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卒業式(2月28日)

 明日からいよいよ3月です。この数日で、ぐっと春が近づいた感じです。庭の花が、少しずつ小さな花をつけています。でも、時に寒いときには、痛々しい感じがするときもあります。

 3月といえば、私は卒業式を思い出します。それぞれの3月の卒業式に思い出があるからです。

 その一つは、私が社会人入学で大学の初等教育学科に入学し、3年生の時には私の母校の小学校へ1ヶ月間の教育実習にいった卒業式の思い出です。実習に入ったクラスは6年生。私が入学した当時は、1,000人を越す児童がいましたが、広島の中心地なので、ドーナツ化現象のため400人くらいになっていました。

 担任の先生は、私より5歳くらい若い先生(私は当時50歳)でしたが、ごく自然に私を受け入れてくださいました。そのためか、子どもたちも私の年齢を感じることなく、よくなついてくれました。研究授業の時、私は宮澤賢治の「やまなし」をしました。そのとき、テープレコーダーを使うことになっていたら、一人の腕白坊主が「先生、ボクがスイッチを押すから心配しないでいいよ」と言ってくれたり、平素はおとなしい子が、一生懸命に手を挙げててくれたり、本当に私を何とか楽にさせようとしてくれました。

 毎回、給食の時には「先生は大人なんだから、たくさんついであげよう」と、器に一杯おかずをついでくれるものだから、実習がすんだ1ヶ月後には肥っていました。他の若い学生は、みんなゲッソリ痩せて大学に帰ってきているのに、申し訳ないと思いました。

 そういえば、実習の最終日、普段からどちらかと言えば、私に無関心だった女の子が小さな声で「先生、今日は何時に帰るん?」と尋ねたので、「そうね、午後3時半ころかな?」と答えたら、
授業は昼までで終わったのに、家にも帰らず、本当に校門で待っていてくれ「さようなら」をしてくれました。最後に心を開いてくれた事が、うれしい日でした。

 そして・・・その子たちが卒業式の日、子どもたちと約束したとおり講堂に座っていたら、「こんなに大きくなって」と思い、自然に涙が出てきました。隣の保護者が「どのお子さんのお母さんですか?」と尋ねてこられ、「いいえ、6年生のI先生のクラスに実習に来たものです」といったら、怪訝な表情をしておられました。

 たった1ヶ月だったのですが、お世話になった担任の先生と楽しい思い出をたくさん残してくれた子どもたちとは、半年くらい一緒に過ごしたような気がしていました。卒業式後、男の子7人くらいが「先生の家にいってもいい?」と言うので、「どうぞ、どうぞ」といったら、おお喜び。何か料理をしようと思っていたのに、私に気をつかって、全員インスタントのカップラーメンをもってきました(もちろん、その後はおやつをしっかり用意しました)。6年生でこの気の使いよう。

 今、彼らは、27歳くらいになっていると思います。どうしているかな?何人かの女の子とは卒業後、2,3年間は文通をしたけれど・・・もう、何人がお母さんになっているかな?と、時々思います。

 あの子どもたちと過ごした1ヶ月間、私は50歳で彼らにとっては「おばあちゃん」の年齢に近かったにもかかわらず、なんであのように馴染んでくれたのだろうと、ありがたく思います。

 本当に子どもは、純粋で美しい魂をもっているのですね。
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by eastwaterY | 2006-02-28 23:16  

頭が痛いホワイトディー(2月27日)

 3月14日はホワイトディです。この日はバレンタインディ(2月14日)に女性からプレゼントをもらった男性が、女性にお返しのプレゼントをする日です。

 昨朝、地元紙中国新聞の団塊の世代のページで、ホワイトディについて取り上げていました。それによると、ホワイトディは、全国飴菓子工業協同組合(東京都)が仕掛け役。バレンタインディにチョコレートを贈る習慣の定着に刺激を受け、飴の拡販を狙ったとのこと。これは、1980年代に広まりだしたということです。

 これを読むとこのホワイトディは、バレンタインディ以上に商業ペースでつくられた日だという感じが、大きいですよね。中国新聞にも「お返し選び脱『妻任せ』を」と大きな見出しをつけて、人々がこのイベントに対して、どう思い、どう行動しているかが掲載されていました。

