうど1日の仕事や学習を終えて自宅へ向かう人や、他の場所へ移動する人など、老若男女、様々な人が通りを行きかいます。私が支援する候補者のテーマをキャッチフレーズのように言いながら、チラシを渡そうとするのですが、これがまた、難しいのです。なかなか、受け取ってくれる人がいないのです。

じゃあ、どういう人が受け取ってくださるのか?まず、中高年の女性であれば、お願いした人の1/2は「命と平和を守る」ということに反応を示して受け取ってくださいました。日頃は、私はチラシを受け取る側に立っているのですが、昨日は反対の立場に立ってみて、1枚チラシを受け取っていただくことが、いかに嬉しいか、よく分かりました。一番関心がないのは、政治にもほとんど関心のない若い世代、特に男性たちは、チラリとこちらを見ることもなく、いかにも「迷惑」という感じで逃げていきます。「ちょっと、読んでいただけますか?」といっても、いかにもいやなものでも見るように、そそくさと走っていきます。

しかし、中には女性たちの中に「がんばってね!」「応援しているよ!」といってくださる人もいて、これで勇気百倍いただき、また、張り切ってチラシ配りができるのです。気づいて見れば、繁華街の本通を一直線、その端まで行ってしまっていました。最後にリーダーの方が「貴女は、チラシを受け取ってもらうのが上手だね!」と褒めてくださいました。

それにしても、チラシ配りをしても学ぶことは、たくさんあります。その受け取り方の表情、態度でその人の人柄が分かります。受け取らないにしても、にこっと笑顔で「ごめんなさい」ということが大切なこと。特に選挙のチラシは、自分の考えに新たな知識や価値観を加えていくことができるのですから、あるいは、批判的観点も養ってくれるのですから、受取ったほうがいい、と思いました。私は、今日は仕事で選挙事務所は行かず、明日も所用があるので行けません。そして、投票日の29日は神戸に泊まることになっているので、広島にいません。したがって、昨日が、事務所での作業をする最後の日でした。もちろん投票はもう、済ませました。

選挙事務所のスタッフの人たちに挨拶をし、私の選挙事務所のお手伝いは終わりました。
しかし、この2週間行ったり行かなかったりの日々でしたが、私が尊敬し、生きることにおいても、同じ価値観をもって精一杯生きていく姿勢を持っておられる人のお手伝いができて、本当に幸せでした。はじめての選挙事務所のお手伝い。少々疲れはしましたが、爽やかな風を感じながら、同じ仲間と共にステキな時間を持つことができました。
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by eastwatery | 2007-07-27 22:09  

参議院選挙まで、あと4日(7月25日)

投票日の29日までには、あと4日ですが、活動ができるのは後3日です。今日は、学習相談、学習会、定例会とあったので、今日は選挙事務所のお手伝いは3時間しかできませんでした。
だから、初めから電話かけの役割をしました。

電話かけの仕事は、人間観察(?)になると思いました。また、世情を知ることもできました。とにかく留守が多いのです。しかも、留守番電話でメッセージを残すようになっていないので、吹き込みもできません。パートや派遣・契約社員も含めて、共働きが多いとは思っていましたが、これほど留守が多いとは、正直驚いています。わざわざ留守番電話にメッセージを吹き込まなくても、急ぐときには、ちょっと親しい間柄であれば携帯電話をかけて用件を伝えることはできます。いまや、多くの人が携帯電話をもっているのですから。

しかし、田舎辺りになると、留守番電話の代わりに高齢者、主に女性が多いのです。しかも、とても丁寧に応対してくださいます。こちらの一生懸命さが伝わるのか、それを思いやってくださるのか「暑いのにご苦労様です。がんばってください」といってくださる方が、結構いらっしゃいます。こちらがお願いしているのに、こちらの大変さを気遣って、このような言葉がけをしてくださるつつましさや思いやりは、最近は忘れ去られているように思いました。電話に出て下さった高齢の女性の方々に言葉がけの大切さを学ばせていただきました。

