人の生き死にに人為ははたらかない

朝日新聞の「悩みのるつぼ」に、母親の立場から「子のいない長男夫婦がふびんで」という相談がありました。その内容は、保育士をしている長男の妻は、子どもが人一倍好きなので、自分たちの赤ちゃんをほしいと高度な体外受精を6回受けている。が、その結果が出ていない状況に対して、この世の不条理を感じている」というようなものでした。

この相談に対して、回答者の社会学者の上野千鶴子さんは「ご長男に子どもがいないことを気に病んでいるのはあなた自身では? もしかして、子どものいない女は、女として一人前ではないとおもっていませんか?」と疑問を呈しています。そして、最後に上野さんは「昔も今も子は授かりもの。
その気になったからといって計画通りにできるわけではありません。人の生き死にに人為が働かないことに、もうすこし世の中のひとびとが謙虚であってくだされば、と願います」と結んでおられました。

この結論を読んで「さすが、上野千鶴子さん!」とすっきりしました。上野千鶴子さんは社会学者であり、専攻は家族社会学、ジェンダー論、女性学。そして、63歳のこれまで事実婚はあったようですが、独身を通しておられます。これまでの日本では、独身をとおす、子どもを育てていない、という理由で上野さん自身、理不尽なことを人々からいわれたことがあると想像できます。そういうことの繰り返しの中から先の「人の生き死にに人為がはたらかないことに、もうすこし世の中のひとびとが謙虚であってくだされば、と願います」という考え方が出たのでしょう。上野さんが、述べたかったことは、この相談内容だけに限らず日本の人々の『一般の人々の常識』から外れた考え方や生き方に対してではないかと、私は思います。たとえば、外国人、在日外国人、性同一障害の人々や未婚の人、そして既婚であっても子どものいない人などに対しては、遠慮なく相手が傷つくような言葉を発します。人一人ひとりには、それぞれの生き方があり、人と同じように生きようとしても各人の事情により、そのように出来ないこともあるのです。上野さんが「もうすこし世の中のひとびとが謙虚であってくだされば、と願います」と書いておられるのは、上述のことではないでしょうか?私は謙虚であることだけでなく、もう一つ「思いやり」をつけ加えることだとと思うのです。「思いやる」=(イメージをする)でもいいと思います。

私自身についても、20年間子どもに恵まれなかったことに対して人々からは「子どももいない人には分からない、どちらが悪いのかしらないが自分たちは結婚後すぐに子どもができた、子どもがいない女性は一人前ではない」など無遠慮に言われ続けました。その後、長男を授かったら、今度は「子どもが一人ではかわいそう、二人は居なくては」と、人の事情も考えず、平均的な家族像を頭において、平均から外れることは、おかしいようなことを言われました。 しかし、私のこれから述べる二つのこと出来事から上野さんと同じように考えるようになりました。それは・・・・

夫は、輸出関連の仕事をしていたので、日本にいることは少なく、同居の義母(私にとっては姑)が1週間の病の末、亡くなった時には帰国できず、夫は死に目に会えず、私が喪主として葬式を出しました。

その後の、長男誕生の時には、夫はヨーロッパへ出張中で私一人で出産し、4日後夫は初めて長男と対面をしました。結局、夫は人生の中でたった一人の母の死とたった一人の息子の誕生に出合うことはなかったのです。この二つのことから、それ以後の私は「人の生死は自分も含めて、自分で何となかなるものではない。これからは、とにかく自分にも人にも精一杯できるだけのことをして生きていこう」と思えるようになりました。だから、上野さんが「人の生き死にに人為がはたらかないことに、もうすこし世の中のひとびとが謙虚であってくだされば、と願います」と言われたことが、すーっと何の抵抗もなく頭と心の中に入って来たのだと思いました。

まさに、上野千恵子さんに大拍手を送りたい気持ちです。
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by eastwatery | 2011-02-15 23:33  

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