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社会人大学生について(3月31日)

私は現在、生涯学習をテーマとした市民団体で主に社会人の大学入試の相談や支援をしています。
この団体で活動を始めたのは、2004年3月に大学院を修了直後のことでした。

そして、この活動をしていくことにしたがって、まだ大学では少数派に属している社会人学生たちがグループを作って、何らかの活動をしていきたいと思うにようになりました。目的は、社会人学生の環境を少しでも改善していく事と、世間の人たちが社会人学生に対して偏見をもつ意識を変えたいということ、年齢によって生き方を制限しない生き方もあるということを考えてもらいたいと思ったことです。

それで、1年半前に広島市内で在学中の社会人学生に声をかけ、「社会人学生ネットワークきらめき(愛称:SGネットきらめき)」を立ち上げました。現在、会員は40数名います(会員は、大学進学を望む人、社会人学生OB/OG、在学生など)。これまでは、月1回、学習会、情報交換会・懇親会を兼ねて例会を開いてきました。学習会では、これまで大学・大学院へチャレンジし、現役中やOB/OGの人たちにその学習方法や大学の勉強に対しての対策などを発表してもらっています。年代的には40代~70代まで、さまざまです。このメンバーの中には、私たちが学習相談・支援をして見事に大学・大学院へ進学した人も数人います。

来月は、最近大学院修了後、臨床心理士の資格を取得した人の話を聞く予定にしています。学習会後は、いつも近くのホテルの1,000円バイキングランチへ行き、昼食をとりながら情報交換・相談をします。話をしてくださるHさんが事前に私に(世話人)話の概要を送ってきてくださった文書を読み、唖然としました。

彼女は、3年前にある私立女子大学大学院に臨床心理士になる事を目的として入学しました。
入学そうそう、ある大学教授の講演があり、その内容は次のようなものでした。これは「社会人学生が臨床心理士を目指して大学院に入学したとしても、いかほど社会に還元できるかを考えると、社会人学生を受け入れることは、考えざるを得ない」というものでした。それ以来、彼女は尊敬している先生からそのような話を聞いたことが頭から離れないと言われます。

臨床心理士試験の面接に対しても社会人ゆえに、若い世代の学生とは違う扱いを受けたということです。また、彼女はこういっています。「社会学・女性学で有名な上野千鶴子さんは社会人にとって大学院へ進む事が『生産財』になるか『消費税』となるかは、社会人学生側の選択ではなく、大学院側の選考基準になるものだ」。そして、これまで彼女がさまざまに体験して来た社会人学生なるがゆえに蒙ってきた、さまざまなことには、こういう考えがあるのだと納得したということでした。

私が尊敬するある大学教授は、日本とアメリカの社会人学生の学習環境やキャリア形成について研究しておられます。先生は社会人学生の学ぶ環境があまりに違いすぎる、すなわち、日本が全てにおいて「社会人学生が学ぶ事に対して理解をしていないこと」にあきれておられます。

人を「消費財」「生産財」にたとえるとは!
私もHさんと似たような体験をしたことがあります。
大学院生の時、ある小学校の先生方への研修会で「ジェンダー・フリー教育」をテーマとして講演後、校長先生から「Eさん、貴重な税金を使って(国立系の大学院だったので)研究されているのですが、修了後どのように社会へ還元されるおつもりですか?」と尋ねられました。もう、その当時から現在活動している市民団体に入って活動する予定もあったし、それまで講演もしていたので、それらをやっていくと答えたら、「は~」といわれたきりでした。

しかし、理論的に言えば、若い世代の人が大学院を修了し、死ぬまでその能力を活用していけば
私が62歳で大学院を修了以後より、はるかに長く活用できるでしょう。しかし、長さが問題なのでしょうか? 私は、そうは思わないのです。というのは、私が18年前に大学合格をしたときの新聞記事をずっともっていて、10年目に大学入試を果たした人もいます。最近は、10年前に講演会で隣に座った人と話をし、その時に名刺を渡した人から「大学入試をしたい」と電話ももらいました。そのほか、何人かこういう人たちもいるのです。

私は大学院へ入学した日、指導教授から「社会人入学生は受け持ちたくなかった、学習者は若い方がいい」とゼミのみんなの前で言われました。唖然としましたが、「絶対2年で修了してやろう」と意地をはり、2年で修了しました。しかし、さまざまなストレスがあり、それがトラウマとなって2年間睡眠障害が残ってしまいました。やっとそれが治ったと思ったら、「帯状疱疹」。でも、これで大学院2年間のトラウマを卒業するつもりです。ちょっと感情的になって書いたので疲れました。
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by eastwaterY | 2006-03-31 22:07  

今日は、ちょっと元気がありません(3月30日)