この世代の女性たちにおいては、高等教育を受けていらっしゃる方は稀だと思います。「教養」とは、どういうことか、何を表わしているか、ということを考えました。現代の高学歴女性は、大学卒・大学院修了の人も多いと思います。では、彼女たちが、今日私が電話を受けた高齢女性の方々のような応対をどれだけの人ができるか、と考えたとき、皆無に近いのではないかと思いました。

その一方で、男性の場合は、非常にぶっきらぼうで、面倒くさいという対応をする人が多いようです。中には途中で「もう投票した」といって、プツンと電話を切ってしまう人もいます。確かに、その心境も分かります。あちこちの候補者からかかってくるのですから、面倒なのも理解できます。

しかし、ここには「ジェンダー」が関係あるように思います。女性は幼いときから思いやりをもって、相手を気遣い、人間関係をうまくやっていくように育てられているということ。その一方で、男性は女性よりも優れている、能力が高いという意識で育てられています。だから、電話をかける人が女性であれば、自然に前述のような対応になってしまうのでしょう。

こうしてみると、学ぶことはどこにでもあるものだと思いました。選挙事務所のお手伝いも私にとっては、生涯学習の一つになったようです。
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by eastwatery | 2007-07-25 23:42  

愛情と真心 手作り弁当(7月24日)

広島には「夜廻りの会 廿日市」という会があります。代表者は59歳の女性のYさんです。彼女は、13年間毎週土曜日の夜、路上で暮らすホームレスの人たちに手作り弁当を届けていて、この活動を一度も休んでないということです。

彼女は「一人じゃないんよ、おっちゃんらのこと、いつも見ているよ」という思いを伝えたくて、目でも楽しんでもらえるように彩にも気をつけています。この弁当は220人分、すべて彼女一人でで作っています。使う食材は20品目。「1週間に1回のこと。手なんか抜けません。体にええなあと思うと、うれしゅうて、うれしゅうて」と彼女は言います。

Yさんは、家庭の事情で親戚の家を転々とし、中学の3年間は児童養護施設で暮らし、このときに200人分の食事作りをしたとのこと。今、弁当作りをするときに、この時の経験が大いに役立っているそうです。戦後の混乱期、「毎日、まっとうに食事をいただけることは夢のようだった」という体験が、「おっちゃんらにも幸せのおすそ分けをしたい。」という気持ちとなり活動の原点なのです。

ホームレスの人たちを「働かない怠け者」といい、世間の目は厳しいのです。しかし、Yさんは「違う。路上で暮らす多くの人々は懸命に実直に働いてきた人たち。」バブル崩壊以降、働く環境は、めまぐるしく変わり、いろいろな人が路上にはじき出されてきました。「今の世の中、足の引っ張り合い。でもおっちゃんらは違う。助け合って生きている」とYさんは言います。こういうYさんに対して夫のKさんは努力を惜しまず、夜回りの時には車を運転し、広島の13箇所を廻っています。彼いわく「ボクは女房を尊敬しています。困っている人を見たら、ボクならどうしようと思うが、女房は突っ走っていく。」家計からの持ち出しも多いが、「女房が輝いてくれれば、いいんです」とKさんは言います。

もちろん、この13年間多くの人たちからの温かい支援がありました。旬の野菜や米、衣類や家庭用品・・・などなど。現在協力者は広島以外、東京と、長野県などにも広がっています。
私も一度、活動発表会場で彼女の実践発表を聴き、彼女が望んでいたTシャツ、タオル、セーターのほか、気持ちとして2,000円入れた箱を宅配便で送ったことがあります。すぐに返信の手紙が来て、「原則としては、私はお金を頂くことはしていません。しかし、今回は、お心としていただき、靴下を買わせていただきます」と言う手紙が添えられており、同時にカラフルなお弁当がずらりと並んだ写真が同封されていました。気軽に小額といえどもお金を入れたことは、少し彼女の心を傷つけてしまったようで、申し訳ないと思いました。

