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我家の花々(10月31日)

10月も今日で終わり、今年も残すこと2か月。それにしても、今年の天候は、どうなっているのでしょう。広島では朝晩は、午前9時くらいまでは晩秋に近い気温ですが、10時になると、(晴天が続いているせいもあって)日中は未だに夏服を着ています。現在、9時過ぎですが、暑がりやの私は、半袖のTシャツでパソコンを打っています。

さて、この晴天続きで、我家の花々は元気に成長しています。1~2週間前から、大型園芸店に行って、徐々にアネモネ、チューリップの球根を植えたり、キンギョ草、アスター、ビオラ、パンジーを植えています。ビオラ、パンジーは種まきをしたのが双葉から4つ葉になって、順調に大きくなっています。何しろ2袋100円均一の種ですから、どうなるか?と心配しましたが、(色はわからないものの)土、水、肥料、ネキリ虫防虫剤、太陽それに愛があれば大丈夫のようです。種から育った苗は、庭に植える予定です。

1週間前にプランター用のビオラ、パンジーを買ってきたのですが、ほふく性のもので、面白い名前がついていました。たとえば、ゆうちゃん、みーちゃん、F1ビビで、これは種苗会社によって名前が異なっています。これは、普通の価格より少し高かったのですが、わずか1週間で普通の倍くらいの早さで成長しているし、色も鮮やかです。

ところが、先日驚いたことがありました。我家から車で15分くらい離れたところに常にお客様第一の商法をしている個人の食品スーパーで、パンジーとビオラ、キンギョ草を売っていました。ものすごい量の花々で、お店の外にずらりと並べられていました。それは別に珍しくはないのですが、驚いたのはその値段です3株が100円です。大型園芸店では、どこでも1株78円です。株をよく見ても普通の株で特別ひ弱とか、悪い株というわけでもありません。結局27株買いました。今、これらの株は庭で、すくすくと元気に育っています。チューリップとアネモネはほとんど土の中ですが、アネモネが少し葉っぱを出し始めているので、少し心配しています。

現在のプランターの花は、まだまだペチニュア、日日草、アメリカンブルー、ポーチュリカ、ベコニアが満開です。例年であれば、この頃であれば、既に冬を越す花々がプランターにおさまっている時です。

それにしても、「育てる」と言うことは、ホントに楽しいと思います。何か不安なことや、ちょっと気分がすぐれない時に、これらの花々を見たり世話をするともやーっとしていた気分が、自然に明るくなってきます。そして、「がんばろう!」と思うようになります。

これらの花々は人間ではありませんが、つくづく相互関係の中で影響し合っているのだと思います。
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by eastwaterY | 2006-10-31 22:14  

過去を分かち合う(10月30日)

昨日は、さすがに疲れたので、ブログには、ほとんど自分の考えていることが言えていません。今日は、もう一度高齢期の生き方を考えたいと思います。長い年月を生きてきた高齢の人たちにとって、過去はそれまでの人生におけるさまざまな経験の貯蔵庫のようなものでしょう。よく「老人は過去のことばかりを繰り返し話す」といわれます。しかし高齢者は人生の晩年を意識して、これまで生きてきた人生を何度も吟味し、そして、それとうまく折り合っているのだということではないでしょうか。

心理学者のエリクソンは、生涯発達に関する複線モデルにおいて、老年期には「統合と絶望」があると提唱しています。前述の「うまく折り合う」というのは、統合と絶望のバランスをとろうとする過程であり、それには大きく2つの方向があるとのこと。1つは過去の出来事から後悔の念や失望を集めてしまうやり方。これは、未完の望みを他者のせいや自分のあるべき姿でなかったことのせいにして、絶望を強めていく心境です。

もう1つは、過去を振り返って、たとえすべてが成功でなくても自分の人生を生きるためにどのような選択をしたかに満足すること。たとえば、結婚の相手、子どもの育て方、職業の選択など自分なりにあげた成果や人生の歩みに誇りをもち、自分の能力への信頼や自尊心を得ることができます。つまり、それは「あのことは、なるべくしてなった」「自分はこう生きたのだ」と思える心境であり、自分のありのままの人生を受容する態度です。