昨日、耳の調子が悪く、そのために頭痛も伴っていると思い耳鼻科にいきましたが、大したことなく「耳をいじりすぎるのだろう」と言われ、薬も必要ありませんでした。

ところが、昨日の午後になって左側の顔部分に次々と発疹が出始め、首凝り、肩こり、頭痛とどうもおかしいので、皮膚科にいったら、なんと「帯状疱疹」だと診察されました。これは幼い時にかかった水疱瘡のビールスが、心身のストレスが大きくなった時に悪さをするのだそうです。
先生いわく「これは一生に1回しかかからないものです。しかし、いい加減にしていると症状がいろいろ出て中には入院しなければいけなくなるので、安静にしていてください」。

確かにこの間の相談員の研修+会議、前日の日本女性会議2007広島の分科会会議と1日中室内で、深刻な会議ばかりでした。しかも、次年度のキャリア支援に向けての企画会議もあり、いままで感じたことのない疲労感を感じていました。

こういったら、厚かましいのですが、この年齢まで(1941年生まれ)「自分は年だ」と思ったことがないのです。でも、たぶん、これは私が、のんきで気持ちでそう思っているだけで、実際には、私のからだは悲鳴を上げていたのでしょう。先生が、この発疹が出る前1週間は、何か異常を感じられたことがあるはずだと言われ、初めてそういえばそうだと思ったようなことです。

同年齢の友達にいつも「貴女、頑張るのもいい加減にしなさい。年齢は年齢なのだから」といわれていました。今、やっとそのことを実感しています。(でも、学部・大学院を社会人学生で過ごしたときは今よりもっと過酷な状況だったのに、風邪一つひかず・・・・やはり年をとったのですね)

今日も会議の予定が入っていましたが、キャンセルしました。まだ、これからしなければいけないことがあるので、この数日は、大人しくしていようと思います。困る事は、顔の神経に添ってでている発疹は、現在の赤い発疹がだんだん黒褐色になり、完全に治るまでに約1ヶ月かかるそうです。これから、4月にはいると入学式、講演とあるのに・・・・と思います。
でも、ちょっと面白い事がありました。「帯状疱疹」を理由に会議を断る電話をかけたら、「まあ、それは雅子さんや美智子さんがかかった病気よ。気をつけてね」といわれました。

夫に「どうも、私のかかった帯状疱疹は高貴な人の病気のようよ。」といい、二人で大笑いしました。そのおかげかどうか、今日の夕食は夫が工夫しながら、チャーハンを作ってくれました。たまには、妻が元気を無くすのもいいですね。夫の自立にはベストの方法ですね。今日は、これで終わりにします。安静状態に入ります。皆様も「帯状疱疹」にはお気をつけくださいね。
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by eastwaterY | 2006-03-30 20:26  

入学式~私が社会人入学をした時~(3月30日)

今日私の母校から3月5日の入学式の案内が来ました。今回は来賓で列席するのですが、その案内状を見ながら、18年前、母校に社会人入学をしたときを思い出しました。

47歳での私の大学生生活は1989年4月8日から始まりました。ちょうどその年は20年目に授かった息子が小学生になる時で、親子とも1年生の年でした

最初の1週間は、親子ともども新生活に慣れるのに精一杯でした。永年の夢を果たして、大学生になったもののピチピチの18歳の同級生に囲まれて自信をなくしそうになりました。履修については、さっぱりわからず、専攻、選択科目のことなどを教授に相談したり、悩んだり。

何しろ、自慢じゃないけど、30年浪人中の身でしたから、勘を取り戻すのに時間がかかりました。
その上、初等教育学科へ入ったので苦手な数学、物理も勉強しなければいけませんでした。おまけにピアノなどは47歳にして初挑戦。しかし、実際に育児を体験しているので、心理学、教育学など理論的に学ぶと、経験を積んでいるだけに具体的によく解り、とても興味深く受講しました。もちろん、その分テストのときは楽でした。18歳の同級生に「おばさん」「お母さん」と呼ばれながらも、心は18歳のつもりで「ワーワーキャーキャー」というノリのときもありました。

授業中、急に息子のことが気になり、休憩時間に電話をしたこともありました。最初の1年間は、実母が我家に来てくれて、息子の帰りを待っていてくれていました。ところが、ある日、息子を迎えに途中まで出た母と息子が入れ違いになり(よく道草をする息子だったので・・・・)
私が電話をしたそのときは、息子が一人で家にいました。「さびしくないの?」と尋ねたら「うん、ロッキー(犬)がいるから、大丈夫よ。僕は強い子だから、さびしくないよ。お母さん、気をつけてね」と電話の向こうからの、けなげな息子の声。とたんに涙が溢れてきたこともありました。

