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花が好きなのはDNA?(6月30日)

今日で、6月は終わりです。あまりに天候不順だったからか、6月がずいぶん長かったように思います。そして、雨もよく降り、庭の雑草の伸びも速く、抜いても抜いても、追いつかない感じです。最近は、夫が黙っていても雑草を抜いてくれるので、ずいぶん助かっています。

今年の我が家は、今までの中で一番花が多く、にぎやかな庭になっています。まだ、母が生きている時は、日本間の広縁のいすに座り、庭の花をしばらく見ているのが母の至福のひと時だったと思います。そして、決まってこう言っていました。「ここから、こうして庭の花を見ていると、寿命が延びるような気がする」と。

昨日も夕方には、ペチニュアの花ガラをとり,傷んだ花を摘んでいました。そのときです。すっと、何かが横切ったような気がしました。猫やそういう類のものではなく、雰囲気的には母のような気がしたのです。「あっ、母が来てくれたんだ」とその時に思いました。「母が今年の我が家の庭を見たら、どういうだろう」と思いながら、庭仕事をしているときでした。霊とかなんとか言いますが、そういう不気味さもなく、本当に「母が来てくれた」と思いました。

母が92歳で亡くなって、もう7年になります。「もし、生きていたら・・・・」と思っても叶わないことです。でも、この「花好き」なDNAは確実に私に引き継がれているようです。今朝の早朝4時過ぎに大きな雨音に目が覚め、慌ててペチュニアのプランターを、次々と車庫に入れました。何とか雨が大降りにならない間にペチュニアたちを引越しさせることができ、ほっとしました。

結局、4時半くらいから起きっぱなしとなり、朝を迎え、4時から一睡もせず、東広島市へ仕事で行きました。70名の聴講者。そこで3時間の立ちっぱなし。その後、そのまま急いで広島に帰り、大学で中国新聞の取材を受け(テーマは社会人入学)ました。昼食を摂る暇も無く家に帰ったら、ぐったり。今日はこれでおやすみをします。
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by eastwaterY | 2006-06-30 22:28  

弟とのこと(6月29日)

夕方、ご飯支度をしようとしていたら、私に実弟から「今日、釣りに行ったら沢山鯵が釣れたので、持って行く」と電話があり、生きの良い中型の鯵を10匹ほど持ってきてくれました。

弟は、私と2歳違いで、結婚の相談から始まって、新婚時代のアパートのこと、そして、それ以後の新居の位置まで、これまで私たちと心も物理的にも割合近いところにいてくれました。今も、車で15分くらいの同じ区内に住んでいます。弟は、末子として生まれましたが、その上が3人全員女のきょうだいだったので、年老いた母と30年一緒に住んでくれました。

原爆で父を失い、母が苦労する姿を見て成長した弟は、中学校時代から新聞配達をし、自分の学資は自分で調達していました。 高校卒業後は、日本電電公社(今のNTT)に就職し、結婚後も中国地方のあちこちを転勤しました。 初めは母も弟一家と転居していましたが、やがて、弟の子供が中学生になると、単身赴任となりました。

その間は、義妹が母の面倒をみてくれていました。だんだん年老いていく母は、少しずつ認知症のような症状が出てくるし、子供たちは、思春期で情緒的にもいろいろある時期でもあり、義妹は本当に大変だったと思います。ときどき、私や実姉の家に母を預かることがありましたが、母は、ほとんどは弟家族と一緒に住んでいました。

母は、いつも「毎日おいしいものを食べさせていただき、ありがたいことです。私は幸せ者です」と言っていました。しかし、認知症が進むにつれ排尿、排便についてもいろいろな問題が出てきて、その世話をする義妹がいかに大変だったか、たまに私宅に来たときに痛感していました。弟も優しい性格ですが、やはり世話をするのはどうしても義妹にかかることになりました。ものすごいストレスだったと思います。しかし、そういうことを口に出すような義妹ではありませんでした。

