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驚きました(5月30日)


庭仕事をしていて、首まわりをどうも毛虫にやられたようなので、帯状疱疹でお世話になった皮膚科医院へ行きました。相変わらす、待合室は一杯なので、以前と同じように『サライ』を読み始めて、びっくり。

なんと、私の従兄夫妻が3ページにわたってグラビアに掲載されていました。従兄のHさんは、W大学卒業後は広告代理店勤務を経てフリーライター、そして70歳の今は編集者。お連れ合いのM子さんはW大学卒業後は研究者となり、同年齢の今は、W大学退職後名誉教授となって、アジア問題などを執筆している人です。

二人は、新婚時代に私の実家を訪れたことがありましたが、そのときのM子さんは、まだ大学院生だったと思います。とても知的で凛とした感じの彼女に会い、若かった私は一種の憧れを抱いたことを憶えています。その後、彼女は研究者の道を歩み、その間Hさんは、会社員として彼女の学費や文献代などを支援していましたが、やがて彼女は母校の大学教員となりました。

二人は、結婚当初から二人の才能を発揮して「個としての生き方を尊重する」こととしていましたから、子どもをもつことは人生の選択肢の中には入れていませんでした。HさんはM子さんが大学教員なった時点で会社を辞め、フリーライターとなりました。
その後M子さんが客員教授としてマレーシア、アメリカの東部などに赴任し、しばらくは別居生活が続き、彼もアメリカの大学に留学することもありました。その当時としては、かなり革新的な夫婦でした。

そういう日々の中で、Hさんはひととおりの家事はすべてできるようになり、現在ではコーヒーの入れ方に凝ったり、ホットサンドの調味料や焼き方にこだわったり。そして、時にはビオラ・ダ・ガンバと呼ばれる楽器を奏でるHさんの横でM子さんがバッハの『ガンバ・ソナタ』を口ずさむとのこと。そこは柔らかな光が差し込むリビング。
4階建ての終の棲家には家の中央をガラス張りのエレベーターがあり、天窓からの採光も兼ねているという。

Hさんと私たちきょうだいは、母と共に終戦直後1年間広島市の郊外に住んだことがあります。しかし、今日のこの記事を読んで、あまりの生活の差、文化的な生活の差になんだか、遠いところにいってしまった「人」という感じでした。Hさんはこう書いています。「弓を持った手を休めてコーヒーをすする。深い香気の中に、古い弦楽器たちの人生が立ち現れてくる。」と。

私の父も商業デザインを手広く生業とし、趣味としては演劇をし、短歌を詠み、日本画を描き、仕事と趣味を両立させて充実した日々を送っていたと母から聞いたことがあります。Hさんの父親(私の叔父)も父と似たり寄ったりの人生を過ごしました。
Hさんのこの生活ぶりもDNAの影響がかなりあるように思いました。
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by eastwaterY | 2006-05-30 23:25  

女性に年を聞くのは失礼か(5月29日)


今週の『AERA』(’06.6.5、No.27)に「女性に年を聞くのは失礼か」という記事が掲載されている。この記事が掲載された発端は、4月に高松地検の検事正になった女性検事(60歳)が、就任会見で年齢を聞かれて「女性に年を聞くんですか」といって答えなかったことによる。

72年に司法試験に合格したある女性弁護士は「当時女性は4%であり、『男が命をかける司法界に女の進出を許してなるものか』と複数の男性に言われたとのこと。そういうことで、彼女は男性社会の中で常に男性の1.5倍がんばってきたが、「年齢を隠す必要を感じたことは一度もない」という。

アエラネットおけるアンケートでは「女性に年齢を聞くのは失礼だと思う」人は女性で8%、男性13%。女性に「年齢を聞かれるのは不快か」には「不快ではない」が60%。 さらに、女性に「年齢を明かして不快な思いをしたり、損をしたことがあるか」という体験聞いても「ない」が65%と、どの質問に対してもあまり年齢のことを気にしていない人が多いということは、興味深い。