児童文学の講義で四肢障害児父母会の作『さっちゃんの魔法の手』を読んで、すっかり母親の気持ちになりきって、嗚咽が出そうになるほど泣いてしまい、18歳の同級生に冷やかされたこともあります。妻・母・学生の一人三役。忙しいけど、充実した日々でした。25歳以後、急激に記憶力(流動性知能)は急降下します。

しかし、そのことは、てんぷらを揚げながらドイツ語を憶えたり、時間のある限りはピアノを弾いたり、睡眠時間を削ったり、自分なりにいろいろ工夫する事で乗り切れました。毎日子どもとは交換ノート、読み聞かせ、手づくり料理を心がけましたが、今でも時々「私が大学へ進学したことで息子にさびしい思いをさせたのではないか」という思いが去来するのです。先日も、「あの時さびしくなかった?」と息子に尋ねたら「お母さん、どうして何回もそう尋ねるの? ボクは友達もいたし、ちっともさびしくなかったよ」というのです。「ほんとう?」といって喜んでいたら、彼がこういいました。

「お母さん、ボクがアルバイト先で見ていたら、今の親はなっとらんのよ。ちゃんと、子ども
を教育していないし、躾をしていないよ。困ったもんだ」というのです。「そう。じゃあ、お母さんは、あなた対してちゃんといいお母さんだった?」と尋ねたら、「そんな事。当たり前よ~。」と言ってくれました。とても簡単な短い言葉でしたが、その息子の言葉を聞いて、なんだか私の子育てについて息子から「花まる」をもらったようで、嬉しかったです。言葉が短かったからこそ心にこたえました。
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by eastwaterY | 2006-03-29 19:30  

学習相談員の研修(3月28日)

 4月から週2回くらい広島市女性教育センターで学習相談員をすることになり、その研修が10:00~16:00まで行なわれました。今日は第1回目で、これからあと5回この研修時間で研修が行なわれる予定です。

 今日は、「相談電話を受ける姿勢について」(マイクロカウンセリングの技法に添って)を午前中、行政機関で長い間カウンセリングにかかわっている人が講義をされました。 まず初めに「援助的コミュニケーション」として基本的なかかわりを学びました。 対面ではなく、電話相談なので、一番大事な事は、電話に出た最初の一声が、魅力的な話し相手として安心感を与えることを第一と考えること。 そのためには、自分の心を声に載せ、声のトーンや高さに気をつけることだそうです。

 そして、あくまで傾聴に徹して、相談相手が自分自身で展開していけるようにするように心がけることであり、相手が気持ちを吐露した時に「辛いですね、寂しいですね」というように感情の部分に触れるのがポイントの事。 気をつけなければいけないのは、「感情の反映」である言葉にならないものを受け取ったり、相手の「怒り」は寂しさや孤独感から来ているなどを知る事だそうです。

 相談を受ける方が一番気をつける事は「責めないで、教えないで、指示は可能な限り避けること」です。 したがって、「ああしたら、こうしたら、」というのではなく「どうしたらいいでしょうね。一緒に考えましょう」という言い方をするのです。要するに、傍で寄り添う姿勢を大切にすることです。相手は、何かを「教えて欲しい」のではなく「自分の気持ちをわかってほしい」のです。 それは、結局「『今』を受け入れる」(それでいいと、受け入れる)ことが重要だということです。

 大まかに言えば、このような講義を受け、いよいよ昼からは、ロールプレイをしました。 3人が交代で相談者、相談の受け手、第三者の立場で見るという3つの役割をしていき、夫々の立場を演じました。

 3つの、それぞれを演じる中で、いちばん難しかったのは、相談を受ける立場でした。 つまり、これから私がしていく役割です。 ひたすら相談者の話を傾聴するのが大事なのに、ついつい私の「教えたがりや」の性格が出そうになるのです。 これを押さえてひたすら聞くのは本当に大変でした。 私が最も心がけたのは、「はい、ええ、そうですか・・・」などと、相手に共感するような相槌を打つことでした。 第三者の人は、「よく傾聴されていたので、Eさんは何もいうことありません」といってくださいましたが、私の心の中では10分間葛藤がありました。 わずか10分でこれですから、これから週2回3時間の相談を1回30分~時には1時間受けると思うと、さぞ精神的に疲れるだろうな、と思いました。

講師の先生がおっしゃるには、相談日には、朝からキチンと食事を摂り、家族関係ももめないようにして、心地よく相談室に来ないといけない、精神的に悪い状態で相談を受けると相談者には、すぐそれが分かり、相談が上手くいかないとの事。 また、いくらしんどい相談を経験しても帰宅するときには、気分を切り替えないと相談の受け手を長く続ける事は難しいと言われました。