もちろん、誰でもすべての過去の選択を認めることはできないかも知れませんが、ふり返りをしながら、それまでの自分の人生を整理していくのだと思います。高齢者が過去をたびたび振り返り、同じ過去の出来事を話すのは、忘れているのではなく、自分にとって大切なことを通して、それまでかかわった人との交流を確かめているのかもしれないのでは? そして、その話は、その人にとって大きな意味をもっており、人生を豊かに過ごしたことの確認をしているのではないかと思います。

エリクソンを研究している平木先生は「『良き友は名医に勝る』といわれ、老人は過去を共有してくれる人がいることで、極端な孤独は感じないですむだろう。過去を語る機会を持ち、それに関心をもってくれる人がいることで新たな視野を獲得したり理解を深めたりして、人生を肯定的に受けとめられるようになるかもしれない」と記述しておられます。

昨日の夫と旧友の語り合いを聴いていて、まさに、このことを夫達は無意識のうちに自分たちのこれまでの人生を受容し、肯定的に受け止めているように思いました。かねてから夫は「自分のサラリーマンとしての人生は120%満足だった」とよく言っていました。昨日の旧友はそういう生活の中で共に同じプロジェクトを通して、時には思考錯誤をしながら、1つのプロジェクトを成し遂げた仲間なのです。古いアルバムの30~40年前の黄ばんだ写真をみながら、「あの時はこうだった。○○さんからこのようにお世話になった、△△さんはマージャンが強かった・・・・」などと、3人が本当に楽しそうに語り合っていました。

平木さんは、高齢者側の視点に立って、高齢者の語りを「歴史」と受け止めることにより、次世代の人たちにも重要な意味があることについて、次のように書いていいます。

「老人の過去は、老人の人生のまとめをする上で重要な役割を果たすだけでなく、後に続く者たちにとってもその意義は大きい。それは、われわれの歴史の一部でもあり、それを分かち合うことは社会や人生に対する理解力を深めることになる。老人の過去は古いから通用しないことでもなく、一度聞いたら分かったということでなく、語る側にとっても聞く側にとってもそれとは別の意味がある。」と平木さんは述べている。古い言葉で言えば「温故知新」の役割を高齢者の語りが果たしていることなのでしょう。
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by eastwaterY | 2006-10-30 18:07  

夫がお世話になった人と談笑(10月29日)

今日は、夫が40年くらい前から仕事でたびたびミャンマー(旧ビルマ)へ出張・単身赴任に行っていた時、お世話になった元商社勤務のOさんの奥様が東京からお見えになりました。私は初対面でしたが、今まで何度も彼女のお話やミャンマーでの話を聴いているのでお互いに初対面という感じではありませんでした。本当は、ご夫妻で来ていただきたかったのですが、ご主人は3年前に癌で亡くなっておられ、残念なことでした。

今日は、お昼過ぎにOさんが広島駅に到着された後、瀬戸内海の島々をパノラマのような感じで見ることができる広島プリンスホテルのレストランで、昼食を摂りました。運良く今日の広島は、ほとんど快晴に近い天気で大きな窓から瀬戸内海の美しい海と島々を見ることができ、Oさんは感激しながらランチを楽しんで下さいました。彼女は、私達より年上のご夫妻で、夫が独身の時にミャンマーへ出張したり、2年間の単身赴任をした時など、一緒にゴルフをしたり、食事によんでいただきながら仕事をしてきた経緯もあり、いつか広島にゆっくり来ていただきたいという思いが以前からあり、やっと実現したのです。

昼食後、自宅に向かう途中で、元マツダの輸出部長だったMさん(88歳)のお宅により、我家へ一緒に来ていただきました。Mさんもビルマプロジェクトの初期からかかわり、Oさんとも親しい上に、私達のお仲人をしてくださった人なので、ゆっくり我家でくつろいでいただき、40年~30年前の古い写真を見ながら談笑していただきました。ケーキは前日焼いていたし、私もゆっくりしながら皆さんの話を聴いていました。夜食は広島のお好み焼きをOさんに楽しんでいただきたく、近所のお店で配達を頼みました。「あー、広島のお好み焼きを食べたかったの」と、とても喜んでくださいました。それからも延々と話は続き、午後9時半に我家を出て、Mさんをご自宅に、Oさんを広島中心地のホテルにお送りしました。

明日は、ビルマプロジェクトにかかわった他のメンバーも加わって「Oさんの歓迎ゴルフ会」をするとのこと。どのメンバーも既に70歳前後なので、旧交を温め、お互いの健康を祝すこのようなイベントが、人生の中にあるのは大事なことだと思いました
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by eastwaterY | 2006-10-29 23:59  

