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「社会人のための大学・大学院合格の秘訣」(5月30日)

社会人学生を目指す人、社会人学生のOB・OG,社会人学生の現役で構成されている「社会人学生ネットワークきらめき」(愛称:SGネットきらめき)は、今年の7月4日で発足して3年になります。会員の年代は30歳代~70歳代と様々で、会員数は現在、約30名います。2月末には、ニュースレターと共に「社会人のための大学・大学院合格の秘訣」を発行し、会員を初めとして、関係各所にも置かせていただき、希望者が無料で持ち帰りができるように、200冊を作成しました。

内容は、大学・大学院に合格をした人の体験記と共に、社会人学生に必要なスキル、社会人のための入学希望者への相談・支援、社会人学生のための大学活用情報~、社会人のための大学活用情報~制度解説・用語集~、社会人に対する大学の制度、県内の大学図書館の開放状況(一般市民)、全国通信制大学・短期大学。大学院一覧とあわせて40ページの冊子となっています。

昨年から広島市まちづくり市民交流プラザから、社会人用の大学進学コーナーを設けた棚に、SGネットきらめきの案内や、ニュースレター・「合格体験記」を置いてほしいとの要望を受け1年を通して置かせていただいています。また、広島市女性教育センターでも、これらのものを置かせていただいているのですが、特に「合格体験記」は好評で何度も追加をしています。嬉しいことには、1年間のカリキュラムの中で男女共同参画を男女で学ぶことができる「エソールひろしま大学」にも置かせてもらったところ、広島校・福山校ともあっという間になくなり、さらに20冊ほしいとの要望がありました。これまでも1昨年同様「体験記」の冊子を発行しましたが、今年は特に追加発行の要望が多いのは、次第に社会人学生に対する理解が進んできたのではないかと思っています。

今回は夫と二人で印刷・製本をし、200冊を7時間かかってつくり上げたのですが、これほど
皆さんに喜んでいただいているのは、嬉しい限りです。しかし、編集から始まり、体験記を寄せてくださった人の文章の編集、カット挿入、各種情報をインターネットによって調べたり、分からない部分は、直接大学の担当者に尋ねてみたり・・・・という作業には、私一人でしたので、どのくらいの時間がかかったのか、わからないほどの時間の長さです。

講演するときも、ニュースレター・体験記を20部ずつ持っていっているので、200部の残部はあとわずかとなってしまいました。再発行する必要があります。前回印刷・製本したとき、夫は「コーヒー一杯で騙された」といいつつも、私の最大の味方となって協力してくれました。このSGネットきらめきの活動については、会員はいるものの、現役社会人学生にとっては、この活動を共にするほどの余裕はないので、OB/OGが活動する必要があるのです。

会員の中には「たくさんのお金を使って苦しい勉強をしなくても、それだけのお金を使って旅行や美味しいもの食べればいいのに・・・」といわれた人もあります。まだ、まだ社会人が大学進学することに対する偏見のない意識は、つくられにくいのが現状です。そのためにもこの体験記を読んで、厳しいながらも自己実現を果たして、前向きに生きている人がいること、「学ぶ楽しさ」を実感している人たちの手記を読んでもらいたい、大学進学に第一歩を踏み出せない人の背中を押す意味でも、この体験記は、ある程度の役割は果たしていると思います。

近々、夫の二人三脚で、さらに100冊を印刷・製本をしようと考えています
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by eastwatery | 2007-05-30 23:11  

現代の肖像~プロゴルファー中嶋常幸~

夫がゴルフ好きなので、以前から中嶋常幸という人の名前や顔を知っており、彼が何度も大きなタイトルを取っていることも知っていました。また、彼より少し年上の青木、尾崎と一時代を築いた人だということも夫から聞いていました。

その容貌と彼の実績から、いい家のお坊ちゃんで、何の苦労もなくプロになった人だと思っていましたが、『AERA No.22』の「現代肖像」に彼が取り上げられているのを読むと、その生育歴、父親の期待と愛情の中での葛藤、プロの勝敗の世界に生きる厳しさと挫折・再生などがあり、 私が彼を大きく勘違いをしていたことが分かりました。私は、福山市で「自分らしさを求めて」をテーマに2回の講演をしているのですが、中嶋さんの人生は、まさに「自分らしく、ありのままに生きる」ことに気づき、多くの人との人間関係によって、挫折から再生をしているのです。

彼は、父親の影響で10歳からゴルフを始め、21歳でプロゴルファーになりました。父親は家族にとって絶対的な存在であり、彼はその父親に従い、毎日登校前に30キロの錘を載せたタイヤを引き、帰宅後は約3、000球を打ち続けたそうです。態度が悪ければシャフトでたたかれ、高校もゴルフのために退学させられ、結婚後も同様の理由で妻とは寝室を別にされたという徹底した父親の管理化にありました。