では、「どういうときに損をしたと、不快に感じるか」であるが、「求職中」「年齢を聞かれることではなく、その後のリアクションが快・不快を決める」「もっと若いと思っていたのにといわれたとき」などなど。面白いというか、当然というか年齢が高い人と、若い人では快・不快の度合いが違うということだ。30歳代以下は、年齢に関して「仕事と関係ない」「「答えるのは、個人の自由」がほとんど。ところが、年齢が高い女性の場合「男だったら、年齢は聞かれない」「ただでさえ、女性だと色眼鏡で見られる日本社会。何歳であるとどうでもいいじゃあありませんか」とピリピリしている様子。
「どちらともいえない」を選んだ女性たちは、40歳前後の男女雇用機会均等法世代。ベテラン女性の不快さに対して「その年齢まで充実して過ごしてきたことに誇れるものはないのだろうか」と複雑な様子。

しかし、最近は年齢を聞かれてもためらいなく答える女性が多いということである。これはいい傾向ではないだろうか。私は、日常生活の中で自分の年齢を意識したことはほとんどない。
もちろん、もし、再就職をしようとすれば、年齢を意識せざるを得ないだろう。ほとんどの人は私の実年齢を聞いて「そんな年齢とは思わなかった」とほとんど10歳くらい若い年齢をいわれる。「ありがとう!」とお礼は言うが、それで特別に嬉しいとも思わない。そうかといって実年齢をいわれて、不快になることもない。洋服を買うときもあまり意識せず、好きな色、好きなスタイルを選んでいる。というのは、外面的なものではなく、内面が充実して生き生きしていれば、年齢などは関係ないと思っているから。

ただ、一般的に男性は「女性」を考えたとき「若い女性」を女性と考えているようである。
しかも可愛い女性が好みのよう。NZでは、いくら年齢を重ねていても、誰でもちゃんと
「レディ」として対応してくれるし、大事にしてくれる。むしろ、年齢を重ねている女性の成熟さが魅力だと考えるようである。日本の場合「可愛い」がほめ言葉、NZの場合は「charming,
mature, sexy,」が女性に対するほめ言葉であり、これについては年齢は関係ないようである。sexyというのは、日本人が考えるニュアンスではなく、成熟に近いイメージということ。

先日、本を読んでいたら「魅力的な女性」は、年齢にかかわらず「子どもっぽい」ところがあって、それは未熟ということではない。なんにでも興味と関心を持ち、子どものように探求したり、夢中になるところがチャーミングに見えるということらしい。これには、大賛成の私である。
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by eastwaterY | 2006-05-29 22:42  

電話相談員研修最終日(5月28日)

今日は朝9:30~17:00まで電話相談員研修を受けました。今日は研修時間30時間の最終日であり、午前中は、法律のこと福祉のことを学習しました。それに次いで午後の「電話をとるにあたって~女性へのエンパワーメント・アプローチ~」の講座では、これからの電話相談に対して、多くの学びを得ました。

学習相談をするときには、ただ傾聴のみに徹するのではなく、相談者に対して「こういうふうにしたらどうかなあ」「他に考えられるよね」「一緒に考えよう」ということ。そして、その後は、「選択は、あなたですよ」と相談者の本来持っている潜在的なものに気づかせるような問いかけをするようにということ。大事なことは、自分の価値観は(  )の中に入れて聞くことであり(自分の価値観で判断しないために)「無知のアプローチ」が何よりも重要だとということでした。

そのためには傾聴した後、「私は~と聴いたけど、それでいい?」と聴き、自分の「重要」と相手の「重要」は違うことを自覚しておくということ。それには<3つのK>を身につけることが大切です。つまり、①感性(相手の気持ちを感じ取る想像力)、②思想(what-そこで何が起こっているのかを見抜くことであり、この人がいっていることは、多くの人が言っていることであると認識すること)、③技法(対話をする力-言葉の出てこない人も会話をする力)。また、過度に共感的に聴くことはしないようにすること(同感・同情≠共感)と思うことなど、など。数え上げればきりがないほど。なんと電話相談員というのは大変な仕事かと思いました。対面相談より、はるかに難しいことです。

では、電話相談員がいい援助をするためには、どうすればいのかといえば・・・・
「支援者が常に健康であり、幸福である」ようにself-empowermentすること。しかし、留意しなければいけないのは、支援することは、支配になりやすい傾向があるので、自分自身がそのことをしっかりと自己理解し、「問題」を相手の側にあるとせず、自分の中に沸きあがっている感情を大切にするということでした。同時に、「自分にできること」「できないこと」を区別し、自分のできないことに対しては、他者に援助を頼む勇気を持つことが必要で、過剰な責任を引き受けないということでした。