弟は、小学生くらいのときに「おかあちゃん、ボクが大きくなったら、絶対に家を建てて、おかあちゃんの部屋をつくってあげるね」と言っていましたが、そのとおり、庭付きの家を建て、ちゃんと母用の部屋をつくってくれました。母は、その部屋で、父が描いた絵や、父が集めていた骨董品などを飾り、幸せな晩年を過ごすことができ、92歳で亡くなりました。母が生存中はいろいろ困ったことや面倒なこともあったと思いますが、弟夫婦はそれについては何も語らず、花好きだった母のために、沢山の花を飾った祭壇で母を送ってくれました。世にいう、相続争いや財産争いもなく、母の死後も義妹とは本当の姉妹のようなお付き合いもできるし、弟は私の夫と本当の兄弟のようなお付き合いをしてくれています。昨年は弟夫婦と一緒に20日間NZ旅行をすることができ、なんの気兼ねもない旅をすることができました。弟夫婦には感謝の気持ちでいっぱいです。

母の法事は、昨年7回忌を済ませましたが、こうして、きょうだいが何時までも仲良く付き合うことが、母への、何よりの孝行と思っています。
ちなみに、多数の鯵は南蛮漬けにとして、おいしくいただきました。(もちろん明日もその味を楽しむことになると思います)
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by eastwaterY | 2006-06-29 20:23  

梅雨の晴れ間(6月28日)

今日は、梅雨の晴れ間となり、やっと堂々と花たちを陽の当たる場所に出すことができました。雨が降っても、ペチニュアの花びらの花ガラをとることは毎日していたのですが、それでも軒下においていたペチニュアの花びらは、雨のしぶきで、ずいぶん傷んでいました。

無理もありません。とても薄い花びらです。しかも我が家のペチュニアは、薄めのピンクが多く、その傷みは紫のペチュニアなどより、激しいように思います。

昼間は、明後日の講演に備えて、最終的な打ち合わせを東広島市生涯学習課と何度も電話やメールでやり取りを行いました。その結果、講演内容の変更や、意識変容の視点を入れた「コミュニケーションカード」(感想シート)の段取りとかなりの時間を費やし、心が乾き気味でした。

でも、こういうときに花たちが目の前にいてくれるのは、本当に癒されます。一つ一つの花に向き合うことで、たとえ少しの間でも「さあ、やろう!」という気になります。そして、午後も引き続き、講演原稿の見直しと修正をし、一段落したので、夕食の支度前に庭仕事をしました。このところの雨で、二代目のカレンジュラの芽がいっぱい出て、大きなものは、もう花をつけ始めています。いっぱい苗が込み合っているところから、空いてるプランターに移し変えました。また、トレニアも今年は、カレンジュラに負けないくらい多くの苗が出来上がっているので、これも移し変え、それぞれの鉢に肥料、根きり虫・ダンゴ虫を防ぐ薬を撒きました。

そして、また、大きなプランターに植えていたヨレヨレになったスノウボールを抜いて、次の苗を植えるために土を掘り返していたら、なんと、うじゃうじゃというほど、根きり虫の小さな幼虫がいたのです。確かに、スノウボールを植えたときに防虫をしたはずなのですが・・・。そこで、深めの鉢受けに水を張って、どんどんその幼虫を入れていきました。初めは、とにかく「花を枯らさないように」・・・という思いだけでやっていた動作でしたが、ふっと気づいたことがあります。「私はなんと残酷なことをしているのだろう」と。

そうはいっても、これをそのままにして花を植えてしまったら、根きり虫はどんどん太って成長するかもしれないけれど、花はすぐに枯れてしまいます。私は人によく「優しい」と言われますが、こんな残酷なこともしているのです。でも、これは仕方のないことですね。自然界においては、「弱者強肉」が法則のようになっています。考えてみれば、その中でも一番強く、悪いのが人間です。動物は、ライオンであっても満腹であれば、徒に他の動物を襲うことはないと言います。しかし、人間は、自分の財産を少しでも増やしたいために、自然界のサイクルを狂わすようなことをしています。一番強いのも人間ですが、一番悪いのも人間です。

