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「それでいいのだ」(8月10日)


漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなられました。新聞やテレビの報道からも、彼の逝去を惜しんでいます。赤塚さんは、生前お酒とたばこ、そして人を愛し、多くのマンガを書いてきました。その中で一番知られている台詞が「これでいいのだ」という言葉。

「これでいいのだ」、これはまさに全面肯定の言葉です。たとえ、その人がどうであろうと、すべて、その人のありのままを受け入れるということです。

そういうことができるのか? 私は、なかなかできません。多くの人も、すべての人を「これでいいのだ」と受け入れることは難しいと思います。

しかし、赤塚さんはそれができた人で、作品の中に常に「それでいいのだ」が出てくるだけでなく、自称一番弟子のタモリさんは、赤塚さんに身内同然の付き合いをさせてもらった人でした。
タモリさんの笑いの才能を見抜き、赤塚さんは自分のマンションに引き取り、世話をしてきた人でした。お笑いの人の多くが、新人の時には生きていくのが精一杯日々を送っています。タモリさんも例外ではなかったそうですが、赤塚さんは威張るでもなく時には、親として、時には兄として、そして・・・・時には無邪気な弟としてタモリさんとの付き合いをしてこられたとのこと。

現在、タモリさんはお笑いの世界では、実力者であり、自分の名を冠した番組も持っています。
タモリさんがここまでなれたのは、どんな時でも「それでいいのだ」と全面肯定しながら、見守り、支援してきた赤塚さんの存在があると思います。

私が思うに、人は誰でも「それでいいのだ」と自分を全面肯定してくれる人がいたら、勇気をもってどんな局面でも乗り越えていけるのではないか、ということ。そのように自分を肯定してくれる人は、多くなくてもいいと思うのです。また、そういう人はむしろ身内でない方がいいかも知れません。身内は案外、身内同士ではお互いに厳しく見つめてしまうところがあると思うのです。

私には、何人か「それでいいのだ」と、それとなく思わせてくれる人がいます。そのうちの一人は、中学校以来の付き合いですから、もう50年以上の付き合いです。彼女は、私が落ち込んでいても「物事って、そういうものよ」とか「~になれば、だいじょうぶよ」などと、それとなく見守り、励ましてくれます。時として、私のわがままなところが見えた時には「~した方が良いような気がする・・」などと、やんわりとアドバイスをしてくれます。

私が困っていたら、そっと来てそっと手を差し伸べてくれます。NZに住んでいた時も、日本食が食べたいと思う頃、いつもいろいろな物を贈ってくれていました。「何で私が思っていることがわかるのだろう?」と思ったことでした。
彼女の私に対する行為は、赤塚さんとタモリさんとの関係のように、いつも身内以上のものです。
人間は、生きていく中で、一人でも「それでいいのだ」と、自分を全面肯定してくれる人がいたら、落ち込みながらも、少しずつ元気を取り戻して、いつもの自分にかえることができるような気がします。

父親を刺殺した女子中学生が「自分は、人の期待に添うように気を使うことに疲れた」と言っていたそうです。まだ、15年しか生きていないのに、「家族全員を殺して自分も死ぬつもりだった」と言ったとラジオで聴き、彼女の生き方を「それでいいのだ」と全面肯定してくれる人がいたら、あのような悲惨な事件にはならなかったと思いました。そこまで彼女が追い込まれて、どんなに苦しかったのだろうか、と思いました。

by eastwaterY | 2008-08-10 22:30  

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