これらのことは、実際に相談業務に携わっているとき、常に感じることです。相談終了後、帰途気がめいってしまったり、無力さを感じたりすることもよくあります。そうならないためには早く気分を切り替えることであるとアドヴァイスをされました。考えてみると、このような場合は、えてして「相手に変わってもらいたい」と思っている自分自身がいます。そうではなく、頭と心を切り替えて「自分の対応を変えれば相手が変わる」ということを常に意識していることが必要です。一人ひとりの価値観は違うのであり、決して自分の価値観で相談を受けることをしてはいけないと痛感しました。30時間の研修を終了した今、電話相談の重要性をますます感じています。
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by eastwaterY | 2006-05-28 22:34  

星野 富弘さんの詩画集(5月27日)

日頃から、「キャリア支援講座」などでお世話になっているMさんのお母様が外科的な手術をなさったので、花好き、絵好きのお母様に星野富弘さん著『花よりも小さく』の詩画集と『大人の塗り絵』をプレゼントし、喜んでいただきました。

お贈りする前に、お花(フラワーアレンジメント)がいいか、画集がいいか、迷いましたが、日ごろからMさんのお話を聴いていると、すべて前向きにチャレンジされているお母様とのことだったので、私が20年前に購入した彼の著書『四季抄 風の旅』を読んでみて、やはり星野さんの本がいいと決めてプレゼントをしました。

星野さんは、群馬県出身で、大学卒業後体育教師として中学校に赴任。わずか2ヶ月後、クラブ活動の指導中誤って墜落。以後、手足の自由を失われましたが、不屈の精神でハンデを乗り越え、口に絵筆をくわえて花の絵を書き詩歌を添えるという作業を始められたのです。9年間の病院生活ののち不治のままに退院。現在では、定期便のように彼の病院に訪れていた女性と結婚し、彼女が筆に希望の色をつけてくれて、二人三脚で詩画集を次々と出版されています。

私が最初に彼の画集に出会ったのは第1集『愛、深き淵より』でした。その中には
「手足が不自由になる前は、文字が書け、絵が描けるということはあまりにも当然すぎてそのすばらしさに気づかなかったのです。当然のことが当然ではなくなった時、でもそのことによって文字のすばらしさ、それを続くことの喜び、そして絵が描けることのすばらしさを教えられました。草花、人の愛、神のみわざ、気がついてみたら私のまわりには驚くことばかりだったのです」そして、彼は初めて「『私もこんなにすばらしいものたちと同じように生かされているんだ』と気づかされたのです」

この「当然」ということ。私たちは、日々生きていることが当然、何でもおいしく食べられるのが当然、家族がそろっているのが当然・・・・・などなど。考えてみれば、日常生活の中では、何も感じないで生きています。しかし、星野さんのように「ある日」を境として、予想だにしなかった日々となることがどんなに辛いことか、そこを詩と絵を描くことで乗り越えられたのです。第一集『愛、深き淵より』のときには、まだ星野さんはパートナーを得ておられなかったので、毎日自分の世話をしてくださるお母様の詩を書いておられます。

淡い花は 母の色をしている 弱さと悲しみが交じり合った 温かな 母の色をしている

母の手は 菊の花に似ている 固く握りしめ それでいてやわらかな 母の手は 菊の花に似ている

この第1集のとき、このような感性を持った人に、母親ではなく人生を共に歩むパートナーが現れればいいのに・・・・と願っていましたが、第二集では、アジサイの花と共に次のような新妻を歌った詩がありました。

結婚ゆび輪はいらないといった 朝、顔を洗うとき 私の顔を きずつけないように
体を持ち上げるとき 私が痛くないように 結婚ゆび輪は いらないといった
今、レースのカーテンをつきぬけてくる
朝陽の中で 私の許(もと)に来たあなたが 洗面器から冷たい水をすくっている
その十本の指先から 金よりも 銀よりも 美しい雫が落ちている

今回読んだ『四季抄 風の旅』の「はじめに」には、「つらかったことより、死にたいと思ったことより『生きろ!』と教えてくれた母や聖書の言葉のほうが強く残っているのです」と書き、結婚までの人生の中でいかに母親とキリスト教が彼の生き方を応援してきたか、分かります。そして・・・「はじめに」の終わり頃には