 一般的に言われていることは、義理チョコを職場の女性に返すために、どうしたらいいかわからず、もっぱら妻任せという人が多いと言う事。こんなプレゼントのお返しなんて、しない方がましですよね。私はまだ、バレンタインディの方が納得できます。バレンタインディであれば、そもそもの始まりが、日頃思っている人に「愛を告白できる日」なのですから、その日をきっかけとして本当に「思い」を伝える事ができるかもしれません。

 しかし、ホワイトディは全く「お返し」だけが目的なので、品物選びは難しいと思います。

ところが、新聞を読むと粋な上司がいたのです。ある女性は以前勤めているときに元の上司からもらったハンカチの贈り物が忘れられないとのこと。好みのすっきりとした花柄のハンカチに「さわやかですね」と書いたメッセージカードが添えられていたそうです。

 彼女は、イベントを楽しみながら利用して、親しみを深めようとしている元上司の心遣いに心が温まったと思い出を語ったそうです。さらに、これは元上司が彼女だけにプレゼントしたのではなく、同僚女性にも似合いの柄のハンカチを選び、一人一人の長所を的確にとらえた一言のカードを添えていたそうです。

 こういうお返しであれば、たとえ「義理」であったとしても、それ以後のコミュニケーションに活かされて、仕事にもいい影響も出るだろうし、それなら、少し納得もいきます。何よりも「上司が日頃から自分の働き振りをを見てくれている」という思いがあるでしょう。

 新聞はさらに50代、60代の人に取材を試みていました。一人の女性は「愛する人からの贈り物は形の残るものでも受け入れますが、そうでない人からは食べてなくなるものがいい」と。もう一人の女性は「品物でなくても、記念日を覚えていてくれて、表現してもらうだけで嬉しい」とのこと。彼女の場合は、夫がテールシチューを料理してくれたのが「これまででもっとも嬉しかった」とふり返っています。

 実は、この二人の女性は、この記事を書いた記者のNさんに私が紹介した人ですが、二人とも何だかんだといいながら、結構仲がいいのです。結婚35年以上の夫婦で、こういうコメントが、ごく自然に出てくるところに、夫婦の絆の強さが表われていると思いました。

 要するにバレンタインディ、ホワイトディに関わらず「義務感でなく、楽しみながら相手の喜ぶものやイベントを考え、言葉や態度を通じて親しさや愛情を交換する」・・・・そんな心遣いが贈り物の秘訣のようだと、記者のNさんは結んでいます。

 全くそうですね。日本では、イベントの日が近づくとデパート、繁華街の名店、スーパーなどで
これみたかと言うような感じで、PRをしています。結構高価な品が並べられています。

 そんなものに心を惹かれず、例えば、自分でつくたケーキとかクッキー(男性でも簡単に作れますよ。アップルケーキならお教えしますよ)、それができない人は、とっびっきり、すばらしい言葉を書いて、遊び心も入れてカードを贈るというのは、どうでしょうか?

 さあ、今年の我が家はどうでしょうか?
 
 
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by eastwaterY | 2006-02-27 23:33  

えらいことになりました!(2月26日分)

ああ~、やっと講演原稿、資料とレジュメができました。でも、これで完成!とは、いかないかもしれません。明日、NPOセンターのお偉いさんと私の友人の教育学博士が、私の2時間の講演について、打ち合わせがてら、アドヴァイスをくださるとか。

 何で、こうなったかというと・・・・NPOセンターが「NPOの力を教育に生かすために」をテーマに「生涯学習・社会教育 学習プログラム開発養成研修」事業をする事となり、10回の講座をNPO団体役員・スタッフ、行政、公的施設の社会教育・生涯学習担当者、学校教職員などに案内をしたのです。

 私はその第3回に社会教育・生涯学習の分野で、「学習者の意識変容」を話す事になりました。講演依頼を受けたときに、10回の講演のうち1回は文部科学省の人が聴講に来るからと、いわれておりましたが、大学院教授、大学教授やそれに類する人々が多いので、まさか
私にその1回のおはちが回ってくるとは夢にも思っておらず、いつもの講演の感じで受け取っていました。

 そうしたら、なんと「意識変容」にお役人がヒットしたらしく、ついに私の回にご来広なさる事に(バカ丁寧!)なったとのこと。NPOセンターも大慌てで、私に電話をしてきて、「とにかく打ち合わせを」となりました。私は、別に文科省のお役人に聞いてもらいたいとも思っていないので、大迷惑ですよ。

