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気になること、恐ろしいこと(1月31日)

 少年たち4人が高いビル(30メートル?)の屋上からコンクリート片などが混じった土嚢2袋を車や人が多く行き来する駅前に故意に落下させたという。運良く、歩行者に当たるという事はなかったが、タクシーの前後に落ちたのとこと。初めに車の後部に落ち、急停車後前部に落ちてきたということである。当時、タクシーには乗客もいたが、運転手ともども怪我もなく、運が良かったとしかいいようがない。

 なぜ、このようなことが起こるのか、できるのか? 私には考えられない。2回に分けて、しかも停止した車の前部に落したという事は、明らかに車をつぶし人を傷つけることを狙っていたのではないか。それほどの物を高いところから落下させれば、どういうことが起こるかと考える事はないのか。そういうイマジネーションはないのか?

 彼らたちは、死傷者が出ることを考えないのか? それともそういうことより、この事件がテレビや新聞で騒がれることで自分たちを世に知らしめたい、と思ったのか。それとも
人が傷つくなどして、パトカーや救急車が駆けつけるのを見て楽しむ「愉快犯」なのか。
それとも・・・・・4人という人数から集団心理で「みんなで渡れば怖くない」を地でいったのか?いろいろ考えてみても、私には理解できない。

 「命」を、「生きること、死ぬこと」をどう思っているのか? こういうことに対して、家庭教育や学校教育は、どうすればいいのか?教育の効果は、すぐには現れないが、私がこの事件から考えた事、以前から考えている事は「生と死の教育」を幼いときからしていくことが必要だということ。

 我が家の一人息子は私が41歳、夫が48歳の時にやっと授かったので、彼は誕生以来、何度多くの人の葬式に参列し、遺体を焼いた後の骨拾いをしてきたことか。その経験を積み重ねる事により「死ぬ」ということが、どういうことか、「死ぬ事」によってどれだけの人たちがどんなに悲しむか、彼は肌身で感じてきている。と同時に、彼自身、自分を愛してくれた人との別れの辛さ、心の痛みも多く味わってきた。

 こうした体験から、彼は「生命の重み」や「生きることのすばらしさ」を知ると共に、その生命は自分一人のものではなく、多くの人やものに支えられているということが分かってきたのだろうと思う。それが、中学2年のとき、登校時の交通事故死した一匹の狸を見過ごすことができず、茂みに隠しておいて下校時に穴を堀り、葬る行為につながったのだと思う。このような子どもは、まだまだたくさんいるだろう。しかし、もっともっとみんなが「生命の大切さ」を知ることをしなければいけないと思う。

 生まれて育ち行く時間の流れの中で、多くの生物の命に触れ、生や死に出会ってきたからこそ、どんな命も支え合っているのだということを自然に学べるようなカリキュラムを学校教育の中で行なう事はできないだろうか?また、家庭においても小さな生物でもいいから飼い、愛する喜びとともに「生と死」を体験する生活ができないだろうか?(ちなみに、我が家の息子は小さいときから犬はもちろんの事、いろいろなものを飼ってきました)。

全て子どもが世話を見る事はできないから、親も助けてやる事が必要だろう。親は、忙しいかも知れない。その面倒を子どもと共に見ることが、将来親が年老いて助けを必要としているときに、自然に親を援助できる子どもに育つのではないだろうか?(それが目的ではありません。あくまで、「生と死」を考える事につながるということです)。
 
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by eastwaterY | 2006-01-31 20:58  

差別とは(1月30日)

 私は、結婚後自分らしく生きていけなかった時期がずいぶん長く続きました。それは、なかなか子どもに恵まれなかったからです。身内や周囲の人たちから「女性は子どもを産んで一人前」などといわれ、「母親としての女性」の価値を求められました。私自身は子どもがいようといまいと一人の人間として生きていたのですが、世間が求めるものは違いました。

 だから、よく「子どもがいなければ夫婦で会話もないでしょう」」などと、子どもがいないことのマイナス面ばかりを強調され、私はどんどん自分自身を否定する方向に行ってしまいました。子どもに恵まれるためには病院へ行ったり、指圧を受けるなど、あらゆる努力をしました。しかし、世間は、なかなか親になれない私を一人の人間として見ることはできなかったようでした。「差別」というのは、本人の努力ではいかんともしがたいことによって起こることをいいますが、まさにそれは「差別」でした。

