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キャリアブランシャルな生き方(4月30日)

今日で4月も終わり。元旦から、もう4ヶ月たってしまったのです。「光陰矢のごとし」とは、言い古された諺ですが、まさに時間が矢の如く過ぎ去っていきました。今日は、「日本女性会議2007ひろしま」の分科会会議があり、1年6ヶ月先の分科会内容について大激論となりました。

どうして、女性は(私も女性ですが・・・)すぐ感情的になるのでしょうか?論理的・効率的に会議が出来ず、何か一つのテーマについても時間がかかるので、予定の終了時間を1時間もオーバーしてしました。昨日は長時間でも充実していましたが、今日はこれから先を考えると不安になりました。

さて、愚痴っていても仕方ありません。今日は私の友人であり、キャリアについては、私の師匠でもあるMさんが、連休前にプレゼントしてくださった本『キャリアブランシャシャル宣言
「自分というブランドを高めよう」』(山本正樹+八尾稔啓著、壮神社、2005年)という本から心に残った文章を引用しようと思います。(Mさんのことについては、また、後日かきたいとおもっています。素敵な人で、頑張り屋さんですよ!)。


「あなたのブランドは、一朝一夕で出来上がるものではない。ブランドの出来栄えも、最初から決まっているわけでもない。あなたの「価値観」を満たすために、あなたの興味のあることを対象に、あなたの「能力」を磨いていくうちに、いつの間にか見えてくるのが、あなたブランドだ。
そして、ブランドを築き上げるために、自己の「価値観」「興味」「能力」というポテンシャルを成長させていく生き方を、キャリアブランシャルな生き方と呼んでいる。
大切なのは、どのようなブランドが出来上がったかという結果ではなく、どのように、ブランドに磨きをかけているかという、生き方そのものである。」

要するに、自分自身が学習をし、経験を積み重ねていく中で、視野を広げ、人間力を高めていく事により「自分のブランドを築き上げる」ということです。そして、そういう生き方が「キャリアブランシャルな生き方」と山本さんは述べています。昔から、「40歳過ぎての顔は自分自身の生き方が表われており、自分自身がつくっている」といわれています。これが「キャリアブランシャルな生き方」を示しているということでしょう。

「ある一流の野球選手だった人の言葉。『手のひらのまめがつぶれるまで練習したのではない。バットを振っていたら、手のひらのまめがつぶれていたのである』。『やりたいこと』を手段にして、『価値ある思い出』をつくる。そういうキャリアブランシャルな生き方をしたくないか。」と山本さんは読者に呼びかける。この一文からも解るように、山本さんは、「キャリアブランシャルは、総じて内的キャリアの重要性に視点を置いている」といっています。また、外的キャリアよりもむしろ内的キャリアを充実させることによる、個性的で自律的な満足感を得ることが今の時代らしい生き方だと強調しています。
現在、若い人たちが就職を目指すとき、外的キャリアにとらわれて、内的キャリアの重要性に
気づいていないために、就職に関してミスマッチが起きてしまうのだと思いました。今年も6月から「キャリア支援講座」を企画・運営していきます。昨年に続いて受講生に内的キャリアの重要性に気づいてもらう事を考えて、企画しています。
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by eastwaterY | 2006-04-30 22:32  

電話相談員養成講座(4月29日)

今日からゴールデンウイークへ突入。TVによると今年のゴールデンウイーク中の海外旅行者の予想者は、約56万人で過去最高とか。世の中、景気も良くなって来たのでしょうね。

そういう中、私は今日は9:30~17:00まで電話相談員養成講座の研修に行ってきました。連休中に来ていただく講師の方にも気の毒な気もしましたし、受講生は少ないかな?と思っていました。でも、さすが、熱心な相談員。私を初めとしてみんな、講義開始時間にはちゃんと揃っていました。

午前中は「女性の心とからだ~仲良くつきあうために~」というテーマでしっかり3時間の講義でした。先生は、60代半ばですが、長い間の助産婦や大学非常勤講師の経験を活かして、「結婚・妊娠」をテーマとしながら、女性の生き方や性教育について語られました。現在の少子高齢化については、20~30歳代の婚姻率が1/2をきっていること、働いている女性の1/2が出産を機に退職している事。これらを歯止めする必要があること。そのためには「女性が産みたい時に産める世の中にする必要があること。そうすれば少子化は止まる」といわれました。