庭仕事をしながら、こんなことを考えてしまいました。
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by eastwaterY | 2006-06-28 22:31  

AMDAの活動について

昨日の「AMDAの活動」について、私の考えを書きたいと思います。

私が「AMDAの活動」について気づき、その活動の支援(支援金)について協力するようになったのは、およそ10年前。AMDAの理念である「多様性の共存」は、日本の環境や日本人の意識の中で、求められるものであると思うから。島国であるゆえか、あるいは狭い日本に1億,800万人の人口がいるためか、「和」の精神で、みんなで調和して生きていくことが必要だからか、とにかく「大多数のしていることは標準」であり、一つの型から外れたものに対しては、「変わっている」という考え方がある。

西欧諸国の考え方が、すべて良いは思わないが西欧流に「人は一人ひとり違うもの」を基として考えれば「多様性の共存」は、意識しないでも当然のことのようにできるだろう。しかし、日本のように「人はみな同じ」を基とすれば「平均的・標準的」なものの考え方をよしとするので、「多様性の共存」は難しい。これが、国際間になれば、他国の文化や慣習などから来る「ものの見方・考え方」は異なっている。 しかし、それをお互いに認めることから付き合いは始まってくるわけだから、日本の場合はそれを当然ではなく、まず意識してからでなければ他国と一緒にやっていくことは難しい。そのことをAMDAは、何とか克服していかなければいけないと、まず第一に考えたのだと思う。そして、「共存ができれば助け合うことができる」と言う考え方を確立したのであろう。

私が、一番感動したのは、「人脈は最良の財産である」と「幸運はすべて人がもたらしてくれる」という考え方である。そこには「人間に対する温かい心絶対的な「人間の性は善である」という考え方がその根底にあるように思う。

そこからAMDAは21世紀の課題を乗り越えるために「相互扶助のコンセプトに基づくローカルイニシアシブ」を提案している。この活動団体の理事長である菅波さん(医師)が、わずか22歳でこの活動を始めたということの背景には、どういう環境があったのか? 「人と共に助け合いながら生きていく」ことは理想であるし、誰もがそう思っていながら、実行できない。それを、わずか22歳のときに菅波さんが少数の人と共にこの活動を立ち上げ、35年間も続いている。その事は、多くの人がこの活動のすばらしさを認め、その必要性を感じているからに違いないと思う。
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by eastwaterY | 2006-06-27 21:54  

AMDAの活動(6月26日)


このところ激しい雨が降り続く、憂鬱な日々を一掃するような記事がありました。今朝の中国新聞「今を読む」にAMDAの活動に対し「国連連合経済社会理事会総合協議資格」を認めた、という記事が掲載されていました。

AMDAは、その源流の1971年第一次岡山大学医学部クワイ河医学踏査隊を派遣してから35年間の歴史がある団体で国境なき医師団のような形で災害の時に医師と活動をしている(AMDAは1984年設立された)。総合競技資格は、国連が市民社会の意見を聴く時に、政策提言ができる団体として与える資格です。

AMDAが35年間、理念として提唱してきたのは、「多様性の共存」であり、「違いは財産」であるということ。物の見方や考え方が異なる人たちが、どうすれば一緒にやって行けるのか、その方法を求め続けています。また、NGO会議で「アジアの人たちはなぜ人を助けるか」について話すように要請されたときには次のように説明しています。
「友のためである。友とは幸せも不幸せも共有する。困ったときはお互い様である。
相互扶助である。苦労を共にする人間関係はパートナーシップである。助け合っている過程で尊厳と信頼の人間関係を生じる。この新しい人間関係がアジアの他民族、他宗教、多文化などの多様性を乗り越えて共存を可能にする。だからアジアの人たちは助け合うのだ」