私は、社会人の大学進学や生涯学習について、相談にのったり、学習支援をしていますが、これは大部分が対面なのです。 しかも、相手は、ある程度明確な目標を持ってきて、それをどう達成したらいいかを相談にこられるわけです。 だから、電話相談に比べるとかなり易しいのだと、気づきました。しかし、この学習相談も人生相談になるときもあり、そういう場合は2時間くらいの時間を必要とします。

いずれにせよ、相手の人生にかかわることですから、慎重に相手の気持ちに添って、辛抱強く相手が自ら解決策を出していく事を待つことだと思いました。
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by eastwaterY | 2006-03-28 21:33  

我家の庭の花々(3月27日)

 今日の広島は、朝から快晴。青い空に、心地好い風、柔らかな日差し。何もかも「はる~!」という感じです。我家の庭をゆっくり見回してみると、「やぶ椿」が一輪。昨年咲きすぎたのか、今年はやっと一輪という感じです。しかし、この花は私の大好きな花なのです。百合とバラなどのように派手さがなく、そっと下を向いて密かに咲いている風情が好きなのです。そして・・・・・
もう一つの理由は、私が3歳の時に被爆死した父が、やはり「やぶ椿」が好きで、日本画で書いたり、母の帯に油絵で描いていたりしていたからです。

 私は父の事をほとんで憶えていないのですが、「いつかは父のようにやぶ椿を描いてみたい」と思っていました。そう願っていたからか、ニュージーランドで油絵教室に通っていたとき、「やぶ椿」が先生宅のお庭にあり描くことが出来ました。その後、先生が住んでおられた小さな街の展覧会兼即売会へ出そうと言ってくださり、そうしました。まだ初心者なので、まさか売れるとも思わず出展したのです。ところが、どうも私がちょっと席を外していた間に売れたらしいのです。

 「非売品」として出せばよかったと、とても後悔しています。というのは、あの絵を描くときは、いつもと異なり、構図もデッサンも色塗りも、初めから全てスムーズにいき、ほとんど先生が手を入れられることはなかったのです。私は、この絵は父の思いが私にこの絵を描かせてくれたのだと思っていました。今でもなぜ、値段をつけたのか、残念でたまりません。庭の花々のことを書こうと思ったのに、脱線してしまいました。

 さて、庭の花の続きです。そのやぶ椿の隣の「はなみづき」は、かさ型の蕾が一杯ついています。これは、大体5月連休の頃に淡いピンクの花を咲かせます。楽しみです。15年前、家を建て替えた時に、私の50年来の友人がプレゼントしてくださったものです。

 さて、今日は、あちこち植えているので間引いて、植え替える必要のある「カレンジュラ」に元気をもらいました。この花は、たくさんの種を飛ばしてかなり広い範囲に芽吹くのですから、生命力が強い花だとは思っていましたが、想像以上でした。まだ、寒さが残っている時に植え替えた苗の根は短かいものでした。ところが、今日植え替えた苗は、違っていました。この2週間くらい、急に暖かくなったので、根も急速に伸びたのでしょう。

 葉を広げても直径2~3cmくらいしかない大きさなのに、植え替えようと思って掘り返したら、なんと7~8cmの根が伸びているのです。今年の冬は寒く、広島市内の北部に位置している我家では、時には10~15cmの雪が何度も積もりました。その間、この小さな芽は厳しい寒さにじっと耐えて、春の来るのを待っていたのだと思うと、どんなに小さな苗でも根を切らずに
新しい位置にきちんと植えなければと思いました。

 そして、これだけ厳しい環境で成長してきたのだから、どんどん分枝して花をつけるのは当然なのだと思いました。その上、分枝した茎の一つひとつがとてもしっかりしているのです。「少々のことでは、へこたれないぞ」という感じで小さなオレンジ色の花をつけています。

 もう一つ、カレンジュラの面白ところは、直径2cmくらいの苗でも一人前に花をつけるところです。そうかと思えば、かなり大きく成長しないと花をつけないのもあります。花といえども、
同じような環境で育っていても、花の一つひとつが独自の個性を持っているのだと思い、人間と同じだと感心しました(私は、なんでもかんでも、すぐ人間や教育などに結びつける悪い癖がありますね)。なにしろ、このカレンジュラは、我家で種から大きくなってくれたので、お店から買ってきて植えたものとは、私の気持ちの入れようが違います。本当によく育ってくれたと、感謝したいくらいのものなのです。