 その上、そのお偉い(?)お役人さんは、全国のNPOのこのような取組みを聴講して回り、後から報告書なるものを出すのだそうです。それで、NPOセンターのお偉いさんからは、「講演は、受講者向けに解りやすく話してもらって、報告者は、論文調で書いてください」と言われました。

 夫曰く「肩書きがついている人が話せば、わけのわからない話でも、それなりにありがたく聞くだろうが、ただのNPOの事務局長が話しても、そんなもんだとなる。」とありがたい(?)アドヴァイス。本当にそうでしょうね。

 意識変容の研究は、まだ日本では珍しいらしいので、どれだけ文科省のお役人が意識変容に関して知識があるかわかりません。まあ、とにかく、私が研究した意識変容の理論と実証的研究、それを応用して行なった事業の実践例を交えて、生涯学習を語ることになるしかないと思っています。

 私は、私以下でも、私以上でもないから、自然体でやります。その日は、3月3日。なんとおひな祭りの日です。まあ、明日の打ち合わせ会が、どうなるか?大幅に構成を変えなければいけないかもしれないし・・・・?です。   ああー、疲れた。  おやすみなさい。
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by eastwaterY | 2006-02-27 01:30  

結婚しようね(2月25日)

 ブログ仲間のRさんが、4歳の息子さんの言葉から、子どもの発想の面白さを書いていらっしゃったので、私もブログに当時4歳の息子のことを書いた文章を載せたくなりました。

 私は、結婚20年目に生まれた息子のことを誕生以来、新聞や『家庭と教育』という月刊誌に投稿していました。 そして、これらの文章を息子が成人式を迎えた日に集めて、小さな冊子にしてプレゼントしました。その中の一文です (「結婚しようね」というタイトル)。




 我が家の一人息子は、昨年のクリスマスイヴの日に4歳になったばかりです。
 近頃しきりに「お母さん、ボクが大きくなったら結婚しようね」と言います。「Kくんが大きくなる頃には、お母さんはおばあちゃんになるからダメよ」と言っても「いいよ。そのときにはボクがおじいさんになっているから」と、年齢差は全く頭に入れていない発言。 
 
 私と息子の年齢差は並大抵ではないのです。なにしろ、結婚20年目にして、やっと授かった子どもで、そのとき私は41歳でした。生来、楽天的な私は、心はいつまでも18歳のまま。でも、顔のしわや皮膚のたるみは、やはり実年齢。

 それでも息子は「お母さん。かわいいね~」と言ってくれるのです。

 ところで、先ほどの結婚の話の続きです。「Kくんと結婚するとお父さんが一人でかわいそう。お父さんは誰と結婚しての?」と尋ねると「そうじゃね~。Tちゃんがいいね~」と、当年とって8歳のお嬢さんの名前をいいます。

 私も夫もいつまでも若くありたいとは心がけていますが、2,3年のうちには「どうもボクのお父さんとお母さんは、人より年をとっているぞ」と気がつくことでしょう。

 その時には、息子が我が家に生まれてきてくれて、どんなに私たちが幸せに思っているかを話してやるつもりです。





 この文をパソコンで打ちながら、「こういうことがあったなあ」と思い出しました。でも、思春期の頃には「親のような顔をしてボクのそばを歩かないで」と言った事もありました。そのときは、ちょっと寂しい思いもしました。

 今は、私が述べた意見に対して、23歳の息子は堂々と反論してくれるようになりました。優しい言葉もかけてくれるようになりました。これから、パートナーを得て、幸せになって欲しいと思っています。



 
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by eastwaterY | 2006-02-25 22:09  

家族とは(2月24日)

 朝から荒川静香さんの金メダル獲得で日本中が大騒ぎになっています。「平常心」の勝利とか。あれだけのプレッシャーの中で平常心を保つ事ができるのは、もう一流の僧侶のように思いました。

 TVは荒川さん特集で、彼女のご両親、特に母親と彼女とのこれまでを描いていました。
フィギアケートというのは靴、衣装、滑走代と普通のサラリーマンであれば、とても叶わないほどの費用がかかるスポーツだそうです。「いつまで、援助してやれるかどうか・・」という不安をもちながら、パート労働をし、衣装のほとんどは、母親が作るという生活だったそうです。