そして、AMDAにとっては「平和実現へのパートナーシップ」と共に大切なコンセプトが「ローカルイニシアチブ」。その定義は「現場の問題を一番よく知っている人が、一番良い答えを持っている」ということ。

彼はこうも言っています。「人脈は最良の財産である。情報、知恵、判断、時には資金も入ってくる。・・・・(略)幸運はすべて人がもたらしてくれる」。そして、最後に「相互扶助のコンセプトに基づくローカルイニシアチブの政策提言こそ21世紀の課題である「多様性の共存」に不可欠である」と。

今日は、仕事が忙しくAMDAの活動について、私の考えを書くには、頭が疲れています。でも、AMDA理事長の 菅波茂さんが22歳のときに設立されたAMDAの理念を1日でも早く、一人でも多くの人に知ってもらいたく、新聞記事をまとめて書きました。
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by eastwaterY | 2006-06-26 23:55  

同窓会に行ってきました(6月25日)

今日は高校の同窓会に行ってきました。去年は私達が幹事で、忙しくしましたが、今年は第三者席でのんびりと楽しむことができました。

実は、私達の学校は、後2年で廃校になります、現実には、同じキャンパスに既にすべて授業を英語でするという中高一貫の進学校が今春から開校しています。私が卒業した高校は、世間で言われるブランド校ではなく、どちらかといえば偏差値的には低い方に属する学校でした。母がこの学校の方針が好きで、母の意向で私はこの私立高校に進学したのです。しかし、この高校を卒業したと言うと最近の風潮で、中には「あの高校卒では、あなたもたいしたことがない人だね」という人もいるなど、同級生の中には、その高校の卒業生と見られたくないので、絶対に同窓会には出席しないと言う人もいます。

いわゆる、偏差値教育、学力上位だけの「人間教育」とう現在の風潮に、この高校は敗れたわけですが、私はいつもこの高校で「心を育ててもらった」と思っています。そして、今日の同窓会でも、また、同じように思い「本当に、この高校を卒業してよかった」と思いました。

恩師の先生方は、だいたい大卒後はこのような私立高校に勤務し、その後公立高校の教員になって転校していかれるのですが、そうでは、なくずっとこの高校にお勤めの先生方もいらっしゃいました。この高校は、先生と生徒のつながりが深く、近く、先生方に「育てよう」と言う気持ちがありました。それは『学力第一』と言う意味ではなく、学力と同じくらい「心を育てよう」と言う気持ちがあったと思います。今日ご出席の先生の中で、2、3年で公立高校や進学校などに転校された先生からは、「この高校に初めて就職させていただき、2,3年でもこの高校の和やかで、やさしい生徒に囲まれて過ごせたことは人生の中でも一番の宝物となっています」という意味のことを話す先生方が多かったようです。

私も本当にそう思います。振り返ってみれば、先輩・後輩であっても上下関係も無く、仲良くしていたし、先生とは、何でも相談でき、励ましていただいたし、とにかく「人と人がつながっていた」のです。(私がこの高校の先生から卒業後も「先生になるのを待っているよ」と常にはげましていただいたことが、今の結果につながっています)。そのような人間関係の中で高校生活を過ごし、今日、先輩・後輩に再会しても、全く昨日まで親しくしていた友人のように手を取り合ってお互いの無事を喜び合い、近況報告をすることができました。先生方とも、またしかり。話を聴いても、みんな良い家庭人や職業人となっていました。でも、この年齢ですから、ほとんどの人は、第一線は退職し、夫婦だけで過ごしている人、孫の世話をしている人それぞれでした。

人間は、一時期だけの成長でその人を判断してはいけないと思います。生涯学習の理論から言っても80歳代までは人間の結晶性知能は向上し続けるのです。もちろん、本人次第ですが、若いときの偏差値だけで生きていては、人間の成長は無いと思います。「外的キャリア」と「内的キャリア」の二つがありますが、人間性も含めた場合は「内的キャリア」が重要ではないでしょうか。
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by eastwaterY | 2006-06-25 18:49  

