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「ただ」という詩、マザー・テレサの詩(4月17日)

相田みつおさんの詩に「ただ」という詩があります。

この世でもっとも大切なものは、皆ただ
太陽の光 野やまのみどり 雨や川の水
朝夕の挨拶 ゆうべの祈り 父母の愛

改めて詩になっている「ただ」を考えると、なんと本当はありがたいものを、なんと当然のことのように思って暮らしているのか、と思います。しかし、いま、その「ただ」と思っていたものが、どんどん壊れています。それは、私も含めて多くの人が、太陽の光も、野やまのみどりも、雨や川の水も、そこにあるのが当たり前と思って暮らしてきたからです。私たち人間がそれらを支配し、自分たちの利益になるような生き方をしてきたためにどんどん「ただ」のものが狂ってきたのです。

それだけでなく、今では人と人との間の朝夕の挨拶すら忘れられているし、親になれば当然のように子どもを愛する、と思っていることも今では、そういう定義が当てはまらない人も増えてきています。朝起きてニュースを知るのが怖いほど、殺人事件、虐待、人権を無視した出来事などが日々伝えられています。もし、人間が「自然と一体」となって自然と共生していけば、これ以上いろいろなものが壊れていくことはなくなるのではないかと思っています。

今日、出会ったもう一つの詩があります。マザー・テレサの詩です。

親切で慈しみ深くありなさい   あなたに出会った人がだれでも
前よりももっと気持ちよく   明るくなって帰るようになさい
親切があなたの表情に   まなざしに、ほほえみに
温かく声をかけることばにあらわれるように   子どもにも貧しい人にも
苦しんでいる孤独な人すべてに   苦しんでいる孤独な人すべてに
いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい   世話するだけでなく
あなたの心をあたえなさい

ある障害教育センター勤務の先生は、この詩に書かれていることが、ケアにかかわる人の根っこに問われる精神だと言っています。マザーは、カルカッタの街で、死の直前まで自らの腕にその枯れ枝のような人を抱え「死を待つ人の家」に連れ帰ったそうです。身体を洗い清潔な布に身をくるみ「あなたの人生は、立派だった。決して人に踏まれたり、わすれたれたりする人生ではなかった」と語り、その人の信仰のままに―ヒンズーであれ、仏教徒であれ―葬ったそうです。

この詩を読むと、どんなに惨めで貧しく、悲しい人生を送った人であっても、最後の時にその人のすべての人生を肯定し、認め、受容し、その人が安穏のうちに別れができるように見送る
マザー・テレサの偉大さが分かります。ケアは「死」のときの人権をも見据えられている、ということです。

そして、私はこの詩を読んで「相談者は、常にハッピーな気持ちで相談室に入り、その気持ちで相談者に対すること」という意味がはっきりと分かりました。まだまだ、私は人生修行が足りません。

by eastwatery | 2007-04-17 21:42  

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