定年後の生活~日米の比較~(10月28日)

昨朝のTVで「団塊の世代特集」として、定年後の生活の日米比較をしていました。日本で団塊の世代とは1947年~1949年生まれを言います。一方、アメリカではベビーブーマーといい、1946年~1964年とかなり幅が広く定年後の生き方を幅広く捉えています。このことには理由があります。

アメリカの場合は、定年を「ハッピーリタイアメント」といい、これまで懸命に働いてきたのだから、定年後は自分が好きなように生きていきたいという思いがあるのです。だから、考え方としては「人生は何歳からでも始められる」であり、制度的にも定年制度がなく自分で退職する時期を決め、退職後にもいろいろな選択肢があるということです。そういうことですから、アメリカにはリタイアメント・コミュニティがあります。この番組では、それぞれ異なる3つのコミュニティを紹介していました。

一つ目はワシントン州のワラワラで3万人の人口の町に3つ大学があります。したがって、このワラワラに全米からシニアが集まるとのこと。その理由は仕事を辞めた後、このワラワラでは、やりたいことができる、新たに何か始めたい人が集まってくるということです。これは3つ大学があるということが大きく影響していると思います。

2つ目は、フロリダ州のタマラック。ここは年間を通して平均気温が24度、人口6万人のうち65歳以上が49%であり、働くシニアが多いという街です。この街では高齢者が働くことを勧めており、80歳代でも働き続けている人がいるということです。また、警察が認めたボランティアとしてシニアの人たちが市民警官をし、市内をパトロールしたり、防犯の呼びかけをしています。また、1年間6,000円を払えば、電話1本でどこからでも乗り合いタクシーに乗ることもできるという制度もあります。町全体でシニアの人たちを支援しているということです。これは、シニアの「働きたい」という欲求を受け入れているということです。ちなみに、英語では、workという意味は、広義としては、働くだけでなくボランティア活動も含まれています。

3つ目は、カリフォルニア州クレセントヒル。このコミュニティでは、シニアだけの町ではなく、あらゆる世代の人が高齢者と共に住んでいるとのこと。人口比率としては55歳以上が21%、 それ以外が79%。したがって、たとえばシニア世代が若い人たちの子どもを預かる、若い世代は、シニアにコンピュータを教えるというように、お互いが補い合うという関係があちこちに見られるそうです。そのコミュニティでは週に1回、コミュニティ全員で食事を共にすることがあり、あらゆる年代が一同に会する機会があります。

この3つの例を見ても分かるように、アメリカの高齢者の暮らし方には、選択肢に幅があります。若い人たちの間では「one time credit」といって、若い時にボランティア活動を積み重ねていけば、将来そのクレジットを自分が必要とするときに他の人にボランティアとしてもらえるという方法を使い、ボランティア活動をしている人が多いとのこと。このような方法は、現在、日本でも行われています。

アメリカでは、自分次第で人生を何回も生きることができると考えている人も多いこと、また、ボランティア精神が旺盛な人が多いこと、ホームパーティをする習慣があることなどで、日本と比べるとリタイア後のコミュニケーションもあり、コミュニティに住むという選択肢もあり、リタイア後も積極的な生き方をしているということです。

日本では、定年後も仕事をしたい人が多く、なかなか「ハッピーリタイアメント」にはいきそうにありません。これは、定年後の生活が心配なこと、もともと真面目な性格の人が多く元気なうちは働きたいと思うこと、仕事以外に趣味がないということなど、があると思います。また、ボランティア活動もまだ、日常生活の中で根付いていません。たとえば、公民館で団塊の世代向けの講座を企画して、広報をしても申し込み0ということもあるとのこと。また、公民館などの社会教育施設が「仕事から地域へ」という趣旨で講座をしようとしても、男性は「自分の生き方を人に決められたくない」と、プライドが傷つくという話も聴いたことがあります。だから、団塊世代講座はどこでも苦労をしているようです。

わが夫も、73歳になっても「私は失業者です」といい、私の友人に「その年齢でもまだ、働きたいのですか?」と苦笑されてしまいました。ちなみに、私は上述のアメリカの3つのコミュニティのどこを選ぶかといえば、もちろん、3つ目のクレセントヒルです。いろんな人の子どもさんを預かり、若い人と時々パーティーをしハッピーリタイアメントの生活を楽しみたいです。でも、ここは日本でしたね。(がっかり)
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by eastwaterY | 2006-10-28 21:50  