そのようにゴルフ一筋で成長し、プロゴルファーになっても常に父親が心の中にいて「優勝を見せつけることが自分のゴルフ」ということでゴルフをやっていましたが、父親の死によって彼は最大の目標を失って心の中には大きな穴があき、長い長いトンネル状態の生活となってしまいました。「父親は自分のことを本当に愛してくれたのか、何のために自分にゴルフを教えたのか、自分は父親に大切なことを伝えられたか」と悩み続け、どの大会へ出てもいい成績から遠ざかり、ついに引退を決意するところまで行ったそうです。

そのことを30年来の親友の飲食店を営むYさんに語ったときにYさんは涙を流しながら、「やめるのはいつでもできる、俺も苦労したけど、乗り越えてきた。プロもボロボロになるまで闘ってくれ。俺もボロボロになるまで応援するから」と言いました。それを聞いて中嶋は「練習しろとか優勝しろとかじゃなくて、彼はただ試合を、ゴルフを続けてく、それだけを願っている。それが嬉しい。ゴルフを続けよう」と思ったのです。もがき苦しむ中嶋を支えたのが、親友のYさんだけでなく妻であり、その友人たち。彼らは、プロゴルファーの中嶋ではなく、一人の人間として受け入れてくれる人たちに心を癒されました。

もう一つ、彼が再生するきっかけになったのが、病床にある弟から送られてきたある牧師の話のテープだったとのこと。そのテープには「ナンバーワンじゃなくてオンリ-ワンの人生を歩みなさい」と言う言葉があり、その言葉が彼の胸に飛び込んできました。まだ、スマップの歌が歌われていないときの話で、その言葉を知ってからどこへ行くときもその歌をずっと聴いているうちに「ナンバーワンじゃなく、自分らしいオンリーワンのゴルフをすればいい」と気づいて、見失っていた目標が見えてきたとのこと。

その後教会へ通い祈っているうち「負ける自分が許せない、ずっと若くて強い自分を追い求めていたが、現実の自分は髪が薄く年齢を重ねていることに気づきました。そういうありのままの自分を受け入れられるようになって、スランプすら有難く思えるようになったのです。その後、心を閉ざしていた時に見えなかったものが見え、感じられ、長い間悩み続けた父親との関係も自然と答えが出ました。「自分が子どもを愛するより、父親が自分を愛してくれた分量の方が、はるかに豊かなこと」に気づいたということです。猛練習で一人前に育ててくれたことが何よりも愛情の証拠だったと気づいたということです。

こうして、いままでに3回あった大きなスランプが中嶋さんを懐の深い人間に変えました。たとえば若手プロにアドバイスをするときも「場面を想定して打つといいよ。好きなコースとか、過去の場面とか、役者になりきって打つんだ」というように味わいのある言葉を言うようになりました。そして、何より、ファンや自分を支えてくれる人の温かさを知ったということでした。

彼のこれまでの人生を読んで、まさに、これは「意識変容のプロセス」であり、そのことによって「自分らしく生きる」ことを獲得した彼の人生のプロセスだと思いました。自分の内面を観る
ことによって、自分の価値観や行動・態度を知り、多くの人たちと対話をすることにより、別の生き方をすることに気づく。そして、「理想とする自分を追い続けるだけでなく、自分にとってイヤな自分も受け入れる」こと。 さあ、今週の第2回の「自分らしさを求めて」で、どのように話すか、すでにできている講演内容の、どこを削除し、どこに入れるか、新たな課題が出てきました。

これを最後まで読んでくださった方、自分好みののブログを書いてしまった私をお許しくだ
さい。中嶋さんのこれまでの人生を読んで、あまりにも私と考えていることに近かったので、感激し、ついつい書いてしまいました。
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by eastwatery | 2007-05-29 19:41  

夢配達人プロジェクト(5月28日)

昨日の中国新聞に青少年育成広島県民会議と広島県が独自に取り組んでいる「夢配達人プロジェクト推進事業」の継続を歓迎する旨の社説が書かれていました。その夢とは、たとえば「巨大な遊び場の建設や有名タレントとの触れ合い」など小学生が描く夢を、大人たちが、一緒にかなえるのです。これが「夢配達人プロジェクト」と呼ばれる事業です。2004年~2006年度には約2、600件の応募から16件を採択したとのことで、かなりの倍率です。

