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TV番組「課外授業」は、子どもが元気(9月30日)

やっと休みになりました。文字通り私一人のフリータイムがあるのです。夫は朝早くから(私が寝ている間に)自分で朝食をつくってゴルフに出かけていきました。誰にも邪魔されずに、たっぷり、ゆっくり新聞を読めるのは贅沢だと思うほどゆっくり読みました。その後NHK「課外授業」(再放送)を観て、子どもがイキイキしている姿に私まで元気づけられました。

今日の先生はアートディレクターの長友啓典さん。彼の母校の小学校6年生への授業です。何をするかといえば「自分の日々の生活の中で、1つだけ馴染みのある風景を選び、その風景をじっと見ることで①絵か文章で表現する、②自分の気持ちをのせて、それを絵にし、③絵を仕上げ、みんなの前で発表します。

これが授業の①~③がプロセスです。まず①では、子供達は学校外に出て、自分の一番なじみのある風景を見つけ、そこでじっと佇むか、座っていろいろ思い出したり、気づいたりします。その時長友さんが子どもたちに尋ねました。「こうして風景をじっと見詰めることが大事なんだよ。どんなことに気づいたかい?」と。②では、教室内での授業です長友さんは、「子ども時代に、いかに記憶を多く持っているかが大事だし、記憶の引き出しをたくさんもって大人になってほしな。そうすると、人にも優しく親切な人になれるんだよ」と語っていました。そして、絵が上手に描けない子どもに対しては「上手に描こうと思わないで、自信をもって描けばいいんだよ」と。そういうアドヴァイスを聞きながら子供達はそれぞれに、自分の中に印象的にある風景を描いていきます。自分の好きな場所の絵を描くのですから、みんな楽しそうだし、真剣です。その様子から長友さんは「このまま育っていてほしいな」と語っていました。

そして、③では、何人かの子どもの絵と発表がありました。Aさんは、細い路地を描き、雨の日に傘が引っかからないように歩くのがドキドキするし、晴れの日でもここを通ると気持ちが落ち着くとブロックの塀に囲まれた路地をしっかりと力強く書いていました。Bくんは、大きな松をどっしりと描いていましたが、そこを通る時にいい匂いがすることを、どう描けばいいかを考えました。そして、悩んだ末に松の一番上にクロワッサンを描きました。実は、その匂いは松の隣にあるパン屋さんからの匂いだったのです。この匂いの描き方など、とても私は思いつかないので(木は木としてか観ないし、描けない)、こんな物事にとらわれない考え方は、さすが子どもだと感心しました。その他、いつも猫数匹をよその玄関に追い込んでいた風景、高速道路を虹色に塗ったりもの、幼い時におじいちゃんに手を引かれて通った道が、今は閉鎖されている風景など、さまざまでした。

ある一人の子どもが、散髪屋さん特有のくるくる回る三色看板を大きく強調し、これは小さい時からいつも見てきたものだと発表していました。そこで、長友さんが「絵は観たままだけでなく、どれだけ自分が強く描きたいものや思いが強いものに焦点を当てて大きく描いてもいいのだよ」とアートディレクターらしいアドヴァイスをしておられました。

最後に子供達にこの授業についての感想を尋ねられました。子供達は「今までじっと風景を見たことはなかったが、そうしてみたら楽しかった」、「絵を描くことが好きになった」、「自分が思っていることが描けてうれしかった」と。長友さんは、決してこうしなさいとか、こうするとうまく描けるとか言わないで、子どもが発する言葉や思いを大事にして、キーポイントとなる言葉だけを言い、子供達が自分から考えるようになさっていました。これこそ、子どもの持っている「力を引き出す」(英語では“educate”、これが名詞になると”education”)ということだと思いました。

子どもは、長友さんから指図をされないし、最後の発表の場面でもその子その子に合った肯定的なコメントをしておられました。一人一人が本当に大事にされている授業だと思いました。
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by eastwaterY | 2006-09-30 22:19  

ああー、疲れた!(9月29日)

今週は月曜日からいろいろな所用や活動、研修と続き、朝早くから出て午後10時帰宅という日々だったので、さすがに疲れました。疲れたのは、それだけでなく論文締め切りがプレッシャーでした。その上、突然、原稿を読んで800字にまとめることを、おととい依頼され、昨日締め切りというのまであって、ひさしぶりに大変な日々でした。