思い込みの怖さ(6月24日)

今日は午後から広島市女性教育センターへ「女性と子どもの人権」というタイトルの講演を聴きにいきました。講師は、CAP(Child Assult(あるいはAbuse) Prevention:子どもの虐待防止)活動や、大学で非常勤講師をしている方でした。

彼女は1995年北京で行われた世界女性会議北京大会に参加し、その時のテーマである「暴力の再生産をストップ」に感銘を受け、女性問題としてのCAPから、暴力は、権威関係の中で人をコントロールするものであると知りました。その後、暴力やDVの被害にあった人が、どうか解決するかという考え方であうCAPの活動を始めました。


子ども(女性)と暴力に関する「神話」(いわゆる思い込み)の例を挙げて説明がありました。

・「子どもの虐待はめったに起こらない」→そうではなく、虐待はあらゆる階層で行われている
・「性被害に遭うのは、魅力的な若い女性である」
 →そうではなく、魅力的でなくても、若くなくても女性でなくても(男の子もある)「いいなりになる人」が被害に遭う。また、被害者の年齢は、6歳~80歳まで。
・「襲われそうになったら何もしないほうが被害に遭わないですむ」
 →そうではなく、最後まであきらめないこと

また、思い込みの例として一つの家族のスト-リーを話されました。それは・・・・「父親が医者をしており、新聞に載るほどの資産家であり、傍目もうらやむほどの家族であり、長男は医者になるべく運命付けられ、3歳から塾に行き・・・・・という生活であった。」

このケースは、数日前に起きた事件の背景と類似しています。しかし、あのような事件には、なりませんでした。なぜかというと、長男は学校でCAPの活動をしている人から、「安心、自信、自由」と言う言葉、人は誰でも、もともと潜在的に強いものを持っていることを学び、そして、権利識を持って暴力に立ち向かっていくことを学びました。そして、日常的に父母から虐待を受けていたことをCAPの人に思い切って話したそうです。その後、その話をきいた母親は、自分たちがいかに、子どものためとはいえ、ひどいことをしていたかを気づき、虐待をやめたそうです。

先日の『アエラ』にもキャリア家庭ほど、子育てにおいて虐待のひとつであるネグレクト(無視)
が多いが、周囲の人々は、そういう教養のある人がそのようなことをするわけがないという『思
い込み』をもっているので、発見しにくいと書いてありました。

CAPの3つの言葉は「安心、自信、自由」です。子ども(女性)たちを暴力から防ぐためには①情報の力(自分を守る)、②孤立を防ぐ(友達同士で守り、助け合う)、3権利意識を植え付ける(自信を持って行動できる、自由がある)

では、おとな(友人・援助者)としてはどういう役割をすればいいのかということです。
・暴力を受けている被害者のもっている力を信頼する
・自分で解決するように励まし、必要なときに支援する
・みんなで権利意識を大切にする、お互いのパートナーシップを大切にする
・語る人、聴いてくれる人がいること→そういう人を子ども時代に持つと、その人は被害者にも加害者にもならない。なぜかと言えば、自分を大切にし、相手も大切にするからである

奈良の事件を思うとき、この最後の人が、幼いときから一人でもいれば、今回、彼はあのような事件を起こすことにはいたらなかっただろうと思います。また、「人間」という言葉の意味を考えたとき、「人は人の間の中で、生まれ、育ち、成長していく」のだから、そのプロセスに自分を文句なく受け入れてくれる人がいれば、自尊感情をもち、今回のような破滅的なことにはならなかったのではないかと残念でならないのです。
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by eastwaterY | 2006-06-24 22:30  

奈良県の16歳男子による放火殺人(6月23日)

6月22日、母親、弟妹の3人が寝ている2日前の早朝に油とガスボンベを使って放火をし、家を出た16歳の男子高校生が逮捕された。彼は、20日に家を出た後、55km離れた京都市の民家に侵入し、寝ているところを発見された。当時、お金も一銭もなく、かなり疲れていた様子だったという。