また、「性教育は人権教育」であるという観点から、男性がDVやレイプをしないため、女性が望まない妊娠を避けるため、ハンディキャップの人たちが性を楽しむことためには性教育が絶対に必要であるにも関わらず、性教育を歪曲して理解している人たちが多くバッシングが起きているということ。しかし、 公立高校生の男女の性交体験のアンケートによると女性の方が性交率が高く、その要因は『男性から声をかけられたら、断れない。男性が主導権をとるのがいいと思っている』ということ。しかし、そのために妊娠、性感染にかかる事も多く、女性には「男性に対してNOと言える女性になる」、いわゆる「プロダクティブヘルス/ライツ」(性と生殖に関する健康と権利)をしっかりと女性が知ることが必要であることを強調された。

驚いたことに日本は人口妊娠中絶数が、他の先進国の2倍以上であり、望まない妊娠、予定外の妊娠が多い事からして、女性が自らの「性と生殖に関する健康と権利」を知り、自己決定を意識して避妊への主体性を持つことを指摘されました。また、男性側においては「セックスによって女性にリスク負わせることを考えること、すなわち(望まない)妊娠したとき彼女がどうなるかを考えること(特に、経済的自立をしていない年齢の男性は女性に対して責任が負えない事も自覚しておく事)」が必要である。このことについては、家族で語る、義務教育期間にしっかりと性教育をしておくことが重要である、ということでした。

しかし、現在は、学校教育においても管理職が「性教育は寝た子を起こすようなものだ。本能的な事はほっとけば、自然にわかる」などと、全く「性教育=人権教育」ということを理解していない様子。それゆえの性教育バッシングが教育界だけでなく、多くの人々の意識の中にあることを鋭く指摘されました。

最後に、女性にとって更年期は、もう一度パートナーとの生活を考え直す時期であるということ。①パートナーと一緒にいて楽しいか、どうか?②男性が一人で食事が出来るようになるようにして、女性はどんどん外出をするべき。すなわち、どちらかが、倒れた時に、お互いに自立して生活できるかどうかということである。そのためには、更年期にこの①②を考える必要があるということでした。

講師は、自宅をオープンハウスにして妊婦さんや母親になった人、あるいは不妊の女性、高齢者などが、自由におしゃべりできる場を設けておられます。したがって、話の内容も多岐にわたり、常に実践している中からの話なので、説得力もありました。戦後女性が強くなったといわれて60年。しかし、未だに男性中心で作られた法律や制度のために多くの女性がさまざまな苦しみを背負って生きていることが解りました。

午後からは、たっぷり3時間半「傾聴」の重要性を講義とワークショップで学びました。休憩時間もほとんどなく、気を抜ける内容でもない講義に疲れてしまいましたが、相談には欠かせない重要なことを学習したと思いました。
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by eastwaterY | 2006-04-30 00:54  

ゴールデンウイーク(4月28日)

いよいよ明日からゴールデンウイークに入ります。今年は、私の仕事が忙しいので、自宅で仕事、ときどき庭の花を見る、仕事、花を見る、の繰り返しになりそうです。

息子が小学3年生から6年生までは、ゴールデンウイークには家族3人でサイクリングをしていました。どこかへ出かけるにしても、いたる所で交通混雑に巻き込まれ、距離的には近くても時間がかかるので、ドライブはしないということにしていたのです。

一番最初は、安佐動物公園へのサイクリングでした。しかし、我家からまっすぐ動物園へ行くのではなく、一旦、太田川沿いに自転車を走らせ、そこからちょっとした山越えをしていくコースをたどり、動物園へ行くという道程を選びました。太田川沿いの道へ出た時に、道端のこぎれいなところで休憩をしようということになり、飲み物とパンを食べました。その目の前を、車が渋滞して動けず、徐行をしていきました。

すると、息子曰く「お母さん、みんな車で動きよってだから、僕らは乞食に見えんかね」「そんな事ないよ、きれいな格好もしているし。車だったら、道端にちょっとゆっくり見たい花や木があっても車を止められないけど、自転車だったら、ゆっくり見られるからいいよね」などと言っていたら、それとなく納得した様子。それからの、五月の風に吹かれながらのサイクリングは快適でした。でも、その後は大変!