この倍率だと、採択されるにはかなり厳しいとは思いますが、応募するために子どもたちが自分たちの夢を具体的に考えるというのは、それだけでも子どもにとっては楽しいことではないかと思います。さらに、子どもが自分一人で夢を見るのではなく、教師や保護者、住民が共に実現の手立てを考え、行動する、と考えただけでも胸がワクワクする思いがあります。

過去の例を見ると、I小学校では「川をきれいにしたい」との夢の実現をめざしました。清掃や自然観察に取り組むだけでなく、保護者が歌をつくり、地元の陶芸家やメーカーの協力でキャンペーン用の陶板プレートを製作することでボランティアの輪を広げ、学校、家庭、地域の連携を強めたということです。これこそ、連携ではなく「学社融合」であり、学校教育と社会教育が融合し、子どもたちの夢実現を図ると共に温かく見守る姿勢が大人たちの側にもあります。このプロジェクトを実践することを契機にとして、健全な子どもを育てる環境が、つくられていったのではないかと思いました。

もう一例でいえば、廃線になった元JRの駅の廃線敷にトロッコ列車を走らせる夢を実現した別の市の小学校の子どもたちの話です。子どもたちが、夢を果たした後も、その子どもたちの地域の公民館で活動する住民たちとともに、毎年地域の祭りに参加して、交流を続けているということです。このプロジェクト事業は、1件50万円までと規模は小さいのですが、中には民間の財団から支援を受けたこともあるといいます。「夢プロ」が地域ぐるみで子どもを育てる仕組みづくりのきっかけにもなった良い例だと思います。

たとえ、夢が一度きりのイベントであっても、このイベントは、子どもたちの心を豊かにし、子ども達が大人を信頼すると共に自分たちの学び暮らす場を誇りに思うことでしょう。同時に、このプロジェクトに参加することで、子どもたちは「学ぶ楽しさと達成感、生きる喜び」を感じ、大人を見直し信頼するきっかけになるのではないか、と思います。また、大人たちも子どもの夢を支援し、子どもたちと共に考えた「夢の実現」が採択されたとしたら、子ども心に返って、ワクワク体験ができることで、子どもたちからエネルギーを得、夢を見ることの大切さを学ぶのではないかと思います。これこそ、生涯学習の基本である「相互学習」のモデルだと思います。
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by eastwatery | 2007-05-28 22:33  

うれしかった出会い(5月27日)

昨日は福山市で講演をしましたが、その時とその後にうれしい二度の出会いがありました。初めの出会いは、受講前に受講者の人数を確認するために名簿を見せて頂いたときに驚いたところから始まりました。なぜかといえば・・・・・

名簿の中にYさんの名前を見つけたのです。この方とは、私が結婚20年目に息子を授かったときに、中国新聞にその喜びを文にして投稿した時「私も母親が41歳のときに生まれた子どもなのですよ」とお手紙を下さった人です。24年前の話です。それ以来、年賀状の交換でお互いに近況を伝え合うことはしていましたが、一度もお会いしていない人でした。でも、24年間も1年に一度だけお互いに近況を伝え合っていたので、もうかなり親しくなったという感覚を持っていました。でも、まさかその人が私の講演を聴きに来てくださるとは、夢にも思っていませんでした。講座の開講5分前だったので、急いで会場に行き、受付の人にYさんを教えていただき感激の対面をしました。私は時々福山市へ講演に行くのですが、彼女も働いていて、なかなか聴講に来る時間もなく今回は土曜日だったので、来ることができたと喜んでくださいました。おまけに、とても可愛い飾り付けをした籠にクッキーや焼き菓子を入れたプレゼントまで頂いて、「感謝、感激、雨、あられ」という言葉どおり感動しました。

無事講座も終了し、Yさんと来週の再会を約束しました。その後、前日に地方紙の新聞社備後本社の記者をしておられるNさんにお会いしたいと電話をしていたので、ご家族と一緒にお茶を飲みながら談笑をしました。Nさんとは、広島本社にいらっしゃるときに、何度か取材をしていただいたり、私が彼が書いた記事に対してコメントをするなどして親しくお付き合いをさせていただいている人です。Nさんは、よくジャーナリストやマスコミにかかわっている人に見られる傲慢さが全く見られない人で、常に謙虚な姿勢を心得ていらっしゃる人です。私のブログも丹念に読んでくださっており、時々メールでコメントやご意見を入れてくださるので、私自身もいい勉強をさせていただいています。

今日は、はじめて彼の家族とお会いするので楽しみにしていました。お子さんは現在4歳になろうとしている男の子と今年の2月に誕生された女の子です。もちろんお連れ合いとお会いするのも初めてでしたが、初めからずっと以前からの知り合いだったような気持ちでお話しすることができました。彼女は、純粋で、自分の意見はっきり持ち、それでいて、謙虚で、素直で、可愛く、一人の人間としてとてもチャーミングな人でした。彼から時々出産前に手話を習っていらっしゃることとか、ご家族の写真入の年賀状で、ある程度のことは知っていましたが、とても素晴らしい方でNさんは、なんとステキな方と巡り合う事ができたのだろうかと思いました。まるで母親のような気持ちになって安堵しました。