彼は、国内でも有名な進学校の1年生であり、医者を目指していた。父母共に医者であり、彼は幼いときから期待され、幼稚園のときから学習塾に通い、本人自身も医師としての父親のカッコ良さに憧れ、医師を目指していた。近所では、優しく、礼儀正しく、勉強の良くできる子として有名であったし、学校でもサッカー、剣道も達者で、文武両道の少年であった。家族の中も良く、
弟妹の面倒を良くみる優しいお兄ちゃんであり、絵に描いたような一家として有名であったという。

ところが取調べを始めてみると、初めから殺すつもりであったと本人は言い、計画的な犯行であった。私が得る情報はTVや新聞であるが、それによると
・父親は離婚しており、男子の弟妹は、その後再婚した母親の子ども、いわゆる異母弟妹であり、5人家族の中で孤立していた(良く、近くの祖父母の家にいたという)。
・男子の友人に「勉強をしなければ、あるいは点が悪ければ叱られ、時には殴られるということを話している。
・彼は、高校入学後、自分の進路を悩んでいること、ゲームなどに凝っていて勉強に集中できていない。そういう中、父親に中間試験の成績を尋ねられ、「うまくいった」と嘘をついていた。
・21日が、保護者会で成績について母親が聞きに行くことになっており、そうなると嘘がばれる。

逮捕後、彼はなぜ、自分がこういうことをしたかを素直に話し、「3人には申し訳ないことをした」と謝ったという。このニュースの第一報をTVで見たとき、そして、彼が犯人だと分かったとき、事件の悲惨さにもショックだったが、それ以上に16歳の男子が可哀想でならなかった。わずか、16歳で周囲から期待され、理想的な子どもにみられ、その期待通りに成長した彼が、起こしたこの事件。わずか16歳で、このような事を起こさなければならなかった彼の心情を思うと、本当に可哀想だと思った。

16歳といえば、思春期の真最中で普通の子どもであれば、自分のもやもやとした気持ちを母親や兄弟、時には父親に当たったりすることがある。そういうように、そのままの気持ちを肉親にぶっつける事で、少しずつ成長していくのである。我が家の一人息子がそうだった。今思えば、反抗期が始まる前、妊娠中に録音した心音から始まり、6歳くらいまで親子の会話や息子の歌やいろいろなものを録音したテープを夜寝る前に必ず聞いていた。そして、1ヵ月後、「もう、このテープを返す」といった日から、激しい反抗期に入っていった。その頃夫は、夜間大学生で夜遅くでなければ帰宅できない日々であったので、反抗の矢面はすべて私に向かっていた。こんなに反抗期と激しいものだろうかと悩んだことも度々であった。

そういうときに心理学の先生の話を聴く機会があった。「反抗期がある子どもをもった親は喜びなさい。子どもが、自分が親から愛されていることを分かっており、この親であれば自分の反抗期に耐えることができると思うから反抗するのですから」といわれた。この話を聴いて、これまでのすべてのことに納得したし、なぜ、息子がテープを1ヶ月も聴いたかも分かった。

そういうことを考えていたら、16歳の男子は、親に甘えることもできず反抗することもできず、家族の中で孤立し、本当にさびしかったのではないだろうか。それに加えて「医者になること」という大きな期待感の中で生きていかなければいけかなかったいうことは、どんなにつらい日々だったろうか。 民家に侵入したのは、「サッカーの試合をみたかった」ということだった。なんと、ささやかな望みだろう。それすら、許されていなかったのであろう。犯した行為とささやかな彼の望みの落差が、あまりにも大きすぎるところに、彼の苦しみや悩んだことが表れているように思う。