何が大変と言って、山越えです。もちろん、ちゃんと舗装もしてあり、車も通る道ですが、その傾斜がきついのです。動物園に着くまでに3度くらい、3人とも(めったに車が通らないので)道路に大の字になって休んでしまうほどでした。そして・・・動物園。ここでお弁当を食べ、帰路には、その当時私の母が弟夫婦と住んでいたので、そこへ寄りました。まだ、その頃は、母も認知症になっていなかったので、息子の頑張りを喜んでくれました。

その次の年、5月3日~5日まで広島ではフラワーフェスティバルが平和公園大通りを中心に開催されるので、そこへ自転車でいきました。今度は、3人でルールを作りました。飲み物は、麦茶を持参。ただし、どこの場所でもいいから自分が飲みたいと思ったら、1回だけ自動販売機で買った飲み物を飲んでもいいというもの。でも、これは3人とも同じところで飲んでしまいました。誰だか忘れましたが、一人が我慢しきれなくなって飲むと、後の二人が続いたからです。

しかし、このときは1回目の動物園行きよりはるかに楽でした。道の凸凹が少なく、平地がほとんどだったからです。その翌年も、今度は息子の友人も一緒にフラワーフェスティバルの写生大会に参加しました。平和公園に向う往路に、おいしそうなカレー屋さんがあったので、帰路には、そこで遅い昼食を食べようとお楽しみをつくってフラワーフェスティバルの場所を目指しました。

こうしてみると、我家は子どもが小さいときから、○○パークとか、△△ランドなどには行かず、もっぱら自然を相手にレジャーをしていたような気がします。今考えれば、たまには、そういうところへも連れて行ってやればよかったと思います。そのことが、今になって、どうも気になるので、今度息子が帰ってきたら、どう思っていたか尋ねてみようと思います。
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by eastwaterY | 2006-04-28 21:07  

1年生の初給食(4月27日)

とんちゃん様が、学習ボランティアで1年生を担当され、充実した日々を過ごしていらっしゃるのを読んで、息子の初給食のことを思い出しました。当時のエッセイから紹介します。


5月15日は、小学校1年生の息子にとっては、待ちに待った日でした。給食の第一日目です。何日も前から話題の中に、この日のことが出てきていました。メニューは「白身魚のマリネー」。
楽しみにしているわりには、息子の苦手なものなのです。その上、食べる速さが遅いわけではないのに、いつも時間がかかるのです。原因は、食べながらのさかんなおしゃべりと、それに伴うジェスチャー。

とにかく、息子の食事は賑やかなのです。給食を食べる時間は20分で、おしゃべりをしてもいけないし、残さないように食べることなどなど、いろいろ情報を得ている母親としては、あれほど楽しみにしていた第一日目を無事に終わってほしいと、念じていました。そして、その日の夕方・・・・・・ 「Kくん、給食どうだった?ちゃんと時間内に、食べられた? お魚どうだった?」
「うん、ボクね、ゴリラの真似を2回とチンパンジーの真似を2回したけど、ちゃんと時間内に食べられたし、魚は人が食べていないのまでもらって食べたよ」。
どうやら、私の取り越し苦労のようでした。あれから約1ヶ月、息子は本当に給食を楽しんでいるようです。

しかし、試食会へ行っての私の感想としては、食事時間、20分では、あまりに忙しく、余裕のない、心まずしい給食だと思っています。


これを読むと、息子は未熟児のため1,850グラムで生まれ、そのご順調には育っているものの、
何時までも私が「未熟児」ということを気にしていたのだと気づきました。普通の子どもの約半分の体重で生まれたものの、1年で他の子どもと同じになり、2歳の時には4歳児の体重・身長になったのに、それでもいろいろ案じていたのでしょう。
現在の学校の給食は、時期的に早くなっていますが、子どもたちはどのようにして給食楽しんでいるのかな?と思います。
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by eastwaterY | 2006-04-28 00:06  