 その後、結婚20年目にわたしたちは息子に恵まれ、母親になった私に対しては、周囲の対応が変わって来ました。私自身は一人の子どもの母親であろうと、子どものいない女性であろうと「私」という一人の人間としてはに変わっていないし、人間としての価値も変わっていないのにと不思議な気がしました。何でも、大多数の人がしていること、考えていることが正しいとする、また、そこに価値があると考える意識を変えないと、そうでない人たちの生き方を否定してしまうということを、子どものいない20年でしっかりと感じました。

 現在、私は学習したことにより、人間は「男、女」の二つだけに分けられるものではなく、8つに分けられるということが分かりました。それは、たとえば生物学的に男性として生まれても自分の認識が女性という人もいるし、また、自分の性的指向性(性に対する関心)が男性、女性のどちらにあるかということまで含めて分類すると8種類になるということです。したがって、男性、女性だけでなく、例えば性同一障害の人たちの生き方を認めるということです。
 
 彼らの強力な運動や訴えにより、1999年には性同一障害の人たちが手術を受けることが可能になる法律ができ、現在では堂々と手術受ける人も出てきました。また、そういう自分の性を世間に知らせ、東京都の都議になった人もいます。しかし、一番の問題は、一般の人たちの意識が変わりにくいことです。

 私が大学に勤めているとき、新聞記事をもとに、性同一障害の人の話を詳しくすることにより、劇的に自分の意識を変えた学生がいました。彼女は、その後、すすんでそのことに対する新聞記事を読み、テレビを見ています。さらに、自分が見たこと、考えたことを友達に語り、いかに人権問題が重要かということを話しているということです。

 現在の日本では、はまだ、人々の意識が、この学生のように人権問題として生き方を考えるところまでいたっていません。その人たちの生き方を認めがたい日本の風潮を少しでも早く変えていかなければ、人権の尊重はできていない国になってしまうと危惧しています。
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by eastwaterY | 2006-01-30 23:42  

熟年離婚(1月29日)

 今週の「AERA」に「塾年離婚したいのはオレだ」という記事が掲載されています。
ここには、妻に「三行半」を突きつけたい数人の夫たちの本音が書かれています。

 今までは、熟年離婚と言えば、テレビドラマにあったように女性の方から言い出すケースが取り上げられてきました。しかし、今回は夫が妻と離婚したがっているということでなのです。読んでみて感じたのは、どの夫も相変わらず妻に甘えていて、「してくれない症候群」の傾向があるということ。これは、夫だけの問題ではないのですが、離婚したいと思うまでの長い間、夫婦でコミュニケーションをとる努力をしてきた形跡がないのです。

 そもそも結婚というのは、初めから価値観の異なった個人と個人がある日を境に、毎日共に生きていくのですから、相手に何らかの違和感を持つのは当たり前。 意識の違いを感じてもその違いをお互いに歩み寄り埋めていくのが結婚生活ということだと思っています。
そして、その違いに対して少しずつお互いが歩みより、相手を理解し、受け入れていき、そのことによって、お互いが成長していけるのが結婚だと私自身思っています。

 そのように自覚する事で、お互いを受け入れる月日を積み重ねた経験と家庭生活を荒立てない知恵を持ち、結婚生活を積み重ねていけるのでしょう。
しかし、欧米のようにあまりにも「個人」を主張し、自分らしく生きることを優先しすぎると努力を忘れ、離婚にいたるのではないでしょうか。昨年28年ぶりに、かって2年間居住したニュージーランド(NZ)の旧友を訪ねた時、友人の8割が熟年離婚をしていました。しかも夫の方から言い出しています。いかにも女性が自立し、自己主張もしっかりするNZの女性だと思いました。
日本では熟年年離婚した7割の人が「後悔している。意地をはらなければよかった」と答えているとのこと。

 世間は、2007年から離婚をした場合、夫の年金が分割され、半分は妻のものになるので、離婚が多くなると予測しています。でも、私はそうは思っていないのです。分割には財産分与と同じで夫婦間の協議が必要なのです。しかも、夫に問題がなければ半分ももらえない場合もあるのです。そのことを世の奥様方は分かっているのでしょうか?たとえ、半分もらったとしても、それで生活をしていけるのでしょうか?生活費が足らないからといって、特別何か技術・技能あるとか、専門職でない限り、55歳を過ぎた人に就職なんてありません。

 また、夫の方は、アエラに登場している男性のように再婚が簡単にできると思っている
のでしょうか?「もっといい人、優しい人に自分の最後を看取ってもらいたい」と想ってもそういう人が簡単に見つかるとも思えません。