夜があるから朝がまぶしいように、失ったとき、初めてその価値に気づくことがよくあります。何気なく動かしていた指、当たり前のように歩いた足・・・・。しかし、目に見えるものより、もっともっと大切なものがありました。
もしかしたら、失うということと、与えられるということとは、となり同士なのかもしれません。(略)私の「いつか・・・」は少年の頃夢見たような出世や、地位との出会いではありませんでした。自分の力だけで生きていると錯覚していた、小さな私と、大きな愛との出会いだったのです。そしてそれは、何ものにも代えられないすばらしい出会いだと思っています。

1ページ、1ページをめくり絵に添えられた詩を読んでいると、星野さんの純粋で、温かな世界に引き込まれ、いつの間にか、自分の心も彼に近くなるような気持ちになります。
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by eastwaterY | 2006-05-27 23:19  

堀江被告の初公判/子ども3人焼死(5月27日)

堀江被告の初公判

600万円から会社を設立し、800億円で終結を迎えたライブドア。その元社長、堀江貴文容疑者の初公判が、本日行われた。夕方のニュースを観ていたら、堀江―宮内の人間関係を宮内さんが語っているのが放映されていた。

彼は、逮捕されたときに「俺が全部決めたといえばいい」と自分ひとりで罪を背負う覚悟であったという。それは堀江容疑者をはじめとする他の人たちを庇う考えであり、行為であったと思う。

ところが、堀江容疑者が発した言葉は「俺が逮捕されたら俺の彼女が可哀想」というものだったとのこと。この言葉を聴いたときに宮内さんは、堀江容疑者と袂を分かとうと思ったという。そう思ったにもかかわらず、宮内さんは堀江容疑者が拘置所を出たときには「元気で出てこられてよかった。拘置所の生活はたいへんですからね」と、責めるのではなく、慰め、相手を思いやっている。取材者によると、宮内容疑者には、堀江容疑者と対立する
感情はまったく見受けられなかったという。

この二人の発した言葉と行動に、なぜ、これだけの違いがでたのだろうか?
以前、こういう話を聞いたことがある。宮内さんは、幼い頃から祖母に育てられ、成功した後も世話になった祖母に毎月仕送りをしていたと聞いたことがある。その一方で、堀江容疑者は、実家の近くまで、仕事で行っても、実家に帰る気もないし、親に会う気もないと人に語ったと言う。

これらのことから考えられるのは、幼いときから愛情をもって育てられたか、あるいは愛情を感じて成長してきたかということが大きなキーポイントになっていると思う。愛されなければ、人を愛することもできないし、思いやりを受けて育たなければ、他者に思いやりをかけることもできないだろう。

宮内さん、堀江容疑者ともこれからまだまだ辛い日々を過ごすことになるだろうと予想される。宮内さんは、自分のしたことはすべて話す覚悟ができているし、そうしているが、堀江容疑者は、今のままでいいと思っているのだろうか?立ち上げのときから共に苦労をしょってきた人に対して、どう思っているのだろうか?

子ども3人焼死

大阪で両親が留守の間に7歳、4歳、1歳の子どもが出火により焼死したという。火事に気づいた7歳の子どもが共働きで仕事中の母親に「お家が燃えている」と電話をしたにもかかわらず、間に合わなかったという。本当に悲惨な出来事だ。玄関脇の子ども部屋が一番よく燃えていたということだから、もしかしたら出火場所はその部屋かもしれない。

しかし、それにしてもなぜ年端もいかないこれら3人の子どもだけを家に残して共働きをしているのだろうか?もちろん、生活が厳しいということもあるだろう。でも、どうしても私には分からない。アメリカでもカナダでも12歳未満の子どもを家に残しておくことは法律的に禁止されている。そうだろうと思う。12歳くらいの年齢になれば、ある程度の理解と判断はできるだろう。しかし、わずか7歳の子どもが4歳と1歳の子どもの世話を任されて、今まで何もない方が不思議なくらいだ。

12歳の子どもは電話をするとき、どんな気持ちだったろう。そのときの気持ちを思うとやりきれない。少し生活の質を落としても、家で仕事をするとか、何とかできなかったのか?
もう、二度とこういうことはおきてほしくない。もうひとつは、こういう家庭に対して行政の目は行き届かないのであろうか。救う方法はないのか。
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by eastwaterY | 2006-05-26 22:47  

子どもの一言にどっきり(5月25日)

