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朝(あした)には紅顔なれど、夕べには白骨となれり(9月24日)

すみません。縁起でもないタイトルとなっています。今日はご近所で親しくさせていただいていた86歳の女性Kさんのお葬式でした。私がまだ30代の頃、子どもがいなかったので、当時、編み物教師をしておられたKさんに毛糸の機械編みや手編みを教えていただいていました。ある程度まで、できるようになったら生徒を紹介していただき、しばらくは私も編み物の先生をしていました。

Kさんのお陰で、NZにいた時も当地の毛糸でいろいろなものを編んで皆さんにプレゼントをし、喜ばれたものです。少女時代から赤々と燃える暖炉の前で、ロッキングチェアーに座り、生成りの毛糸でセーターを編むのが夢だったのですが、その夢がKさんに編み物を教えていただいたお陰で叶ったのですから、感激でした。

Kさんは、最近、少し認知症の症状が出ていたので、私がお訪ねしても私と分かる時と、分からない時があるようでしたが、2ヶ月前に転んで足を骨折され、先日自宅に帰られたばかりでした。同居のお嫁さんのMさんは、私と仲良しでもあるのですが、この方が細い体でKさんに細かく気遣いされて、これ以上ないほどの介護をされていました。それが、2日前に、急に肺炎になり、あっという間に亡くなられたのです。Mさんとしては、それが残念で、「もう少し、私がやることがあったような気がして・・・」といわれました。私とすれば今の時代に、これほど思いやりにあふれた介護はめったにないと思っていたのですが・・・。

お昼過ぎから、お葬式が行われました。仏式の葬式だったので、御文章では「朝(あした)には紅顔なれど、夕べには白骨となれり」という言葉が唱えられました。私はいつもこの言葉を聞くときに、「無常」という言葉を思います。そして、年代、性別、環境にかかわらず、誰にでも「死」というものは突然訪れるということに改めて気づかされます。誰も自分の寿命が何時尽きるかということを知りません。知らないからこそ、明日も、あさっても、何年後も自分は生きていると思って夢を見ることができるのです。

だから、いつもこの「朝には・・・」の言葉を聞くと、生きている限りは夢を追い続けることが大切なのだと思います。そして、とにかく「今」「この一瞬」を精一杯生きていこうと思います。今日もKさんが私にそのようなことを思い起こさせてくださいました。

by eastwaterY | 2006-09-24 20:19  

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