 荒川さんのこれまでの軌跡は、ずっと順調ではなく、日本代表から落ちたり、一時はひどいスランプに陥ったりなど、今日の日を迎えるまでには親娘でいろいろ苦労があったようでした。
荒川さんは、「これで、今まで私を応援してくれた両親に恩返しができました」と言っていました。
荒川さんのお母さんは、パートの掛け持ちをしたりして、本当に大変だったとは思いますが、「親が子どもの夢のために頑張れる」というのは、親にとって身体は疲れても心は晴れ晴れではないかと思うのですが・・・・。私の母が女手一つで4人の子どもを育ててくれましたが、晩年「お母さんは、小さな身体でよく頑張れたね」と私が言ったら、「あなたたちがいたからよ」といってくれました。子どもとしては、嬉しい一言でした。

 安藤美姫さんは、残念ながら15位でした。インタビュアーが「今、何をしたいですか?」と尋ねたら「日本に早く帰りたいです」、「なぜですか?」、「早く家族に逢いたいです」との事。。私は「おいしい日本食が食べたいです」などというような答えが返ってくると思っていましたが、それは「下種の勘ぐり」であって、恥ずかしい事でした。

 それほど、彼女が家族とのふれあいを求め、それによって緊張感を癒されるというのは、きっと自分の全てを見せても受け入れてもらえる家族なんでしょうね。これが「本当の家族なのだ」とつくづく思いました。

 ところで、1昨日の新聞に堀江容疑者の子ども時代の逸話が書かれていました。
子ども時代に与えられたのは、「天体望遠鏡、百科事典、自転車」だけだったそうです。そして、非常に教育熱心な共働きの両親だったとのこと。小学校時代の堀江少年は無口で、勉強が良くできて、口数の少ない、友達もいない小柄な少年だったとのこと。昨年、あるカメラマンが彼と同行してホリエモンの故郷近くに行ったときでも、故郷に対して何の郷愁もなく、両親に対しても無関心で逢いにも帰らなかったということでした。

 AERAには、父親が「無一文になったら家に帰ってくればいい」といっておられる一文が掲載されていました。それが、拘置所にいる彼に伝わっているのか、どうか。ひたすら、毎日百科事典を読んでいるというニュースを聞いて、幼い時の彼の(おそらく)寂しそうな姿を想像しました。彼は拘置所では、人はどう生きるか」とか「生きる価値は?」とか、そういう類の本を読んでいるかと私が勝手に思っていたけれど、そうではなかったのです。百科事典を読んでしあわせなのだろうか?今、彼の孤独を癒してくれるのは、何なんだろう?一人っ子の彼にとって、家族とは父と母。今、心の交流はあるのだろうか?

 彼が刑を終えたときに帰る所はどこなのだろうか?迎える人は誰なのだろうか?
安藤さんが「早く家族に会いたい!」といった言葉から、ホリエモンのことが気になった。
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by eastwaterY | 2006-02-24 23:44  

プレゼントをいただきました(2月23日)

 いつもであれば、ブログを書くのは、仕事が一段落した深夜あるいは夜半なのですが、今日は、嬉しくてたまらない事があるので、今、書きます。明るい光の注ぐ室内で、ハッピーなことを書くことが嬉しいです。

 このところ、暗いニュースが続き、私的なことでも信じていた人に裏切られた事があるなど、気分的に落ち込んだ日々を過ごしていました。でも、今日は、それらのことを忘れしまうほど嬉しい事があったのです。

 実は、今、私の大好きな小田和正さんの「たしかなこと」を聴きながらこれを書いています。私がブログにこの歌のことを書いていたのを知り、贈ってくださった人がいるのです。この人は、私が昨年の秋からずっと一緒に社会教育に関する事業を企画・運営してきた、私より30歳くらい(?)若い女性です。

 彼女とは共に事業をしていく中で、お互いが考え方を共有・共感したり、時には意見の対立が
あったとしても、信頼し合える関係がこの6ヶ月間でできてきました。事業の企画や運営が上手く行かないとき、お互いの職業(役割)の枠を超えて悩んだり、時には愚痴を言い合ったり。「でも、それでは前に進まない。お互いがんばろうね!」と励まし合ったり。この6ヶ月間、本当に充実した時間を持つことができました。

 彼女は私よりはるかに若くても、常に私を支えてくれ、そのほかの人との絆を作ってくれ、より仕事がしやすいように、さりげなく気を配ってくださいました。昨日で、6ヶ月間連続して行なった二つの事業が終了しました。