でも、やはり学習するというのは、充実感を感じることができます。今日などは二つの研修が入りました。一つは朝10時から午後5時まで研修(チラシの作成方法と、男性を対象とした行列のできる講座企画講座)、その後、ボランティア活動の資料作成をして、午後7時から9時過ぎまで研修(NPOマネジメント講座~資金の作り方~)でした。

「男性を対象とした行列のできる講座の企画」は、男性の講師で、現在そのユニークな考え方と実践で有名になり、全国を飛び回っている人です。彼は『男性講座をする時には、絶対に女性と一緒の企画をしてはいけない』といいます。それは・・・・男性は自分のプライドに敏感なので、絶対に女性の前では、本音は言わないし口を開かないのだそうです。また、男性講座で成功するのは、料理をテーマのものと子どもと一緒に活動するものがいいそうです。

1グループ6人でのワークショップがあり、男性を対象とした男性講座を企画することになりました。私達は、テーマを「『夢』に近づく 初めの第一歩~男のロマンを語ろう~」とし、3回の連続講座。第1回は、①ハーレーに乗って夫婦でアメリカ横断か、あるいは、②家族3人でヨットで1年間、のどちらかの体験を話してもらう。第2回は、「幼い頃からどんな夢を持ち、何をしたいと思っていたか」をふり返り、その後~年後にこうしたいという「夢予想計画」を書く。第3回は、各自書いた夢計画を発表し、その後グループになって夢計画を話し合う。(できればネットワークを作ることを狙う)。この企画を考えていて,グループ全員がすごく楽しくなり、ドキドキするし、本当に講座としてやりたい、と大笑いをしました。

その後、各グループが自分達の企画を簡単に白板に書いたのですが、10グループ中半分が、男性を「おやじ」と使っていました。たとえば「おやじ改造計画」。これなどはもっともいけない言葉だそうです。親父もダメだし、改造とか構造とかを使うと、40代以前の若い世代には絶対に×とのことでした。その代わり若い世代のお父さんには「子育て真っ盛りのお助け講座」などであれば、受講者は多く集まるとのことです。さらに面白かったのは、日頃忙しいお父さんの気持ちを子どもが察していて、実は、この講座には子どもがお父さんに付き合ってくれていると言うことです。子どもは、本当に優しいですね。
その他、いろいろと知恵と情報を駆使した企画の立て方を習いましたが、今日もお疲れなので、これでおやすみなさ~い。
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by eastwaterY | 2006-09-29 23:19  

「日本女性会議2007ひろしま」レポート(9月28日)

今日も朝から出て、午後10時に帰宅。その後、一旦書いた22,000字の論文の一部を修正。締め切りが9月30日なので「ああー、疲れた」といって休むわけにはいきません。頑張って、論文を何とか郵送するところまで行きましたが、今は午前1時25分。「もう寝ようかな?」と思ったけど、今度は頭が冴えて寝られそうにありません。

ということで、今日行われた「日本女性会議2007ひろしま」分科会で、私達が企画した「キャリア教育」をほぼ認めてもらったので、その内容を書きます。
まず、テーマは二転三転して、やっと決まりました。「『生きる力』を育てるために~未来を開く「キャリア教育」を探る~」としました。形式は、基調講演とシンポジュムで、基調講演者は、CH大学教授の金谷教授、コーディネーターは地元のHS大学の川名助教授、シンポジストは広島以外でも大活躍のキャリアカウンセラーの盛矢さん、そして、これから交渉する、ある高校のキャリア教育実践教員です。

男女共同参画社会形成においては、従来の職業教育、進路指導から(外的キャリア教育)、個人の適性を掘り起こし、能力を開発する「キャリア教育」(内的キャリア教育)の重要性が高まっています。そこで、この分科会では、キャリア教育の現状と課題を話合い、学校教育から生涯学習へと連続する各々のライフサイクルにおける取り組みとキャリア教育の展望を探ることを目的としました。

基調講演では、大学・高校でもキャリア教育を実施し、社会人に対しては「女性と仕事研究所」で女性が就職・再就職をするための研修・講演などを行っておられる金谷先生に「なぜ、いまキャリア教育か」を話していただきます。シンポジュムでは、広島でユニークな「内的キャリア教育」をしておられる事で有名な川名先生、そして、盛矢さん、高校の先生に加わっていただき、これからのキャリア教育を探っていきたいと考えています。同時に、会場からの意見も聴きながら、今後の進むべき方向を、展望へと話合いを深めていきたいと考えています。

