広島原爆投下者 P・ティベッツ死去(11月2日)

夕方のTVニュースで、広島原爆投下者のP・ティベッツ氏の死去を報じていました。彼は、広島に史上初めて原爆を投下した米軍のB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の基調として知られるポール・ティベッツ(退役准将)が昨日(11月1日)92歳で亡くなりました。

彼は1944年4月に「マンハッタン計画」に参加。当時のトルーマン大統領が日本への原爆投下を決定したのを受け、「エノラ・ゲイ」の機長として太平洋のデニアン島を離陸。1945年8月6日、広島に史上初の原爆を投下したのです。この原爆投下に関して、知っていたのは唯一彼一人で、同乗者もそのことは一切知らなかったということです。

彼が信じ、どこでも、しかも日本でも話すのが「原爆投下をしたことによって、日米をあわせると2,300万人の人を救った」ということです。もし、原爆を投下しなかったら、被爆死した人数以上の何倍もの人が死んでいた、ということです。彼は「原爆によって何万人の人が死んだか、どうかは関心もないし、知りたくもない」というのです。

そして、そういう話をアメリカでもたびたびすると、小学校低学年くらいの少年でも「彼は素晴らしい。英雄だ」と言うのです(これは、その場面をTVで放映していました)。私は、幼い表情の彼が、そういうことを憧れを持って言う怖さを感じました。

ポール・ティベッツは、一度広島を訪れたことがありました。そのときも彼の主張は全く変わることはありませんでした。しかし、当時の原爆資料館長の高橋さんと話したときに、ポール・ティベッツは、こういったそうです。「上部の意見や考えに、そのまま従うことが軍人の役割であり、
それは変えようのないことである。そうだからこそ、戦争を絶対にしてはいけないのだ」といったとのこと。高橋館長は、被爆者であり、顔にもその痕跡は残り戦後は辛い日々を過ごしたと思いました。

そうであっても、高橋館長はポール・ティベッツの「・・・・・だからこそ、戦争を絶対してはいけない」といった言葉が心に響き、ポール・ティベッツの心の奥にある心情を知り、彼が平和を願っていることが理解できた、ということでした。被爆者の立場から言えば、原爆投下者を目前にして、そのようにお互いが冷静に、そして真摯に「戦争と平和」のことを語り合え、お互いを理解し合えたということは、すばらしいことだったと思います。

と同時に、トップであるトルーマン大統領の考えによって、多くの人の人生を狂わせてしまったのですから、トップの判断力がいかに重要であるか、ということです。何かの本で読んだことがあります。トルーマン大統領は、幼少の頃から「臆病者」といわれ、成人してからもそういうレッテルを貼られていました。そうではない証拠を示すために、大統領になったときに「原爆投下の決定者」になったということが書かれていました。

このことは、ブッシュ大統領も同じで、どちらかといえば劣等生のコンプレックスを感じるような人生を送りました。そして、運良く父親のブッシュ氏が大統領を辞めた何代か後の大統領になったときに、「父親以上の大統領になろう」と誓ったということです。その結果が、現在のイラク戦争に介入することの契機ともなり、未だに解決できていないことにつながっている、ということです。

そのようなことを考えたときに原爆投下者のポール・ティベッツも、ある意味戦争の犠牲者だったと言えるのではないでしょうか。彼が表面では「自分は多くの人の命を救った」と英雄ぶったとしても、被爆者の前では「絶対に戦争をしてはいけない」といったというのは、心の奥深いところで彼自身が苦しんでいると思いました。その心情を理解した高橋館長も感情的にならなかったのは寛大であるし、立場は逆であっても「絶対に戦争をしてはいけない」という思いは同じだったからだ、と思いました。
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by eastwatery | 2007-11-03 00:08  

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