高校の必修科目未履修について(10月27日)

数日前に発覚したある高校の「高校の必修科目未履修」は、今朝の新聞によると35都道府県213校に拡大しているという。生徒数にすると2万人以上とのこと。必修科目を履修していない3年生は卒業できない可能性もあることから、一部の高校では補習を行うなどの対応を決めている。

未履修や授業時間の不足は、大学進学など受験指導に熱心な学校が目立っている。広島でも判明したのは私立の進学校である。教科別では、世界史と日本史、地理の「地理歴史」や書道など「芸術」、家庭総合など「家庭」に集中している。それらを履修させず、浮いた授業時間を受験に必要な教科の指導に振り向け、合格率を高めようとの思惑が伺える。対策としては、放課後、センター試験後などに集中講義を実施することを検討しているとのことだが、このような必修科目未履修については、数年前から行われていた高校もあり(世界史を履修していないのに文書上はしている:これは公文書偽造に当たるのでは?)、事は既に大学生になっている人たちのことをどうするか、というところまで発展している。

福島県では、教育長が受験対策のため必修科目の時間を他の授業に振り分ける学校現場の実施を把握していながら、黙認していたことも分かったとのこと。これは教育長に限らず、現場の校長を初めとする先生方も、いかに難関国公立大学に一人でも多くの生徒を進学させるかだけを考え、倫理観はなかったのだろうか?それを隠しおおせることだと思っていたのだろうか。

これにも関係あることだが、先日TVの「太田総理・・・」という番組で教育問題を中心にいろいろな人が討論した。そのとき、元ミス日本で現在医者である西川史子さんが「義務教育はいらない」という提案をした。彼女は「義務教育では、腐ったみかんと一緒に勉強しているようで・・・」と発言した。その時、ヤンキー先生こと義家先生が「腐ったみかんとはひどい。教育は子どものためにあるものです!」と声を大きくして言った。ところが、太田総理が「義家さんは教育というものを過大評価しているのではないか」と追い討ちをかけるように発言。

それ以後、西川さんは力を得たように「だいたい、家庭科、体育、音楽、美術などそういうものは要らない。その代わりに大学進学に必要な科目の時間を増やすべき」と言い放った。これには驚いた。家庭科では「人はいかに生きるか、結婚とは何か」教え、人間の根幹を考えるような科目、体育も心身の健康をつかさどる大切な科目、音楽・美術には美的感覚を養い、美しいものは美しく感じる心を育てる、というようにどれ1つをとっても必要でない科目は1つもないのである。番組の最後に賛成、反対をとったら、3:1くらいで反対の人が多く、ほっとした。彼女は途中から自分の考えは少し過激すぎると感じ始めていたといって涙していたが、それにしてもあまりにも偏った考え方に唖然とした。

その後、その時と同じような考え方をしている「高校の必修科目未履修」問題が浮上してきて、現場の先生方まで西川さんの様な考え方をしているのを知り、唖然としただけでなく怒りがこみ上げてきた。義家さんが言うように本当に生徒のことを考えるのであれば、学校現場はもちろん私たち国民も近視眼的な視点ではなく、長期的視点から教育を考える必要があるのではないかと考える。
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by eastwaterY | 2006-10-27 22:22  

旧友との再会(10月26日)

このところ、息子が幼稚園時代の母親の会の旧友から何度も「会いたいねぇ」という電話を頂いていたので、今日は思い切って私の方から電話をかけ、彼女と会いました。幼稚園には「すずらん」という母親の会があって、友人のMさんと私は「絵本の会」に入り、
毎週「絵本の読み聞かせ」の練習や1つのテーマを決めて絵本をちょっと研究してみたり。
そして、1年の終わりには必ず手作り絵本を作成していました。

手作り絵本というのは、文章、絵、製本などすべて自分がするのです。なんせ、子ど゙もが幼稚園児ですから、起きている間は活発で絵本作成に集中することはできず、絵も文章も
息子が寝ている夜半に書いていました。息子は3歳から入園したので、卒園時には3冊の手作り絵本ができました。サークルの人たちは絵が上手で、特にMさんは「いわさきちひろ」さんばりの絵を毎回描いて、絵が下手な私は毎回羨ましく思ったものです。最終的には、皆でそれぞれの批評をするのですが、私の本は、多くの人から毎回「Eさんのは母性愛一杯の本ですね」といわれていました。