もっと書きたいのですが、明日も朝から夕方5時まで、研修を受けるのでこれで今日はおしまいとします。
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by eastwaterY | 2006-09-29 01:48  

さをり織(9月27日)

先日、私の小学校時代の同級生のIさんがお嬢さんと共に出展している「さをり織」展を観てきました。「さをり織」の創始者は、現在90歳になられた“城みさお”さんが京都の工場で織られる西陣の規格はずれ(色むら、織りきず、糸とび)の着物布や帯からヒントを得て、工場では作れない世界でたった一つのものができるということで思いつかれたものです。

糸がほつれてもよし、そろわなくてもよし、色もバラバラでよし、めちゃくちゃ織りの面白さを評価させようと、努力をして人を説得していかれました。やがて、その精神に共感した人たちが増え、今では、「教えずに引き出す」方法が理解され、芸術性の高い方々から障害者、高齢者まで幅広い愛好者の中で発展しつつあります。この「さをり織」は、ロンドンのバッキンガム宮殿にも飾られ、今では世界各国で広がっています。

Iさんのお嬢さんには知的障害があります。母親である彼女は、本人の持てる能力をできる限り出してやりたいという思いがあり、日ごろから気をつけてみているとお嬢さんには、「色」にことのほか興味を持っていることを知り、彼女の周りには色に関するさまざまな取り組みをしてきたそうです。たとえば、折り紙、ペインティング、貼り絵などなど。その挙句、色で自己表現をする方法として「さをり織」に辿りたどりついたということでした。お嬢さんは、カラフルな糸に囲まれてとても幸せな日々を送っていらっしゃるそうです。

展覧会では、Iさんはラピズラリー色に抽象的な柄の入ったセーターを作っていました。それは、本当にどこにもない、世界でたった一つのものだと思えるものでした。それ以上に感動したのは、お嬢さんの作品でした。それは、カラフルな紬糸の塊や毛糸などで紡いだ厚い布や粗い目で紡いだ布などを絡め、とてもダイナミックなタテ1.5m、ヨコ1mくらいの作品でした。一般的に健常者は、このような色の組み合わせや糸と質感など、あれこれ考えてしまいますが、結局壁にぶち当たり、障害のある人たちののびやかな色あわせに学ぶことが多いのだ、Iさんは言われます。

このお嬢さんの作品を見た朝日放送パーソナリティの方から、劇団で舞台道具として使わせてほしいと要請があったそうです。Iさんは障害児を抱えて生きる力を失いかけていたときに、先輩から「人間には、みんな何かしらこの世に役立つために生かされているのだ」と言われたことがあり、今、障害児を育ててきて、つくづくそう思っているそうです。神様が「あなたなら障害児を預けても、きっときちんと育ててくれると思う」といわれているように思うことが,しばしばあるとのことです。そして、お嬢さんを通して尊い幸せを感をたくさん味わっている日々を過ごしていると仰っていました。
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by eastwaterY | 2006-09-27 22:36  

その子を、ください(9月26日)

『その子を、ください』、これは特別養子縁組制度の仲介をしてきた産婦人科医の記録であり、このたび新刊として、出版されました。

計画やマニュアルに沿って物事が進む現代社会でも、こればかりは思い通りに行かない分野があります。コウノトリが運ぶ例えもある、妊娠、出産の世界です。現代は、いくら頑張って不妊治療をしても、10組に2組は、子どもを手に出来ないのです。その一方で、想定外の妊娠で産めない、育てられない人もいるのです。

こうして「手放すしかない赤ちゃん」が「養子を育てたい」夫婦の下に引き取られ、法的に実施と同じ扱いを受けるのが特別養子縁組制度です。「手放す」には、高校生、結婚詐欺により涙ながらに手放す人たちが描かれ、「迎える」では人口受精を20数回受け、ある女性は8年間治療し続けて妊娠したものの流産、養子縁組に踏み切った外国人夫婦などがいます。

彼らはこう言うそうです。「絆は血ではなく共有の経験によってつくられる。どんな子が生まれても、受け入れて育てるのが親。血のつながりがあってもなくても、子育ては大変ものだ」と。