ブログ仲間のRさんがお子さんの「ドッキリとしたひとこと」を書いておられたので、私も息子が4歳のときに言った一言を思い出しました。

ある雨の日の夕方、私はいつものように4歳の息子と一緒に犬の散歩に行こうとしました。
「ぼく、今日は待っとるけぇ、お母さん一人で行って」と息子の返事。「K君一人で置いていくのは心配だから一緒に行こう!」と再度言ってはみたのですが、やはり返事は「ノー!」。今までも時々そういう事があったので、私も気軽に犬と散歩に出かけました

いつもより早めに切り上げたので、10分は経っていなかったと思いますが、帰宅してみると息子の姿が見えません。冗談好きの子どものことだから、どこかに隠れていると思い、家中を探しました。どこにも見当たりません。さては、近所の友だちの家かも?と、このときもまだ気軽な気持ちで何軒かにあたってみました。いません。どこのお宅も「見ませんでしたよ」との返事。

そのうち近所の7,8人が集まって、あちこち手分けをして探し始めてくださいました。30分たっても、息子は見つかりません。年配の人の「警察へ電話して、農協から放送してもらったら?」のアドヴァイス。私の頭の中には「川へ落ちた?誘拐?」と悪いことばかりが渦巻きました。

警察に電話し、子どもの年齢や特徴を言っているときです。キャッチフォンからの信号音がし、切り替えたら親友の声で「Kくん、雨の中ずぶ濡れで我が家に来ているよ。今から連れていくから」の電話。歩いて5分くらいの距離へ、まさか一人で行っているなど夢にも思いませんでした。居所が分かった途端、頭痛、吐き気はするし、足はガクガク。近所の人たちにもお詫びとお礼を申し上げて引き上げてもらいましたが、当の本人は「ボク、お母さんがいなくなって、さびしかった。ぼく、もう4歳だから一人でどこでも行けるもん」とけろっとケロッとしていました。

そういえば、そのちょっと前、犬との散歩の途中で自分だけいつものコースを外れて一人で先に家へ帰っていることがたびたびありました。鳥の雛が巣立つときに、巣から近いところを何度も飛び回り、その後、本格的に巣立つ様子をTVで見たことがありました寝る時やさびしいときには「お母さん。オッパイ」といって、ちょっぴり触り、やすらかな表情の息子を「まだまだ赤ちゃん」とその時、思っていたのは私の見当違いだったということです。

まさに、羽音をばたつかせながら、懸命に自立しようとしていたのが、息子の本当の姿だったのかもしれません
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by eastwaterY | 2006-05-25 22:55  

社会人学生の今(5月24日)

私は、ボランティア活動として社会人学生の人たちへの学習相談・支援をしています。
その活動の中から1昨年の7月、私が活動している生涯学習をテーマとした市民団体で、現役社会人学生、OB/OG、入学希望者などを会員とする「社会人学生ネットワークきらめき」が誕生しました。お互いに情報交換や気持ちの共有をしつつ語り合っています。
もちろん、社会人学生OGの私もその一員です

ある日、Aさんが「頭って、使えば使われるものなのね」と感慨深そうに言いました。
50歳代の彼女は科目等履修生として週1回、大学生になります。初めは、若い学生と学ぶことに緊張感を感じたそうですが、慣れれば自分の過剰反応であったと笑っています。

今では、ものの見方が広くなり、仕事にも役立ち、時には講義の内容に涙するほど感動し、学ぶことに年齢は関係ないと実感しているとのこと。そして、いつでも自分で選んで学習できる現代の社会に感謝していると、Aさんは何時になく神妙な表情で話します。

働きながら大学院に通うBさんは、自分のやりたいことは「またいつか」とか「暇があったら」と思わず、「今から」はじめることが大切であり、それが自分の生きる姿勢だと語ります。

しかし、世間の社会人学生に対する意識はまだ低く、制度的にも不十分です。にもかかわらず、彼らが若い学生に混じって意欲的に新たな人生を創造している背景には、それを理解し、応援してくれるパートナーや仲間の存在があるからです。Cさんは、「夫が私のこと
を『学生さん、がんばっていますねぇ』というんですよ。」と嬉しそうに話してくれました。

今、挙げてきた人は女性たちですが、50代の男性や30代の男性も、フルタイムの仕事を持ちながら、自分の夢の実現を目指しています。男性も女性も社会人学生は、いくつもの役割を果たし、時間のやりくりをし、新たな人生を切り開いていこうとしている人たちです。

