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2006年をふり返って(12月31日)

今年もあと数時間で終わります。 平素は、特別そのような気持ちでは過ごしていませんが、やはり大晦日ともなると感慨深いものがあります。そのように考えるのは、1年のけじめとして自分の生活や生き方をふり返る上で、大事なことだと思います。

昨年の12月20日からブログを開始したので、昨年末には何を書いているのか見てみたら、2回にわたって1年間をふり返っていました。昨年は、28年ぶりにNZの友人を訪ねて20日間NZ旅行をしたことや「キャリア支援講座」開催など、まずまずの充実した年であったことを書いていました。

今年はどうだったでしょうか?1月から12月までのタイトルをざっとみると、「人とのつながり」や「絆」について、ずいぶん感じることが多かったように思います。日本では、年々人とのコミュニケーションが減って行くような気がしていましたが、昨年、NZの友人達に再会し、いかに『人とのつながりや絆』を続けて行くことが大切か、すばらしいかということを再確認したことにより、今年の生き方の中に反映されたような気がします。

その一方で、連続講座の企画・運営で挫折感を感じ、自分の実力のなさを自覚して一時は味覚異常になったこともあり、心身のストレスにより生まれて初めて帯状疱疹なるものにもなりました。どちらも10日間くらいで元の元気な体に返ったので一安心しましたが、年齢を感じたことと、ストレス解消の方法を考えなければ・・・と思いました。仕事の幅は広がっていき、電話相談を4月から始め、人生修行をさせていただいています。

ちょっと嬉しかったのは、9月に22,000字の研究レポートを提出し、11月に入賞決定のお知らせがあったことです。2月には、表彰式と発表があるので上京する予定です。今回は、入選1点、佳作2点で私は佳作に入りました。入選を狙ったのですが、まだまだ実践活動が不足していました。入選になった人は、講評によると戦中・戦後にかけて大学卒業後もさらなる学習を積み重ね、国家資格取得、長い間組織的活動をしてこられた人でした。それと比べると、私は、学習も経験もまだまだです。講評の最後に「学習に終わりはありません。さらなる学習と実践の広がりを期待します」と励ましのコメントが書かれていました。もっと学習・実践活動を重ねていき、70歳を目標に再度研究レポートを書きたいと思っています。

もう1つ嬉しかったのは、支援した社会人学生希望者が3人とも、来春大学院・大学と入学が決定したことです。最初の学習相談から始まり、小論文指導にいたるまで(大学院入学者には、私が論文指導する必要がないほどの実力者でした)、どちらかと言えば、受験者の意欲と積極性に私がついて行く感じでした。来春は、2年前に支援した女性の卒業式に出席する予定です。彼女は、還暦目前の人ですが、この2年間人一倍の努力で様々な難関を乗り越えていかれました。こうして、1人ひとりの成長を見ることはうれしい限りです。

ところで、来年は10月19日、20日に「日本女性会議2007ひろしま」(全国大会)が開催されます。私は「キャリア教育」の責任者として、来年早々から当日までは他の活動をしながら、忙しい日々になると予想されます。

そのように来年を考えると、何よりもまず「健康」であること。それしかないと思います。ブログを始めて1年、ブログ仲間の人たちやブログを読んで下さっている友人・知人に励まされながら、年を越すことができそうです。昨年の12月20日から皆さんが私のブログを訪れて下さった回数は、現時点で述べ7164回です。有難うございます。私は今では毎日ブログを書くことでストレス解消をしたり、励まされたり、他の人から生き方を考えたり、たくさんの学習をさせていただきました。

来年もどうぞ宜しくお願いします(ますますブログ依存症になりそうです)。
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by eastwaterY | 2006-12-31 20:26  

料理をする時は音楽が一番(12月30日)

今日は、おせち料理を半分くらい作りました。私は、普段、料理をする時には音楽はかけませんが、お客様を招待する時や、おせち料理などを作るときには、楽しく料理をするために音楽をかけます。NZにいるときは、1ヶ月に2回は週末にパーティーをしていたので、その時も日本から持っていたテープをかけて料理をしていました。時には、動くと音がする小さなベルや鎖同士が触れ合って音を出すアクセサリーを身に着けて料理をしていたこともあります。