そんなことを思いながら、植え替えをしていたら、違った花の新しい苗も加えたいという気になり、車で7,8分のところにある大きなDIYセンターへ行ってきました。我家の庭には、今、
パンジー、ビオラ、カレンジュラ、そしてプリムポリアンサスなどなどで、まさに春爛漫なのですが、これらが元気がなくなったときのために、次の準備として次のものを買って来ました。例えば、アニソドンティア・マルバストロイデス(アオイ科:淡いピンク)、ネメシア・シュガーガール(宿根花:白)、ネメシア・ホワイトウィング(宿根花・芳香性:白)、それ以外では、わすれな草のピンク、ロベリアの淡いピンクと濃いピンクなどなど。門扉のあたりは、毎年ピンクっぽい花でそろえるので、そういう類のものを買いました。垣根には今、白とピンクのアリッサムがかけてありますが、寒さでちょっと弱っているものと、今を盛りと咲いているものとさまざまです。

 門の傍には、花を植えるようにスペースをとっており、そこには毎年ガザニアを植えています。数年前までは、一端植えたガザニアは、結構何年も持っていたのですが、この2年くらい雨が多い時にダメになっています。このガザニア(黄色)は、昨秋植えたもので、何とか冬を越してくれました。これからは、暖かくなるにつれ、ノバラにピンクのかわいい花がつき、その後は、サツキやつつじが(なぜか、これらは昔からあまり生育も花つきもよくありません。我家と相性が悪いのかも?)咲き始め、今度は紫陽花が咲きますね。この花にも思い入れがありますが、これ
はまた、次回にしましょう。



画面の桜の色合いを変えようとパソコンを操作していたら、今日でこのブログが100回になったことがわかりました。昨年の12月20日からはじめて・・・・・・100回目。
いろいろな人から、温かいコメントや励ましのコメントをたくさんいただきました。
元気で、書きたいことがある限り書き続けたいと思っているので、みなさん、よろしく!
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by eastwaterY | 2006-03-27 17:05  

日本女性会議2007ひろしま(3月26日)



 2007年10月には2日間にわたって「日本女性会議2007ひろしま」が開催されます。これは日本女性会議の全国大会であり、昨年は福井県、1昨年は愛媛県で行なわれました。

 大会が広島で開催されるまでに約1年半ありますが、今、準備の初期段階で大忙しです。
全体会、記念講演会そして13の分科会においてさまざまな催事が行なわれます。私は、13ある分科会のうち「男と女の生き方」をテーマとする分科会担当となりました。

 今日は、この大会の実行委員を対象にした学習会である「女性が元気になる素」と題した講演会がありました。講演者はこの大会の実行委員長の男性のKさんでした。彼は、いくつかの企業を転じながら、一貫して人事・教育畑を歩まれ、ノーマライゼーションや女性の活躍を推進してきた人です。多くの女性のキャリアについて支援した豊富な体験と独自の「元気理論」を素に、全国でコンサルティングや講演、シンポジスト、コーディネーターとして活躍しており、広島市では、広島市男女共同参画審議会委員を務めておられます。

 今日の講演のテーマは「企業や組織が元気になる素は何か。そして、そのなかで女性たちが、いきいきと元気になる素は何か」ということでした。以下は、彼の講演の一部です。

 彼の経験から「イキイキと元気に活動・労働している人たちの元気事例に共通するもの」は、
①ゴールイメージがある、描く(「自分のありたい姿」を描いている)、②「できない」ではなく「できるようにするには」の視点(「何をしたらよいか」と常に考えている)、③「何歳からでもなんでもできる」のチャレンジ精神(「こうなりたい」という思いの強さ)、④ネットワークが豊富(支える人、相談する人がいて、一人ではない)、⑤他責にしない(相手の視点からの出発)。
 5項目の中では⑤他人の責任にしないことが一番重要とのことでした。また、これらの5項目は、いずれも他の人とつながりながら積極的に生きている女性の像が思い浮かびます。

 次に「元気なチームの元気の素」については
①健康体である、②連携が良い(コミュニケーションが双方向)、③個性が発揮されている(属性に因らない(いい点が発揮されている)、④処遇に納得している(個性を大切している、分かりやすい評価基準)、⑤社会から信頼されている(客の観点から考えている)、⑥学んでいる(学んでいる最中がすばらしい)というものでした。これは、あくまで企業での「チーム」として語られていますが、企業だけでなく、社会的活動やNPO活動においても同じことが言えると思いました。

講演者のKさんは、自民党の武部さんに髪の生え方や体型が良く似ており、おまけに顔そっくりで、ユーモア一杯に語ることが出来る人です。ご自分で「広島の武部です」とにこやかな笑顔で、話を始められました。その時点で私たち受講者は、彼の人をひきつける魅力に魅了されたと思います。

 最後に、彼からの提案として、①ゴールイメージを描こう、②自分の強み・、弱みを知ろう
③相手の視点に立とう(他責は黄信号)、④学ぼう、学び続けよう、⑤ネットワークは最高の財産でした。 この中でも、私が大切だと思ったのは、「自分の強み・、弱みを知ろう」ということです。これは、自分自身を客観視しなければ出来ない事です。また、「自分らしく」生きてい行くためにも自分の長所も短所も含めて、それを「自分」と丸ごと受容していくことが、いかに積極的に生きていくことになるか、と思うからです。