昨夜は、終了した安堵感と、自分の振り返りをすることが精一杯で、いつものように彼女がさりげなく私に渡してくれたこの「大切なプレゼント」を見る余裕もなく、今日を迎えました。そして、今、原稿を書いている最中、ふっと思い出し、手渡されたプレゼントを開けてみて驚き、感動!そして、本当に幸せだと思いました。私のことを、わかってくれている人がいる、励まし、支えてくれている人がいる。今、私の能力以上のことを頼まれ、緊張感のある日々を過ごしているので、この事は私に、大げさでなく「生きる力」を与えてくれました。
 ありがとう!ありがとう!
それで、ちょっと長くなりますが、CDにもう一ついい歌が入っていたので、その歌詞をこれから書きます。

              生まれくる子供たちのために

       多くの過ちを 僕もしたように
       愛するこの国も 戻れない もう戻れない
       
       あのひとがそのたび 許してきたように
       僕はこの国の 明日をまた想う

       広い空よ 僕らは 今どこにいる
       頼るもの 何もない
       あの頃へ帰りたい

       広い空よ 僕らは 今どこにいる

       何を語ろう

       君よ 愛するひとを 守り給え
       大きく手を拡げて
       子供たちを抱き給え
       ひとり またひとり 友は集まるだろう
       ひとり またひとり ひとり またひとり
      
       真白な帆を上げて
       旅立つ船に乗り
       力の続く限り
       ふたりでも漕いでゆく
       その力を与え給え
       勇気を 与え給え

 私は、この歌詞は「世界中の大人が一人ひとり手を取り合って、国を超えてみんなでつながって、平和な地球を守っていこうよ、これから未来へ生きる子どもたちを守っていこうよ」ということを訴えていると思いました。  

 あなたはどうですか?
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by eastwaterY | 2006-02-23 16:30  

自分を愛する心(2月22日)

 今日の中国新聞朝刊に「三瓶診療所だより」と題して、長坂幸弘医師が書かれる月1回のエッセイが掲載されていました。今日のエッセイのテーマは、「自分を愛する心」です。

 冒頭に、彼のお気に入りの詩が書いてありました。「奈々子に」というこの詩は、詩人の吉野弘さん自身が自らの娘「奈々子」に贈った詩です。

 『お父さんが/おまえにあげたいものは/健康と/自分を愛する心だ/ひとが/ひとでなくなるのは/  自分を愛することをやめるときだ』。父親の素直な、そして心からの願いが込められています。この詩は、母親の私が息子に贈りたいと思うほど、短くても「人間として一番大事なもの」を伝えています。一生生きていく上で「健康」と「自分を愛する心」をもっていたら、少々の貧しさなどは乗り越えていかれます。
 
 長坂医師は、「かけがえのない命をいとも簡単に奪い去る人は、『自分を愛する心』が養われぬままに育った人なのではないか」と書いています。そして、「だからこそ『ひとでなくなる』のではないか」とも言っています。

 そのためには、まず子どもが「自分は愛されている」を実感できるような気持ちを、行動を親なり周囲の人たちが示す事であり、それが本当に「愛すること」なのです。そうすれば、いかに愛される事で、自分自身を受容できるかが解り、同時に他者をも寛い心で愛する事ができるようになると思います。

 日本人は「愛を語ったり、伝えたりすること」に対して、非常に恥ずかしがる傾向があります。そこを乗り越えて、誰にでも照れずに「愛」を伝えることをする努力をするべきです(あえて「べき」といいます)。黙っていては、解らないのです。

 いつまでも、長浜の事件にこだわるようですが、彼女が「愛されている」と思う体験をしていれば、あの事件は起きなかったはずです。事件現場にいた娘を彼女はどう思っていたのでしょうか?娘を愛していたからこそ幼稚園での娘の様子が気になってしかたがなかったのです。

 そう思うと、「愛する心」をもっていながら、自尊感情をもつことがきなかった・・・・
どうしても彼女を責める事ができないのです。周囲の人がもっと彼女に関心を持っていればという思いが、どうしても拭いきれません。
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by eastwaterY | 2006-02-22 21:12  

中国人の留学生との思い出(2月21日)

 2002年、私が某国立大学(現在は独立行政法人)の大学院教育学研究科に入学したとき、教育学専攻15人の中には2名の中国人留学生(それも社会人学生として)が男女各1名ずついました。しかも、この2名は私と同じ研究室に入り、2年間研究生活を共にしてきました。