それでも、世界でたった一つの本ですから、私にとっては大事な大事な宝物です。素人が作成した本ですから、20年近くなった今、糊が黄いばんできたりして、決してきれいな出来上がりと、言えませんが時々あの頃を懐かしく思い出しています。

そのような思いを共有できるMさんとは、子どもが卒園後も、お互いに子育ての悩みを話し合ったり、大きくなれば思春期の親としての悩み、子どもの様子など本音で話し合え、いい友達関係を続けています。今日も、「こうして、お互いに自分を解放して忌憚なく話せることがうれしいね」と喜び合いました。

私達夫婦は、子どもを授かったのが遅かったので、子どもの幼稚園時代から始まってどの時代のお母さん方とも私は、かなり年齢の開きがあります。しかし、それらのことを考えることなく、いつでもお互いに時間をつくって会えることは幸せだと思います。次回は、今美術館で「絵本の原画展」を開催中なので、11月になったら鑑賞に行くことを約束しました。久しぶりに絵本ワールドにはまってこようと思います。
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by eastwaterY | 2006-10-27 00:37  

近頃の学食(学生食堂)は豪華!(10月25日)


このところ、割合堅い内容のブログが続いたので、今日は「現代学食模様」を書きたいと思います。先ほど、TVを観ていたら、地元のTVで「現代学食事情」を放映していました。

まず初めに、豪華な学食が出てきました。広島では一番豪華とされるホテルのレストランが出前レストランとして独立行政法人のH大学でフランス料理のランチを出していました。私も大学院の時に、この大学に在学していたので、たま~に行っていました(2年間で数回?)。そのレストランの名前は「ラ・ポエーム」といい、すべて1,000円以上で、スペシャルランチだと1,890円です。(ちなみに私は1,000円のものしか食べたことはありません)。サービスもホテル並みで、正装したボーイさんが料理を持ってきてくれますし、ドレッシングやソースも品がよく本物の味を感じさせます。

今日インタビューした人の中では大学院生が、このスペシャルランチを月に1回食べに来るのを楽しみとして論文を書くことに励んでいると言っていました。そうやって論文を書くストレス解消をしているとは、いいアイディアだし、余裕があると感心しました。

一般的に学食といえば、定番のカレー、うどん、カツ丼、ハンバーグなど質より量でしたが、それは昔の話。最近では大衆食堂のように惣菜の小皿に取って自分が好きな組み合わせをして図り売りで、昼食が食べられるようになっています。私が在学中は、もっぱらこちらを利用し、大体、300円くらいですませていました。広いキャンパスなので、遠い学部の食堂街に行けば、マクドナルドもあります。息子が在籍していた大学も、広島では大きな私立大学ですが、ここでもあらゆるタイプの食堂があり、ある1つの食堂では、緑も多くテラスで爽やかな風を浴びながら、ランチをすることができるようになっています。

今日TVで放映していたのは、私立女子大学でした。この大学の中にはコンビにもありますが、最近大幅に食堂を改築したとのこと。そこでは500人が一同に会してランチが食べられるようになっています。今回新しく始まったのは「焼きたてパン」です。ずらりとパン屋さんの前に行列ができ、多種類のほかほかのパンを毎日のように食べているという女子大生もいました。

先述のH大学では、地域の人たちにもOKなので子連れからお年寄りまで楽しめるレストランです。自然豊かなキャンパスに散歩や絵を描きにきた人、夫婦連れ、女性グループの利用も多いとか。そういえば、夫は在学中時々HH市のH大学に来ていたので、一緒にランチをしていたのですが、いつもちょっと豪華な(?)800円くらいのランチを食べていました。私の年代では、学生=貧乏・質素という考えが染み付いており、とてもゴージャスなランチなど考えることもありませんでした。現代の学生のように、楽しむ時と質素にするときというように、柔軟に考えて学生生活を楽しめばよかったなと思います。
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by eastwaterY | 2006-10-25 19:43  

「家族の関係」と「その他の関係」その2(10月24日)

昨日の続きで、特に「その他の関係」について書きたいと思います。その前にこの本のことを紹介します。鶴見俊輔、春日キスヨ、徳永進、浜田晋『いま家族とは』岩波書店、1999年出版です。