彼女は、子どもさんにとても優しく愛情深く接しておられましたが、たとえ3歳でも「お話しするときには、きちんとおばちゃんの目を見て話すのよ」と丁寧に、人と話すときの基礎となる礼儀をきちんと伝えておられました。そして、何か息子さんが言われたときも、全然嫌がらずに納得いくように話しておられました。だから、私とNさん、あるいは彼女と長時間話したと思ったのですが、一度も二人のお子さんは、ぐずることもなく笑顔が可愛いかったのです。

「愛されている」ということを子どもが感じていると、こんなにも情緒が安定し、穏やかな表情をしているのだと、つくづく思いました。Nさんとも、講座内容のことや、最近の事件のこと、キャリア教育のことなどを話し、お連れ合いのK子さんとも「子どもが小さいときには、自分の時間が取れない辛さがあるよね」などと、私も母親だったときのことを思い出しながら話しました。社会教育施設での講座に参加したくても託児がないので、残念だとのこと。1週間に2時間でも、子育て中の母親が自分のために時間を使うことができるのが、どれだけ必要であるか、また、そのことによってどれだけ彼女のストレス解消になるか、を考えたとき、ぜひそういう施設を増やしてほしいと思いました。

何はともあれ、こうして1日に2組の懐かしい人たちに会え、同じ時を過ごすことができたことを、とてもうれしく思いました。 人と人とのつながりの大切さを感じた1日でし
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by eastwatery | 2007-05-27 22:49  

福山市での講演(5月26日)

今日は午後から福山市「イコールふくやま」の男女共同参画セミナーで「自分らしさを求めて」をテーマに講演をしてきました。今回は、このテーマで2週連続の講演を依頼されました。第1回の今日のタイトル&テーマは「自分らしさを求めて~新たな自分を発見しよう!」でした。最近の講座は、承り講座といって受講者が、ただ講師からの講演を聞いて知識を得て帰るのでなく、受講者同士が一つの問題について話し合いをしたり、シートに記述して自分自身の内面を見たりなど、ワークを入れて考える講座形式が増えてきていますが、私が今日行った講座もそういう形式としました。

今日の講演の内容は依頼先からの「男らしさ、女らしさ」に関して話し、そこから「自分らしさを求める」方向で話をしてほしいとのことなので、そのように組み立てました。まず、簡単に今日の講演内容の概要を話し、第1回のワークをしました。「あなたは、太陽系のある惑星に到着したとします。その惑星の人に、地球人の“男とは”、“女とは”を説明してください」と書いた質問用紙に、自分が思う男、女の夫々の特徴を書いてもらいました。その後、一人ずつにその特徴を1点のみいってもらい、それを「男」「女」に分けて板書をしたら、見事に「男らしく」「女らしく」に拘った言葉が出されました。それは、男「強い、仕事、筋力がある、リーダーである」などなど、女「やさしい、思いやりがある、家事、おしゃべり」などなど(これは私の思惑通り)。その後、グループで話し合ってもらうためと、少しでも自分に向き合ってもらうために「じぶんプロフィール」を書いてもらい、「~らしさ」について話し合ってもらいました。

このように講座の中で話し合うということにな慣れていなかった受講者は、初めは難しいという感じでしたが、1分くらいするとすっかり話し合うことに夢中になって、私が「時間で~す」というまで、夫々の人が自分の意見をしっかりと話し合ったようでした。後から「一つのことでも、みんな夫々に異なった考えを持っていることを知ったのはよかった」という言葉を聴きました。その後は、生活場面における「ジェンダー」や生き方における「ジェンダー」にについて話しました。そして、次には、歌謡曲「浪速恋しぐれ」を基に「ジェンダー」(「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」といった社会的枠づけや「男らしさ」「女らしさ」を意味する、文化的・社会的性別)に当たるところに下線を引いてもらったり、漫画を題材に「どういう言葉がけをされ、言葉がけをしてきたか?」などを受講生に検証してもらいました。

その後「ジェンダーーチェック」によって、自らのジェンダーを知ってもらうことをしました。このチェックには、家族関係、家事、育児、介護ケア、仕事と家庭、余暇・社会活動などにおける項目があり、それへの回答によって配点され、最後にその得点によってアドヴァイスが書かれている評価表によって、自分のジェンダーバイアスを知ってもらいました。

