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「家族」とは?~その2~

その次に「家族」になったのは、「さっちゃん」を預かってくれた友人のYさんが、引き続き犬を飼い、その犬が産んだ子犬をもらった「ロッキー」です雑種の雄犬で、生後三ヶ月で我が家の一員となりました。当時もまだ、息子は誕生しておらず、夫婦で子ども同様に何でも話しかけて育てました。そのためか、やはり自分は人間と思っているようだったし、私たちの気持ち、体調、言葉はよく理解していたように思います。朝晩の散歩の時も私の体調が悪い時は、何も言わないでも察して、私の顔を何度もちらちらみながら、ゆっくり足を運んでいました。

今までの「ロッキー」の生涯で、一番悲しく辛そうだったその顔を忘れることができません。それは・・・・・息子が誕生した頃、庭に面した居間で、息子に乳をふくませているときでした。カーテンの合わせ目が少し開いていて、外から中の様子が見えるようになっていました。ひとしきり、息子に母乳を飲ませて、ふっと顔を上げてみたとき、「ロッキー」が、じっと私を見ていました。悲しく、さびしく、今にも涙のこぼれそうな顔でした。私は、母に「私が乳を飲ませている間、ロッキーを撫でやって」と頼んだのだのですが、「ロッキー」は、私がかまってやらないと納得いかない様子だと、母は言いました。犬は、嫉妬深い動物だといわれていますが、そのとき彼の感情は、そういう程度の低いものではないような気がしました。悲しみ、辛さに、ひたすら耐えている強さも感じたのは、私の考えすぎでしょうか。

その後、「ロッキー」はまさに息子のお兄さんのようでした。息子が訳の分からない年齢の時に、箒を振り回して「ロッキー」を追っかけようと、時にはからかわれようと、決してはむかう事も怒ることもしませんでした。息子が3歳くらいからは、「ロッキー」と近所の子ども4,5人で夕方の散歩に行くのが慣わしとなっていました。

自宅の近くには、杉や楠がうっそうと生茂ったお宮があり、そのあたりをワイワイいいながら散歩をしていました。春には、新芽のもみじの美しさに見とれたり、てんとう虫の幼虫が石垣に固まってひっついているのをみたり。夏には、山からの冷たい水に喉を潤したり、虫を追ってみたり、「ロッキー」も人間になったつもりか、嬉々として走り回っていました。私も童心に返ってはしゃいでいました。秋には、たくさんの楽しみがありました。

そこかしこに落ちている椎の実やどんぐりを拾ったり、びっしり敷き詰められた落ち葉を踏んで歩いて、滑ったり。冬には、寒い日はちょっと面倒と思うこともありましたが、「ロッキー」も子どもも雪が大好きで、わざわざ解けかけた雪の上を歩いてびしょびしょになりながらも1時間は散歩をしていました。私としては、夕食の準備もあり、イライラすることもありましたが、「ロッキー」と自然と私たちが一体となることで、なごやかで、やさしい気持ちになれるひと時を過ごしたと思っています。こうした暮らしの中で、「ロッキー」も「さっちゃん」と同様、私たちの心の中が、ふんわりと温かくなるような思い出をいっぱい残してくれました。

しかし、10歳半になった冬、別れの日がやってきました。少しずつ調子が悪くなっていったので、獣医さんに診てもらいました。「よくまあ、この年齢まで生きましたね。この犬は、先天的に心臓に穴が開いていたのですよ。ここまで、生きたのは奇跡です」といわれました。そうだったのか、生来、とてもおとなしく食欲も細い犬だったのはそのためだったのか、もっと早く気づいてやればよかった、と思いました。歴代の「家族」が、ずっとこの獣医さんにかかっていたこともあって、休みの日も含めて、「ロッキー」が苦しまないでその日が迎えられるように看てくださいました。

そして・・・・何日かたったある日、本当に別れの日が来ました。その日も私が「ロッキー」を抱いて、診察室で待っていたとき、突然痙攣が始まり、あっという間に私の腕の中で息絶えました。先生が、生き返らせるために人工呼吸やあらゆる処置をしてくださったのですが、再び生き返る事はありませんでした。心配で一緒に来ていた息子は、あまりの出来事に呆然とし、そして、激しく泣きました。当時、息子は7歳でした。そのとき、初めて彼は、愛するものが死ぬということが、どれだけ辛いことか、「死」というものは、いかにしても逃れられないものなのだということを知ったのではないかと思います。

「家族」の中では、ロッキーが一番私たち家族の中に深く心に刻まれている犬だと思います。人間以上に人間らしく、思いやりもあり、賢かったのです。今でも、忘れることができずリビングの写真立てに飾って、ときどき「ロッキーはねぇ・・・・」と話しています。

もう一つの「家族」は1昨年の3月初旬、私たちのもとから旅立っていった「ハッピー」です。彼のことも書ききれないほどの思いがあるので、これは、また次の機会とします。
いずれにしても、どの「家族」も私たちの絆をより深く結び付けてくれ、幸せにしてくれました。それらの「家族」は、どれも我が家の庭の一隅に葬られています。

そして、早春になると庭に咲いているやぶ椿の花が彼らをそっと見守っています。

by eastwaterY | 2007-01-24 23:44  

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