これらは、すべてとにかく、楽しく料理をするためです。多くの人を招待する時には、長時間、台所に立つことになるので疲れて気分が落ち込まないようにするには、私にとっては音楽はベストなツールとなります。今日はまず、初めに大好きな小田和正さんの「たしかなこと」から始まり、この歌は何度も何度もかけました。なんとも言えず歌詞がすばらしく、何時聞いても何回聞いても「胸キュン」となります。特に

忘れないで どんなときも きっとそばにいるから
そのために 僕らは この場所で
同じ風に吹かれて 同じ時を生きているんだ
 (以後 略)  そして・・・

いちばん大切なことは 特別なことではなく
ありふれた日々の中で 君を
今の気持ちのまゝで 見つめていること

この歌の歌詞を全部書きたいくらいですが、これは今日はやめにしておきましょう。
小田和正さんの歌の後は、高橋真梨子さんの歌「ジョニーへの伝言」、「五番街のマリーへ」、これらは阿久悠さんの歌詞であり、物語のような構成になっていて、やはり、心が動かされます。

ちょうど、このCDを2回聴いた頃、お煮しめのために根菜の皮をむいたり、丁寧に切るために時間がかかるので、今度はTVを観ながら、野菜を切っていきました。ケーブルTVでは、俳優の関口知宏さん(関口宏さんの息子)がヨーロッパの各地をのんびりと旅行をしながら、歴史的な建物に出会ったり、自然の雄大さ、人々との触れ合いに感動したりをそのまま放映しています。今日はスコットランドのブリテン島の旅を映していました。彼のいいところは人にも、自然にも、動物にも、自然体で対して全く構えることなく係わっていくところです。彼はアメリカに留学していた時もあるので、英語には不自由はなく、まず、ヨーロッパでは、どの国でもコミュニケーションはとれているようです。

それ以上に、彼が誰とでもすぐに打ち解けることができるには、特別の才能があるのです。
1つは、ギターやピアノが弾けて、しかも作曲までしてしまうことです。今日の場面でも、パブに入って行って、すぐに地域の人たちとセッションをしたり、自分が旅行中にヨーロッパをイメージして作曲した曲をみんなで演奏したり・・・・。パブに来ていた人もみんな手拍子をし、本当に彼の曲を楽しんでいました。

もう1つの彼の特技は、絵を描くことです。スケッチブックと色鉛筆、水彩絵の具をリュックサックに入れて、どこでも自分が気に入った所を描いたり、それにちょっと感じたことを書いてみたり。この二つが、なんのてらいもなくできる彼の人柄は、どこでも、誰にでも好感を持って迎えられています。今日の旅(スコットランドのブリテン島)の最終場面の彼のコメントは「イギリスは伝統を大事にする国だから、開発だけでなく、自然と共に生きている国、これはすばらしい」という意味のことをいっていました。

いつだったか、芸能評論家の人が「関口知宏は、内面的な部分で微妙な演技ができる数少ない俳優だ」と言っていました。その時、彼が、ゆったりとこの旅を続ける中で、そういうものを思わず知らず習得できているのだと思いました。一見、ムダだと思えるような時間が私たちに必要であり、文化や芸術はこういう時を過ごした中から創られるのだと思いました。

ちなみに、今日の煮しめの料理時間は、予定より大幅に時間がかかりました。そして、今日のブログは、途中からタイトルから少し横道にそれてしまいました。ごめんなさい。
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by eastwaterY | 2006-12-30 21:55  

小田和正コンサートby TV(12月29日)

ついに、今年も後2日となりました。ふり返ってみると、今年は例年よりもいろいろなことがあり、忙しい日々だったと思います。1つは昨年の12月20日からブログを始め、徐々にブログ仲間も増えてコメントを書いたり、コメントに返信するということが楽しみとなり、日々のストレス解消となりました。その一方で、とにかく、どんなに忙しくてもブログを書かないと落ち着かなくなり(ブログ依存症?)真夜中でも書きたくて、睡眠不足であっても書いたことがありました。「今日は、休もう」と思った日も、一言書かないと気になる症状(?)も表れて、それはそれで楽しい1年でした。

ところで、以前のブログに書きましたが、私は小田和正さんが大好きです。TVから流れてくる彼のCMの歌でも、胸にぐっと来るものがあるくらい感激します。昨夜、11時半から彼の「クリスマスコンサート」の放映があり、彼の歌と人柄の表れたトークを満喫することができました。彼が歌った「東京の空」は、初めて聞きましたが、胸がじ~んとしました