 また、もう一つは、「相手の視点に立とう」ということです。これは、思いやりの心をもって人と対していくということです。他人を責めるのではなく、常に他人の立場に立って物事を考えていくことが、人とつながっていく事になると思うからです。

 Kさんは、最後に3点を述べられました。
① 学ぶことによって、人は表情が変わる(相手から学ぶ事が大切)
② 「It’s a small world」であり、世界を結び付けているのは6人くらいの人なのであるから、隣の人とネットワークを作っていくこと。
③ 坂村 真民の言葉「二度とない人生だから、巡り合いを大切にしよう」

 これから、来年の10月中旬の2日間へ向けて、さまざまな部会で大会に向けてボランティア活動をしていきます。広島市は大赤字の市なので、助成金は180万円しか出ないそうです。しかし、全国から多数の参加者を得ようとすれば、著名な人やそれぞれのテーマでの専門家や実践者に来てもらう必要があります。さあ、これからが大変です。何とか頑張って「男と女の生き方」分科会を少しでもいいものにしていきたいと思っています。
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by eastwaterY | 2006-03-26 21:53  

卒業式第6弾(3月25日)

 卒業式シリーズも今日で第6弾、最終回です。
今日の広島は、少し風は強かったものの春らしい暖かな1日でした。実は、今日は我家の一人息子の大学の卒業式でした。結構大きな大学で、学生も多く、今日の会場は広島市のグリ-ンアリーナ(体育館)でした。先日来、小さな卒業式ばかりに参列していたので、今日は驚きました。
あちこちに、大きなTVがおいてあり、2階席の保護者には、四方から遠くても大きな映像が見られるようになっていました。

 男女共学の大学であり、どちらかといえば男性が多く、黒い大地にお花畑があったり、ちらほら、お花が咲いていたり・・・というような卒業生席でした。

 今日の学長の「告辞」は、心には残りませんでしたが、同窓会会長の祝辞は、時流をとらえた、いい話でした。マックスウェーバーによる「プロテスタント主義の倫理と資本主義の原理」を引用しながら、資本主義の現代、企業は利益を上げる事が一番の目的ではない、そこに働く人々は、単なる知識をもつ人ではなく「思いやり」をもつ人なのであると同時に「深い教養」と「倫理観」をもつことが重要だと、ということを話されました。また、ベンジャミン・フランクリンは、「資本主義の中で一番大切なものは道徳である」と説いているそうです。

 (昨日のブログにも書いたように)最近の日本の傾向として、「とにかくエリート大学を出て、サラリーの高い会社へ就職し、子どもは私立小学校受験のために小さいときから塾へ行かせる。そしてエリート大学へ行かせる・・・・」というような、親子の循環がお金持ちで幸せな生活が送れるように書いてある『AERA』を読んで、いや~な気持ちになっていたので、この同窓会長の話にほっと安らぎ、人間の真実の生き方ではないかと思いました。

 卒業生による「答辞」は、一端体育大学へ進学しながら、途中から進路変更して、この大学へ再入学した女性が読みました。新聞社へインターンで行ったことにより、いかに自分の考えを明確に表現できるかが、人間として根本的なものになると気づき、新たな自分へのチャレンジであったと、いかにも若い感性で初めての体験を捉えていました。そして、最後に、この大学での友人、先生、職員の方々との出会いを大切にし、また、ここに至るまで応援し、支えてくれた両親の気持ちに応えて「これからは、自分らしく、前向きに生きていく」と力強い言葉で終わりました。

 この後、優秀学生の表彰など続き、卒業式は終了しました。その後は、この大学の卒業生で編成されたバンド「ビバッチェ」の演奏があったのですが、私たちは広島大学大学院の聴講にいったので、聞く事はできませんでした。息子たちは、きっと楽しんだ事でしょう。 今夜の息子はかって副部長をしていたマーケティング同好会の送別会の真っ最中のようです。
(ちなみに、この大学とは、吉田拓郎さんや『もう、頬づえはつかない』で芥川賞をとった見延典子さんのご子息は同じ学部でわが息子と同級生でした)

息子もこれで、無事卒業→社会人となれば、一安心なのですが、本人の強い要望により、商学部を卒業しても商業デザインをやりたいとのことで、2年間専門学校へ進学する事になりました。
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by eastwaterY | 2006-03-25 22:45  

ある雑誌で取り上げているテーマについて(3月24日)