書くのを忘れていましたが、初め頃で「自分らしさとは?」として、①育てられてきた、これまでの自分を自分として認めること、②今の自分が望む自分を見つけること、③そういう自分は、周囲の人々や社会から認められている、この3点を合わせて達成される感覚が「自分らしさ」であり、多くの人とともに生き、自分自身を尊重できているということを話しました。そして、「自分らしく幸せに生きること」は自分自身の生き方の中から探し、自分で決め、自分で行動することが大切だということが「自分らしく生きる」だと語りました。

最終章では、「自分らしく生きる」ことにおけるキーワードは「自立と共生・響生」とし、「自分を大切にし、自尊感情を持つと共に、他人も大切に」を考え、お互いの「自分らしさを」失わない関係を持つことの大切さと同時に「多様性」をお互いに認めることが「自分らしく」生きることにつながるという話をしました。ここでは、「Resonable」(道理に合った、正当な)を例として、自分らしくが、身勝手な生き方ではなく、相手にとって理不尽ではないかと考えて人間関係を結んでいくことの大切さを話して、今日の講座を終了しました。最後に皆さんに感想を書いていただきましたが、「自分がこれほどジェンダーにとらわれているとは思わなかった、「自立と共生」の大切さ、自分は世界に一つだけのかけがえのない存在だということを知った」とか、今日の講座により、私が目指していたところまでは、考えてくださっていた人が多く、安心しました。来週は、「自分らしさを求めて~新たな自分を生きよう~」をテーマとして話します。さあ、どうなるでしょうか? 今日のブログは長くなってごめんなさ~い。

実は、今日はとても嬉しい出会いが二つあったのですが、このことについては、明日書きます
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by eastwatery | 2007-05-26 23:55  

ある事件から~肥大する「自分主義」~(5月25日)

福島県会津若松市の高校3男子生徒が母親を殺害し、切断した首を持って警察に自首した事件についてあれこれと報道されています。『AERANO.24』に、この事件に関して作家の吉岡忍さんが、今回の事件は「肥大する”自分主義“」にその原因があるのではないか、と特別寄稿をしておられます。

彼の言によると、事件後、彼が通っていた高校の校長が生徒たちに「命の大切さ」を説き、「心通わせ、がんばりましょう」と語ったと聴き、これはアカンと思ったそうです。そして、このことは全然知的ではなく、自分の心の有様や身近な人間との関係のよしあしばかりを考えるから、世の中が見えなくなる。それは、なぜ自分は自分の中に閉じ込められるか、何によって右往左往が分からなくなる状態となって、自己はますます肥大するとしています。

そういうことだから、もういい加減「自分」や「心」を重大視することをやめてみたら、と吉岡さんは提案しています。彼は、国内外にまたがる政治や経済の仕組みがあり、奥深い歴史や文化があって、夫々にかかわる無数の人間がいるという事実。それは一人では、どうかしようにも、どうにもならないこともあり、それゆえ知的好奇心をもって、世の中の歴史や仕組みを知ろうとする、知的好奇心が重要だといっています。その点から言うとあの高3少年に知的好奇心がほとんど感じられないことが、気になるとのこと。

したがって、「学校と教師たちは、世の中と世界の歴史や仕組み、その大きさと複雑さ、そこに加わっていくことの面白さを子どもたちに伝えることにもっと夢中になってほしい、自分の中に入れるものを選び、世の中と堂々と渡り合うこと。子どもたちが身につけるべきは、その力である」という言葉で吉岡さんは結んでいます

吉岡さんが実際に寄稿しておられる内容はもっと詳細に伝えてありますが、私の視点で重要と思われるところを概要として書いたのです。だから、もしかしたら、吉岡さんが訴えたかったことを正確に伝えていないかもしれません。しかし、前述の彼の「結び」の一文は、子どもたちが目の前のことだけに囚われて、過去・現在・未来の日本、世界のことにも興味がなく、人とのつながりをもつことにも関心がないこと。また、自分自身のことも自分で決めることもできず、ただただ、自分の中に逃げ込むことで親との葛藤や物事に対する考え方の違いなどを話す機会ももっていない現代の子どもたちに吉岡さんは、危機感を抱いているのではないかと思いました。

実は、過日高校の校長が生徒たちに「命の大切さ」を説き、「心通わせ、がんばりましょう」と語った場面をTVで見て、この校長は「何をがんばれ」といっているのだろうと不信感を抱きました。(きっと、この「がんばれ」は遅れた勉強を取り戻すことをがんばれといったのでしょうね)。 私は、学校が生徒に「命の大切さ」を説くのではなく、生徒自身が「命の大切さ」を考え、議論し、「死ぬということ」、「生きるということ」を真剣に考える機会を与えることが、学校側がするべきことだと思いました。生徒は、世の中の仕組みの矛盾を感じたり、人間関係の難しさ悩んだりしながら、人と人の中で生徒が「生きる力」を獲得してほしいと思いました。