東京の空

自分の生き方で 自分を生きて 多くの間違いを 繰り返してきた
振り返れば すべてが同じにみえても あの頃みたいに 
君に優しく できているかな

いちばん大切なのは その笑顔 あの頃と同じ
東京の空は 今日も高く澄んでいても
君の住んでいる街は 冬の色ですか

がんばっても がんばっても うまくゆかない
でも 気づかないところで 誰かが きっと見ている
あの頃みたいに 君に優しく いちばん大切なのは 
その笑顔 あの頃と同じ

あの頃みたいに 君に優しくできているかな 今も
いちばん大切なのは その笑顔 あの頃と同じ あの頃と同じ

これは多分、別れてしまった「愛していた人(もしかして、今も愛している人)」のことを想っている歌だと思います。想うだけでなく「その人」の幸せを祈り、「あの頃の笑顔」を懐かしく想っている歌ですね。苦しい恋をした経験のある人だったら、切ない気持ちが分かる歌だと思いました。11時半から1時までの番組でしたが、完全に小田和正ワールドの中で、臨場感を感じながら、涙ぐむ観客の人たちと同じ気持ちになって、若い時の恋の切なさ思い出したひと時でした。
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by eastwaterY | 2006-12-29 22:56  

今年の電話相談終了(12月28日)

今日は、今年最後の電話相談をしてきました。4月から相談を受けきましたが、それ以前に電話相談に関して専門家からいろいろな研修を受講しました。まず初めに、相談を受ける姿勢については、基本として、①自分自身を磨いていくこと(本人が道筋を見つけるように支援すること)、②相談者には内なる力があるのだから、相談を受ける方はその力を信じること、③一人だけの相談者の専用電話にならないように時間を決めること(後の人がまっていますから・・・という)、などを心がけながら、相談者として自己研修をするように言われました。

それ以後、心身の健康のこと、傾聴(能動的に聴く)と予防的危機介入(そのためには、①感性(相手の気持ちを感じ取る、想像力)、②教養(思想:そこで何が起こっているかを見抜く)、技法(対話をする力:言葉の出てこない人とも会話をする力)、が重要であるが、相手の感情に巻き込まれないように気をつけることなど、を学びました。その他には、DVと社会の仕組み、女性と法律・医療福祉、女性へのエンパワーメント・アプローチ、男性の性被害と電話相談などなど、書ききれないほどの研修を受けました。

では、それに対して私はどうだったか?をふり返ったときに、まだまだ知識も経験もおおいに不足していることを痛感しています。少しでも相手の気持ちに寄り添っていきたいと思いながらも、時には同情になったり、共感的になったりしました。また、傾聴を心がけておきながらも、ついアドバイス的なことを言ってみたり・・・・など、大学に勤めている時に学生の相談を受けていた癖がいつの間にか出てきたり・・・・と反省しきりです。

時には心身共に疲れて、「自分は相談員には向いていない」と思って、センター側にやめることをお願いしたこともあります。そのたびに「Eさんが悪かったり、Eさんの対応が悪いのではないのですよ」と温かい言葉をかけていただき、励まされながら、私自身がエンパワーメントしてきました。

今、思います。「電話相談は人生修行だ」と。「有難うございました。気持ちが明るくなりました」、「話を聴いてもらって、自分がどうしたらいいか、わかりました」などという言葉を聴くとほっとします。来年は正月開けの第1日目が当番になっています。来年も、少しずつでも学習・経験を積み重ねていきたいと思っています。
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by eastwaterY | 2006-12-28 23:56  

被爆電車に乗りました(12月27日)

昨日は、電話相談の日で市内電車に乗ってセンターまで行きました。いつもであれば、アストラムラインから降りて20分くらいのところを歩くのですが、昨日は雨が降っていたので、電車に乗ったということです。でも、これって乗るべくして乗ったのだと思いました。

というのは、たまたま乗った電車が現在2台しかない被爆電車だったのです。今まで、数え切れないほど市内電車に乗りましたが、被爆電車に乗ったのは昨日が初めてだったのです。これらの電車は、昔話のように語られており、その存在は知っておりました。特に原爆が投下された8月6日前後には新聞やTVでも、その逸話が語られています。