電話相談員として(4月26日)

いよいよ明日は、電話相談員として第1回目の日になります。午後の3時間を一人で相談を受けます。先日来、電話相談員として「どうあるべきか」という研修を何度も受け、これからもまだまだ研修を受けます。

先日は、臨床心理士であり相談員をしている先生から、講義を受けました。「自他を知る」ということから言えば、「話を聴き合う」ことが大切で、それは、
  ①関心(温かい眼差し、適度の相槌、うなずき)
  ②受容(批判、分析、忠告をさしはさまない)
  ③共感(気持ちを聴く/同調・同情ではない)
  ④守秘(プライバシーを尊重する)

これらの重要な事柄の説明受け、実際にそれを実感するワークをしました。

また、今日も別の先生からの研修を受けました。この先生からは、
 ①自分自身を磨く事
   相談者をなんとかしたい、教えてあげたいと思わないこと(これらは禁句)。
   本人が道筋を見つけるように支援する。そうすれば相談者自身が答えを出すようになる。
 ②相談者には内なる力がある。だから、相談員としては、「どうしたいのですか?何が辛い     のですか?」というような問いかけをし、引き出していく。
 ③長時間に及ぶときは、同じ話の繰り返しになっているので「一番辛いのは何か、聞かせて下   さい」といい、「決して、相談しなければよかった」と思わせないようにする。

結果的には、回数を重ねていくに従って、慣れてくるから、とにかく傾聴を重ねる事が大事だと
言われました。既に、何年も相談員をしている人が「3時間相談を受けると、最後はぐったりす
る」と言われたとき、先生は「相談後は、気分を変えて、決して引きずらないように。私生活ま
で影響するようではいけない」とアドヴァイスされました。

私が大学で9年間副手で勤務していた時には、よく学生の相談にのっていました。それも私の仕事の一つに入っていました。一緒に涙を流したり、悩んだり、いろいろありましたが、
相談後私の研究室を出るときには、「元気が出ました」とにこやかな顔になっていた学生も多くいました。

そういう学生たちは、社会人になった今でも結婚や出産を必ず知らせてくれるし、時には結婚
披露宴にも案内をくれています。相談がある程度上手くいっていたのは、私自身が学生体験があって、間がなかったので、先生方より学生のことがよく解っている事もあったかも知れません。また対面での相談でしたから、相手の表情や行動からその心や悩みを読み取る事が出来ました。

しかし、今度は電話のみの対応で、しかも年齢も性別も職業もさまざまな人からの相談です。もう今から緊張しています。一緒に研修している人たちは、皆表情が穏やかで、人生の年輪を感じさせる人、笑顔が素敵な人が多く、この活動を通してまた、すばらしい人との出会いが出来そうで(既に数人の人とはそうなっていますが)、その喜びを糧として電話相談の仕事をしていこうと思います
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by eastwaterY | 2006-04-26 22:51  

大学での同級生のこと(4月25日)

私が、47歳のとき社会人入学し、初等教育学科で4年間で学習した事は、今までに何度かこのブログに書いています。初等教育学科というのは、小学校の先生の養成課程だからか、人間性が豊かで魅力的な人が多くいました。私とは30歳も違いましたが、中には30歳年上の私より、人間的に成熟している人もいて、すばらしい4年間を過ごす事が出来ました。

私が1989年に入学したのは私立女子大学で、当時はまだ制服があり黒いスーツでした。ある先生が「いかに言っても、Eさんに制服を着てもらうのは気の毒だから私服でいいですよ」といってくださったのですが、4年間は黒いスーツを通しました。小1だった息子が「お母さん、毎日葬式みたいだね」と言ったことがありました。

そのような感じで私の大学1年は始まりました。入学後1ヶ月くらいは、若い学生の中には入れないだろうと思って食堂で一人で弁当を食べていたら、同級生が「Eさん、一緒に食べてもいいですか」と声をかけてくれ、おお話をしながら昼食をとりました。それ以来、私も含めて5人は仲良し組となり、この5人はどんな時も前列の中央に陣取って授業を受けました。そのおかげか、私以外の4人とも一度で教員採用試験に合格しました(広島の場合、39歳までしか採用試験の受験資格はなく、私は、4年生の時51歳ですから無理でした)。

