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人生の中で必要な支え(7月16日)

台風、地震が日本列島で起き、多くの人が多くの人の支えや国の支えを必要としています。

今年5月、映画「殯(もがり)の森」でカンヌ国際映画祭最高賞のパルムドールにつぐグランプリを受賞した時に、河瀬直美監督は、このようなスピーチをしました(これは、『AERA No.33』
から引用)。.

「人生には、様々な困難があり、苦しみや迷いの根源となるものがたくさんあります。そんな時、私たちにとってかけがえのないものは、お金や車や服などではなく、目の前にいる人や力を貸してくれる人です。支えを見つけられたとき、人は、自分の足で人生を歩んでいくことができるんです」。このスピーチは自然に彼女の口をついて出たものでした。この彼女の言葉について執筆しているフリーランスの記者は、「多くの働く女性たちを励ましたであろうが、それは、このスピーチが”成功者”のきれいごとではなかったからである」と、いう意味のことを書いています。河瀬監督は初めの結婚を離婚後、2004年に再婚相手の子どもを出産。その後、子育てと認知症の養母(92歳)を介護しながらこの映画の撮影をしました。そのときに、彼女は映画の中で「介護される人から勇気や生きる力をもらうこともあるのではないか」と言うことを伝たかった、と言っています。

さらに、この映画の撮影期間においても、何をするでもなくスタッフなど、みんなと一緒にいると、家族みたいに結集力が強くなっていったということです。人と人が、お互いに自然に支えたり、支えられたりという関係になるということでしょう。したがって、この映画を撮ることにより、河瀬監督は人を許せるようになり、意見が違っても、どこかに合う点もあって、何かが一緒にできるかもしれない、というように人間としてひと周り大きく成長できたと思えたと言っています。

この記事は、今日読んだのですが、7月15日付「中国新聞」朝刊に哲学者長谷川宏氏が、松岡利勝前農相の自殺について寄稿していました。長谷川氏は数ヶ月前の松岡利勝前農相に生じた諸問題の結末が、自殺という形をとったことが、いつまでも心に引っかかっていると書いています。長谷川氏は松岡前農相の失言や失態については、人並みにあきれるやら怒るやらしたが、自殺の報には、個人的には赤の他人であっても痛ましいと思わざるを得なかった、とのこと。

「自殺への道行きに寒々としたものを感じ、家族や友人の中に政治とは無縁のところで温かい言葉かける人はいなかたのか」と思ったそうです。たとえば、「すべての政治活動から身を退いて、どこか静かなところで時を過ごしてはどうか」と声をかける人はいなかったのかと。

松岡利勝前農相は、世間一般の人から見れば農林水産大臣までに昇りつめ、人並み以上の財産や名誉や権威ももって、多くの人から「幸福な人だ」、「故郷の名誉だ」と敬われ、羨ましがられて生きてこられたのではないでしょうか。しかし、彼の周りには彼に温かな言葉をかける人はいなかったのでしょうか?温かい言葉が自殺を思いとどまらせることができるかどうかは、わかりません。しかし、自殺へと向かう苦しい心理を思いやり、世の中の諸々の事から抜けて、安らかな境地を口にするのは、親しい間柄では、ごく自然にできることではないのでしょうか?

このように思って、この記事を切り抜いていたところ、今日の河瀬監督の記事を読み「かけがえのないものは、お金や車や服などではなく、目の前にいる人や力を貸してくれる人です。支えを見つけられたとき、人は、自分の足で人生を歩んでいくことができるんです」という言葉が、大きく私の心に響きました。

日本のどこかで1日に100人近くの人が自殺している現状を考えたとき、人と人が向き合って、つながりをもち、支え合って生きていくことがいかに今、多くの人に求められているか、また、求めている人がどれだけいるか、と思いました。

by eastwatery | 2007-07-17 00:27  

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