なぜ、被爆電車だと分かったかと言えば、運転手席の後ろのボードに被爆電車の説明が書かれてあったからです。そうでなければ、少し古びた電車だと思うくらいで、気づかなかったでしょう。それくらいきれいにしてあるのです。その説明には「この650型の電車は、被爆電車で現在2台しかありません。この電車は、原爆投下時に袋町(爆心地の原爆ドームから800mくらいのところ)を走っていました。相当破壊され、修理をする材料を得るのが大変でした。しかし、3日後には修理済みとなり、原爆で壊滅状態になった広島の街の交通機関として活躍しました」というようなことが書いてありました。

車内をよく見ると、上部のパネルやドアなどが、昔風の材木そのものでしっかり作られており、当時、修理した人たちの仕事の丁寧さが見てとれます。しかし、それ以上に思ったのは、原爆投下の午前8時15分、この車内にいた人は、ほとんど助からなかったのではないかということです。いくつかの原爆をテーマとした映画やドラマが制作されていますが、その場面では、まず人が助かっていない状況が描かれていました。だから、この電車は炎に包まれたとも思うのですが、よくぞ残ってくれたと思いました。と同時に、「平和」の大切さを人々に知らしめる使命感を持って、神によって残されたのではないかとも思いました。

私たちは郊外に疎開をしていたので、近くで原爆に遭わなかったのですが、父は街の中心部にいたらしいので、61年たった今も行方不明のままなのです。昨日電車に乗ったとき、もしかしたら、父がこの電車の乗っていたということもあるかも知れないと思いました。
この電車を所有している広島電鉄株式会社は、これら2台の被爆電車が、できる限り現役で広島の街を走る事ができるように、手入れを十分にしてほしいと思いました。

人々が、この被爆電車に乗る事により過去の悲惨な出来事をふり返ること、そして、いかにして現在の「平和」を維持し続けて行くかを考えるきっかけにすれば、この電車が悲惨な状況の中で見事に生き返り、人々に愛されている電車だという意味があると思いました。
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by eastwaterY | 2006-12-27 22:00  

人生 いろいろ(12月26日)

♪人生 いろいろ・・・・♪と島倉千代子さんが歌っていますが、まさに人生においては、うれしいこと、悲しいこと、楽しいこと・・・いろいろありますね。

昨日はOさんのお葬式に参列し、70歳という死にとても残念な思いをしました。しかし、ご遺族の方は、Oさんがお亡くなりになるまで、やれるだけの看護をされたので、みなさん爽やかなお顔をなさっていました。それは、私にとっては心がとても癒されることでした。

そして・・・・今日は、嬉しいお知らせが入ってきました。先日来、学習相談・支援をしてきたSさんが目指していた大学に社会人入学をすることが決まったことです。Sさんは、以前私の講演を聴き、以前からなりたかった臨床検査技師になるために現在の仕事を辞めて3年間大学でそのための受験勉強をしたいということでした。その話を聴いたのは、わずか1ヶ月前でした。学習相談においては、なぜ彼女が仕事を辞めてまで、そうしたいのか、お連れ合いはこのことを理解し、大学進学を許して下さっているのか、から相談をはじめ、時間は2時間にも及びました。彼女の決意は固く意欲まんまんなので、ともかく1ヵ月後の入試を目指してお互いに頑張ろうと話しました。その後、まず「学習履歴」に記入し、これまでの人生のふり返りをし、自分の現在の目標が幼い時からの思いだったということを確認しました。

それ以後の彼女のチャレンジは、すばらしいものがありました。長い間、きちんとした文章を書いていないということなので、まず、新聞の論説文を要約することから始め、次に、新聞の読者投稿文に対する賛否を表した小論文、そこまでは毎日彼女が勤務先から帰宅後小論文を書いてメールで私に送信、それに対して私は即、添削して返す、その繰り返しを何度も行いました。それと並行して臨床検査技師という専門職についての知識を十分に習得するように彼女にアドヴァイスをし、ほぼ小論文が書けるようになった時点で、今度は、「なぜ、臨床検査技師を目指すのか」を800字で書いてもらいました。その後は、彼女自身が小論文のテーマを決めて何回か専門的な知識を必要とする小論文を書き、添削を繰り返しました。すべてが終わったのは、試験の2日前でしたが、私はその時には「彼女は、絶対に合格間違いなし」と自信をもっていました。

というのは、私はかなり厳しくチェックをし修正をしていきましたが、彼女はそれに動じることもなく(本心は、不安だったそうですが)次々に課題をこなし、自分の決めた目標に向かって意欲的にチャレンジし、実力をつけていかれたからです。そして今朝、『合格しました!』という彼女からの興奮した合格通知を聞くことができました。私は午後から電話相談をしに行く予定だったので、安心してセンターへ行くことができました。相談が長引いて、センターの事務所に帰ったところ、Sさんがにこやかな顔をして私の帰りを待ってくださっていました。