 「熟年離婚を考える会」を主宰する方は、「人間は年月と共に変わっていくもの。長年連れ添った夫婦も、悪い部分だけを見るのではなく、変化を受容する事が大切です」といっておられます。相手に対してお互いに「愛情がない」というより、喧嘩をしてもいいからコミュニケーションをとって、相手と分かり合う努力をして、離婚の危機を乗り越えていいく事が必要ではないでしょうか?
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by eastwaterY | 2006-01-29 21:52  

ひとり暮らし(1月28日)

 数日前から夫は会社時代のOBの人たちと海外旅行に行っています。単なる旅行ではなく、かって企業戦士時代にトータルで5年間は滞在したと思われるミャンマー(ビルマ)へ旧友を尋ねて郷愁旅行をしているのです。

 彼が現役時代は、仕事で頻繁に海外へ長期間行っていたので、結構一人暮らしに慣れていたのですが、(20年間、子どももいなかった)今回は、いろいろと感じています。

 それは、年を重ねて今まで感じなかった心細さを感じるようになったということです。昼間は、自分のすることもあり、TVも新聞・本も間で邪魔される事もなく、自分のペースで観たり、読んだりできる良さはあります。でも、良さは、そのくらいです。夫は出かけるときに「文句言う人もいないし、自分のペースで一人を楽しんでください」と皮肉とも優しさとも分からない言葉を残して出かけました(「これから出発します」と搭乗前に電話をしてきたので、優しさと思います)。

 特に夕方になって暗くなってくると、一人の心細さと寂しさを感じます。母が生前「夫婦二人でいるときには、何も感じなかったけれど、一人になったら、すごく淋しくなる」といったことを憶えています。本当にそうです。また、離婚して父子家庭となって子ども二人と暮らしている男性が「何が淋しいといって、何ともないことを話したり、ちょっと相談したいと思ったとき、一人というのは本当に淋しい」と言われた事も分かる気がします。
 
 もう一つは、料理が雑になってしまうということ。夫がいれば、バランスを考えたり、一汁二菜
を心がけたりしますが、自分ひとりでは、「面倒くさい、何でも食べちゃえ」となってしまいます。
料理というのは、人のために作るものであると思うし、そういう人がいるから自分の健康も保てているのだと今、実感しています。

  もしかして、今はダイエットに一番いい時期かも?
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by eastwaterY | 2006-01-28 18:28  

交流会の参加者を待っています。(1月27日)

 昨年の9月末から11月末までの2ヶ月間実施した「女性のためのキャリア支援講座」の受講者と交流会をしようと企画した。そのために、ニュースレターを作り、案を練っていたが、後もう少しでその日が来るのに、参加者からの返信が少ない。

 最終回では、全員が、すばらしい盛り上がりの中今までの自分をふり返り、これからの自分を具体的に考え、全員が見事なまでの「自己宣言」を発表した。あのときの気持ちはどこへ行ったのだろう。

 私はこの講座の企画・運営のリーダーとして、最終回にもっとすべきことが他にもあったのではないかと、ふり返った。気づいた事は、あまりにも受講者に求めるものが多すぎて、受講者にとって消化し切れなかった部分もあったのではないだろうかということだ。

 本来なら、ワークショップをして課題をKJ法でまとめていくことをせず、3グループに分かれて、グループ(ネットワーク)形成に向けて、話し合ったもらった方が良かったのか・・・・それとも・・・・と、いろいろ考えた。

 「企画が良かった、講師が良かった」と何人もの人に言ってもらったが、あまりに真面目すぎて息をつく暇もないようなものになっていたような気もする。

 こういうところに余裕のなさ、ユーモアのなさ、くそ真面目すぎるという私の性格面が出ているのだと思う。「真面目すぎるというのは、自分の能力以上のことを背伸びをしているから、余裕が
ないのだ」ということが、最近分かった。一生懸命すぎたのだ。

 さあ、あと数日後、何人の人たちが交流会に参加してくださるだろうか?
あまり暗くならないで、待っておこう。
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by eastwaterY | 2006-01-27 23:11  

「家族」として犬を飼いたい!(1月26日)

  「家族」というとき、人はどの範囲までを家族というのでしょうか。韓流ブームで騒がれているヨン様ことペ・ヨンジュンさんは、ファンのことを「私の家族」と公言しているくらい、大切にしています。
 それを拡大して解釈すると「人類みな家族」ともいえます。そう考えたら、紆余曲折、喜怒哀楽、いろいろあろうと、最終的には「平和」な世界に落ち着くだろうに、といつも思います。