私達夫婦も20年子どもに恵まれなかったので、いろいろと考え、その選択肢の一つに養子を考えたこともありました。私自身の考えは「絆は血ではなく共有の経験によってつくられる」と云うものでしたが、夫はどうしても、それを受け入れることが出来ず、自分と血のつながった子どもが欲しことにこだわりました。そのことでまた、私は辛くなり、「それでは離婚をしよう。あなたは別の相手を探してください」といいました。そのとき、つくづく女性は辛いと思ったのです。また、「子どもに恵まれない女性は女性としての価値がないのか」とも思いました。こうして、なかなか子どもに恵まれない人は誰もが真剣に悩み、複雑な人生を生きているのです。世間の人にはこの気持ちを分かって欲しいと思います。何気ない一言、「お子さんはまだですか?」という質問は、しないでください。

私が「離婚」を言い出した時には、さすがに夫は「そこまでは考えていない」といいました。そして、幸いにもいろいろな経緯を経て20年目に息子に恵まれたのです。しかし、この本に書かれているように、これ以上できないほどの努力をしても恵まれない人も多くいます。私が不妊クリニックで出会い、今でも友人として付き合っている人は、5歳の女児を養子縁組としました。今では孫二人にも恵まれ、本当の親子と同じように何の違和感もなく、仲良しファミリーを築いています。

「家族とは、子育てとは何か」を、この本は教えてくれます。今では、養子であることを子どもに隠さない夫婦も多く新しい家族の形を示唆しています。
(鮫島浩二著『その子を、ください』アスペクト、1,470円)
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by eastwaterY | 2006-09-26 22:23  

子の安全 脱『他人任せ』を(9月25日)

昨日の中国新聞の朝刊に上記のテーマでエッセイが書かれていました。書き手は、NPO法人グリーンスポーツ鳥取代表のニール・スミスさんです。彼は、NZ生まれで20数年の在日経験があります。外資系証券会社に15年勤務した後、鳥取でグランドの芝生化など子どもがスポーツをしやすい環境づくりに取り組んでいます。

まず彼の主張として「国の将来にとって最も大事な財産は、その国の子どもであるのは万国共通」というのが基礎にあります。そういう考え方からすると「当然、行政が政策を決定する時も施行するときも子どもを最優先にすべきだけれど、日本ではどう見てもそうでないような出来事や習慣がたくさんあるように見える」といい、「政策が子どもにとってよくないときは、親が責任を持って子どもの将来を確保するのも当然だと思うのだが、これも日本では通用しない理屈だ。このことを親達に問うてみると、決まって行政だからしょうがないでしょうという答えが返ってくる。」といっています。

そう答える人々の反応は、行政の責任にするには簡単すぎるし、責任転嫁だと思いませんか?また、別な言い方をすれば責任放棄でもあるのです。そのような例をスミスさんは、いくつか挙げています。
①校庭の土は芝生の方が子どもにとってよいと分かっていても、国の一番大事な財産である子どもにお金をかけない行政に文句を言わない親は、子どもを守る最終責任を取っていない。教育制度は行政の責任だというのは責任転嫁だ。
②昨年の六本木ビルズの回転ドアに6歳の子どもが挟まれて死んだこと。子どもにとって危ないものが一杯ある都会の真ん中で小さな子どもの手を離す親がいる限り、いくら莫大な投資で改善策を施しても事故ゼロにはできない。シュレッダー事件もしかり。2歳の子どもが9本の指を切断するのは、親の責任放棄。
③一番の問題は、部活に象徴される日本のスポーツのやり方。多くのスポーツ大国の先進国でのスポーツは子供達が運動することの楽しさを覚え、いろいろなスポーツを経験した中から自分に一番合ったスポーツを見出す制度。ところが日本では1つの種目だけを毎日3時間以上練習し、熱中症で死亡する小中高生が多く出ている事。ところが親は「学校の部活だからしかたがない」と言う。