「さあ、これからお祝いのコーヒーを飲みましょう」と、すぐ近くのティールームに行き、二人でケーキセットを頼んで、これまでのお互いの健闘を讃え、大満足の気分で帰途に着きました。これで、今年3人目の合格者が決まりました。どの人も「主体的な学習者」であり、私はちょっと背中を押しただけの役割でした。目標をもった人のエネルギーは大きく、氷山の一角のほんの頂しか出していなかった能力が、目標を決めて頑張ることで、水の下の潜在的能力を引き出していくのだということを、これら3人の方から学ぶことができました。「教えることは、学ぶこと」を今日も体験させていただきました。
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by eastwaterY | 2006-12-26 22:32  

遅れてきた思春期(12月25日)

人間の発達の中で一般的には、人は思春期に「自分自身はどういう人間で、これから、どう生きるのか」ということ(アイデンティティの模索)を考え、ふり返る時期があります。これは、成長にとってとても大切なことで、これからの人生を考えて行くという意味で重要なことなのです。

心理学者のユングは、40歳前後を「人生の正午」と呼んでいます。(人生80年の現在では40歳~50歳前後ともいえると思います)。人間の一生を太陽の変化にたとえて考えると「人生の正午」までは、ずっと上に向かって上がっていき、中年期で頂点に達します。そして、正午を過ぎると、それまで抱いていたのとは違った価値観にそって自分自身を創り上げて行くことが必要であるといっています。

すなわち、人生の前半期の午前においては、職業に就いたり、結婚して子どもを持ったりしながら、自分の家庭を築いて行くなど主に対外的なものが多いのです。それに対して、「人生の午後」には、人生の前半期である午前中の事柄のためにこれまでやりたいと思っていたことをやってみたいと思ったり、自分自身の本来の姿を見出し、それを実現して行きたいと思うようになるのです。同時に、自分の人生はこれでよかったのか、本当にやりたいことは何なのかという自分の生き方、あり方などについて考え始める時期でもあるのです。そういうことから、このように新たな自分の人生を創ろうとしている時期を「遅れてきた思春期」とも言っています。

先日、母校の大学で「生涯学習概論」の講義をした時大学1年生の学生に、この「遅れてきた思春期」の話をしました。中高年を対象とした講座において「遅れてきた思春期」の話をすると、多くの受講者は、思い当たることがあるように頷きながら聴いてくださいます。では、なぜ私は、思春期が終了したばかりの19、20歳の学生に「遅れてきた思春期」の話をしたのか?ということです。

私は、意識変容の研究をして、人生の中で人が成長して行くとき「いかに自分自身をふり返ることが重要か」ということを深く心に留めました。考えてみれば、人は誰でも、どの年代でも、人生の中で自分の人生を振り返ったときに、やり直したいと思うことがあるのです。その苦悶の時間が長い人も短い人もあるでしょう。しかし、そこから抜け出すためには今までの自分を否定しないで、ありのままの自分を受け入れ、新たな価値観を得て、新たな人生を創造していこうとすることが最終的には充実した人生を送ることにつながるのです。

そのように考えると、何も40歳前後でなくても学生が、今、何か自分自身を生きられないようなことがあれば自分を否定しないで、自分自身をふり返って自分を客観的に見つめ、新たな生き方を考えるきっかけになればと思ったからです。また、もう1つは彼女達が40歳前後になって新たな人生をふり返ったときに、この「遅れてきた思春期」のことを思い出してもらえば、それからの人生が変わってくるとも思ったからです。

私の講義を聴講した学生の中には、「思春期というのは、中・高校生の間だけだと思い込んでいたので、自分のこの先の人生の中で、もう一度思春期があれば嬉しいと思いました」とか「人生をふり返って、これからの生き方を考えることは、これから生き続けてこうとする私たちには、とても重要なことだと思った」などという感想を書いていました。

講義を依頼してくださった先生が、「1回だけの講義では、Eさんが伝えたいことを十分に学生に講義することができないだろうから、来年は2回連続講義をしてもらった方がいいかもしれない」といってくださいました。私も、そうなればもっと実践的な生涯学習について講義することができると思いました。学生からは、6問くらい質問が出ていたので、正月開けの講義に間に合うように、この質問への答えを書くつもりでいます。
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by eastwaterY | 2006-12-25 22:24  