ただ、なぜ吉岡さんが「もういい加減「自分」や「心」を重大視することをやめてみたら」と、提案していることの意味が、今ひとつ理解できないでいます。特に、「心」を重大視することが、なぜいけないのかが分かりません。
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by eastwatery | 2007-05-25 23:36  

ブログを書くこと(5月24日)

昨日は、仕事や会議が重なって、朝8時過ぎに家を出て、帰宅が10時過ぎになりました。帰宅後すぐ、メールチェックをし、メールに対する返信などをしている間に深夜となり、疲れてしまい、ブログを書くことができませんでした。以前は、少々疲れても深夜になっても、出張以外は「ブログは毎日書く」と自分の中で決めていたのですが、そのように自分に枠をはめてしまうことは、やめました。結局、そのように自分に課すことは、いくら楽しんでブログを書いていたとしても、自分を追い詰めることになりストレスが溜まることに気づいたのです。

そういうことは、分かりきっていることだと思います。しかし、ふり返ってみると、能力のない私が、とにかく自分のあらん限りの努力をして、社会人になって大学・大学院に入り、学習・研究を続け、自分としては、そのことが自分に充実感を与え、少しでも社会貢献できることに生きがいを感じ、突っ走ってきました。また、そのことが、自分で前向き・積極的な生き方だと思い、納得もして生きてきました。

しかし、4月に少し軽い欝状態になったときに、土、日曜日もなく日々を過ごしてきたこと、常に仕事とさまざな活動を生活の中心においてきたことが、その原因だと思うようになりました。そして、4月末から5月初旬にかけてバンクーバーから友人が来て我が家に滞在し友人たちともランチョンパーティーをしたときには、他のことはすべて忘れて本当にリラックスし、楽しい時間を過ごしました。友人の大切さに気づいたことも私の心を軽くさせました。その後、NHKTVの取材のコーディネーターで連休の間もバタバタと忙しくしても、ストレスになることなく、放映の結果に怒りは覚えても、仕方のないことと思えて忘れることができました。「一生懸命やったことはやったこと、それが自分の思うようにならなくても、それはNHK側の考えがあるのだから、どうしようもないこと、すんだしまったこと」と思うように夫がアドバイスをしてくれたことも、私の意識を変えました。

考えてみれば、夫は多忙を極める私に、以前から、もう少し心を解放することの大切さをいい、美術館にいくことを提案して1日ツアーに予約するなどを3月頃から考えてくれるようになっていました。早めに自分のスケジュールを決めれば、決まったスケジュールで働かなければいけない組織人(会社員や教員など)と違い、自分である程度スケジュールを決める立場にある私です。早め早めに自分のスケジュールを入れていけば、或る程度は緩いスケジュールを作ることができるのですから、今後はそのように考えることとしました。

相変わらず仕事や活動をしていくことは、大好きだし、私の生きていく根幹になっていますが、その一方で、高齢になった私たち夫婦が第三の人生を悔いなく、お互いに思いやりを持って楽しく生きていくことも大切にしていきたいと思うようになりました。「雨降って地固まる」の諺がありますが、私の心境はそのような感じです。

今後も、自分の考えていることを自由にブログに書いていきますが、よろしくお願いいたします。ブログの仲間の皆さんの優しさと励ましによっても、このブログを書くことの力を頂いています。ありがとうございます。
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by eastwatery | 2007-05-24 12:18  

一つの役割がすみました(5月22日)

今日は学部を卒業した大学の同窓会役員会がありました。同窓会の会計・活動年度は4月から翌年の3月末になっています。今日は新年度になって初めての役員会でした。私は、これまで8年間、この大学に勤務中から同窓会会長を務めてきましたが、年々、私の活動や仕事が忙しくなり、今年になってずいぶん無理をしてきたと思います。

そこで、今年に入って、このままで行くと自分も十分な仕事もできないし、同窓会の人々にも迷惑をかけるので、次期会長を引き受けてくれる人を探していましたが、責任が重い会長職を引き受けてくれる人は、なかなかいませんでした。

しかし、私の切々としたお願いを快く引き受けてくれる人が現れたのです。私が卒業したと同じ初等教育学科の後輩でした。彼女は、常に物事に前向きで、てきぱきと気持ちが良いくらいに物事を処理していく人です。中には会長職には「若すぎる」と言う人もいましたが、こういう仕事に年齢は関係ないと思います。十数名いる役員と良い人間関係を保ちながら、会長職を続けていくことができる人は、ソウソウいません。彼女はそれができる人です。私も彼女に会長職を引き受けていただくに当たっては、役員を辞めても6ヶ月は影ながら、彼女のサポートをしていくことを約束しました。