彼女は3年前に膠原病を発病し、今は無理の聞かない体になっているといいます。しかし、Yさんは「おっちゃんが待っている。やめられへん。いけるところまで、いくしかないねん」と白髪の穏やかな顔で答えます。ホームレスの人たちにとって「一人でも温かい気持ちで自分たちを見守ってくれている人がいる」ということが、どれだけ彼らの生きる意欲を引き出しているか。
マザーテレサは「愛情の反対は憎しみではありません。無関心です」といっておられます。

ここ数年、労働環境は厳しくなり、格差はますます広がっています。「勝ち組み、負け組み」という言葉が、マスコミでも取り上げられ、話題にはなりますが、その格差をどのように解決していくかという施策は考えられていません。その間にも若い世代では、アルバイトをしながら泊まる所もなく、インターネットカフェで仮眠をする人が増えています。このような形の働き方が増えてくると、彼らは、やがてはホームレスへの道をたどっていくことになります。

日本全国、どこでもYさんのような人がいるわけではありません。29日には参議院選挙が行われます。今回の大きな問題点は、年金ですが、それだけでなく経済格差が進む現状を解決していく施策を提示していくべきだと思います。
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by eastwatery | 2007-07-24 22:37  

ハイビスカスの花のお便り(7月23日)

今日は朝早くから選挙事務所に出かけ、めまぐるしい時間を過ごしました。それでも、ボランティアの人たちと楽しみながら作業をすることができたのは、幸せでした。

午後7時半頃自宅に帰ると、友人などから暑中見舞いが来ていて、疲れが一気にとれました。
その中の1通に、函館の友人の義姉の方からのお便りがありました。先日の北海道旅行の途中で函館の友人に電話をしたところ、1年のうちにご夫妻ともお亡くなりになっていることが分かり、あまりの出来事に愕然としました。その時に、友人の技師の方が、私のようなにご夫妻の逝去を知らない人のために電話をご自分のところに転送してくださっていたので、友人夫婦のことを詳しく聞くことができました。

私たちは、この友人夫婦にNZでも帰国後も、とてもお世話になっており、「お互いにいつかは会おうね。そのときは函館ね!」などと言っていたにもかかわらず、私たちの訪問が遅かったために、とうとうご恩返しをすることもできませんでした。そのことが、残念なのと申し訳ないのとで、北海道旅行から帰宅して、すぐ花屋さんに行き、白と薄紫に淡いピンクを加えてもらって仏前に供えるフラワーアレンジメントを義姉の方が住んでおられる相生市に送りました。お花が届いたその日に、すぐにお礼の電話を頂きました。そのときには、すぐにお花を仏前に供え、私のお話したことを仏前に報告したと涙声で伝えてくださいました。

そして・・・・・今日。赤いハイビスカスの大輪がハガキの画面いっぱいに写っているお便りが、義姉の方から来ました。文面には、「函館で二人が大切に育てた小さなハイビスカスの鉢植えを相生(彼女の自宅)で大切に見守りました。主なき淋しさを哀しむように美しく開花しました。うれしくてうれしくて、ごらんになってくださいませ(略)。」とありました。友人は、彼らの子どもには恵まれなかったものの、このように優しいお姉様に恵まれ、死後も大事にしていただいて、本当に良かったと安心しました。しかし、やはり逢うことができなかった無念さは、なかなか消えることはありません。

お便りの最後には「これからもお身体をお大切になされまして兄夫婦の分までも、どうぞお健やかにと、お祈り申し上げます」と書いてありました。人の寿命は、もしかしたら生まれた時に決まっているのかもしれないと、時々思うことがあります。でも、そのことを知らないからこそ安心して生きていくことができているのです。

