楽しいことがありました(9月22日)
2009年 09月 22日
ありました。
まず9月17日は、私の68回目の誕生日でした。私は、人の誕生日を憶えるのが苦手(単なる横着かも?)なのに、友人たちは憶えてくださっていて、4人の人からバースディカード、手作りの絵手紙、いかにも私が好きそうな絵入りの絵はがきなどが、バースディに届きました。もちろん、メールでも「おめでとう!」と祝ってくださった人もいました。
ホントに、幸せなことでした。もちろん夫からもカードと素敵なプレゼントがありました。
これは、ちょっと内緒です。
もう一つの嬉しいこと。これは9月20日のことです。小学校1年生の時のクラス会があったのです。担任のY先生は、現在81歳ですが、まだご健在なので、今のうちにクラス会をしようと、私が仲良くしている友人が企画してお世話をしてくださいました。
私達は昭和23年に小学校へ入学しました。その小学校は本川を挟んで向こう岸に原爆ドームがあるという場所にあり、名前は本川小学校といいます。私たちが入学した時には、まだ学校を建てることもできない状況でしたが、その頃には珍しくコンクリートで立てられた校舎だったので、あちこち傷んでいたり、崩れていてもその校舎で授業を受けることができました。
そのような状況だったので、今でも本川小学校では原爆資料室があって、海外からも見学
に来る人が多いようです。Y先生は私たちと13歳しか違わず、先生は19歳の時、臨時教
員として採用され、1年半後、広島大学へ進学して、再度小学校へ戻ってこられということ
でした。だから、Y先生にとっては、私たちが初めて担任した子どもたちであり、「そうい
う子ども達が68歳でクラス会を開催してくれるとはギネスもの」ととても喜んでください
ました。
私は、先生とは25年ぶりの再会であり、同時に毎年年賀状は写真入りで出しているので、
私のことはすぐわかってくださいましたが、他の人のほとんどは、60年ぶりですから、初
めの頃は「だれですか?」という言葉が交わされていました。
一人一人が、当時の思い出と近況を伝えあう中で、クラス会に参加できた人は本当に幸
せ者だと思いました。68歳にもなると、すでに逝去した人、健康に問題がある人、いろいろ
あって参加できない人もいるのですから。
小学校時代の話の中で「しらうお取り」がありました。当時の、のんびりとした教育の様
子を物語るものでもあり、教師も今のように追いまくられるような雰囲気も感じられない
話でした。
「しらうお取り」は、腕白坊主が4年生くらいの時に10人くらいで学校のそばの本川で、
春先にしらうおが泳いでいるので、みんなで力を合わせてたくさん取って、学校の近くの
料理屋さんに売って、小遣い稼ぎをしたという話です。しかも、しらうおを取る道具も、
放課後などを利用して仲間で作ったというのです。しかし、やがて、先生にそのことがば
れて、罰としてバケツを持って廊下に立たされたとのこと。
なんと逞しく、「生きる力」に溢れた子どもたちだったんだろう、と思ったし、その話をす
るA君は、まるで少年のような表情で、イキイキと話していました。その話を聞く私たち
も、彼の気持ちを楽しく共有しました。Y先生も「ふ~ん。そういうこともあったのね」と
のんびりとしたもの。
私たちは、食べるものには事欠く日々だったけれど、子どもが子どもらしく生きることが
できた良き時代に小学生生活を送ることができたのだと痛感し、その幸せをかみしめま
した。
by eastwaterY | 2009-09-22 22:14