今年の秋には同窓会総会、それ以前の大学祭には同窓会として「卒業生の制作展」や「フリーマーケット」(この利益金は、12月に正門を入った所に飾るクリスマスイルミネーションの飾りを買う資金とします)などを行う予定です。しかし、今年はその時期、私は「日本女性会議2007ひろしま」の全国大会のため、実行委員としててんてこ舞いの急がしさです。 だから、どう考えても孫悟空にならない限り、一人で何役も努めることはできないのです。

そういう意味でも、8年間勤めた会長職を辞するには、ちょうど良いタイミングだと思いました。8年の間には、同窓会の奨学金制度や大学の支部を立ち上げましたが、何をするにしても、会員数の半数を占める若い世代の若い人たちは、常に誠意をもって一生懸命活動をしてくださいました。また、私たち年配者からは出てこないアイディアを次々と出してくれ、大学や学生にも喜んでもらえる活動もできました。いい気持ちで会長職を辞することができたのは、皆さんのおかげだと思います。
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by eastwatery | 2007-05-22 23:17  

「家庭力」(5月21日)

半年くらい前から、ずっと気になっていることがあります。 新聞のPR欄に「日経キッヅプラス」、「エデュー」、「プレジデントファミリー」「アエラ ウィキッヅ」などの家庭教育雑誌が、細かく内容を書いて大きく宣伝していることです。たとえば、「できる子」の朝ごはんから生活習慣、食卓での会話、果ては「頭が悪くなる食習慣―毎朝パン食はいかがなものか」などなど。

これは、どういうことなのでしょうか? 親たちは自分が受けた教育に対して自信がないのか、それとも、ゆとり教育に対する様々な問題点が伝えられ、戸惑っているのか、と思っています。一方で、教員は教育委員会からの文書が多く、報告書を書くのが忙しく、子どもを一人ひとりをじっくり見ることができないという状況があります(これは現職教員の私の友人の話)。

その上、最近では経済格差と共に教育格差が言われています。 それが、家庭教育と各家庭の「経済格差」にも依るといわれれば、「家庭力」に対するプレッシャーを強く感じるのも無理のない話です。そこに目をつけて、もともとは経済誌を発行している会社が、この類の本を発行を始めたのでしょう(「日経キッヅプラス」はすでに2年前から発行)。

たとえば、子どもの意欲やコミュニケーション能力を伸ばすには、母親が常に細かい配慮や手間をかけなればならないという認識の広がりから、最近では、共働きの女性は出産を躊躇したり、あきらめる人たちも多くなっているということです。このような「子育てに十分手をかける」傾向が強まったり、その方法がマニュアル化されると、働く母親は常に「十分してやれないのでは」という不安を抱くでしょう。その一方で、子育てにおいてすべての責任を自分が負っている専業主婦はさらにプレッシャーが強くなり、子育てに対する責任感が強くなるでしょう。

20数年前、私が児童英語教師をしているときに、二人のお嬢さんが熱心に英語塾に通い、その母親も子育てに一生懸命でした。その後、二人のお嬢さんが高校進学においては、二人とも進学校へ合格しました。そのとき、母親は「私が専業主婦をしているのですから、せめて進学校に入れないと、親戚などからうるさく言われますから、ほっとしています」といわれました。

今から、20数年前からそうだったのですが、そういう傾向が今ではもっと強くなっているようです。昨年12月に改正・施行された教育基本法に新たに「家庭教育」の条項が加えられたことは、
親をますます追い立てそうな気がします。その条項には「父母その他の保護者は、この教育について第一義的責任を有する(以下略)」と記述してあります。父母といっても、実際には責任が重くのしかかるのは母親です。日本の父親の半数以上は子どもと接する時間が30分以下だと「プレジデントファミリー」では述べています。しかもこの雑誌の読者の70%は教育責任を一心に背負った母親となっているのです。

最近発生した「母親の頭部と右手を切った少年」の母親は、往復1時間半かかる息子のアパートに就業後、週に何度も行き、家事・洗濯をしていたそうです。真面目で明るく、しっかりした母親像を近所の人たちは語っていました。どれだけ、母親が一生懸命不登校の子どもを何とかしようとしていたか、分かります。子育ての責任を一気に背負っていたのでしょう。しかし、疑問が残るのは、マスコミに報じられている限り、父親のことは一切報じられていません。ここでも「子育ては母親の責任、家庭力は母親次第」という偏向した考え方がマスコミ側にもあるように思います。