義姉の方が言ってくださるように、友人夫婦の分まで私たちがどれほど生きていけるかどうかわかりませんが、友人夫婦に恩返しができなかった分を、少しずつ社会や友人に返して生きていきたいと思ったことでした。
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by eastwatery | 2007-07-23 23:27  

ボランティアにとっての報酬(7月22日)

今日は午後から市民参画講座「変えてきた、変わってきた、ひろしまの女性、いまむかし~女性施策の時代から男女共同参画の時代へ」の講座を受講してきました。講師は広島女性学研究所のTさんによる「女性の視点を大切にする」というテーマで、もう一人は市会議員のIさんによる「グループのづくりから市政への参画」というテーマで話されました。

二人に共通していることは、「個人的なことは政治てきなこと」であり「マジョリティよりマイノリティを変えていくこと、弱者の救済」ということでした。このことは、女性がこれまで弱者の立場にあって、自己主張もできず生きてきたことと関係があると思いました。しかし、今、お二人は堂々と自分の信じることを明確に示し、常に前を向いて進んでいらっしゃいます。

この講座終了後、知り合いの若い人を誘ってKさんの選挙事務所のお手伝いに行っていました。このとこ連続してお手伝いに行っていますが、だんだん29日が近づくにつれ、やらなければいけないことが増え、私自身の中に緊迫感を感じるようになりました。今、私がお手伝いをしているのは単純作業で特別の技術や技能が要るものではありません。がとにかく明日の午後3時くらいまでに、この作業を終えるためには、一人でも共に活動してくださる人が必要だと思っていました。

お手伝いを承諾し、一緒に作業をして下った人は、Aさんといい、20代後半。今までは「選挙の投票に行ったり、行かなかったり・・・」というように自分の生活の中で政治が遠い世界になっていたといいます。しかし、今日の講座の話を聴いて、「今回は、ぜひ投票に行こう」と思ったとのこと。2時間ほど、作業を共にした後、彼女は「これからは絶対に投票にいきます!」と張り切って事務所を後にしました。ボランティアの人たちがみんな真剣に黙々と作業に取り組んでいる様子は、彼女に何か期するものを与えたのだと思います。

金子郁容著『ボランティア もうひとつの情報社会』(岩波新書)には「ボランティアの『報酬』とは、その人がそれを自分にとって『価値がある』と思い、しかも、それを自分ひとりで得たのではなく、だれか他の人の力によって与えられたものだと感じるとき、その「与えられた価値あるもの」がボランティアの報酬である」という一文があります。今日の私のボランティア感は、そのように思いました。この一文の続きに「その意味で、ボランティアは、新しい価値を発見し、それを授けてもらう人なのだ」というのがあります。この言葉は、Aさんにプレゼントしたい言葉だと思いました。
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by eastwatery | 2007-07-23 00:03  

生涯学習相談会(7月21日)

今日は、午後2時から広島市まちづくり市民交流プラザから依頼された月1回の生涯学習相談会の日でした。そのため選挙事務所の作業が少ししかできないので、午前9時半からは作業に取り組めるように、早く家を出ました。だから、事務所へは一番乗りでした。

その後、1時半に選挙事務所を出て午後2時からは、プラザでの生涯学習相談会に臨みました。事前に広島の各大学や公開講座の情報、社会人学生の合格体験記や、その他諸々の資料を揃えて相談者を待ちましたが、最後まで相談者なく0でした。

その間、ただ待っているのはもったいないので、その時間は、プラザの担当者の方と次回から「生涯学習相談会」という堅い名前ではなく、気軽に来られるような名前にしようと話し合い、生涯学習、相談会を何か別の言葉に変えることと、キャッチコピーも考えることにしました。

たとえば、「新しい人生の楽しみ方を探す」、「第二の人生のライフプラン」、「”私が私であるため“に学びます」、「新たなスタートは定年後」などなど。そして、呼びかけの言葉は「いつでも、どこでも、だれでも、学びたい人!」、「まだ、まだ、学びたい人、応援します」。