浜田さんは「『その他の関係』の幅は広く深い。人間の成長はその上に成り立っている。その多様な出会いによって人は人となる」と、書いておられます。この意味を考えると、人間は他の哺乳類と比べて未熟な状態で生まれてくるところに、その意味があると思うのです。生得的にもっているDNA以外に人間は、DNAとは関係のない人からさまざまな影響を受けて成長するということに意味があると思うのです。

私自身のことを考えてみても、親や家族以上の影響を受けた「その他の関係」の人たちが何人もいて、今の自分が形成されていると思えるのです。そして、そのことが私にとって、とても重要なことだと思えるのです。また、そういう人たちに恵まれ、囲まれて生きていけることは、幸せだと思っています。こうして、ブログで出会え、考えを共有したり、影響をしあったりできる人たちも、私にとっては「その他の関係」の貴重な人たちであり、そのお陰で私の日々の生活も充実していると思っています。

「血縁の関係」は、その家族に生まれたという必然的な関係から始まりますが、「その他の関係」は、時間、距離、年代を越えて時には必然そして、全く偶然に出会い、関係ができるのです。社会学者の春日さんは、フィールドワークの中から多くの論文を執筆している人ですが、2025年には75歳以上の後期高齢者が15.6%になると、晩年になって施設に入所し、家族員以外の手による世話を受けざるを得ない人が膨大な数に達すると予想しています。

そうなってくると、今までのように「家ですみ続けるのがいい」という思いを、安易に「家族にみてもらう方がいい」と直結させることに対して危惧を抱いています。それは、家族という関係は人々が信じたがっているほど、「愛」を発揮するかどうかということです。「その他の関係」の人であれば、比較的容易に支えられるところを、家族という関係だからこそ、支えきれない部分を持っているのではないかと春日さんは言っているのです〔実際には大家族で住んでいる高齢者の自殺率が一番高いとのこと〕。自宅で家族と共に住んでいる高齢者は、家族の愛情を期待するする分だけ、期待しないような施設で生きるより絶望感は深いということです。

春日さんが老人ホームで聞き取りをした時、家族がいても施設にいる高齢者が「葬式をホームで」という方が多かったそうです。ホームの方が最晩年の歳月に見知った人が多くいて、拝んでくれるという思いが、ホームにいる人々の中にあるのです。浜田さんもこう言っています。「家族の絆とか家族の愛情とか言うものが崩壊しつつある中で、今現在、老親の介護にしても『その他の関係』というものを育てていけないところに来ている」。

最後の章では、4人の討論が掲載されています。それを鶴見さんが最後にまとめています。
「家族を考える時に、そこに『その他の関係』を入れていくことで家族の見方も変わっていくし、実際に生き方が変わっていくということ。今いきいきとした家族を生きていけるのは『その他の関係』を巧みに導入している場合と思う」書いてあります。

浜田さんは、あとがきに「『家族』は『その他の関係』の力を借りて再生することもあるでしょう」といっています。さらに「『その他の関係』は、人と人との絆から犬や猫や、さらには、樹木や虫けらや大自然にまで拡大する力を秘めていて、それが癒しの力になり、人に生きる力を与える」とまとめています。

確かに、最近は犬や猫を家族と位置づける人も増えています。私自身も、過去5匹犬を飼って来て、完全に「家族」と思っていました。しかし、「家族」と思えるのはそこまでで、我が家の庭にいて、癒してくれる蝶々やトカゲ、そして四季おりおりに成長し、花を咲かせて癒してくれるこれらのもの達は「その他の関係」です。時に、これらのものが、浜田さんが言っている「癒しの力になり、人に生きる力を与える」ものになるのです。

そのように考えると、生きている限り多くのものに自分は囲まれ、癒され、生きる力を得ているのだと自分が思えば、それは、幸せなことであり、幸せは自分で決めることだと思いました。
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by eastwaterY | 2006-10-24 23:30  

「家族の関係」と「その他の関係」その1(10月23日)

今日は、ある人のブログに書いたものとほとんど同じ文章を私のブログに書くことにします。
感動した話なので、もっと多くの人に読んでもらいたいと思ったからです。

今、岩波書店出版の『今、家族とは』という本を読んでいる最中です。その中に精神科医の浜田晋さんが『家族という陥穽~私はなぜ精神分裂病から脱れられたか~』というタイトルで、「家族との関係」と「その他の関係」について書いています。