 さて、私が考える「家族」というときに、どうしても家族として切りはなすことができないのが、結婚以来ずっと飼い続けてきた五匹の「愛犬」です。犬嫌いの人から言われせば「犬が家族?」と言われるかもしれませんが、お互いに心を通わせ、分かり合えることから言えば、ある意味人間以上に人間らしいともいえるのではないでしょうか。。喜びも悲しみも共有できる「家族」なのです。

 今、その家族がいません。結婚43年間、次々「家族」が入れ替わり、悲しみと喜びが交代でやってきました。人間の方が長生きなのだから、こちらが生き残る事は、当然と思っていても、その家族を失しなうたびに「もう、こんな思いはいやだ」と思ってきました。しかも私一人でいつも看取ってきたのです。

 そして、今、5代目の「家族」が逝った後、6代目を飼う気にもならず、約2年が過ぎました。犬の寿命をだいたい10年くらいと考え、それに私たち夫婦の年齢を対比してみると、後、10年後に、また、当分悲しい思いで「家族」の写真を眺める事は辛い、耐えられません。さらに、十分に世話をしてやることができるかどうかも、定かではないのです。

 そして、もう二度と別れを体験する事もしたくありません。そうかといって、大の犬好き。
TVの番組で感動的な犬の物語などを観ると、もう一度「家族」として犬を迎え入れたいという気持ちも湧き上がってきます。
 まだ、当分「犬を迎え入れるか、どうか」で葛藤の日々は続くのでしょうね。


 
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by eastwaterY | 2006-01-26 22:39  

トーク&トーク(1月25日)

今日は、東広島市へ夫と共に「トーク&トーク-自分らしく生きるには-」というテーマで話してきました。夫と二人でこのような形式でトークをするのは今日で5回目です。
 最初は、原稿を読んでやっとトークをするという感じだった夫でしたが、もう今は堂々と話せるようになり、助かっています。

 会場に到着したとたん、予定の1時間半のトークを30分短くして欲しいといわれ、ちょっと焦りましたが、お互いに原稿を作成しているので、夫々が自分の内容を短くし、何とか1時間以内ですませる事ができました。特に、夫は、とてもスマートに短く話してくれました。「心配しなくても、ボクがぐっと短くするから大丈夫!」といってくれたので、私もトークの初めから不安を感じないですみました。

 トークの内容は、まず私が「自分らしさ」と「男らしく、女らしく」の違いや「自分らしさの感覚とは?」を話しました。

 その後は、①夫婦それぞれの生い立ちを語る、 
        ②結婚に何を求め、相手との関係と結婚生活をどのように思っていたか、  
        ③ニュージーランドでの二人の新たな日々と新たな出発、
        ④自分らしく生きる第二の人生のスタート、 
        ⑤ 「自分らしく生きる」生活の中でーお互いにどう思っているかー
        ⑥それぞれにとって「自分らしく生きる」とは?
 という順で、夫と交互に話しました。

 多くの人が、1時間という長い間を静聴してくださり、ありがたかったです。

 それよりも、もっと嬉しかったのは、N小学校の校長先生が謝辞を述べる中で、私たちの話を
しっかり聴いてくださって、的確に解釈し、まとめてくださったことです。
例えば、「自分らしさとは」では・・・・
  ①自分の良いところもも悪いところも全て受け入れる
  ②自分らしく生きるには、人に対して優しさをもつこと(共生・響生)
  ③自分自身をいろいろな縛りから解放する

 私は、「自分らしく」について、いろいろ話しましたが、本当に大事なことをよく理解して下さっていました。また、私たち夫婦二人の関係を「べったりと二人がいつも同じ行動をするのではなく、お互いの生活を大切にし、認めている」とまとめてくださいました。

 今日は、28年ぶりにNZ訪れて旧交を温めた様子や、NZの夫婦関係について話し、日本の結婚生活の良さも話しました。日本人の結婚生活は「いろいろありながらも、夫婦で努力して自分たちの結婚生活をよりよいものに作り上げる」ところに、その良さがあると、私は考えています。
 
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by eastwaterY | 2006-01-25 23:05  

赤ちゃんの笑顔(1月24日)