 それ以前、私が別の大学で勤めているときに台湾の大学院生とのかかわりがあって、ある程度留学生の事は分かっていましたが、この二人は中国からの留学生ということで、、また新たな留学生との交流となりました。

 私は、特に20代後半の女性の留学生とは親子くらいの年齢であっても同級生として、仲良くなりました。彼女は、中国で日本語の先生をしていたくらいなので、ほとんど日本語で苦労する事はなかったのですが、日本の慣習や文化を理解したり、慣れる事には時間がかかるようでした。また、いくら日本語ができるといってもやはり、大学院レベルの文献を読むには理解しがたいところもあったようなので、履修するときには、私と同じ科目をとりたいという事で、毎日ほとんど一緒に行動しました。

 しかし、授業の中で議論をしたり、レポートを書くときなどは、言葉の裏にある文化や基本的な考え方の違いにより、彼女にとっては、かなり理解しがたいようで、苦労しており、求められれば支援はしていました。30代の男性の留学生は、日本語の理解が十分でなく、積極的に自分から仲間に入ろうという気はないようで、人間関係を結ぶのは、お互いに難しく、敢えて私が話しかけても最低限の言葉しか返ってこないという感じでした。しかし、彼の場合は配偶者と日本に来ていたので、多分ストレス解消はできていたのでしょう。

 同級生の中では、二人は何とか人との関係はいい具合に行っていたようでしたが、研究室のゼミでは、もっと深いかかわりになるので、どうしても国の「常識」と思われる事に対する違いや日本人からみればマナーや時間管理の悪さなどがあり、いろいろなことがスムーズに進んでいる状況ではなかったと思います。彼らたちは、あからさまに「反日感情」を示す事はなかったのですが、国民性からか、日本を理解しようとするより、自己主張はしっかりするということで、その点で日本人とはしっくりこないこともあったようです。

 私も彼らの遅刻に対する考え方や約束をしっかり守るということに対する自己管理の悪さにはイライラする事がありましたが、他の人よりはのんきな性格なのか、それほど気にはしていないところもありました。ただ、「こういう行動をしていては、あなた自身が人から信頼を失うことになるから、気をつけるように」と注意はしていましたが、それに対してはあまり反応はありませんでした。

 やはり、彼らは大陸でゆったりと物事にとらわれない生活をして来ているので、狭くて人口の多い日本で、まず「和と調節」を重んじて行動する事や、ある程度の本音と建前を持って話すという日本人とは、理解しにくい部分はあると思いました。もう一つは、両国の経済的格差による価値観の違いなども、日常生活の中で齟齬が生じる部分もあると思いました。(具体的にはいえない部分がありますが・・・)

 これらの事は2年間では、なかなかお互いが理解し合う事は無理だったと思います。修士論文を書くにあたっても、その辺のところが埋まっていなかったために、女性の留学生は、精神的に不安定になってしまいました。そこで、家が同じ方向だったので、大学から帰るときには、修士論文の締め切りまでの1ヶ月間は、無理やり私の車に同乗してもらい、お互いに愚痴や他愛ない話をしながら帰途に着くことにしました。そして3月、何とか彼女は修了を迎えることができました。その間には、女性の助教授が途中から彼女を支えて修了に向うように、かなりの指導力を発揮されました。おそらく、このどちらかが欠けていたら、現在中国教員として勤務する事はできなかったでしょう。

 これらのことと、今回の事件を起こした中国国籍の女性の例と比べてみると、少なくとも十分でないにしても、彼女を認め、支えてくれた人がいたこと、自分自身にプライドを持っていたこと、幼いときから両親に愛されて育った事などが、修了までこぎつけることができた大きな要因だと思います。
  容疑者が中国でどのような日々を送ったのか、今のところは分かりません。しかし、結婚して配偶者がいながら、支えられる事もなく、愛される実感もなく7年間近い日本での生活をしてきたのだろうと思い、残念だという思いがあります。
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by eastwaterY | 2006-02-21 22:42  

悲しく、さびしく、やりきれない事件2(2月20日)

  長浜の幼児刺殺事件に関しては、取調べが進むにつれて、いろいろな事実がわかってきた。それによると、過去、容疑者は、小火を起こしたり、義母の首を絞めたり、既に1年以上精神的不安定のために通院もしていたということである。家庭内暴力もあったらしい。

 そこまで精神的な不安定症状が進んでいるのに、きちんとした対症療法もせずに、なぜ、今回の事件が起きたのだろうか?本人曰く「殺す相手は誰でもよかった。たまたま近くにいた」。