先日の新聞に「父親の子育てにおける優先度」の調査結果が掲載されていました。約68%の父親が「仕事などと家事育児を同等に重視(どちらかといえば、も含む)」と希望しているにもかかわらず、現実としては、約79%の父親が「仕事など自分の活動に専念(どちらかといえば、も含む)」となっています。現実と理想のズレが大きすぎます。これは、父親が子どもにかかわりたいと思っていても、長時間労働が大きな要因になり、どうにもならないことを物語っています。

教育基本法に新たに「家庭教育」の条項を加える前に、長時間労働を禁止する法律を作らない限り、「家庭力」の歪はますます強くなると思います。
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by eastwatery | 2007-05-21 21:50  

『裁判官の爆笑お言葉集』(5月20日)

1ヶ月くらい前、TVでこの本のPRをしており、読みたいと思いつつ1ヶ月後の今、やっと読むことができました。では、なぜ、私がこの本を読みたいと思ったか、ということです。「法律」とか「裁判官」とかいえば、冷たい、決まりきったことしか言わないという風に思われるが、実際の裁判官はそういう人ばかりではなく、血の通った、温かな言葉を投げかける裁判官もいるということがその内容です。

著者の長嶺超輝さんは、九州大学法学部を卒業後、弁護士を目指し、司法試験を受験。7回の不合格を重ねて懲り、現在はライター業の合間をぬって裁判傍聴に通う日々を送っている人です。

最初のページには「唐突だが、君たちは、さだまさしの『償い』という唄を聴いたことがあるだろうか。この唄の、せめて歌詞だけでも読めば、なぜ君たちの反省の弁が、人の心を打たないか分かるだろう」といっている言葉から始まっています。これは東京地裁のY差弁方が傷害致死容疑で起訴された2人の少年に対し、裁判の判決理由を読み上げた後、切り出した言葉です。

この歌は、昭和57年に発売されたアルバム「夢の轍(わだち)」の収録曲。知人の実話を元に、さだまさしが作詞作曲したとのこと。これは物語のように書かれた歌詞で、交通事故で夫を亡くした夫人の元へ、はねた若者が、何もかも忘れて、働いて働いて、償いきれるはずもないが…」という若者。それを続けるうちに、7年後に謝罪を受け入れた夫人は「ありがとう あなたの優しい気持ちはよくわかりました…」と続く。というもので、聞いている人の胸中が、聴く人の胸に迫る言葉が多い内容です。

掲示法廷で「申し訳なく思います」「反省しています」など、ひたすら謝罪の言葉を繰り返したの被告人の少年たち。しかし、その態度は実に淡々としていて、人ひとりの命を奪えしまったことの重大さを正面から受けとめるとは言いがたいものだったそうです。その後、拘置所にいる少年に叔母から「償い」が収録されたアルバムCDから歌詞を書き写して手紙と共に少年に届けたそうです。そして、接見に来た母親「人に許しを請うのは簡単なことではない」と話すと「わかっている」と応じ、控訴はしなかったということです。その他では・・・・
○宗教に逃げ込むことなく、謝罪の日々を送るようにしてください
○死刑はやむ得ないが、私としては、君にはできるだけ長く生きていてもらいたい
○控訴し、別の裁判所の判断を仰ぐことを勧める


3歳10ヶ月の男児を虐待しさせたやりきれない親に対して・・・・
○家族愛情を求めながら、その家族から虐待を受ける日々を、どんな思いで耐えていたのか。
何を感じながら人生の幕を閉じ散ったのか。願わくば、、その人生が悲しみばかりでなかったことを祈る。
(この言葉は、多分裁判官はやりきれない思いで、発した言葉ではないかと思います。私自身が読んでも本当にこの男児が、少しでも良かった思い出をもっていたことを祈りたいと思いました。)
○(大学生が母親を刺殺したことに対して)お母さんの顔を忘れないように。
これは、母親が彼に無償の愛情を注いでくれた顔も、自分の目の前でこと事切れたときの顔も、窓外背負っていきなさいというM判事の説諭だそうです。
○もうやったらあかんで。がんばりや。
(短い言葉の中に精一杯の裁判官の温かな心が入っています。裁判官に励まされた被告人はその場に泣き崩れたとのこと。貧しい生活の中で育ち盛りの2人の子どもを育てていた母子家庭の母親でした)

この本の中には、他にもユーモアのある言葉、賛否両論が出るような言葉など、いろいろ書かれています。胸にジーンくる言葉と内容ですが、夫々の人たちの人生を何とか考えてくれるようにと祈るよう名裁判官や判事の言葉です
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by eastwatery | 2007-05-20 23:57