これら①~③のことから、スミスさんは、「わが子を危険から守る責任は親にあるにもかからず、自分達の子どもが死んでいるのに何も言わない日本の親達は究極な親業放棄といわざるを得ない」と結んでいます。そこで、①~③を考えてみたいと思います。①については、確かにNZでは校庭はすべて芝生になっています。これはラグビーが盛んな国だからと思っていました。しかし、校庭を芝生にすることで、どんなスポーツをしても子どもの怪我はかなり少なくなるでしょう。広島県では唯一広島県北の小学校で校庭の芝生化がされていて、いろいろな学校から見学が絶えないという記事を読んだことがあります。パンダ並みの扱いだと思います。この芝生化を行った学校は小さな町だったのでできたことかもしれません。行政の長が子どもを大切に考えたから、できたことだと思います。
②について、私はいつも子どもたちが危険に晒されていることを心配しています。そして、お節介おばさんの私は、母親に注意をすることがあります。いつかも、スーパーの大きな駐車場でやっと歩けるくらいの子どもの手を離し、遠くへ一人で歩かせている母親がいました。彼女は友達と話しながら、子どものかなり後からついていっていました。私はその光景を見て、ぞっとしました。「子どもさんの手をつながないと危ないですよ。もし、他の車がバックしようとした時、運転手からお子さんの姿は見えないのですよ。気をつけて下さい」と思わず言いました。その時の母親の反応は、友達に「うるさいねぇ~」といっているのです。私は愕然としました。私が言っている意味が全然分かっていないのです。それだけでなく、「わが子を守ろう」という気持ちの一片もないのです。もし、私がこの母親であったら、「そうでした。迂闊でした。有難うございました。気をつけます」といったでしょうし、それからは「子どもを守る」という気持ちをしっかりもつようになると思うのです。

これは、一例に過ぎませんが、案外多いことだと思います。カナダでは12歳以下の子どもを一人で家において置くことは法律で禁止されています。だから、夏休みなどの長期休暇のときには、いろいろな団体が子どもを守るべく、また楽しませるべく、行事を組んでいます。共働きの家庭であっても絶対に一人にはしないように、いろいろな施設で守られているのです。日本ではこのところ子どもの虐待死が増えています。守るどころか親から傷害を受けるなどしているのですが、それに対してどうも児童相談所の対応に緊急性を感じないのです。「心を込めた」「愛情のある」対応がなされていないとも思うのです。親が壊れているのなら、行政側が親を教育し、子どもを守って行くことを考えることが必要だと思います。
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by eastwaterY | 2006-09-25 22:27  

朝(あした)には紅顔なれど、夕べには白骨となれり(9月24日)

すみません。縁起でもないタイトルとなっています。今日はご近所で親しくさせていただいていた86歳の女性Kさんのお葬式でした。私がまだ30代の頃、子どもがいなかったので、当時、編み物教師をしておられたKさんに毛糸の機械編みや手編みを教えていただいていました。ある程度まで、できるようになったら生徒を紹介していただき、しばらくは私も編み物の先生をしていました。

Kさんのお陰で、NZにいた時も当地の毛糸でいろいろなものを編んで皆さんにプレゼントをし、喜ばれたものです。少女時代から赤々と燃える暖炉の前で、ロッキングチェアーに座り、生成りの毛糸でセーターを編むのが夢だったのですが、その夢がKさんに編み物を教えていただいたお陰で叶ったのですから、感激でした。

Kさんは、最近、少し認知症の症状が出ていたので、私がお訪ねしても私と分かる時と、分からない時があるようでしたが、2ヶ月前に転んで足を骨折され、先日自宅に帰られたばかりでした。同居のお嫁さんのMさんは、私と仲良しでもあるのですが、この方が細い体でKさんに細かく気遣いされて、これ以上ないほどの介護をされていました。それが、2日前に、急に肺炎になり、あっという間に亡くなられたのです。Mさんとしては、それが残念で、「もう少し、私がやることがあったような気がして・・・」といわれました。私とすれば今の時代に、これほど思いやりにあふれた介護はめったにないと思っていたのですが・・・。

お昼過ぎから、お葬式が行われました。仏式の葬式だったので、御文章では「朝(あした)には紅顔なれど、夕べには白骨となれり」という言葉が唱えられました。私はいつもこの言葉を聞くときに、「無常」という言葉を思います。そして、年代、性別、環境にかかわらず、誰にでも「死」というものは突然訪れるということに改めて気づかされます。誰も自分の寿命が何時尽きるかということを知りません。知らないからこそ、明日も、あさっても、何年後も自分は生きていると思って夢を見ることができるのです。

だから、いつもこの「朝には・・・」の言葉を聞くと、生きている限りは夢を追い続けることが大切なのだと思います。そして、とにかく「今」「この一瞬」を精一杯生きていこうと思います。今日もKさんが私にそのようなことを思い起こさせてくださいました。
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by eastwaterY | 2006-09-24 20:19  

人材確保 団塊の世代と大学は人材の宝庫 Ⅱ(9月23日)