私は、このような人たちに、いつも「がんばれ!」ではなく、「健康第一よ!」というエールを送っています
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by eastwaterY | 2006-05-24 22:00  

うれしかったこと~花つながり~(5月23日)

今日は、嬉しいことがありました。少し、仕事が落ち着いたので、今日は午後3時過ぎ、
大型園芸店へ、これから夏にかけて楽しませてくれる花の苗を買いに出かけました。
買った花は、外塀にかけるポット用のベコニア、既に咲き始めたペチュニア、ロベリア、リリカシャワー、ミリオンベルなどに加えてスーパーチュニア、メカルドニア(この2種は、雨や湿度に強いとのこと)を買ってきました。

それにしても植え替えるというのは重労働です。外塀にかけているポットは10、門扉が4、それを植え替えるだけでもかなりのものです。それに加えて、いままで咲いてくれたパンジーを心ならずも抜いて、土をやり変え、新たな苗を植え替えました。今まで、私がかなりみすぼらしくなっているパンジーたちを抜くことをためらっていたので、夫から「もう、近所の人たちは新しい花に植え替えているのに・・・」といわれていたのですが、今日までそのままにしていました。今週は明日からまた、忙しくなるので思い切って植え替えることにしたのでした。

たとえ、重労働であっても、これから6ヶ月くらいは楽しませてもらう花々ですから、楽しい作業です。黙々と植え替えをしている時に、「バラのアーチを見せてくださいね」という声がかかりました。通りすがりの人で、今までお会いしたことのない人でしたが、よほど花好きの人なのでしょう。そういうと同時にもう、アーチに咲いているつるバラを嬉しそうに見上げていらっしゃいました。「どうぞ、どうぞ」といい、それから花談義となりました。我が家は、門扉から玄関までのアプローチの両側にいろいろな花を植え、ポットの花々をその辺りにも並べているので、今は花爛漫のときです。その花の一つずつを見ながら話しているときに、毎年我が家で育つハーブの芽がかなり大きくなっているのに気づきました。先日、大きめのものをポットに移したのですが、先日来の雨で他の花の下に芽を出している多数のハーブの芽(すみません。名前が分かりません。)が、大きくなっているのに気づき、それを10個くらいポットに入れて進呈しました。彼女はずいぶん花の名前に詳しいらしく、「これは○○かしら、それとも△△かしら・・」といわれましたが、よく分かりません。でも、とても喜んで下さいました(ちなみにこのハーブは紫色のボンボンのような花を咲かせ、夏でも花持ちがいいのです)。

そして・・・すっかり伸びたつる桔梗を見て、彼女が「つる性の花があるので、私も今度持ってきますね。」といって帰られました。そうしたら、なんと1時間くらいたった時に彼女は「なでしこ、つる性の花(名前を言われたのですが?)、豆系の花」の3種類を持ってきてくださったのです。なでしこは、よく浴衣などに描かれている可憐な淡いピンクの花です。こんなに早く持ってきてくださるなど予想もしなかったので、びっくりしたと同時に感動。やはり、花好きの人は、花好きの人の心が分かるのだと、本当に嬉しかったのです。自転車で持ってきてくださったので、それほど我が家から近いところに住んでいらっしゃる人とは思えません。多分、通りかかられたときは、散歩の途中だったのでしょう。でも、こうして見ず知らずの人から素敵なプレゼントをいただき、幸せでした。

もう一つ、嬉しいことがありました。このところ、雨続きだったので、私はその度に
門扉の横に植えているガザニアに傘でガザニア覆い、動かないように門灯に紐でくくりつける作業をしていました。せっかく、きれいに咲いているのに腐らしたくなかったのです。(1昨年、昨年とも失敗しました)。その作業をする私を「ご苦労様」といっていた夫が、
もう傘をささないですむように、カバーを作ってくれました。「何で、傘をさしているのですか?」と不思議がっていた人たちも「このアイディアはすごい!」とほめてくださいました。

以前、庭の役割分担は、「私が花、夫が木」ということで、それぞれが世話をしていました。ところが最近は、夫も花々に興味を持ち始め、私と同じガーデニングを楽しむ人となりました。もともと、夫は器用な人ですが、世界に一つしかない手作りのガザニア用のカバーを作るとはと、このことにも感動しました。