彼は、常に母親から否定的な扱いを受け、時に不登校にもなりながら精神科医になりました。受容されない母子関係の中で幼い時から育ち彼がなぜ、病を得なかったのかと言えば、自分を「丸ごと受容してくれる」寺の住職と叔父の存在があったからだといっています。また、彼の母親も否定された生育暦があり、結婚生活も夫(浜田さんの父親)とも情緒的離婚生活を送り、夫を憎んだ人だったとのこと。もちろん息子である精神科医を受け入れることもなく、受け入れられることもない生活を送って90歳で認知症のようになり、入院します。

そこで、彼女を「丸ごと受けいれてくれる人(母親のような存在)」に出会えました。その人は、彼女の身の回りのすべてをする付添婦の人で、家族ではなく「その他の関係」の人でした。浜田さんの母親は90歳にして生まれて始めて死を直前にして「人と信ずること」ができたのでした。彼はこう書いています。

「私もこの年になって、はじめて『人間を信ずるということの本質』に触れた気がする。『家族』は『家族をめぐる人々』や『その他の関係』との出会いによって、初めて命を与えられるのであろうか。『家族」は閉じられた親子関係の中だけでは生きられない」。

人が相手に寄り添って話を聴いたり、全面的に相手を受容する『その他の関係』の人であったとしても、『血縁に基づく家族の関係』をはるかに超えたものがあるということに驚き、感動しました。

もう1つ浜田さんはこうも言っています。「危機的な状況にあるとき、人がどんな人とどう出会うかよって、その人は大きく変わる。それが人生というものであろうか」。胸がドキドキするような言葉です。

この本は4人の方が書いています。鶴見俊輔〔哲学者・評論家)、春日キスヨ(社会学者・大学教授)、徳永進(内科医)、浜田晋(精神科医)です。最後に、この4人で「その他の関係」が育む生きる力を話し合っているので、後日また、書きたいと思います。
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by eastwaterY | 2006-10-23 21:13  

「輸出OB会」出席(10月22日)

今日は、年に1回のマツダ〔元の勤め先〕の輸出OB会がありました。私も夫もこの会の会員です。夫が入社したのが、1951年、私が1960年入社ですから、その当時はマツダも今ほどの大企業ではありませんでした。だから、その当時の人たちと会うと、会社の成長期の話を語り合います。15人くらいから始まった輸出課も今では数百人の社員で構成されているのです。

私は夫とは別に、今日は朝早く出て、約80人の参加者の各テーブルに飾る花を生けました。
余興として、詩吟、中国人留学生による中国琴などの演奏があるということで、和風の花ということになり、女性3人で抹茶茶碗に花を生けました。

いよいよ、開会となって、現在88歳の当時の輸出課長だった人が、元気に年齢を感じさせない挨拶をされました。私が輸出サービス係に属していたときの当時の主任さんとも話しました。彼は、私が高卒で入社し、結婚後も学習を続け大学、大学院と進学・修了したことを、とても喜んでくださいました。「私は、あなたがそこまでするとは思っていなかった。Yさんのことを本当にすばらしいと思うよ。頑張ってくれよ」と励ましてくださいました。この方も今はもう既に80歳近くになられました。会の初めにこの1年間に逝去された人(今年は1名)の冥福を祈って30秒間の黙祷をささげました。

今日参加できなかった人たちのメッセージのコピーが、テーブルに置いてあったので読んでみましたが、5,6人の人が体調不良や入院中などの理由で参加できない旨が書いてありました。こうして、毎年毎年確実に全員が年齢を重ねていっているのだと、つくづく思いました。十数年ぶりにお会いした方もあり、あまりの変わりように、気づかなかったこともありました。特に男性の場合は、変わりようが激しいと思いました。女性の場合、化粧や髪型、服装等によって、分かりにくいと思われるかもしれませんが、男性ほどの変わり様ではありません。こうしてみると、日本の高度成長期を支え、戦い抜いてきた人たち(企業戦士)の生き方がその変わりように表れているようで、思わず「ご苦労様でした」と思いました。

来年もOB会は開催されますが、皆さん(私達夫婦も含めて)が、今日のように元気で参加できればいいなと思ったことでした。
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by eastwaterY | 2006-10-22 19:00