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テレビ「武田鉄矢さんのお母さん」(6月15日)

武田鉄矢さんのお母様は、すでに亡くなられていますが、今日は午後9時からのテレビ番組で武田さんが、母親とのエピソードを語られました。そのことは、かって本として出版もされていたので、読んだこともあります。また、息子が高校1年の1月から約1年間オーストラリア留学をしたときに「大好きな武田さんの本」といって持っていった本でもあります。

武田さんは5人兄弟の末っ子です。お父様は酒好きであったため、家に入れるお金が少なく、家計は火の車だったとのこと。 そこで、お母様は朝5時に起きて豆腐を売り、7時にはタバコ屋さんを開け、その傍ら夜遅くまで洋裁をしながら、5人の子育てをされたそうです。そういうお母様の姿を見ながら育った武田さんには、反抗期はなかったのですが、悪いことをしたときには徹底的に厳しく叱られましたが、その後は精一杯愛してもらったと、語っておられました。

進路を考える時、お母様は彼に「お金がないから国立大学へ進学して、学校の先生になってほしい。タバコ屋のおばさんではなく武田先生のお母さんと、呼ばれたい」といわれたそうです。武田さんはその気持ちをそのまま受けて福岡教育大学へ進学し、教育実習を済ませたところで、音楽の道へ進み上京しました。お母様との約束で1年間で故郷に帰ることにしていたのですが、歌のヒットなどもあり、卒業しないままになっていまいました。その後ヒット曲もなく生活が苦しい日々もありましたが、その時もお母様は「そういう時は乾杯をするもの。 苦しい顔をしていてはだめ。明るく生きよう」と励まされたということです。

ある日、映画俳優や「金八先生」としても成功した武田鉄矢さんのもとへ、お母様から電話がありました。武田さんが、長い間大学へ出席していないため除籍をするので、鉄也さん自筆のサインがほしい、ということでした。そのとき初めて鉄矢さんは、お母様が8年間彼には内緒で授業料を払い続けていたことを知りました。お母様は「先生になってほしかったけど、もう立派な先生になったから、いい、いい」と、何の憂いもなくおっしゃったそうです。

このエピソードは、私が鉄矢さんの本を読んだときに一番心に残っている部分です。これほど深く広い愛情をもったお母親がいるでしょうか?心から息子を信じていなければできないことです。
もちろん、「武田先生の母親」になりたいという夢もあったかもしれませんが、それにしても苦しい生活の中から公立大学とはいえ、よく8年間授業料を払われたと思います。真実のお母様の心は、息子が本当に挫折して故郷に帰ってきたときのために居場所である大学を残しておいてやりたかったのだそうです。

武田さんは言います。「来世でも母と息子でありたいと願います」と。これほどの言葉を息子に言ってもらえる母親がどれだけいるでしょうか? お母様は常に「私はどんなことがあっても、子どもたちを守っていきます」といっておられた、その気持ちが武田さんにはしっかりと伝わっていたのですね。

by eastwatery | 2007-06-15 22:49  

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