今日は、花も植え替えたし、花好きな人とも会えたし、ガザニア用のカバーもできたし、
私にとってとてもハッピーな日でした。これで、明日からがんばれます。
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by eastwaterY | 2006-05-23 23:18  

ロッキーと共に自然と遊ぶ(5月22日)

我が家は、今までに5匹の犬を飼ってきました。その中でも4代目のロッキーについては、楽しい思い出がいっぱいあります。雑種の犬でしたが、なんとなく風格があり、性格は優しく我慢強い雄犬でした。まだ、私たちに子どもがいないときに我が家の一員になっていたので、息子が生まれたときには、ロッキーは息子にとって「お兄さん」でした。息子が
4歳の頃のことを思い出しながらロッキーとの触れ合いを書きたいと思います(今から、約20年前の話です)。

毎日、午後4時を過ぎるとロッキーは、立ったり、座ったり、家の中を覗いたり、落ち着きがなくなっていました。散歩の時間なのです。季節によって時間のずれがありますが、4時半から5時半頃に息子、近所の数人の子どもたちと一緒に毎日散歩に行っていました。

宅地化の波が押し寄せているとはいえ、我が家の辺りはまだ田舎と街が同居しており、子どもたちはその渾然一体の良さを味わいながら遊んでいました。我が家のすぐ裏には、杉や楠がうっそうと茂ったお宮があり、我が家からお宮を通り一周するのが、ロッキーの散歩コースになっていました。

春には新芽のもみじの美しさに見とれたり、てんとう虫の幼虫が、石垣に固まって引っ付いているのを見たり、夏には、山からの冷たい水に喉を潤したり、虫を追ってみたり、ロッキーもすっかり人間になったつもりか、嬉々として走り回っていました。ロッキーのみならず、私も童心にかえってはしゃいでいました。秋には、たくさんの楽しみがありました。そこかしこに落ちている椎の実やどんぐりを拾ったり、びっしり敷き詰められた落ち葉を踏んで歩いて、滑ったり。

雨の後は、紅葉したもみじが地面いっぱいに落ちていて、誰が一番きれいな葉を拾うか競争をしていました。ときには、近所の飼い猫のお墓になっているところへ野の花を供えて、みんなでお参りをしたりもしました。寒い冬は、大人の私にとって、ちょっと面倒に思うときもありましたが、子どもたちは、なんのその。「散歩に行こうか」の一言で、雪が降っていても、炬燵から飛び出してきます。雪合戦をしながら散歩をするときもありました。ロッキーも子どもたちも雪が大好きで溶けかけていても、わざわざ雪の上を歩いてびしょびしょになりました。散歩が1時間に及ぶこともあり、私としては、イライラするときもありましたが、犬と自然に触れることにより子どもたち私も、和やかで優しい気持ちになることができたひとときでした。

こうして20年前をふり返ってみると今とは比べ物にならないほど、ゆっくりとした時間の流れがあったと思います。同時に、周りに異年齢の子どもたちの姿を多く見ることがありました。そして、うっそうと木が茂ったところでも、何の危険もなく、子どもたちは秘密基地を作って遊んでいました。今、美しい自然に恵まれたゆったりと過ごせる田舎で、子どもたちが被害者となる事件が相次いでいます。何が人の心を変えてしまったのでしょうか。
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by eastwaterY | 2006-05-22 21:57  

幸せの数式(5月21日)

5月29日No.25『AERA』に「幸せの数式」というタイトルの記事が掲載されています。「幸せとは? 何があったら幸せなのか?」ということがテーマです。

2名の著名人が、「幸せの数式」を作っています。

①経済評論家 山崎元さん  幸福≒√経済力×健康×人間関係
 経済力がないと生活できない。健康でなければお金があっても生かせない。健康と
 経済力が あっても「よかったね」といってくれる人がいないとダメ。だから、どれかが欠
 けると0になる掛け算。

  *この数式は、論理的にはできているけど、私にはぴんと来ません。第一「経済力」を
   年収○○万円までをいうのでしょうか?そこが明確でないので、分からない。何とか
   食べていけるだけの生活費でしょうか?「健康」は山崎さんが言っていることに賛成。
   やはり、共に生きていて共感してくれる人が生きていく中では必要ですね。