だから、相談会というのではなく、「語り合う」という形式にしようということになりました。たとえば、お茶を飲みながら、過去の公開講座を活かして充実した日々を送っている人、中高年世代から大学を目指した人、働きながら学んで大学院を修了した人などの話をしながら、疑問や質問を出してもらうとか。また、プラザの担当者としては、いかにして目を引くチラシをつくるか、いろいろ話し合いました。

しかし、一番の問題は、最近人々が「学習」、「勉強」、「学ぶ」ということに対してアレルギーがあるということです。その一方で「楽しい」「役立つ」「スキルが身につく」などには敏感なのです。しかし、相談などは、余程本人の意欲があって、目標が明確でなければ、すぐに役立つものではありません。相談会場の雰囲気は「楽しく」というよりも「開放的で、緊張しないで何でも話せる」という雰囲気が必要だと思います。私の唯一の特技は雰囲気作りなので、それだけは、あまり気にすることもないようです。

今日は、NPO相談会も相談者が0ということでした。子どもたちの夏休みが始まり、人々もなんとなく相談という気にもならなかったのでしょうか? 私としては、相談者0は楽といえば楽ですが、やっぱり一人でも相談者がいた方が、遣り甲斐があったと思っています。
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by eastwatery | 2007-07-21 21:13  

はじめてのお泊り(7月20日)

大部分の小学校が今日が終業式をし、明日から夏休みに入ります。「夏休み」といえば、私は息子が3歳の夏休みのことを思い出します。

当時、今は小学校教員になっている甥が、我が家に大学生として下宿していました。甥は、夏休みということで実家に帰省することになり、息子のKがどうして甥と一緒に私の姉の家(甥の実家)に泊まるというのです。でも、まだ3歳、それに、親から長時間離れるのは3歳7ヶ月の人生で初めてのことです。バス停まで一緒にいけば、そこから帰ってくるだろうと、たかをくくっていた私を尻目に、Kはバスの窓から嬉々として私に手を振りながら行ってしまいました。親としては、彼の自立を認めてやるチャンスだし、理屈としては、よく分かっていても、なんとも寂しく、不安な気持ちでした。

夕方、電話をかけたら、Kは少し湿りがちの声で「帰りたい」という意味のことを言いましたが、ここが踏ん張りどころと思い、翌朝早く夫と迎えに行く旨を言い、Kを励まして電話を切りました。あとからの話では、夫も夕方職場から息子へ電話をしたらしく、「今すぐ迎えに来て!」という返事だったとのこと。大人でも夕方は人恋しく、ちょっと心細くなります。それまで3人の甥たちと大声を張り上げて遊んでいても、そこはやはり3歳でした。でも、私たちの声を聞いて落ち着いたのか、それ以後は、夕食もぺろりと平らげたと、姉から電話がありました。

さあ、いよいよ寝る時がきました。お気に入りの絵本を3冊、母乳育ちのKは、ちょっと私のお乳に触れながら本を読んでもらい、眠りにつくのが息子のいつもの習慣でした。姉から聞いたところによると「今晩は、ボクのおっぱいをもって寝る」といって両手を自分のお乳に当てて寝る様は、なんともいじらしかったということでした。

翌朝車で1時間余りの姉の家へ愛犬ロッキーも連れて息子を迎えに行き、爽やかな息子の笑顔をを見ることができました。この経験は彼にとって大きな自信になったようで、一度に幼児から少年になったように思いました。
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by eastwatery | 2007-07-20 22:00  