 今日は、私の友人の家でNPOの郵送作業をしました。
彼女には、昨年初孫のRクンが誕生し、その可愛さは写真を初めとして、彼女の話からも、分かっていましたが、Rクンとは、ずっと前に1度、まだ、新生児に近い時にしか逢っていなかったので、いつか抱かせていただきたいと思っていました。

 幸いな事に、今日は、友人の娘さんと共にRクンも里帰りをされるとのこと。楽しみにしていたら、まるまると太り、肌もぴかぴかの6ヶ月の坊や、Rクンがやってきました。

 当然の如く、友人は満面の笑みを浮かべ、Rクンに向かって歌を歌い始めました。
(節は「ゆりかご」の歌の後半で)「ありがとう、ありがとう、Rくん、」、そして、Rクンを抱っこした娘さんがRクンの代わりに「よろしく、よろしく、お願いね」と歌い合うと、Rくんは歌が始まったときから急にニコニコと微笑みはじめたのです。

 これは、なんともいえない可愛さです。そこで・・・・・・「じゃ、ゆりかごの歌で歌ってみよう」と私たち大人は考え付き、「ゆりかごの歌を・・・・・・ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよー」と歌って
みました。

 なんと、Rクンはニコリともしないのです。メロディーは同じでも、歌詞が違えば、違うということがしっかりと分かっているのでしょうか?Rくんの周りには、いつもRクンを愛する人たちがいて、いつも「愛されている!」と感じる雰囲気になっていると思います。

 もちろん、「ありがと、ありがと・・」の歌も、Rクンは、しょっちゅう聴いていることでしょう。
そのときの大人の顔を想像してみてください。今日のように、みんな最高にハッピーな優しい
顔をしていると思いませんか?そして、そのときに歌われる歌が、あの歌なのです。

 歌詞の意味が分からなくても、その歌が始まるとRクンは、自分が愛されているということを
大人の表情から、幼いながら十分感じているのでしょうね。

 赤ちゃんの笑顔は、大人にたくさんの幸せを運んでくるということは本当だと、実感しました。
昨日から、バタバタと忙しくしていましたが、Rクンの笑顔をみて一度に疲れがとれました。
ありがとうね、Rクン!
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by eastwaterY | 2006-01-24 20:54  

結婚指輪について(1月23日)

 私は、5年くらい前から朝日新聞社が発行している「AERA」を年間購読をしています。まぁ、「AERA」のファンと言っていいでしょう。内容は教育、経済、アート、政治、福祉、就職、家族などなど多様です。

 そして、1年くらい前にアエラサポータズになりました。サポーターズになったら、私たち読者の意見を内容の中に反映できると同時に、AERAの方も読者の傾向を知る事もでき、どちらにもプラスすになるということでしょう。(win winの関係)

 ところで、今週号の「AERA」のオピニオン欄のテーマは、「結婚指輪してますか」でした。
両開きのページの右側に「男の本音」、左側に「女の本音」が出ています。これは、時々サポーターの人たちにアンケート調査があり、それに答えたものの中からこのページに掲載されます。

 いろいろなコメント、結果が出ていますが、まとめると・・・・
「男女とも指輪には「浮気防止効果がある」としている反面、女性からは「指輪をしている男性はモテル」という指摘もあったとか。「配偶者を大切にしている」というイメージがあり、女性に安心感を与えるということだそうです。

 ちなみに、私ども夫婦は、現在結婚44年。二人とも結婚指輪は、はずさずにつけています。

 というところで、ちょっと面白話があります。一つ前の段に戻ります。
実は、オピニオンの欄の「女の本音」の上に、なんと私が書いた一文が掲載されていたのです。
まさか掲載されているとは思わず「ははぁん、広島県64歳の女性のが出ているな」と読み始めてびっくり!私のコメントではありませんか。ずいぶん前のアンケートなのですっかり忘れていました。

 私の「結婚指輪していますか」は次の通りです。

「疑いもなく、つけています。一時、はずしたいと思ったことが30代後半にありましたが、そのときは夫婦関係が上手くいっていなかったときです。今は、お互いを認め合っているので、『いつも指輪をしている』事に対して、何の抵抗感もありません。
律儀な夫も必ず指輪をしており、はずしたことはないようです。ある日、夫とそれぞれの結婚指輪を外して眺めてみたら、かなり円の形がゆがんでいました。結婚44年の時を表していると、二人で大笑いをしました」

 そうなんですよね。結婚は一度は、してみる価値のあるものだと思っています。が、何事もそうであるように楽しいばかりでもなく悩む事、悲しい事、苦しい事、嬉しい事、いろいろあります。

