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ある高校教師の軌跡と生徒の思い~その2~(7月2日)

昨日の続きを書く前にお知らせがあります。明日7月3日~7日までの5日間結婚45周年記念旅行で北海道へ行ってきます。そのため明日から7日までブログを休みます。その後は、(ブログへ写真を入れることが出来なのですが)旅のつれづれを書きたいと思います。

今日は、昨日の続きを書きます。昨日のブログ「その1」ですべてを伝えることはできませんでした。今日はS先生の同僚の先生のコメントと掲載された記事に対する投稿者の文章の概要を書いていきます。原文のそのままを忠実にお伝えしたいのですが、それはできないので、お許しください。

長年、S先生と一緒に努めた同僚のある先生は「人間ですから、生徒と教師も合う、合わないがどうしても出てしまう。でも、S先生にはそれが全くなかった。そうやって当たり前に見えることを当たり前に続けるのはすごいと思います」と言っています。
(実は、昨日の私のブログを読んでS先生のお父様が、メールをくださいました。「普通の教師だったと思うのですが、当たり前のことができる教師が少なくなっているということでしょうか。新聞記事は少々大げさすぎ、息子は天国で苦笑いをしていると思います」と書いておられますが、物事においては、当たり前のことを当たり前にしていくことほど難しいことはない、と思います。だからこそ、私を初めとして、多くの人が当たり前のことができていないのです)。

(さらに、卒業生は「先生は、先生なんやだけど、3年1組の一員でもあった」「僕らは毎日、学校へ行くのがとても楽しかった」、そして、「M先生のクラスでよかった」とも言いました。こんなステキな台詞をいえる人がどれだけいるでしょうか?いかにS先生が一人ひとりの生徒を大事にされたかが分かります。友人のFさんは「S先生は、“人”としてのすばらしさ、“人が人を本当に人として見る”ということ、S先生の接し方にそれを思います。本当にここができることが人の温かさや教養のように私は思っています。とても難しいことですね」とメールを入れてくださいました。また、メール仲間のtiさんのコメントも感動しました。これは~その1~のコメントをご覧ください)

S先生の取り組みは6回の連載として読売新聞に掲載されました。この連載にはメールや手紙、ファックスなど約100件の反響が寄せられたとのこと。その一例をご紹介したいと思います。

子育て世代からは生徒が動きだすのを辛抱強く待つS先生の姿勢に対して「親として子どもにどう接するかを見つめ直した」、「見守ることの大事さ、親としてのかかわり方を考え直したいと思います。」、「記事を読んで、涙の後に心温かくなったのは、私だけではないと思います」という声が聞かれました。また、面倒くさがりの私が初めて新聞を切り抜いたという62歳の女性は、「人と人をつなげるものはやはり心なんだ。それはは昔も今も変わらないんだと分かりました」と書いています。
日本の現状を鑑み、72歳の女性は「あまりにひどい今の社会情勢の中でこのように人を慈しみ、そして慕われ、敬愛される大人が増えることを願わずにはおれません」と安堵と共にこれからの若い世代に期待を寄せています。

S先生が担任だったある女性は「私は目立つ方でもなく、先生にもあまり早い時期に覚えてもらう生徒ではありませんでした。しかし、S先生は、すぐに”君を覚えたぞ”と名前を
呼んでくださった。その言葉を心の支えにしています」と語っています。また、S先生の大学時代の後輩の現役の数学教師は「Sさんは“よう生徒を強く怒られんのや”と話していたと言います。そして「子どもはどんな状況にあっても、いつも見守る大人が必要なのだと、自分のお仕事の大切さ、大変さを再認識しました」と述べています。
(私にも、特に中・高校時代にいつも見守り、励まし続けてくださった先生がありました。私が教師になることを卒業後も期待してくださった先生も58歳で亡くなられました。S先生と私のその先生とが重なります。私がこの先生に「人として生き方」を教えていただき、今に至っているように、S先生も多くの生徒に「人として生き方」や「何に価値をおいて生きるか」などを十分に伝えてこられたと思います。肉体は今、ここにありませんが、多くの人の中にS先生の生き方が、いろいろな形で影響を及ぼしていると思います)

長くなりますが、S先生のお父様の言葉を少しお伝えしたいです。大学の工学部に進学された息子さんに対して、ご自分と同じ技術者になって自分を越える人となることを期待しておられたそうです。「教師になる」とS先生が言われたときに反対はしないものの「戻ってきたらいいのに」とつい言ったそうです。通夜、告別式で教え子たちの姿に接し、連載を読んだ人たちから多数の励ましが寄せられたとのこと。お父様は、このように書いておられます。

「技術というものは日進月歩で、今マツダでも、私の業績を知るものはどこにもおりません。しかし、M夫はたくさんの教え子の胸の中に、何か価値あるものを残して逝ったようです。これはすぐに消えるものではないでしょう。彼の勝ちでした」
(私は、これを読み「すぐ消える」どころか、教え子の胸の中だけでなく、新聞を読んだ何万という人の中に、その人の生命の灯火が消えるまで、S先生の生き方は心の中に残っていると思います。S先生は、そう思って生徒と向き合われたのではないと思います。しかし、一人ひとりの「生=人権」を大切にされたと思います。「人権とは、その人が幸福に生きる権利」だからです。S先生のお父様は、この「逆縁」にどれだけ虚しい思いをなさったか知れません。それは、私が考えることができないほどのものです。その人しか分からないものでしょう。でもお父様にはSさんの「生きる姿勢」を多くの人に伝えてほしいと、願っています。

by eastwatery | 2007-07-03 00:13  

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