クリスマス・イブのバースディ(12月24日)

昨年の今日のブログを見ると、息子のバースディのことが書いてありました。
そうです。今日は、私どもの一人息子の誕生日なのです。彼は、今日で24歳になりました。1982年12月24日、午後7時7分に彼は、生まれました。この日は私たち夫婦にとっては、今までの結婚生活の中で「一番の日」なのです。
 
 彼は夫が49歳、私が41歳の時、結婚20年目にして授かった子どもです。長年不妊治療をしても、どうにもならず、あきらめかけた時に誕生したのが、この子でした。そのとき、夫はブルガリアの首都ソフィアへ出張していたので、私は、一人でタクシーを呼んで病院に行き、一人で出産しました。本当は、息子は2月中旬に生まれる予定でした。それが、12月24日になるとは、夫も思わず海外出張へ行っていたのです。 早産のため体重は1850グラム。でも主治医は「今日生まれた7人の中で一番元気なお子さんです。心配いりません」といってくださいました。ありがたい言葉です。そのおかげで、私は何の不安感も抱かず、(私が超楽天的なためか?)すくすくと育ち、いまや身長174センチのの大男になりました。

 息子は2週間保育に入っていたので、私が一足先に退院しました。その後は、母乳を20ccの冷凍保存袋に入れて、毎朝病院へ届けるのが夫の役割となりました。これはとても大事な事なのです。届けるたびに夫は息子に声をかけ、スキンシップをします。こうして、だんだん生物学的父親から人間の親になるのです。そして・・・20cc母乳が入った冷凍袋はいまだに一つだけ我が家の冷凍庫に保存してあります。それともう1つは、お祝いに頂いたランの花(シンビジュム)が未だに元気で毎年花をつけてくれています。「20ccの冷凍母乳」については、昨年のバースティの時に「何時までこれをとっとこうかな?」といったら、息子は「ずーっと」と答えたので、彼の気がすむまで、冷凍庫に入れておくつもりです。

今年は、息子の都合でちょっと早目に22日に誕生日を祝いました。ろうそくが24本。そして、今年は夫がパソコンで作ったバースディカードに私たち夫婦の心をのせた言葉を添えて・・・・・。
 
Happy Birthday to you!!

24年前のクリスマス・イブに
 あなたは夢と幸せが 一杯入った袋を背負って
  私たちのもとに駆け足でやってきました!!

あなたは夢に向かって 真っ直ぐに 進んでください
 作品展にこめた気持ちを大切にしながら!!
   いつまでも あなたの幸せを願っています

この言葉は、すべて夫が書いてくれました。何も言わないでも、私の気持ちは、すべて分かっていたようです。そして、今までこんなロマンティックなことを書いたことがない人なのですが、夫の母性愛・父性愛の両方にあふれたこの言葉を読んで、私は感激しました。

(作品展のことを説明します。 息子は大学卒業後、グラフィックデザイナーを目指して、現在専門学校へ行っています。2週間前に作品展がありました。テーマは『クリスマス』。
多くの作品は、ほとんどが絵だったのですが、彼の作品は立体的で、アクリル板にサンタクロースの顔を切り抜き、右側にRICH(赤色版)、左側にPOOR(緑色版)としてありました。コメントは「クリスマスは、ふつう<Merry Christmas>といってクリスマスをハッピーな気持ちで過ごします。しかし、最近は格差が広がり、そうともいえなくなってきました。それを表したものです」というような意味のことが書いてあり、彼独特の優しい言葉で書かれていました。私は最近「希望格差社会」「格差社会」などに関心をもち何冊かの本を読んでいました。しかし、彼と格差について話したことはありませんでした。しかし、息子も同じようことを考えていたのだと思い、離れて住んでいても親子と通じ合うものがあったのだと、嬉しく思いました)。

22日は、いつものように手製のバースディケーキを食べる前に、このカードを読んだ息子は、ちょっと照れながら「ありがとう!!」と嬉しそうでした。そして一気にろうそくを消しました。 あんなに小さく生まれた子どもが、こんなに大きく成長して目の前にいる。信じられない気持ちです。去年も「この子がいなければ、こんな素敵な思いはできなかったのだ」と思いました。