 要するに何も考えず、理性も想像力も働かず、そういう状態だったのだ。夫によると「彼女は、前日、ほとんど寝ていない」という。そういう状態であったのなら、夫はもちろんの事、幼稚園の先生、それから幼稚園に関係ある保護者なども彼女と顔を合わしたときに、異常だ思わなかったのであろうか。

 こうして考えてみると、あまりにも彼女を取り巻く人たちが、彼女の状態に無関心だったとしか思えない。「無関心」というのは、無関心される人にとって、これほど寂しい事はない。「孤独は一人の時ではなく、大勢の人たちの中にいるときに感じるものだ」といわれる。彼女はまさに、そうだったのではないか。誰からも「愛されている」と感じることがなかったのであろう。自分を尊重できていないからこそ、子どもがいじめられていると思い込んでいたのではないか。

 情緒不安定がひどくなる前に、夫を初めとして周囲の人たちが、彼女の話を聴き、支える事はできなかったのか?私が一昨日も書いたように「被害者を出さない取組み」ではなく、「加害者を出さない取組み」をj考える時期に来ていると思う。

 子どもに持たせるブザーや地域における住民の互助組織、見守隊、タクシーの運転手による警備、どんどんシステム的には進化している。しかし、いまや、もうハード面やシステムだけの改善では、子どもを守る事はできないと感じている。

 最終的には、「一人一人がお互いを信頼し合い、人と人との結びつきを強め、弱者に手を差し伸べる」という本来であれば、人間として当然のようにできる人と人との間の基本的信頼感を持って生きていくことができるような教育を家庭でも、学校でもしていくことである。すなわち、「死と生の教育」を教科の中にいれ「死からみた<どう生きていくのか>教育」をする必要があるのではないかと考える、

 
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by eastwaterY | 2006-02-20 22:35  

留学生との付き合い(2月19日)

私は大学で勤務しているとき、台湾から大学院生として留学して来た女性のお世話をしたことがあります。彼女は、大学院で研究するには日本語が十分ではなかったので、1年間は研究生としていくつかの教科を学習し、その後大学院に進学しました。

 彼女は、初めから日本人に対してある種の偏見があり、日本人とのコミュニケーションがとり難いところがありましたが、私だけは、年齢が彼女の母親くらいだったし、彼女の身辺の相談なども受けていたので、割合親密に付き合うことができました。彼女は、いつも「あなたは、私の日本のお母さん。私は日本人はいやはだけどお母さんは特別!」といっていました。

 大学の学生は彼女に親切に接していたし、私が依頼して講義の時にノートの取り方を教えてくれる学生もいたのに、その人に対しても私のように親しくなるという事はありませんでした。
「なぜか?」と考えてみると、彼女は小さいときから、学校でも家庭でも「反日教育」を受けてきていました。それが大きな影響を彼女に与えている事は、理解できましたが、それだけではなかったのです。我が家で一緒に食事をしたり、地域の祭りへ一緒に行ったりしているうちに、自分が幼いときから母親に愛されていなかったということを話すようになりました。彼女が物事をいい方向に解釈できないのも自己受容ができていないからだというのがわかりました。それがとても辛かったらしくその話をするときはいつも涙していました。

 そうこうしているうちに、1年が発ち彼女は、大学院に進学しました。そうなると、研究が忙しく私の研究室に来る事はだんだん少なくなりましたが、大学院生とは上手くいっていると思っていました。しかし、彼らとも上手く関係が結べないまま、なんとか修了して帰国しました。大学側は、宿舎も無料で貸し、学生たちも何とか努力をしている様子も見え、いろいろ支援をしてきていたのですが、彼女は日本に対して悪い印象を残したまま帰国したのは残念でした。(最後まで『お母さんは大好きよ』とはいってくれましたが・・・)

 やはり、幼いときからの教育というのは、よほどのこと(いい意味でのショッキングなこと)がない限り、一端形作られた意識や考え方は変わらないのだと思いました。彼女の考え方を、少しでも変えて行くためには、私たち日本人が時間をかけてコミュニケーションをとり、お互いを理解する事しかないのかと思いました。

 またまた長くなりました。まだ、もう二人の中国人留学生とのお付き合いの中で考えたことがありますが、今日はこれまでにします。
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by eastwaterY | 2006-02-19 22:11