 私は、5年くらい『AERA』を年間購読している。週刊誌だが、あらゆる分野にわたって
レポートされているし、結構鋭い突っ込みもあるので、好きな雑誌である。過去に、読者投稿も何度もしたし、そのことで編集長から電話がかかってきて、内容について何回か話した事もある。その意見を反映させてくれる事もあり、やはり好きな雑誌として5年間購読をつづけている。

 ところが、最近、入学試験、合格発表シーズンだからか、やたらと東京大学、京都大を初めとして、いわゆる公私立難関大学に関する記事が多すぎる。毎週のようにそれらに関することが掲載されている。

例えば、3月27日号でいえば「子育てコストと工夫~東大、京大合格の親子141組調査で分かった難関突破までの知恵~」、「東大脳は食事でつくる~子どもに学力をつけたいと思ったら、まずはしっかりした食事から~」、3月20日号「デキる父はお受験も制す~楽しむ父は育児を制す 仕事と別の充実時間」、3月13日号「有力高校の人材力と学力116項調査」、「人材輩出力を生み出すポイント」、「泣かないための塾選び5か条~いまや「親と事塾の3人4脚」といわれる中学受験。どこを選ぶか~」。

 わずか2週間の間に、これだけの記事が出ている。それもほとんどが学力向上を中心とすることと、費用、幼少期からの塾通いとか、そういう話題が多い。もちろん、こういうことを読者が望むから、このような企画で記事になるのかも知れないが、今、私たちが考えなければいけない「心の教育」など「日本の教育のあり方」を企画する必要があるのではないか?と思う。

「最近の教育の方向は、5%だけエリートがいれば後の95%は、そのエリートの手足となって働く人がいればよい」という方向に向っていると聞いたことがある。どうも『AERA』を読んでいると、それが真実であるような気がしてならない。5年間『AERA』を読んできて、編集長が変わるごとにこの雑誌の方向性が良くも悪くも変わっているような気もする。そう考えると編集長の意向や志向が記事に大きく反映され、現在の編集長がそうなのか?

 私は、マスコミに詳しくないし、その分野に籍をおいたこともないので良く分からない。

そうだからか、どうか、分からないが、先日(私はサポートタークラブに入り、いろいろなテーマに対して意見を述べたりしている)サポーターの人たちに「学歴は本当に必要か?」というアンケートがあり5項目ぐらいの質問があった。その質問を正確に憶えていないので、ここに書く事はできないが、私はこの質問に思いきりはじけて自分の思いをぶっつけて書きまくり、すっきりした。
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by eastwaterY | 2006-03-24 21:17  

「第三の人生」を生きるヒント(3月23日)

 3月27日号の『AERA』に、仕事を引退した後、人が向き合うことになる課題のうち筆頭にあげられていたのが「手放す心を持つこと」だったということから、「第三の人生」の生き方が書かれている。

 まず「過去の業績や肩書きに対する執着を手放し、新たなスタートラインに立ったつもりで、前向きに生きていくことをこころがけましょう」と女優であり、映画監督大島渚さんの奥様である小山明子さんは、病に倒れた夫との過酷な日々の中で、人生における価値観や生き方を転換させたと語っている。

 元上智大学教授アルフォンス・ディーケンさんは、1977年から大学で学生に「死の哲学」を講義し、82年からは、市民に向けて「生と死を考えるセミナー」を始めた人である。彼は「人生に限りがあることを見据えてこそ生が輝く」と「死への準備教育」を説き、「治らない段階になった患者にも治る希望ではない別の希望がある」と当時の市民、医療従事者に、教育関係者に意識改革をもたらした。

 2003年、上智大学を定年退職後、彼は母国ドイツで研究生活に入っていたが、昨年3月、再び日本へ帰ってきた。彼が「第三の人生」に入って実感した事は、想像以上の喪失感と「手放すこと」の難しさであった。そして、彼の研究テーマが「スピリチュアリティ」へ向かったという。「スピリチュアリティ」とは、「自分を自分たらしめているものは、何かを探究する力」との事。これは、宗教の有無に関わらず、全ての人が潜在的に持っている仕事があり、社会で必要とされている間は、揺らぐ事がなかった「自分が存在する意味」が仕事を失う「第三の人生」に入ると揺らいでくるということである。

 この危機に際してディーケンさんは「人間は、自分の中のスピリチュアリティを全く無視して
枯らしてしまうこともできるが、豊かに開発することもできる」と希望を見出している。

 「人生の意味を何に見出すのか。それまでの価値観を見直し、再評価してみる。苦しみにも意味があり、危機をチャンスとして成長する。ゆるしあい、和解することもできる。自分の生を全うする事に意味があり、人生の道を選択、決断するのは自分である」とこの部分には書いてある。