母親として子どもを育ててきたと思っていたけれど、本当は子どもに育てられていたのだとも思いました。
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by eastwaterY | 2006-12-24 21:39  

生と死(12月23日)

今日は朝、ブログ仲間のRさんに第三子(女の子)が授かったというおめでたいニュースを知り、とてもハッピーな1日の始まりとなりました。日頃、ブログでRさんのご家庭の様子、お子さんとのかかわりなどを、いつも心温まる思いで読んでいるのです。そのように、心が通いあうと思っているブログ仲間なので、嬉しく、ほんわかとした1日となりそうでした。

ところが、夕方私たちが家族ぐるみでお付き合いをしているOさん(70歳)の訃報が入り、夫婦で愕然としてしまいました。Oさんは、私がマツダへ入社した時の同期(といっても彼は東大卒のエリートとして)で仕事も抜群にできる人でした。それだけでなく、同期会(クーペ会)でも彼の編集によってニューズレターを出したり、催事を計画するなど、Oさんはみんなのために心を尽くして、人が幸せになるために動く人でした。

私たちがNZに滞在した1975年~1977年、Oさんのご一家もオーストラリアへ駐在しておられました。その当時の秋でした。彼一家がメルボルンからNZ旅行にこられ、私たちと合流して(当時私たちには子どもがいなかったので)フォードの大きなステーションワゴンに大人4人、子ども4人でNZの北島と南島を10日間旅行をしました。一番小さなお子さんは、まだ1歳半、後は小学生達でした。ホテルにはあまり宿泊せず、ほとんど台所つきのモーテルを利用しました。毎日1歳半以外の3人の子どもがジャンケンをして私たち夫婦のところに泊まりにきて、まるで1つの家族のようでした。Oさんの奥様も共にマツダに勤めておられたので、顔見知りでもあり、
何の遠慮もなく、節約のために毎朝二人でみんなのお弁当を作って、倹約旅行をしました。
わずか10日間の旅行でしたが、2家族にとっては、何時までも思い出深い旅となりました。

帰国以後もお互いに親しく付き合っていました。彼は、どんどんエリートの道を歩まれましたが、相変わらず入社当時と同じような気さくな態度で、いつもにこやかに交流をしてくださる人でした。在職中も仕事の関係で外国へ行かれることもたびたびでした。そして昨年の5月から、グリーンピースの主催で行われる船による102日間の世界各国のへの旅に出られました。エッセイを趣味としておられたOさんは、帰国後すぐに紀行文を書き、製本して送って下さいました。語学に堪能な彼らしく、各国の人たちと交流を深め、充実した旅だったということでした。

私たちは、10年以上前からフォスターピアレンツとなって発展途上国の子ども達たちを支援していますが、これもOさんから教えていただきました。彼は、それ以前からピアレンツであり、実際に出張の際にチャイルドにも逢いに行くなど、常に前向きで行動的な方でした。常にゆったりとした態度で、柔らかい口調と笑顔で、すべての人を温かく受け入れ、包み込む大きなお人柄の方でした。

今秋の輸出OB会に欠席される前に、彼から電話があり、すい臓がんと戦っているということでした。放射線治療は断り、自然療法、有機物食品、温泉療法など、良いといわれることはすべてしているので、最初に8月と言われた寿命は延びていると明るい声で話されていました。その後私の友人のお連れ合いが、日本では画期的といわれるサリドマイド療法を研究し、実際に治療をしている医者ということで、サリドマイド療法に関する本を彼に送り、彼も喜んでくださいました。その時も力のある声でした。

それは確か2ヶ月くらい前だったので、まさか新年を前にして、お亡くなりになるとは夢にも思っていませんでした。私たちにとっては40年以上もお付き合いさせていただいた人なので、なんとも寂しく、やるせない思いがしています。    合掌
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by eastwaterY | 2006-12-23 20:55  

母校で「生涯学習概論」を講義しました(12月22日)

先週の金曜日に突然母校の『生涯学習概論』』担当のH先生から依頼され、今日、私の体験談を入れた具体的な「生涯学習」について、講義をしてきました。事前にH先生からは、私が在学していた頃と比べて学生が変化しているので、そのことを念頭において講義をするように言われていました。しかし、学生達は、私が学生だった時とほとんど変わらず、熱心に講義を静聴してくれました。ただ、違っていたのは、①70数名の学生の内4名くらいが、最初から寝ていること、声をかけて一度も顔を上げない、②途中で数人トイレに立って、何もなかったように席に帰ってくる、の2点でした。このようなことは、私が大学1年の17年前には、なかったことです。特に、講義の途中で(静かな動作であっても)トイレに立つなど考えられないことですが、これが現状だと受け止めることも仕方がないのだと思いました。(“けじめ”の問題はありますが・・・)