堀田あけみさん~自閉症の子を育てる~

高校2年の時に「1980アイコ十六歳」で文藝賞を受賞した堀田明美さんが、AERA’07.7.23』に「自閉症の子を育てる」を書いています。

彼女には現在、小学校の養護学級に通っている小学校2年生のKくんがいます。彼は自閉症です。自閉症は、先天的な脳の障害原因と考えられ、言葉の遅れや対人的なコミュニケーションが上手にとれない広範な発達障害です。しかし、Kくんの場合は、言語に関する能力が非常に劣り、特に聴覚言語の処理が悪いので、会話が困難とのこと。

Kくんの障害が分かったとき、堀田さんは育児経験があり、発達障害についての知識もあったが、それでも大変だったとのこと。障害のある子どもを持つと「将来何になれるのか」「将来、何ができるのか」とありとあらゆる不安に襲われます。しかし、彼女は子育てが大変なのは障害のせいではない、障害がなくても子育てに不安はつきもの、と考えているからです。しかし、彼女は「大変なことほど達成感があって楽しい」と障害児をもつことも、子育ても前向きに捉えているのです。

しかし、障害児を持った場合「次の子どもをどうするか」という問題にも突き当たるでしょう。私の場合も、私が41歳の初産だったので、妊娠したときお医者様から「女性は40歳以上になると、卵子が古くなるので、ダウン症などの子どもが生まれる倍率が高くなる」と言われました。当初、私はそのことを気にしていましたが、「結婚20年目に授かった子どもなのだから、どのような子どもでも僕たちの子どもだから、そう思って育てよう」といった夫の一言で、何の心配もなく楽しんで出産の日を迎えることができました。

そして出産した途端、私は第二子を産みたいと思いました。そこで、また「次の子どもをどうしようか?」ということに突き当たりました。夫とこのことについて話しあった結果、もし何らかの障害を持った子どもが生まれた場合、私たちの死後、生まれたばかりの息子が、第二子の世話をするということになった時、それでいいのか?息子の人生はどうなるのか?と考え、第二子を持つことは諦めました。しかし、堀田さんの持論は、障害を理由に次の子をあきらめることはない、というものです。

Kくんは、表情が豊かで人懐こく、街でであった同級生が「Kちゃん」と声をかけてくれたり、K君がしゃべれなくても子どもたちは「おれはKちゃんが好きだから、Kちゃんがなんて言っているか分かるんだ」といってくれるとのこと。そのようなKくんから堀田さんは、多くのことを教わったといいます。たとえば、前向きになること、現状に満足することなどです。

もう一つ、「困ったときにはSOSを出すことは大切」と思い、「大丈夫じゃないから、助けて」と夫や周囲の人にも言えるようになったそうです。そして、最後に堀田さんは「この先、障害を持つ子と生きていくことが、どれほど苦しく楽しいか、Kから教わると思います。けれど、どんな状況でも楽しいことも一杯あるんだよ、といい続けていけたら幸せです」と結んでおられます。
私の甥が小学校教師になる前の大学生のとき、ボランティアで障害を持った子どもたちや母親と
触れ合う活動をしていました。そのとき甥は「おばちゃん、障害を持っているお母さんの方が、そうでないお母さんより余程明るく、バイタリティーに溢れているよ」と言ったことがあります。

おそらく、相当悩んだ末に、結論としては堀田さんのように「障害がなくても子育てに不安はつきもの、前向きに生きよう、現状に満足しよう」という思いに至ったのだと思います。そのように考えられるようになったのは、健常児をもつ母親よりも早く、人生を深く考えられるようになったのだと思います。私は、今でも「第二子を産んだ方が一人息子に対して良かったのか、どうだったのか」と思うことがあります。特に親の死後、きょうだいがいることが、どんなに力になることがあるか、でも、息子には何でも相談できる先輩やよき友人もいる、それで良かったのか、と思ったりします。また、堀田さんのこの一文を読んで、第二子出産について、もっと積極的に考えても良かったのかとも思いますが、とにかく今は、「これでよかったのだ」と思って生きていこうと思います。
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by eastwatery | 2007-07-19 19:27