山崎さんはこうも言っています。「数式に入れるかどうか迷うのは、価値観や人生の目的。
これは一般的な幸福の数式には入れにくいとのこと。これって、なんとなく分かります。というのは、この「価値観や人生の目的」というのは大きく幸福度にかかるから、このような数式ではっきり表すことができる人には難しいと思うからです。

②数学者・東北大学大学院教授 小谷 元子さん   幸福=健康×(人間関係+仕事)
「健康」は、生物として生きていける条件を満たしているかどうかで、0か1を当てはめる。
「人間関係」は、私のことを「かけがえがない」と思ってくれる人がどれくらいいるか。比例
で言えば、いなければ:0、1人:3点、2~5人:4点、6人以上:5点以上。人間関係と仕事
は、どちらかが満たされれば、まぁ幸せかなと思うので足し算。やりがいを感じる仕事か
どうかで自分で価値を点数にしてかかわった時間を掛ける。要するに、自分なりの価値
と、創意工夫、そういう重みつきの時間が多ければ多いほど幸せかなと思う。

  *私は、この数式に近い考え方に近いと思います。以前、数学者はロマンティック
    だと聞いたことがありますが、次の文を読むと、それが納得できます。

小谷さんは、さらにこう言っています。「現実には、出前授業で高校生と話して、何か伝え
られた手ごたえがあったとき、すごく幸せです。(略)進路に悩み人に質問されたとき、
『これが本当に大切なことだ。根幹だ』と思えるものにもし出会えたら、自分が直接貢献
きなかったとしても、それを支えたり、かかわっていられたら、幸せじゃないですか。」
  *この中には、「経済力」によって、「幸福度」を計る小谷さんの価値観がありま
   せん。自分がこう生きていきたい、こういう仕事をしてそれが充実していれば、幸せ
   という人生観が、私にはぴったり来ます。先日、私が講演をしたとき、10人くら
   いの人が「もう一度、聴きたい。どこへ行けばEさんの講義を聴けますか?」といって
   くださったときには、謝礼など問題なしで充実していました。
 
③(数式では表せないが)藤原正彦さんが述べているのは、「小さなとき、おばあちゃん
に褒められたとき、夏の庭のイチジクのとろけそうな実をほおばったとき。今なら、コブシ
の花やきらめく新緑を見ているだけで幸せ。幸せは、そこら中にあって、感じるもの。競争
して稼げば幸せになれるなんて、大うそ」

  *藤原さんは、現在62歳。彼は、戦争前に生まれ、戦中戦後の貧しさを十分味わ
   っている人だから、当たり前の日々がどれだけ大切で、幸せかということが体を
   通して分かっていると思います。

藤原さんの幸福度を読んで、私が小学校2年生のときを思い出しました。担任の先生の
家に招待され、友達と3人で行き、昼食をご馳走になったことがありました。昭和25年の
頃です。そのとき、先生が私たちに出してくださった味噌汁に一人ひとりの1個の卵が入
っていたのです。その頃、1人で卵1個を丸々食べることができるのは、お正月とお祭り
の時くらいです。お味噌汁の卵を食べるのがもったいなく、お椀を持ったまま、しばらく
卵をじっと見ていたのを憶えています。そのときのお椀の中の卵が今でもはっきり蘇っ
てきます。そのとき、とても幸せだったのです。でも、そうかといって、卵を1つまるまる
食べる機会が少ないからといって、不幸とも思いませんでした。

そういうことを、満州から引き上げてこられた藤原さんも経験されたからこそ、花や新緑の美しさに幸せを感じるのだと思います。私は藤原さんのそうした心情が、自分のことのようによく解ります。

『AERA』にょると、幸福度を国際的にアンケートしてみると日本と同じような所得のない国の中で一番不幸だという結果が出ているそうです。また、日本は年をとるほど不幸せに感じる国とのこと。欧米の多くの国で得られた「年齢を重ねたほうが幸せ」という研究結果と正反対ということは、これから超高齢社会を迎える日本としては、高齢者が住みにくい国になっているのでしょう。心理学者によれば、日本人は完全主義の人が多いからかも知れない、選択の自由が認められる社会だからこそ、あれもこれもほしくなるし、選ばなかったものに目がいく」というのがその理由のようです。すなわち、幸せの形にこだわり、そこから欠けているものを見るからだということです。
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by eastwaterY | 2006-05-21 23:17