昨日は、「将来の日本が国際社会の中で、どう行動していくのか」が重要であり、同時にそのことが、これから問われてくる時代だということを書きました。そこでのキーワードは「大学(大学全入時代)」と「団塊世代(大量の定年退職者)」です。これが最近よく言われている2007年問題なのです。
では、なぜ団塊の世代と大学が人材の宝庫なのか?ということです。「段階の世代」は、これまでの中で経験的技能と知識を持っています。その一方で、「大学」は経験的知識と論理的知識を持っており、この両者による社会貢献の新しいもモデルの開発が期待されており、それが、NGO,NPO活動ということです。

そういうところからN教授は、団塊の世代の人生鉄道として2つの型を提示されました。
①路線維持型―もっている知識、技術、技能をそのまま継続的に役立てる。
②路線乗り換え型―もっている知識、技術、技能の整理や整備を行う。

ところが、日経新聞の調査「団塊世代が考える60歳前半での日常生活の過ごし型」によると ①趣味に没頭(女性より男性多し)、 ②家庭で毎日ゆっくり(同じ)、 ③ボランティア活動(男性より女性が多し)、 ④社会人学習(男性より女性が多し)、⑤配偶者または親の介護(男性より女性が多し)、以下、その他、分からないとなっています。

N教授の考えと期待されるものは、団塊の世代の人々には、定年退職後は、NPOあるいはNGO活動などにおいて、市民が行う社会貢献活動を通して公益の増進(若い人の役に立つ活動)をしてほしいということです。この「公益の増進」を詳しく言うと、①ESD運動(国連持続可能な開発のための教育10年、②アジアの発展途上国との協働の促進ということです。そのことについて、現在、市民活動に期待されている課題としては、①戦争をしない平和文化のあふれる地域・国づくり、②安全・健康・便利・快適な地域社会づくりとなります。②の部分は、漠然としてよく理解できないので、もう少し詳しく言うと、1)世界中の人々にモデルにされる社会、2)循環型社会(廃棄物ゼロ社会)、3)男女共同参画型社会(男性・女性・外国人が共に創る社会)です。

これらのことは、本当に21世紀の日本においては最重要とされることばかりですが、これを実現するためには、もっと日本国民が学び、意識を変えていく必要性があると思うのです。そこで、最後の質問の時間に私は、自分が社会人学生として学部・大学院を終えた今、学習したことを社会還元していくことができることに充実感を持っている現状をいい、N教授が提案された「団塊の世代の人生鉄道として2つの型」(路線維持型と路線乗り換え型)に「路線拡大型」に加えるというのは、どうか?ということをお尋ねしました。団塊世代が60歳で退職後、それまでの経験と知識に加えて学習をすれば、もっと幅広く、深く物事を考え、活動していけるのではないかと考えたからです。

私の質問に対して、N教授は「それはいい案です。今度から私が講演する時には、この第3の考えを入れていきましょう。有難うございました」と答えてくださったのです。日頃から、社会人の人たちの学習相談・支援をしていく中で、現実として既にそういう人たちが現れているのです。よく、「理論より現実あるいは実践が進んでいる」と言われますが、まさにそうだと思います。
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by eastwaterY | 2006-09-23 15:52  

人材確保 団塊の世代と大学は人材の宝庫 Ⅰ (9月22日)

今日は、市民活動団体マネジメント講座第2回の研修を受けてきました。今日は「人材確保 団塊の世代と大学は人材の宝庫」というタイトルでN大学教授の講義でした。働き、活動してる人たちを対象としているので、午後7時~9時の2時間ですが、今日は「これからどう生きるべきか」という哲学的なことを考えさせる講義で、あっという間に2時間が過ぎていきました。

N教授はESD(持続可能な開発のための教育10年(Education for Sustainable Development)を広島で核となって推進していらっしゃる人です。ESDとは「持続可能な社会の実現を目指し、一人一人が、世界の人々や将来世代、また環境との関係性の中で生きていることを認識し、よりよい社会づくりに参画するための力をはぐくむ教育」です。2週間前、先生はESDを国際的な場で話し合うために、ヨーロッパに行かれたので、その時のことから話し始められました。