なぜ、医者でなければいけないのだろう。彼の進みたい道を応援する親になれなかったのだろうか。「生きているだけで、もうけもの」という考え方になれなかったのだろうか。そうしたら、少なくとも3人の命は助かっていたのである。そして、16歳の男子の将来も、医者にならなくても普通の人生が保障されていたのである。
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by eastwaterY | 2006-06-23 21:02  

行列のできる講座のつくり方(6月21日)

今日は、県立広島生涯学習センターで開催された「行列のできる講座のつくり方」講座を長時間にわたって受講してきた。講師は30代の女性で、エネルギーに満ち溢れ、受講者の私たちまでその気力をもらっているような気がした。彼女は、東京語O区男女平等推進センター区民自主運営委員として、講座の企画・運営に携わった後、現在常勤職員として勤務している。

彼女の1年目の企画講座は、そのほとんどが定員割れという悲惨な状態だったため、なぜ講座に人が集まらないのかを徹底的に分析し、新たな発想で講座に臨んだ。その結果、2年目に企画した講座すべてが定員オーバーとなり、平均応募倍率は3.3倍となったという。これは、企画・運営経験者から言えば、ものすごい倍率なのだ。

今日は、彼女からその秘訣をすべて披露してもらった感じであった。というのは、一番最初は、15枚のチラシをみて応募者数がどうであったかを4段階に分けて印をし、それが実際の正解数とどう違うかをクイズ形式のような感じで個人と、グループでやってみた。一人ひとりが4段階のうちの、どの段階を選んだかについて、客観的観点からその理由を述べることを15回繰り返した。 いかに自分が偏見を持ち、固定観念にとらわれているかが、分かった。また、同じチラシをみても私と同年代の人は同じような感覚であるが、若い世代であると全く反応が異なることも分かった。これは、受講申し込みをした時点のデータで、同じ所属、年代、地域などが異なるようにグループ分けをしてあったからこそ、気づくことができたと後になって分かり、その仕掛けにも感心した。

しかし、午後の講座で「ダメダメチラシとGoodチラシ」を比較し、その理由を講師から
示されると、(Goodの方は講師作成)、講師が、いかに日ごろから「チラシ」一筋、講座一筋の生活をしているか、ということが分かった。たとえば、1日中1枚のチラシのキャッチコピーを考えているか、電車に乗っても週刊誌などのキャッチコピーのいいのがあれば、すぐ持ち歩いているノートに書き込む。行き詰まってしまったときには、新聞、雑誌はもとより、流行っている歌の歌詞を調べるというもの。挙句の果ては、コンピューターからとったカットには満足せず、ついに自分が思うようなカットを描くために1年間絵を習ったという。そして、24時間、仕事のことを考えているという。

チラシのタイトルやキャッチコピーが面白いので、ちょっと例を挙げてみよう。
★子育てママのためのお金がたまる家計術
★ オレ流男の生き方セミナー~力を抜いて生きようよ~
★ がんばりすぎる人のための ハッピーコミュニケーション術
★ 私らしい老い支度~輝いて暮らしたい、あなたに!~
★ 私へのごほうび講座~子育てをもっと気楽に!~

どれをとっても極力漢字を少なくし、短い中にも必要で重要な言葉はしっかりと入っている。短く重要なことをしっかり入れるのは、相当のセンスと努力を必要とするだろう。

私自身が、講座の企画・運営をしていくときの責任者として、今までにチラシを何枚も作成してきた。自分では、かなり考え、アレコレ模索し、時間をかけて作成してきたが、
多分に自分の「一人よがり」的なチラシを創っていることに気づいた。
ただ、私の場合は、この仕事のために24時間をすべて自分の時間にすることもできないし、する気も無い。(言い訳めくが・・・)要するに彼女ほど情熱的ではないのだ。ただ、常に新聞や雑誌(といってもビジネス雑誌やアエラ)なので、やはり考えることが堅いし、頭もかたい。