 「結婚してよかったな」と思えるようにになったのは、銀婚式(結婚25年)を過ぎたころからです。

 現在、男女共に未婚率が上がり、30代前半の男性にいたっては、43%の人が未婚です
「結婚しないのか、できないのか」よく分かりませんが、離婚してもいいから1回は結婚してみるのもいいかも?
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by eastwaterY | 2006-01-23 22:33  

介護について(1月22日分)

 昨日は、広島の僻地であっても、去年の4月から広島市になったY町のY公民館に講演に行ってきました。公民館職員さんによると高齢化率45%ということです。
 日本全体でいうと、2020年に高齢化率25%となって「超高齢社会」になるのですが、この町は、もうそれをはるか先までいっているのです。

 この講演は市からの指定の男女共同参画講演会ということで、演題は「男と女のハーモニー・人生を共に楽しもう~共に支えあう介護~」です。昨年の10月にも「男と女のハーモニー・人生を共に楽しもう~子どもが成長した後の「わたし」と「あなた」~」という演題で話しました。

 そのときの受講者は、まさにY町の高齢化率を表している50代後半から70代後半までの人たちでした。ちょっと傑作だったのは、最後に一人一人に「男女共同参画をテーマとした1行詩を20くらい読んでもらいながら「どれが、自分に一番ぴったりですか」と尋ねたとき、半分以上の人が既に一人暮らしでした。
 「今日のお話しのように二人で暮らしていればよかったと思いました」と言われ、驚きました。。(この講演は意味があったのか?)

でも、皆さん1時間半の話も膝も崩さず(和室でした)居眠りもせず聴いてくださいました。

 そして、昨日も10月に来てくださった人に加えて男性も加わっており十数人。介護がテーマでしたが、、何しろ高齢化率45%ですから「介護をする側と介護をされる側」両方のことを話しました。

 ある調査で「老後最もたよりにするものは何ですか」と質問したところ・・・・
男性は、①妻(80%)、②お金
女性は、①お金(56%)、②嫁・娘、③年金・保険となっており、夫は出てきていません。

 昨日の講演では同じことを受講者の人に尋ねてみたところ、男性、女性とも上述のアンケート結果と全く同じ答えが返ってきました。その後に、上述のアンケート結果を受講者の人にお伝えしたのですが、私も受講者も一緒に「やはり現実は、そうなんですねぇ」と苦笑しました。 

  夫の80%が妻を頼りにしているというのは、哀れな感じがします。もし、妻が先に死んでしまったら、夫の生存期間は3年、夫が先に死んだ場合の妻の生存期間は15年だと、ある調査でもいわれています。

 夫と妻の結婚時の年齢差もあり(夫が年上の場合が多い)、生存期間に多少の影響はありますが、いかに男性が生活的・精神的自立ができていないかを表していますね。

 昨日は、介護をされた70代半ばのAさんの話を聴きました。舅、姑、夫の3人を看取ったが、3人ともなくなる前に「ありがとう」とは言わなかった。でも、長年一緒にいたので、ちょっとした
動作で感謝の気持ちは伝わったから、あえて感謝の言葉を言う必要はないということでした。

 特に姑さんの場合は、なくなられる直前に姑さんはご自分の娘や息子が何人かいても、それには眼を向けず、Aさんに向いて眼を2、3回しばたかせて息をひきとられたそうです。それが、
彼女にとっては、とても嬉しく誇らしい気持ちであるようでした。
 
 もう一人の女性は、実父の介護を夫が勧めてくれて、最後の半年を自分が在宅で思う存分看病できて、夫に感謝しているということを話されました。それまでの夫婦関係の良さが、こういうときに表れているのですね。

 介護では、それまで介護する人、される人の人間関係が一番良くあらわれる場と言われるし、私も何人か介護してそれを実感しています。しかし、それまでの人間関係がどうであれ、自分が介護される身になったときには最後に「有難う」と心をこめて言いたいと思いました。

 終了後の受講者の人の感想を読むと、やはり「ありがとう」をいってもらいたいし、自分も言いたいという人が多かったようです。男性の感想からは、「「これからの人生を生きて行くためには、何が必要かが、わかったような気がした」と書かれていました。

 このような講座では、私自身の方が年齢が若いことが多く(こう言う事は稀です)、実体験をした人からお話をうかがい、学習させていただいています。
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by eastwaterY | 2006-01-23 00:38