ハイビスカスの花のお便り(7月23日)
2007年 07月 23日
午後7時半頃自宅に帰ると、友人などから暑中見舞いが来ていて、疲れが一気にとれました。
その中の1通に、函館の友人の義姉の方からのお便りがありました。先日の北海道旅行の途中で函館の友人に電話をしたところ、1年のうちにご夫妻ともお亡くなりになっていることが分かり、あまりの出来事に愕然としました。その時に、友人の技師の方が、私のようなにご夫妻の逝去を知らない人のために電話をご自分のところに転送してくださっていたので、友人夫婦のことを詳しく聞くことができました。
私たちは、この友人夫婦にNZでも帰国後も、とてもお世話になっており、「お互いにいつかは会おうね。そのときは函館ね!」などと言っていたにもかかわらず、私たちの訪問が遅かったために、とうとうご恩返しをすることもできませんでした。そのことが、残念なのと申し訳ないのとで、北海道旅行から帰宅して、すぐ花屋さんに行き、白と薄紫に淡いピンクを加えてもらって仏前に供えるフラワーアレンジメントを義姉の方が住んでおられる相生市に送りました。お花が届いたその日に、すぐにお礼の電話を頂きました。そのときには、すぐにお花を仏前に供え、私のお話したことを仏前に報告したと涙声で伝えてくださいました。
そして・・・・・今日。赤いハイビスカスの大輪がハガキの画面いっぱいに写っているお便りが、義姉の方から来ました。文面には、「函館で二人が大切に育てた小さなハイビスカスの鉢植えを相生(彼女の自宅)で大切に見守りました。主なき淋しさを哀しむように美しく開花しました。うれしくてうれしくて、ごらんになってくださいませ(略)。」とありました。友人は、彼らの子どもには恵まれなかったものの、このように優しいお姉様に恵まれ、死後も大事にしていただいて、本当に良かったと安心しました。しかし、やはり逢うことができなかった無念さは、なかなか消えることはありません。
お便りの最後には「これからもお身体をお大切になされまして兄夫婦の分までも、どうぞお健やかにと、お祈り申し上げます」と書いてありました。人の寿命は、もしかしたら生まれた時に決まっているのかもしれないと、時々思うことがあります。でも、そのことを知らないからこそ安心して生きていくことができているのです。
義姉の方が言ってくださるように、友人夫婦の分まで私たちがどれほど生きていけるかどうかわかりませんが、友人夫婦に恩返しができなかった分を、少しずつ社会や友人に返して生きていきたいと思ったことでした。
by eastwatery | 2007-07-23 23:27