先日来、仕事に関する本は読んでも何か「入力」不足で欲求不満に陥り、くら~い気持ちになっていたが、今日はたっぷりと「入力」することもできた。また、今かかわっている講座、秋に開催する講座について、多くのヒントや力をいただいた。さあ、がんばるぞ~!
(これで、数日来風邪を引き、咳、鼻、食欲不振、ときどき微熱に悩まされていたが、これで治りそう・・・・・)。
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by eastwaterY | 2006-06-22 22:00  

光市でおきた母子殺害事件の判決(6月21日)

山口県の光市でおきた母子殺害事件の判決は無期懲役を破棄して、広島高等裁判所の審理へ差し戻す上告審判決がいいわたされた。この数日間、TVや新聞では、この事件についてかなり詳細に報じている。

広島県の隣の山口県で起きた事件であること、原告の本村洋さんがH大学の出身であり、広島に在住されていたこともあって、ずっとこの事件については関心を持ってきた。遠距離恋愛の末、やっと子どもにも恵まれた新婚家庭をわずか1年半足らずで奪われた無念さは、いかばかりかと思う。彼は、自分の無念さもさることながら、これ以後、自分のような思いをする人を出さないためにも、事件以後積極的にメディアで発言をしてこられた。あまりにもメディアに出過ぎることで、中には批判する人もいたらしいが、事件以後7年間、仕事の合間に全国を飛び回り、犯罪被害者の権利向上を訴えてこられた意志と行動力には、ただただ感心するばかりだ。

TVでアナウンサーが「そこまでなさる気持ちはどうしてですか?」尋ねると「僕は、愛する妻の死の姿を見ても、抱きしめてやることもできなかったし、子どもの姿を見つけてやることもできなかったダメな人間です。妻を見て以後の記憶が無いのです。」とその悔しさを語る。あれだけ、悲惨な事件を見て、冷静にいられるはずも無いのだが、彼はそのことを今でも無念に思っている。
この彼の発言を聞いて、いかに彼が妻子を愛し、そのときのつらさがどれほどのものであったかが分かり、胸の詰まる思いがした。

そのようなつらい環境の中でも、彼は、これまでにいろいろと司法への対応も変え、そのことで司法も大きく変わってきた。いわゆる、「当然であること」を変えてきているのである。彼の話を聞いていても、理系の人だからか、論理的で話の筋に齟齬が無いし、何よりも説得力がある。

「自分が逆の立場から見たら、生き残った人には幸せな人生を送ってもらいたいと思うだろう。だから、天国の妻や子どももボクにそう思ってくれているはずだ。今は、このように思えるのもいいと思えるようになった」と本村さんは言う。かっては、会社に辞表を書き、遺書を書いて後追い自殺をすれば、被告人は3人殺したことになるから死刑になるかもしれないと思ったという。(そのときには、会社の上司が彼をサポートしてくれたそうだ。)

それが、今は、さまざまな思いやジレンマを乗り越え、自分のためだけでなく同じような境遇や思いの人たちのために、何を言われようと「司法」という大きなものに敢然と立ち向かってるのである。人はここまで強くなれるものなのか。しかし、そのような悟りの心境に至るまで、どれだけの思いをしてこられたのか、私のような凡人には理解できない。

それにしても、なぜ、こんなに悲惨な状態で殺してしまったのか。これは幼いときからの家庭環境にも原因があるだろうか。父親は「自分の息子のことで精一杯だから、被害者のことまで気が回らない」とTVで話していた。被告の母親は、彼が中学生の時に自殺をしたという。また、祖母は事件以後、それがショックで急死をし、弟は地元にいることができず、家を飛び出した。父親も、本村さんと同じ会社で同じ社宅に住んでいたため会社を辞め、それ以後転職を繰り返しているという。被告の家族も家族がばらばらになり、父親は独り暮らしをしているという状況だ。このような事件が発生したのは、家庭環境だけが原因とも言えず、いろいろな要因があるのだろう。
私は一人の息子を持つ親として、どうしても親としての立場から「親であること」の責任と重要性を痛感する。
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by eastwaterY | 2006-06-21 20:25