ある日、5人で大笑いをしたことがあります。私が昼食をとりながら「ね!東京オリンピックの時にね、・・・・・こういうことがあったよね」といったら、4人が申し訳なさそうに「ごめん。Eさん、私達そのときにはまだ、生まれていなかっったんよ」といいました。「ああ、そういえばそうよね」と言ったら、一人が「そういえば、Eさんは、私らより年齢がはるかに上だったんだ」と、今、気づいたように言うのです。その後は、「そう、そう」と大爆笑。

また、あるときは、仲良し組みの一人が、恋愛相談をしてきたり、他の一人は親子関係のことを相談してくれたり。一方で、私は、母親である私が大学生となって自分の人生を生きることに対して、息子の事が気になり同級生に相談しました。「Eさん、大丈夫。今は、息子さんは少し寂しいかも知れないけれど、大丈夫。中学生くらいになれば、母親が自分の生き方をしている事は、嬉しい事なのよ。私もそうだから。頑張って」と励まされもしました。

大学のキャンパス内では、健康診断の時に係りの人から「職員の方はあちらです」と言われたり「大学院生ですか」と尋ねられたり。映画を観にいって学割を使って入場したら、係りの人に「ちょっと待ってください」といわれたり、いろいろありました。」しかし、同級生は、野外活動指導法でテント生活をしたときも、教職学習で合宿したときもいつも自分たちと同じように扱ってくれました。

今、2年に1回、必ずクラス会をしていますが、73名のクラスの半分に近い人が、開催場所がどこでも参加します。現在彼女たちは35歳。教職の人が多く子育てをしながら頑張っています。クラス会は、必ず和室にします。幼稚園くらいまでの子どもたちが、直ぐに仲良くなって遊んだりハイハイしたりしているうち、誰かが子守をしたり、トイレ連れて行ったり。誰の子どもかわからないくらい面倒を見て、相変わらずみんな仲良しです。入学当初に感じた人間性が豊かで、個性的な人の集まりであっても、何かすると言えば、すぐまとまるすばらしいクラスは今でもそのままです。
私は、いつも広島文教女子大学初等教育学科第9期生であって、本当によかったと思うし、誇りに思っています。
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by eastwaterY | 2006-04-25 22:31  

尼崎JR脱線事故について(4月24日)

暗くて重い話ですが、明日は尼崎JR脱線事故が合って、1年目にあたります。昨年の今頃、私たち夫婦は弟夫婦と共にニュージーランド旅行中でしたが、私は日本のニュースを知るためにNZの英字新聞は毎日読むようにしていました。忘れもしません。去年の4月26日、南島のクイーンズタウンのホテルを出発する前に、ロビーで新聞を読んでいる時に大きく脱線事故の写真が掲載され、かなり詳しく書いてありました。

平常は、英国、アメリカ、オーストラリア関係の記事が多く、日本の事はほんの一隅に載っているのですが、この日は1面の1/3くらいは脱線事故で占められていました。初めに飛び込んできた電車が脱線し横転している写真を見て、尋常ではない事が起こったとは思いました。そして、読み進めていくに連れ、大変なことになったと胸が痛みました(しかし、まだその時点では死傷者も少なく報じられていました。その後は、ホテルやモーテルのTVで情報を得ました)。

それが、私のこの事故に対する最初のニュースだったのですが、それ以後の負傷者や遺族の人たちの声を知るに連れ、やはり「生と死」について考えざるを得ませんでした。今朝の朝刊にも
運転士の様子が異常であったという脱線直前の様子を証言した人もいるということが伝えられており、これを読んだ遺族はどんな思いをされるのかと思いました。

そういう思いで、昼食時にTVを観ていたら、尼崎JR脱線事故の特集を放映していました。
1年たった現在、死者もいるなか、生き残った者として死亡した人の家族や後世に残すために「事故の記録」を書こうと生存者に呼びかけ、活動しているBさんがおられました。