日本は長い間ヨーロッパをモデルとしていたが、今ヨーロッパは溶け始めており、今後はモデルにはならない、その一方で、日本は国際社会の中で順調にいっているようだが、アジアの国々は「もう日本を見習えない」といっているそうです。以前「日本を見習う」といっていたのは、“日本の教育はすばらしい”という前提があったからであるとのこと。
なぜ、そのようにアジアの人たちが言うかといえば、あまりにも日本の教育は他のアジア諸国から突出しており、その格差が拡大しているということ。しかし、今や韓国や中国は積極的にアジアへ出かけて行って、各国で“教育はこうあるべき”をいう話をしている。ところが、日本はアジアの人を日本へ呼ぶ方法をとっているので、もっと日本の教育者がアジアへ行ってアジアの国々でできることを観るべきだ、とN教授は言われました。

安倍さんが自民党総裁になり、内閣総理大臣になる予定ですが、ここで、日本の外交がうまくいかなければ、各国から見捨てられる可能性がある、とN教授はこのたびヨーロッパに行って、危機感をもたれたとのことです。

そのようなことから日本の10年後を考えた時、暗いシナリオしか書くことができないとのこと。
①少子高齢化から人口減少社会、 ②格差社会、③外国人労働者5%:600万人社会(国が成り立つ限度、ヨーロッパの国々はの限度を越えているので溶け始めている)、④介護費の高騰と年金の減少、⑤高い資源価格時代の到来、⑥地球温暖化の進行と気候変化など。2006年の現在、日本は岐路に立っており、ここで、二つの道があるといわれました。ひとつは、「持続可能な未来のために世界の平和構築に寄与する日本」、もう1つは「今のままで衰退する日本」です。これからどちらの道を選ぶかは、人と社会を変える市民活動にかかっているのです。そして。それにかかわるものとして、大学と団塊世代が期待されているのです。

2007年問題といわれているのは「大学全入時代」と「団塊世代」の大量定年退職です。
この二つにからむ「大学」と「団塊世代」については明日のブログに書きたいと思います。最後には、私も含めていろいろな質問が出て、それに対して先生が真摯に応えてくださり、いい講義となりました。
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by eastwaterY | 2006-09-22 23:21  

誕生日のプレゼント~春の花~(9月21日)

今年の夫からの誕生日のプレゼントは、私からお願いをして「春の花」にしてもらいました。我が家のショッピング地域内に二つの大きなDIY&園芸店があり、今日は大きなチラシに「春の花特集」があったので、二つのお店に行って“いいとこどり”をして春の球根や花の苗を買ってきました。

この間、メリーさんのブログで、パンジーとビオラの種まきして、すでに双葉が出てきて来年の春に備えていらっしゃったので、私も真似をして先日種まきをしました。だから、今回の買い物は、ビオラとパンジーを除いた春の花を買いました。

まず、チューリップ、この花は、パンジーなどと比べると開花の期間が短いので、長い間少ししか植えていなかったのです。しかし、今春、近所で仲のよい人が、まとめて50個を植えておられるのを見て、感動しました。今日は、とりあえず大きなプランター用に10個ずつ色違いのチューリップを植えるつもりで50個買いました。後は、アネモネ、桜草、ガーデンカーネーション、ふんわりと丸く盛り上がるように咲く新種の撫子、ストック、そしてシャスターデージなどが、今日の夫からのプレゼントでした。先日一緒に食事をした親友は「花の球根や苗をバースディプレゼントにするなんて、ちょっとロマンティックではないね」と言われたのですが、私は、このプレゼントで来年の我が家の春の庭を想像できるのは、十分ロマンティックだと思います。

現在の庭には、まだ、トレニアやハーブの一種の紫あざみ、キバナコスモスが元気に茂っているので、今日はとりあえずプランター向きの花を買いました。一時、弱っていたペチュニアが元気を取り戻し、まだまだプランターの中で精一杯咲いているので、しばらくはこれらを楽しもうとしています。8月になって買い足したアメリカンブルー、ポーチュリカ(薄いピンク、オレンジ、やや濃いピンク)が、今を盛りと咲いています。

もう1つ、ちょっと嬉しいことがありました。今春、義妹が足のついたステキなポットに、私の大好きなクリスマスローズをプレセントしてくれました。それが、ものすごく新芽を出していて、その葉がキラキラ輝いています。半年でこんなに育ってくれるとは夢にも思っていませんでした。でも、考えてみると、水遣りの時にはいつも心の中でこのクリスマスローズに声をかけていたような気がします。その一方で、その近くに植えていたハーブにはあまり声をかけていなかったので、どうも調子が悪いようです。

人間も植物も関心をもって「愛する」ことが大事なのだと、思いました。
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by eastwaterY | 2006-09-21 20:39