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「家族の関係」と「その他の関係」その2(10月24日)

昨日の続きで、特に「その他の関係」について書きたいと思います。その前にこの本のことを紹介します。鶴見俊輔、春日キスヨ、徳永進、浜田晋『いま家族とは』岩波書店、1999年出版です。

浜田さんは「『その他の関係』の幅は広く深い。人間の成長はその上に成り立っている。その多様な出会いによって人は人となる」と、書いておられます。この意味を考えると、人間は他の哺乳類と比べて未熟な状態で生まれてくるところに、その意味があると思うのです。生得的にもっているDNA以外に人間は、DNAとは関係のない人からさまざまな影響を受けて成長するということに意味があると思うのです。

私自身のことを考えてみても、親や家族以上の影響を受けた「その他の関係」の人たちが何人もいて、今の自分が形成されていると思えるのです。そして、そのことが私にとって、とても重要なことだと思えるのです。また、そういう人たちに恵まれ、囲まれて生きていけることは、幸せだと思っています。こうして、ブログで出会え、考えを共有したり、影響をしあったりできる人たちも、私にとっては「その他の関係」の貴重な人たちであり、そのお陰で私の日々の生活も充実していると思っています。

「血縁の関係」は、その家族に生まれたという必然的な関係から始まりますが、「その他の関係」は、時間、距離、年代を越えて時には必然そして、全く偶然に出会い、関係ができるのです。社会学者の春日さんは、フィールドワークの中から多くの論文を執筆している人ですが、2025年には75歳以上の後期高齢者が15.6%になると、晩年になって施設に入所し、家族員以外の手による世話を受けざるを得ない人が膨大な数に達すると予想しています。

そうなってくると、今までのように「家ですみ続けるのがいい」という思いを、安易に「家族にみてもらう方がいい」と直結させることに対して危惧を抱いています。それは、家族という関係は人々が信じたがっているほど、「愛」を発揮するかどうかということです。「その他の関係」の人であれば、比較的容易に支えられるところを、家族という関係だからこそ、支えきれない部分を持っているのではないかと春日さんは言っているのです〔実際には大家族で住んでいる高齢者の自殺率が一番高いとのこと〕。自宅で家族と共に住んでいる高齢者は、家族の愛情を期待するする分だけ、期待しないような施設で生きるより絶望感は深いということです。

春日さんが老人ホームで聞き取りをした時、家族がいても施設にいる高齢者が「葬式をホームで」という方が多かったそうです。ホームの方が最晩年の歳月に見知った人が多くいて、拝んでくれるという思いが、ホームにいる人々の中にあるのです。浜田さんもこう言っています。「家族の絆とか家族の愛情とか言うものが崩壊しつつある中で、今現在、老親の介護にしても『その他の関係』というものを育てていけないところに来ている」。

最後の章では、4人の討論が掲載されています。それを鶴見さんが最後にまとめています。
「家族を考える時に、そこに『その他の関係』を入れていくことで家族の見方も変わっていくし、実際に生き方が変わっていくということ。今いきいきとした家族を生きていけるのは『その他の関係』を巧みに導入している場合と思う」書いてあります。

浜田さんは、あとがきに「『家族』は『その他の関係』の力を借りて再生することもあるでしょう」といっています。さらに「『その他の関係』は、人と人との絆から犬や猫や、さらには、樹木や虫けらや大自然にまで拡大する力を秘めていて、それが癒しの力になり、人に生きる力を与える」とまとめています。

確かに、最近は犬や猫を家族と位置づける人も増えています。私自身も、過去5匹犬を飼って来て、完全に「家族」と思っていました。しかし、「家族」と思えるのはそこまでで、我が家の庭にいて、癒してくれる蝶々やトカゲ、そして四季おりおりに成長し、花を咲かせて癒してくれるこれらのもの達は「その他の関係」です。時に、これらのものが、浜田さんが言っている「癒しの力になり、人に生きる力を与える」ものになるのです。

そのように考えると、生きている限り多くのものに自分は囲まれ、癒され、生きる力を得ているのだと自分が思えば、それは、幸せなことであり、幸せは自分で決めることだと思いました。

by eastwaterY | 2006-10-24 23:30  

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