教育再生会議の子育て提言案(5月10日)

教育再生会議が子育てや家庭教育の「あるべき姿」を示し、親に自覚を求める提言案をまとめました。「当たり前のことを再確認することから教育再生をスタートさせなければならない」とその狙いを強調しているとの事。では、「あるべき姿」示しているものといえば・・・・・・母乳育児や子守唄の励行、テレビ視聴の制限、子どもの発達段階に応じた道徳教育の津養成などを打ち出しているのが、その特徴です。

これらを具体的に言うと、「子守唄を歌い、おっぱいをあげ、赤ちゃんの瞳をのぞいてください」「授乳中や食事中はテレビをつけないように」など。また、「乳幼児期には一緒に歌を歌ったり、本の読み聞かせを行い、小学生時代には今日の出来事を話しましょう」と親子のふれあいも推奨しています。しかし、これらのことは、「テレビをつけない」を除いてマニュアル化したことを提言するものなのでしょうか? 子育ておいて、子守唄を歌い、母乳を飲ませるときに息子の瞳をのぞく。私はそういう行為を誰かに教えてもらったり、育児本を読んでそのようにしたという記憶はありません。

これらの行為は、誰かに教えられなくても育児本を読まなくても、親として自然にできることだと思うのです。私自身、母親としての自分を振り返ってみると、母乳を飲ませるときには息子の方も一生懸命母乳を飲みながら母親を見てくれるし、私も息子がちゃんと美味しく母乳を飲んでいるか自然に赤ちゃんの瞳をのぞくというより、赤ちゃんの様子全体を見ていたように思います。また、それだけでなくオムツ替えるときなどは、思わず知らず「ああ、気持ち悪かったねぇ、すぐ替えるからね。・・・ほら、気持ちよくなったでしょう。よかった、よかった」など自然に言葉がけをしていたと思います。多分、大方のお母さん方はそうだった思います。

しかし、その一方で一部には人口乳を飲ませるときに、母乳を飲ませるように抱きかかえ、子どもの様子を見ながらではなく、赤ちゃんを横向きに寝かせて、座布団を丸め、そこに哺乳瓶を立てかけ、子どもが一人でミルクを飲むように工夫(?)する母親もいました。これはアイディアとしてはいいとは思うのですが、これでは母子の心の交流はできないでしょう。だからか、教育再生会議は、「母乳が十分出なくても抱きしめるだけでいい」と人口乳で育てる母親に対して提言をしています。とても丁寧な提言ですが、このようなことも私にはマニュアル化という感じなのです。また、子守唄を歌うことや読み聞かせをすることなども提言してあります。

しかし、こういうことをする前に、やるべきことがあると、私は思うのです。それは、小・中・高等学校の家庭科をもっと充実させ、「生きること」の根本である「結婚するとは?」「家庭を営むとは?」「育児をするとは?」を家庭科教育の中で、理論だけを学ぶのではなく、さまざまな実体験を積むことが必要だと思うのです。例えば、「結婚、家庭経営」などについて、基本的なことは家庭科教師から学び、その後社会教育施設などと連携して地域の人たちを講師として「結婚、家庭経営」について、実体験を話してもらうこと。また、育児については、保育所へ実習に行き、子どもたちの世話をすること、両親が働きながら協力して子育てをすることなどを実際に学習しながら、自然に子育てと共に「結婚、家庭経営」について学ぶことができると思うのです。大阪で家庭科教師をしているMさんは実際にそういう家庭科教育をしているのです。それにより、男子中学生は子どもの可愛さ、子育てにかかわる喜びを感じ、女子学生は、「絶対に専業主婦となって子育てをする」と思っていましたが、保育所に子どもを迎えに来る父子の関係や母親の表情、喜び親に抱きつく子どもの表情を見ることで、夫婦で協力して共働きをして子育てをする良さも知ったということです。

もちろん、結婚後どのように生きるかということは、夫婦で話し合って決めることで専業主婦を選ぶ人、共働きを選ぶ人、それぞれがあっていいと思います。しかし、大事なことは「母親はこうあるべき、父親はこうあるべき、こういう家庭であるべき、」という考え方を少しでも変えていくことができれば、そこに家庭科教育の意義があると考えます。現在家庭科教育は軽視される方向にあり、進学校などでは、英語や数学に振り替えられることもあると聞いています。「生きる力を育てる家庭科」を学校教育の中で充実させていけば、何も教育再生会議が提言しなくても、自然に子どもへの接し方は愛情をもって自分流でできるのではないかと思います。もちろん、子どもたちが育つ家庭環境も合わせて重要であるのは、言うまでもありません。
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by eastwatery | 2007-05-10 21:01  

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