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「いじめ」をテーマにした映画制作(3月25日)

今朝のTVで、小学校6年生の子どもたちが「いじめ」をテーマとして、8ヶ月にわたって映画を制作した様子を放映していました。

何から何まで、すべて子どもたちが何度も話し合い、何度もやり直しながら卒業の1週間前に完成させました.シナリオを書く子、監督、いじめられ役の子、いじめっ子たち、それぞれがそれぞれの思いを持って役割をこなしていきました。一番子どもたちが、敏感に反応し途中からシナリオを変更することになった言葉は「死ね」という言葉でした。

いじめっ子役の子どもたちは、シナリオに従って初めは、軽い気持ちでいじめられ役の
子どもに「しね」(映画の中では、こう書いていました)といい、みんなではやし立てていたそうです。しかし、それを繰り返すうちに「しね」と言っている自分たちがイヤな気持ちになると共に、そういう言葉を言うことが、言われている相手にとって、どれだけ重い言葉であるのかを、感じるようになりました。特に、いじめる中心にいた子どもは、夢の中でいじめられ役の子どもが自殺をしようとする場面を実際にシナリオで体験することにより、悩んでいました。ちょうどその頃に、シナリオを書いていた子どもも、シナリオの中に「しね」を入れることは、おかしいと思うようになりシナリオを変更しました。

私も電話相談者として研修を受けるときに講義の後、何度もロールプレイをしながら、応答の言葉で相談者がどのような気持ちになるか、を学びます。映画制作をした子どもたちもロールプレイをしながら、そういうことを繰り返していったのです。「しね」という言葉は、全面的に相手を否定する言葉です。これほど、相手に対して厳しく辛い言葉はありません。現実に自殺した子どもたちは、クラスのこともたちに「死ね」といわれていたのでした。今、私が抱えている問題は電話相談の中で相談者から「相談者をやめろ!あんたのようなものが相談員をやるのがわからない」とか、「まだ、やっているのか。いい加減にしろ!」とか言われていることです。これは、ただ一人の人から言われるのですが、私の存在を、そのように言われると、どうしようもなく悲しくなるのです。家族にも誰にもそんなことは言われたことがないので、一人になると涙が出そうになる時があります。

だから、私は今日のTVを観て、いかにいじめられた子が苦しかったか、よく分かります。子どもたちは映画を制作することによって、「いじめられる子ども」の気持ちに気づき、その気持ちをイメージすることができたのです。それは、誰かが「いじめは悪い! してはいけないことだ。人間として卑怯な行為だ」と諭したり、また、啓蒙したりするより、どれだけ映画制作にかかわることの方が、子どもたちに「いじめ」がいじめられる人の人権を完全に奪ってしまうことになるか、ということに気づかせることになるとは・・・・。子どもたちは一人一人自分たちの力で気づいていったのです。

そして・・・・シナリオを変えた後の結末は、どうなったでしょうか?
いじめっ子が「ごめんね」といいい、いじめられっこも「ごめんね」といって、お互いが握手をするところで終わりました。この映画を見た後、ある3年生の子どもの一人が「いろいろな人の気持ちが、よくわかってよかった」といったのが、とても印象的でした。映画制作のプロセスにおいて、一切先生方がかかわられることは、ないようでした。子どもたちが、長い時間かかって、紆余曲折をしながら、みんなで作り上げた映画「ごめんね」という映画は、これから、いろいろな学校で上映されることを期待と共に、祈っています。

by eastwatery | 2007-03-25 21:36  

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