 ユングは、40歳前後を「人生の正午」と呼び、人間の一生を太陽の変化にたとえて考えている。人生の前半期の午前中には職業についたり、家庭を築くなど主に対外的なものが多い。それに対して「人生の午後」には、人生の前半期である午前中の事柄のために、これまでやりたいと思っていたことをやってみたり、自分自身の本来の姿を見出し、それを実現していきたいと思うようになる。同時に自分の人生はこれでよかったのか、本当にやりたい事は何なのかという自分の生き方、あり方などについて考え始める時期でもあるということ。そいうことから、このように新たな人生を創ろうとしている時期を「遅れてきた思春期」といっている。

 これはユングの提唱する有名な「人生の正午」論である。しかし、長寿化の現在、この「人生の正午」は、40歳~50歳前後とも言えるし、定年後といってもいいのではないか。

 このユングの「人生の正午論」と前述の「人生の意味論」、そして、先日読んだ「モリー先生との火曜日」。どれも「人生の午後を、いかに生きるか」を問いかけてる。同時に、第二の人生が終わり、「第三の人生」に入る前には、また新たな人生を創造するためには、それまでの自分をふり返り、多少のジレンマが起ころうとも、ありのままの自分を認めていくことが必要である。同時に、これは意識変容にも通じる事であると思う。

「新老人の会」(75歳以上で入会できるが、75歳未満の人も準会員として入会可能:03-3265-1907)を立ち上げている日野原重明さんは哲学者のマルティン・ブーバーの言葉「始める事さえ忘れなければ、人はいつまでも若くある」を紹介して「いつ始めても遅いことなど一つもない」とエールを贈っている。

 日本は、団塊世代約680万人が、来年から定年を迎える。先日、「熟年男性おすすめ講座」のとき、一人の男性が「定年になって、給料をもらわなくなって、自分の存在価値がないような気がする」と言われたこと。まさに、肩書き、組織から離脱した人たちがどのように自分自身をふり返り、新たな模索をし、新たな生活を築いていくか、大きな課題であると思う。

 以前、ある会で出会った定年後の男性が「私は、以前○○会社に勤めており、一端退社した後、次はその下請けの会社△△会社に勤務していました」と、2枚の(元)付きの名刺を差し出されたことがあった。定年退職後も、その(元)付きの名刺でしか、自分を自己表現できないやり切れなさを感じた。日本のサラリーマンが欧米のサラリーマンのように「ハッピーリターアメント」を
迎えられるようになるのは、いつのことだろうと、そのとき思った。
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by eastwaterY | 2006-03-24 00:12  

後輩が訪ねてくれました(3月22日)

後輩が訪ねてくれました(3月22日)

 今日は、お昼前に大学の後輩が訪ねてくれました。彼女は現在、公民館で勤務していますが、これからの生き方を相談にみえたのです。以前から、「一度ゆっくり話がしたい」ということだったので、仕事が一段落した今日、我が家へ来ていただきました。

 料理好きな私は、朝からいろいろ昼食のメニューを検討し、野菜中心の春らしい昼食を作ることができました。特に、水菜(関東はどういうのでしょうか?)のサラダは、パリパリとして歯ざわりが良く、林檎の千切り、人参の千切り、桜海老の干したものをまぜたら、色合いが「春」になりました。(後は、いろいろ内緒です)

 彼女は、準公務員という形で勤務しています。、もともと小学校教員を目指して母校の初等教育学科に進学しましたが、学部の時には不合格となりました。卒業後、社会教育の分野に進み、、そのときの採用試験は28倍でしたが見事に合格し、これまで公民館で特に小学校の総合的学習などとリンクしながら活躍してきました。

 しかし、現在指定管理者制度が徐々に導入される時代となり、準公務員の待遇もあやうくなって来ています。当面の何年間かは、身分保障はあったとしても、若い彼女にとっては、将来が心配となってきました。そして、「やはり、小学校教師になりたい」と当初の思いが再び出てきて、、迷いが生じたのです。

 私は公民館で講演を依頼される事が多く、あちこちの公民館へ行きますが、公民館の取組みはさまざまです。その中では、彼女は良く頑張っているとは思います。しかし、これから先のことを考えたとき、それだけではすまない状況にあるという事は、彼女の話から解りました。地方分権が進み、どんどん、さまざまなことが市町村に任されている現在、特に社会教育の分野は縮小される傾向があります。彼女が将来のことを不安に思うのも無理のないことです。

 午後5時半まで、時には夫も交えて彼女と話しました。最終的な選択・決定は彼女自身がすることですが、「とても気持ちが明るくなりました。頑張ろうと思います」とにこやかな笑顔で
我が家を後にしました。そういう彼女を見て、今のままで輝いて生きていって欲しいと願いました。
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by eastwaterY | 2006-03-22 18:59