一方で、最愛の一人娘をこの事故で亡くした男性の話も取材されていました。57歳Aさんは、会社員の時に21歳の大学生であった娘を失ったために、精神的打撃を受け、会社を休む事が多くなって、結局現在は退職しておられます。Aさんと娘さんとは、どこに出かけるときも一緒、携帯電話での会話も1日に何回もするという仲良し親子だったそうです。インタビューの時に「家から通わせず、下宿させればよかった・・・」「ああすれば、こうすれば・・・」と思うばかりだと言われました。部屋には娘さんが最後まで着ておられたピンクのコートやめがねが置かれていました。1番、私が心打たれ辛かったのは、二つの湯のみ(夫婦湯のみ)の話でした。

この湯飲みは、夫婦が陶芸を習い作られたのです。その陶土の中には娘さんの骨を粉にして一緒に練り込み湯飲みを作ったといわれました。そしてインタビュアーの人に「ここを見てください。白い点があるでしょ、これが娘のものなのです。私たちは、常に娘と共にいるのです」といい、後は嗚咽となって言葉が続きませんでした。どうしたら、娘と共に生きていかれるかを考えられた末の「夫婦湯のみ」だったと思います。娘さんが在学していた大学の卒業式に夫婦揃って出席されましたが、「自分たちが来るべきところではない・・・。娘が来るべきところだと思った・・・・」。本当に辛い話です。どんなに、残念だったことでしょう。


私が思うに(私だけではないと思います。愛する人を失った人は、同じような『思い』をすると思いますが・・・)、愛する人を失った1年間は、本当に辛いのです。1年間はときどき、「1年前の今は、あの人は生きていた。こうだった、ああだった、ああも言い、こうも言ってくれた・・・」などと思い出すのです。思い出すのはその人を供養することになるとは言われますが、やはり虚しく、辛いのです。だから、前述の元会社員Aさんも、同じ思いでこの1年を生きてこられたのでしょう。

でも一つだけ救われる話がありました。この話に登場する生存者で記録を残す活動をしている人に寄せられた原稿から、前述の男性の娘さんの最期の様子を書いておられた人がいたのです。その人は、「私の前には、ピンクのコートを着ためがねをかけた女性が座っていて・・・・」と書いておられました。それを読んだAさんは、それを書いた人に逢い最期の様子を聞くことが出来ました。
娘さんは、「まるで本を読んだまま眠っているような様子だった」ということがわかり、少し心が休まり「嬉しかったけれど・・・やはり悲しいです」といわれました。

活動しているBさんは、こうして最期の様子がわかったことで、少しでも遺族の気持ちが休まるのだから後ろだけを見ず、多くの人が、とにかく前に進んで生きていかれるように「事故の記録」を書く活動は広めていきたいといっておられました。現在、18名の人が寄稿しているとのこと。
この記録を書くという事は、悲惨な事や悲しい事、苦しい事を思い出しながらということですから、執筆する人にとっても辛い作業となります。戦争で生き残った人が「なぜ、自分が生き残ったのだろうか?」と自分を責めるということがあるように、そのような気持ちになる人もあるでしょう。そこを乗り越えて、「書く」、遺族者のために「書く」、後世に残し、再度同じような事が起こらないようにするために「書く」。書く理由や動機はいろいろあると思います。

しかし、「ふり返り」、「書く」ことによって、もう一度自分や自分の命や人生を見つめ、考えて、新たな人生を創って行く勇気をもって生きいって欲しいと思いました。
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by eastwaterY | 2006-04-24 14:19  

友人Kさんのこと(4月23日)

今日の広島は、やっと天気が回復し、陽が差し始めました。我家の花々や木々も緑が美しくなっています。ハナミズキの花も、ピンクの色が例年より濃いというのは、今年の冬の寒さのせいでしょうか。でも、一杯花をつけ、二階のベランダからみると花の開き具合がよく見えます。このハナミズキは、15年前に家を建て替えた時に50年来の友人がお祝いにプレゼントしてくださったものです。

