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恩師の退職記念冊子『一文と一分』(3月15日)

私が社会人入学をしていた時の恩師(生涯の恩師です)がこのたび退職なさることとなり、その記念に冊子『一文と一分』を出版され、送られてきました。ご挨拶状の一部に「このたび『一文と一分』なる冊子をつくりましたので、謹んで送らせて頂きます。もとより、日記の類を出るものではありませんが、書いたものをまとめたい症候群でありまして、時間をわすれて没頭しました(略)」という一文がありました。

まだ、初めの数ページしか読んでいませんが、そこには先生らしい家族愛に溢れたエッセイが書かれています。もともと照れ屋の先生にとって、家族に改めて「ありがとう!」はいえないものの、これを読めば、いかに家族を愛し、愛されてこれまで生きてこられたかがよく分かります。
一部を紹介しますね。
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ふと耳にした母と子の会話である。
「だれか好きな女の子いる?」  「うん、いる」  「だれねえ」  「いわない」
「いいじゃないの、いってごらんよ」  「人にいうからダメ」   「だれにもいわないから」
「じゃあ、指切りする?」(ふたりで指切りをして、カタイ約束)
「ボクの近くにいる」  「だれと並んでいるんかねえ。○○ちゃん?」
「いいや」  「□□ちゃんでしょう。きっと」  「いいや、違う」
「だれねえ、教えて。小さい声でいいから」   「お、か、あ、さ、ん」

母親が「女の子」であるかどうかは別にして、「母親が好き」といえる子どもは、しあわせである。そういってもらえる母親は、もっとしあわせである。
 そのしあわせな母と子は、30年ほど昔の、長男とワイフであった。児童虐待、親殺し子殺しの痛ましい事件を目にする度に、あの会話を思い出す・・・(略)。
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この一文は、教育学を教えておられる先生の、もっとも先生らしい文であると思います。先生が学科長をしておられるとき、私は副手として採用していただきました。副手の仕事の一つに学科長の秘書的な仕事もあったので、私は毎朝先生とその日の日程の打ち合わせに、先生の研究室へ朝一番に伺っていました。 大体時間がきまっていたからでしょうか、先生はいつも珈琲をたてて、私が来るのを待っていてくださいました。さりげなく、そういうことができる人です。

1週間に1回、先生が「このハガキを投函しておいて欲しい」とおっしゃることがありました。それは東京の大学で学ぶ息子さんへの手紙でした。多くの文章ではありませんでしたが、いつも私は胸にじ~んと来るものを感じていました。その頃、流行っていた、さだまさしの歌「かかし」が大好きな先生でした。
♪元気でいるか  街には慣れたか 友達出来たか 寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る・・・♪
という内容が、先生の心象を表していると思っていました。僅か1枚のハガキですが、親の愛情が一杯のハガキでした。

話は、元に戻って。 実は、私も子どもが4歳のときに息子から「おかあさん 結婚しようね」と言ってもらったことを思い出しましました。まだ、数の計算もできない年頃だったので、「お母さん、ぼくが大きくなったら 結婚しようね」といってくれました。
先生が送ってくださった冊子の一文でこのことを思い出しました。私も幸せな母親なのだと思いました。

by eastwatery | 2007-03-14 21:33  

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