しかし、それ以外の学生は、真摯な目を向け一生懸命に講義を聴講していました。講義の終わりごろ、「学習履歴(ポートフォリオの一種)」を書いてもらう8分の間、咳1つも聞こえないほどの静寂の中でみんなペンを走らせていました。「学習履歴」は「『書く』という方法で過去の経験をふり返ることによって、現在の自分の位置を知り、未来への指針を得る」というのが、その定義です。「学習履歴」への記入は8分間では無理なので、後は帰宅後記入を続け、すべての記述が終了した後、「ふり返りシート」へ①自分の学びや自分自身について気付いたこと、思ったこと、②これまでの自分をふり返っみて、今後どのような生き方をしたいと思ったかを宿題として書いてきて、来年の第1回の講義の時に提出してもらうことにしました。その後、今日の講義について、感想を書いてもらいました。私は、準備した内容の2/3しか話せず、しかも学生が集中して記入している最中に記入を中止するよう言ったにもかかわらず、学生の1人ひとりの感想では、その多くが私が意図していることや意味していることも明確に理解しておりました。また、たった8分間しか「学習履歴」に記入する時間がなかったにもかかわらず、「学習履歴」の効用をしっかりと学び取っていた学生が多かったことには、驚きました。

最近は、年齢や性別に関係なく「自分探し」をしている人が多いので、最初に「自分らしく生きていますか」という呼びかけをし「ありのままの自分を認め、自尊感情をもって生きて行くことが、生涯、意欲をもって学習を続けていくことに大きな影響を与える」という話から始めました。感想を読むとやはり「自分らしく生きる」ということに興味・関心をもっている学生が多く、「普段あまり考えることのない自分らしい生き方について、自分なりにもっと考えてみたい」などの感想が見られました。

私自身が結婚後十数年間、自己否定をし、自分らしく生きていけなかったことがありました。当時は、「自分が、これからどう生きていきたいか」ということも考えることなく、生きる意欲もあまりなかったと思います。その後、人生の転機が訪れて、自分らしく生きられるようになった以後は、本当に自分がどう生きたいかを真剣に考えるようになり、「こう生きなければならない」という囚われから解放され、生きる意欲、学ぶ意欲が湧き上がってきました。だから、「自分らしく生きる」ことは、生きて行く上で大切だと思ったからです。ただ、「自分らしく生きる」ということを「わがままに生きる」と解釈しては間違いなので、講義の途中で、以前ブログでも紹介した永六輔さんのご尊父の永中順さんの「共生」の詩と「心の年齢は、身体の年齢によって決まるのではなく、心あり方、心の柔軟性によって決まる」ということを詠っている、有名なサムエル・ウルマンの「青春」も私と一緒に声を出して読んでもらいました。
また、生涯学習における「学習」については、「自分が主体となって過去の経験の上に立って新しい知識や技術を習得すること」だということ、学習することにおいては年齢には関係ないこと、などは十分に理解しているようでした。

もう1つは、若い世代は、携帯電話での会話はしても顔と顔をつき合わせて「対話」をすることがないので、生きていく中で本当のコミュニケーションや対話とはどういうことかを話し、考えてもらいました(「対話とは、相手の言葉や声を身体の中に受け入れて、その感想を言葉や声にして身体の中に送り届ける。by山崎哲」を時間不足のために伝えることができなかったのは残念でした。最後には、教育学者の林竹ニ先生の言葉「学んだことの証はただ1つ、何かが変わることである」と私の考えである「勇気をもって第一歩を踏み出し、その後に会える『新たな自分』と『新たな人生』を楽しむ勇気をもとう」を話して、講義を終了しました。

私が、嬉しかったのは、「学習履歴」を書くことによって、多くの人に支えられて自分がこれまで生きてきたことに対する感謝の気持ち、支え合っていくことで自分が成長できる事、精神的・経済的自立の重要性etc.などに気付き、「今日の講義は自分の中で大事にしていきたい」と書いている学生が、思った以上に多かったことでした。

今日も学習者から教えられることの多かった1日でした。
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by eastwaterY | 2006-12-22 20:34