彼女は私が結婚した6年後に結婚しましたが、家を建てる時に一生お付き合いをしたいからといってくれ、我家から歩いて3~4分のところにスイートホームを建てました。それ以来、私が
41歳にして子どもを授かって以来、子育ての相談はもちろんですが、時には息子の「第二の母」としていろいろ世話してくれたり、海外旅行の時には、室外・室内の観葉植物や、庭の木々や花への水遣りなど、ありとあらゆることをしてくれています。

彼女も、誰にも話せない姑さんの看病の辛さを語ったり、子育ての悩みを相談したりと、お互いにその人以外には言えない話をして、相談し合って来ました。このブログを書くことになっ
て、初めて気づいたのですが、彼女との付き合いも中学生になって以来ということになると、もう50年以上も続いているのだと、我ながらその長さに感心もしたし、お互いに元気でこの年齢まで生きることができて、本当に良かったと思います。

以前、老後の事を二人で話した事があります。もし、それぞれの夫がなくなって一人になったら、二人でのんびり、暮らして生きたいということでした。これだけ、近くに住みお互いに忌憚なく、遠慮なく話せるのは、気持ち的にはきょうだいよりはるかに余分の気遣いをしなくてもいいからです。

今日、嬉しかったのは、彼女にプレゼントしてもらったハナミズキが、ちょうど満開の時に彼女が我家を訪ねてきてくれたことです。毎年一番見ごろの時に「見てもらいたい」と思いながら、なかなかそうすることが出来なかったのです。今日はまさに見ごろとしては、ぴったりの日でした。それだけでなく、彼女が何年も育てたピンクと黄色のシンビジュムの花を花束にしてプレゼントにして下さったのです。こうして、いつもいつも彼女にしていただくことが多く、申し訳ない気がします。でも、「親友」なので、私の花好きをよく知っていてくれており、突然のプレゼントに思わず大喜びをして、遠慮なくいただきました。
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by eastwaterY | 2006-04-23 22:50  

ほのぼの伝言板2(4月22日)

4月20日(日)に米穀商のSさん発行の「ほのぼの伝言板」の事を書きました。

今日は、Sさんが結婚40周年を記念して発行されたハガキに書いてある「詩」をご紹介します。彼は照れて、「結婚40年、けじめの年なので、ちょっと『ゴマ』すりの感なのですが・・・」
とはがきのかた隅にコメントを書いておられました。

たまには妻に                清水 英雄

たまには妻に ありがとう と言ってみたら 
そんな あらたまって言わなくても 妻はわかっているから
妻は知っているから いいんだ でも よーく考えて

いつも家のことを いつも食事のことを いつも こども達のことを

一生懸命に 考えを行い いつも 世話をしてくれる
思っているだけじゃなくて 考えてみるだけじゃなくて
言おうとしているだけじゃなくて 言ってごらんよ 勇気をだして

妻に ありがとう と

勇気をふるって 心から 言ってみようよ
ありがとう

これは、先日の詩 「であいを ありがとう」を書いた人と同じ 清水 英雄さん作です。
Sさん自身が作られた詩ではなくても、おそらくこの「詩」に一貫して流れている妻に対する
感謝の気持ちを、彼の友人・知人に紹介する事によって、自分の妻への思いを伝えられたのだろうと思います。

これは、一部をちょっと変えるだけで「たまには夫に」の詩になると思います。もちろん「妻」の部分を『夫』に変えることが、まず基本。その後は、例えば・・・「いつも食事のことを」⇒
「いつも これからのことを」とか「いつも みんなのために 精を出し」などなど。

こういうことをカードに直筆で書いて相手に贈ったら、贈る方も送られる方も気持ちが、ほんわか温かくなることでしょうね。伝えなければ、気持ちは伝わらないのですから。
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by eastwaterY | 2006-04-22 21:36  

キャリア教育~起業家を目指しませんか~(4月21日)

6月から5回広島市女性教育センターで「女性のためのキャリア支援講座Ⅱ」を企画・運営することになりました。今日は、その講座の講師として講義をお願いしようと思っている人が、母校で講義をされるということなので、若い学生に混じって一緒に受講しました。

講師のGさんは、現在SOHO総研の代表取締役であり、SOHOコーディネーターとして広島SOHOクラブの代表をしながら、さまざまなSOHOの人たちと共同オフイスで活動しています。彼女の出発点は、子育て中の28歳でフリーマーケットに出展したとき、それを催した「主婦の集まりの会社」との出会いがハウスプランナーとして働く契機となりました。
それ以来、「夢をもつと、人生が変わる~Gの挑戦」にし続けています。

総勢350名の学生を前に、まず彼女は「やりたい仕事が決まっているか」を尋ねました。そして、今日この講義を同じ場所で聴いた人のなかでも「感じて、行動した人、発信して言った人、受講しただけの人」では、それ以後大きな差が出てくることを話されました。働き方については「自分の好きな仕事であれば、いくらでも頑張れる」といい、自分が1日に12時間働くということ、現在20歳の彼女のお嬢さんが高校生のときから美容師を目指し、今では美容院で長時間働き、薬液で手の荒れがひどくても、なお前向きに学習し続けていることを話されました。

「夢をもつと 人生が変わる」については、「自分は出来ないのではないか」という勝手な思い込みを外す事が必要であり、とにかく、自信をもってできることからやっていくことが重要。そうすれば、やっているうちに自分自身が変わるし、その方法もいろいろとあるのだから「出来ない」と思わないこと、チャンスのタイミングは「ひょん」な所にあることを知っておくことであるといわれました。それはこういう過程をたどるという事です。
決める→行動→いろいろ見えてくる→もっとやりたい、違う道があるのではないかと気づく
         ↓
        やりたいことを、まず見つける⇒スタート、行動する

昨秋、「キャリア支援講座」をした時、クランボルツの理論から、チャンスを活かすことの重要性を受講生に講義したことを思い出しました。「チャンス、能力、意欲の中でどれが重要か」というとき、「チャンス」が一番重要なのです。人は、能力があり、意欲があってもチャンスに恵まれなければ、その2点は衰えていくとのこと。そのためにクランボルツはこう提唱しています。
「キャリアというのは緻密に計算して成り立つ部分と、もう一つは予期せぬ出来事の連続の中から形成されたり、開発されたりする部分も非常に多い。そういう予期せぬ出来事はたくさん現れるが、その偶然に流れてきたチャンスに飛び乗れるのは、自分の中に準備性があるからである。」

したがって、この理論では、絶えず自分を磨き、育て、そういう準備性を作っていく中でチャンスが出てきたときこそ、たまたまであったとしても、そのチャンスが必然化されるという事です。だから、その前に必ず自分の準備と何らかの行動があること、そうだからこそからこそ、その偶然からもキャリアは形成されていくということなのです。すなわち、絶えず準備し行動し、チャンスは自分でつかみとっていくものであるということなのです。

講師のGさんは、そのためには「気になる事、自分が好きなこと」について新聞、情報誌、広告そして、コンテストなど、いろいろなものに出ている何気ない素材の中にヒントがあるから常に
興味をもっていることであると提言されました。また、それだけでなく、重要なのは「基礎固め」である。そして何よりも大切な事は、「夢をもつこと」。そして、とにかく「コツコツと努力をする」、次の段階は自分の名刺を持てば、大人の中に入った時に一生懸命、誠実に精進していけば、
「人につながっていく」という方向になり、その実例も話されました。要するに「じっとしていては、何も始まらない」ということ。

最後のまとめとして、
夢が決まる ⇒ 大きく描く(絵)・書く(言葉)、具体的に、信じる、伝える、継続する(あきらめない)、こう行動すれば、可能性は続いていくのです。そして・・・・
そのためには、【自己達成予言(未来予言)】として、人に対して「私は・・・・・・をします」
と宣言する事が夢を実現するのです。これは「有言実行」という事でしょう。

私は、いつも何かしようとする時に「有言実行」をしています。本当は「無言実行」が理想的な
のですが、自分自身意志が非常に弱いのを知っているために、「・・・をします」と誰にでも宣言
してしまい、自分にたがをはめるのです。いままでは、そのようにして、物事を実現させてきた
のですが、今年の年賀状に公言したことが今、まだ実現の方向にいっていません。今年はどうなるのか、自分でも解りません。そうかといっても、あきらめることも出来ず、今、ジレンマを
感じています。
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by eastwaterY | 2006-04-21 23:47